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食用少女INNRD  作者: 間楽面明
4/4

人間


■■■四章:人間■■■


 口の中に違和感がある。

 目を覚ましてみると、緑が広がっている。

「むぐ、ぬっ」

 口の中を這いずりまわり、そうして糸を引いて逃げ出した。

「おまっ、何っ、何やってんだよ!!」

「……消毒」

 舌を出して、上目使いで小悪魔のような雰囲気を出して葵は言った。俺の上に跨り、これは何か新しいフェチズムビデオの撮影なのかと思ってしまった。カメラを探しても見つからない。

 初めて服を着ている姿を見るが、作務衣にも似た病院服なので胸がこぼれそうだ。下着ぐらい付けろよと叱咤するべきか。

「……だって……この前……同じ事、されてた……」

 唇を尖らせてそう言った。

「いや、いつの事だ」

「初めての……夜」

 これまた誤解を招く言い方だ。新婚初夜みたいな意味に捉えないでくれとしみじみ思う。

 多分あの少女に口移しをされた時だろう。

「消毒って、どういう意味だよ……」

「だって、香織先生が……」

「……はぁ」

 右手で頭を抱えようとしたら、何もなかった。

 病院のベッドの上で俺は俯き、残った左上で頭を掻きむしる。

「知郷……? 寂しい?」

「あ、いや……」

 両手で葵は俺の頬を優しく触り、またキスをして来ようとする。

 俺は左手の人差し指と中指でその唇を押さえて、それを阻止した。

「大丈夫、消毒は出来たよ」

 毒素何てないけど。

「やった……」

 えへへ、と悦んでいる姿は子供の様だった。

「ところで、夕日先生は?」

 見覚えがある病室。ここは夕日先生の病院だ。

「ここにいるわよ、ちーくん」

 左後ろから声がした。俺は驚いて体をビクつかせた。

「おわっ、先生!」

「何よぉ、お邪魔だった~?」

 にやにやとニヤけ面をしてそう言う。この人の考えている事はほとほと分からない。

「なあ、葵。降りようか?」

「……?」

 何で? なんて顔をされても困る。重たい訳じゃないけれど、これは色々放送倫理的にもうまずいだろう。これまでの事を帳消しにしたような発想でそう思った。

 いいから降りて、と言ってとりあえずベッドの隣にあった椅子に夕日先生と並んで座ってもらった。

 俺もちゃんと体を起こして話す。

「俺、あの後どうしたんだ?」

 記憶に残っているのは、最後の一発を葵と共に撃ち放った事だった。

 葵の無かったはずの左腕は治っていて、俺は一瞬『どこから夢だったんだろう』って思ってしまったけれど、右腕が無かったので全部真実だと思う。

「……えと、あの後……ばたーんって倒れて……よいしょって運ばれたの……」

 意外にも葵が答えた。微笑ましく夕日先生が見ている。呆れて俺はこれ以上訊けなかった。

 葵の言う事は間違いないだろう。ただ、東元矢代だった者のその後が気になる。

「夕日先生、東元矢代はどうなったんだ?」

「んー。気にしない方がいいかもね」

「また、裏社会だのなんだのって言う理由か?」

「それもあるんだけれど、ちーくんに知ってほしくないかな~」

 軽口を叩くようにそう言った。

「それは俺が……」

 続きを言おうとして口を噤んだ。

「……そう、ね」

 何かを察して先生は言葉を切るように言った。

 殺人。と言う言葉が浮かんだ。

 やはり、そうなのだろう。

 無我夢中だったとはいえ、形を変えて人あらざる者へ堕ちた東元矢代とて、一人の人であった。その点を踏まえると、やはり俺は殺したのだろう。

「でも大丈夫よ。ちーくんは事故で右腕を失っただけ、なのだから」

 不穏な読点を入れて言った。

 葵は何の話なのか分かっていないのか、沈む俺の表情を見て何か慰めようとしてくれている様におろおろとしている。

「私は仕事に戻るわね」

 そう言って立ち上がるので俺はもう一つの疑問を確認する。

「先生、医は……今何をしているんだ?」

「え? 彼は今病院の地下室で色々やっているわ」

「……地下室?」

「ええ、霊安室と別に私個人の研究室もあるのよ。他の職員には内緒よ?」

 人差し指を口元で立てて、ウインクをしながら秘密のサイン。何だか古い。

「みんな知らないのか?」

「そうね。霊安室の奥に資材置き場があるんだけれど、その中に隠し扉があるなんてみんな知らないのよ。一応故人を敬う所だからあまり人も出入りしないし」

「そんなのここで話していいのか?」

「大丈夫よ、ここは隔離病室で一応他のナース達には入らないように言ってあるから。たまに私が指示しては言って来る事はあるけれど、それ以外はほぼないと思っていいわ」

「隔離病室って余計気に掛けられないか?」

「いや、今回に至ってはちーくんの治療の件もあるしね。他の人には近づけないようにしてあるの」

「ああ、それもそうか」

 感染性。と言うのがなかなか人避けに役立つ事がある物だ。

「他の患者も別の隔離室に入ってるけれど、私とちーくんとあーちゃんは安心よ」

「あーちゃん?」

「……?」

 葵が拾って来た子犬の様な顔でこちらを向く。

「あぁ、そう言う事か」

「じゃあ、行くわね」

 そう言って、病室を夕日先生は去って行き二人だけの病室になった。

 葵を改めて見る。今まで裸の彼女か、シーツを被っている姿だけだったので、病院服とは言え、少し新鮮だ。

「カーテン開けようか」

 木漏れ日の射すカーテンを開けると、鉄格子が待っている窓であった。まあ、隔離病棟は昔は精神患者などを隔離しておく形が主だったので、こうあるのは自然だろうと納得した。

 外を見ると、人々が行きかっている。時計が無かったのでおおよそでしか分からないが、これだけの人通りであると三時ごろだと思った。

 俺はベッドに腰を掛ける。右腕が無いと少し動いても分かるほど色々と不便だ。

「なあ、葵。訊いていいかな、その腕の事」

「……?」

「左腕は、あの東元矢代に切り落とされて……いたろう?」

「うん」

「どれぐらいで治るんだ?」

「……えっと、三日ぐらい?」

 自分でもちゃんを分かっていないようで、首を傾げながら言った。

「それで……どれぐらい――」

 続きを言うべきなのかを戸惑ったが、口から出掛けた言葉で葵は分かったようで答える。

「あのお屋敷に行ってから……えーと……少ししてからずっと……ずーっと……」

「ごめんな、辛い事訊いて……」

「謝っちゃ……だめ……だよ?」

 そう言って俺の頭を少し力を入れて撫でて来た。俺の少しだけ長い髪が気に入ったのか、わちゃわちゃを撫で続けた。

「ありがとう」

 何に対してでもなく、今俺の前に居てくれて。

 にっこりと笑ってくらたので、俺もつられて笑になる。

 何だか、ここ数日の騒動で疲れ切った心や、その前の何年もの間報道陣からの取材や人々からの距離を置かれた対応、人々の軽蔑の視線から棘だらけにささくれていた心が丸くなった感じがした。

 もちろん夕日先生と話しているときも、自然な感覚でいられるのだけれど、それとは違う幸福感の様な物で満たされた。

 ああ、俺って女々しいな。

「ちーくん?」

 撫でていた手を離してから、夕日先生と同じ言い方で葵は俺を呼んだ。

「何だよ、それも夕日先生に言われたのか?」

「ううん。言いたかった……だけ……だめ……?」

「いや、いいよ。嬉しいから」

 気恥ずかしさのあまり、頬を手で俺は触るように言っていた。つくづく俺は紳士たる乙女である。もう否定はしない。

「ちーくん!」

 許可を貰ったことが嬉しいのか、何度もそう言って来た。俺はそのたびに「おう」と答えた。

 俺もあーちゃんと呼ぶべきなのかと思ったが、それでは夕日先生の思うつぼだろうと思って、葵と呼び続ける事に決めた。

 それからしばらくして、俺は一つ尋ねてみた。

「葵。お前人間になりたいって思う?」

「……?」

 月並みな反応であるが、やはり疑問な表情を浮かべていた。

「いや、気にしなくて良いよ」

 我ながら変な質問をしたと思った。

 多分これは医の影響だろう。彼が『葵ちゃんを人間にする』なんて言ったもんだから、そんな事を考えていたのだ。もう立派な一人の人間として俺は向かい合っているじゃないか。

「……ちーくんは……人間がいいの?」

 首を傾げながら訊いて来る。

 俺はどう答えるべきだろうか、彼女の期待に。そもそも期待をしての質問なのか、それともただ流れで聞いたかけかなんて割と関係がない。

 多分この解答は、大きな分かれ道になると思う。

「そうだな、俺は……」

 葵が人になる事。それは何を意味するのだろう。

 多分、今夕日先生や医の話を聞いている限りでは葵に人権と言う物が存在するのかが疑問である。人として扱われないという事は、彼女にとってどのような問題があるのだろうか。今までの長い時間、東元矢代やあの少女によってまるで家畜のように見られていた彼女に、どのような選択肢を与えるべきなのだろうか。

 不特定多数の人間に尋ねるとおおよそ十中八九は『人間にした方がいい』と答えるだろう。残りの一二は『人間にしろ』だ。

 だが、俺は疑問に思う。人ではない存在として生まれて来て、人ではない状態で育ってきた彼女を人間になったとして、それを受け入れられる人間はいるのだろうか。

 自身がそうであるのは間違いがない。それを受け入れられる人間は俺、夕日先生、医と穿って社会を見ている人間だけであれば、間違いなく一般解答の人々からは受け入れられないと思っている。

 そう言った考えはやはり俺自身の経緯が問題している訳なのだが、同じような侘しさや孤独感を彼女に味わってほしくないと思ってしまうのは俺の我儘なのだろうか。

「俺は、葵に人間になってほしい……いや、葵と同じがいいから、俺が葵みたいになるのでもいいかもしれない」

 そう、彼女を一人にしたくない。

 これから長い『人生』を始めるのであれば、俺は葵と同じ立ち位置に立って、幸せも不幸も受け入れようと思った。

「私も……私も。ちーくんと一緒がいい!」

 シンプルで、願いがこもった答だった。


 その後、葵は欠伸をしてからすぐに寝てしまった。ベッドに両腕で伏せるようにして寝ていたので、俺は彼女の身体をベッドにどう持ち上げて乗せようかと思ったが、あまりにも気持ちよさそうに寝ているので触らずこのままシーツを背中にかけて俺は外の景色を見ている事にした。暇だった。

 あまりの暇さに、俺は病室に置いてあった本を読んでいた。それは夕日先生が置いて行った本らしく、INNRDについて書かれていた。

 難しい用語が多く、医療系の仕事はやっぱり俺には無理だと思ったものの、とりあえずテレビなどを付けて音を立てて葵を起こすのは申し訳ないと思ったので、読み続ける。

 内容はこうだった。

・INNRDはInfected with non-renewable diseaseの略で、日本名 感染型再生不可症 だという事。

・感染者は、基本的に周囲数メートルの範囲の人物、動物などの哺乳類にその病原体を感染させることになる。

・治療法は無い。(本が発行された時点では俺の症例が無かったようだ)

・感染者は外傷、内傷共に治癒力が著しく低下し、やがて死に至る。

・感染者の脳波を測定した結果、徐々に衰退していく事が確認されている。

・感染者の死後十日で病原体Non-renewableの消滅を確認。

・マウス実験での感染までの時間はおおよそ三日である。

・哺乳類の個体としての規格が大きくなる(大型動物になる)と感染までの期間が長くなる。

・人体での潜伏期間は大よそ一ヵ月。こちらも個体規格により前後。

 難しい言葉が多くて読み取ることが出来なかった部分も多いが、多分こんな感じの内容だろう。一応ほんの発行された月を確認してみると、俺が治療を受ける一年前だった。

 著者は知らない人物だったが、監修の欄に『監修、資料提供:医 凱夫』と書かれていてちょっと驚いた。

 そこまで読み終わると、そらはもう暗くなっていた。

 難しい本を読んでいると時間が過ぎるのが早い。無駄に頭を使うから、疲れてしまうし、良い事が何もないよなぁ。と思う。

 その後、考え事をした。

 外を見てみると、人の行き来は殆どなくなっていた。他の病室からの明かりも無くなっているようで、かなり周囲は暗くなっている。民家の明かりもちらほらとしているので、もう夜も更けているのだろう。随分長い事本を読んでいたようだ。

「葵、もう夜だぞ」

 背中をさすって起こすと、酷く怯えたように急に立ち上がり、壁の所に移動してから生まれたての小鹿の様に震えた。

「ごめんなさい……」

 その言葉に彼女との距離一メートルに果てしなく深く広い溝がある事を感じた。一歩を踏み出すと吸い込まれそうな谷底が見えるような気がしてしまう。

 俺は歯を力強く噛み締め、その谷を飛び越えて彼女の前に立ち、優しく頭を撫でた。

「もう、怯えなくていいんだよ」

 勿論谷などは妄想だけれど、それを踏み越えるだけの勇気は称えて欲しい。横暴かな。

「知郷……ちーくん!」

 俺に気付いてから笑顔になった。実によくできた、分かりやすい反応である。

「ちょっと移動するぜ?」

「うん?」

 そう言って病室の扉を開いてみた。鍵がかかっていると思っていたが、あっけなく開いた。扉を外から見ると鍵穴が二つもある。中から鍵穴すら見えないが外から鍵を掛けられる設計とは、実に親切な閉鎖病棟だ。

 ふらふらとするように廊下を歩くと、また扉があった。

 キーボードの上に紙が一枚添えてあった。

『ちーくんだったら分かるよね? 分かるでしょ? 私の大好きな、あれ!』

 何だこれ。

 剽軽さはこんな所にも健在とは、全く迷惑千万とはよく言った物だ。

「なんて……書いてあるの?」

「んー。よく分かんねえや」

「これで開けるんでしょ?」

 そう言ってキーボードをじっくり見ている。

 あれ、ってなんだ。

「夕日先生の大好きな物……か」

「ちーくん?」

「何だ?」

「えっと……ちーくんじゃない?」

 そんな馬鹿な。いくら夕日先生が夕方にやっているテレビ番組のお笑い舞台が好きだからってそな馬鹿なネタみたいな事をするわけがない。夕方横丁みたいなオチにはならんだろう。

 と、言いつつも俺の名前を打ち込んでみる。

 Iwanami Thisato,,,,,ERROR

「違うなあ」

「んー?」

 何となく別の文字を入れてみる。

 Thi-kunn,,,OPEN!

 扉は喜劇のズッコケのようなガチョンと言う音を立てて空いた。

「なんでやねん」

「やねん?」

「何でもない。行こうか」

 扉を出て閉じると、また音を立てて鍵が閉まった。

 病院の中でもあまり来ない区画の隔離病棟なので、少し迷いつつ歩いた。途中で四階の小児病棟辺りをうろいているのだと分かったので、病院職員が見回っていない事を書くにして静かに歩いた。病院のスリッパは思いのほか静かに歩けて有難い。

 階段を下りて、地下に行く。一階から地下に降りる階段にはバリケードがあったが乗り越えて降りた。

 霊安室。恭しくそう書かれたボードを見つけて、先ほどまでの喜劇が本当に馬鹿らしくなった。ここは死んだ人が入り、安らかに家族との再会を待つ場所である。

 死と密接に絡まり合ったこの場所は俺には少し辛かった。

 東元矢代を撃ち殺したこの手が弾薬で焼け焦げそうな気持になった。

「ちーくん……?」

 不思議そうに見て来る葵に心配をさせないように、笑顔を作り扉を開ける。

 今はただ銀色のベッドが置いてあるだけだ。

 その奥にまた扉があったので中に入る。

 中には、幾つかの宗教別であろう仏像などが左右に陳列されている。奥の壁を左手で何か所か触ってみてみるが、隠し扉といった感じはせずただの壁だと思われた。

 とりあえず、こういう時は映画で見た壁を叩いて音を聞き分ける方法をやってみようと思い、何か所かノックをする。

「いたっ」

 壁は唐突に開き、俺は頭をぶつけた。本当に隠し扉だった。

「やあやあ、久方ぶりだね」

 デジャヴの様なセリフで迎え入れたのは医だった。相変わらず白衣が嫌なほど様になっている。寧ろ嫌だ。

「おや、君。大丈夫かい?」

 俺は差し出された右手を左手で無理やり掴んで、起き上った。

「葵ちゃんも来たのかい、嬉しいねえ」

 そう言って俺達二人をその隠された地下に招き入れた。

 中は右半分が綺麗に整っており、左半分は資料で埋め尽くされているようになっていた。

 俺はかまわず左手の散らかっている所にあるソファアに腰をかけた。続いて葵も俺の右隣りに座る。

「それで、どんな御用かなあ?」

 コーヒーを片手で啜り、綺麗に整った机に寄りかかりながら言う。

「いくつかあるけれど、そうだな。最初に東元矢代があの後どうなったのかを聞きたい」

「香織ちゃんに聞いていないのかい? まあ、直接見た僕に訊くのは理に敵っているかもしれないけれど、そんなに僕を信用していいのかなあ」

「別に信用しちゃいないさ。ただ医の言葉でどう話すのかを知りたいんだ」

 ハッタリを抜かしてみた。こういうのは何だかんだで慣れている。嫌な性分だ。

「多分君は最後の一発を撃った後に気を失ったんだっけ? それとももうちょっと後かい?」

「直後だな、記憶が途切れているのは」

「ふむ。それなら結論から言おう。君は東元矢代を殺したよ」

 それまでと何ら変わらないトーンで言い放った。

「……」

「責任を感じる事は無いんじゃないかなあ。だって、あれはもう人と呼べないだろう? 殺人とは言い難いさあ」

「……とは言っても、同じ治療を受けてるんだろ、俺と……」

 俺が一番気になっていたのはそこである。

 同じ治療を受けたという事は、やはり俺もああなっても仕方がないという事だろう。

「僕なりに推察してみたんだけどね、あの状態は脳が破壊された事による治癒の指示が不明瞭になった事が原因だと思われるだ」

「つまり……元の形に戻るテンプレートみたいなもんを失ったって事か? 何かで聞いた知識だが、DNAとかに刻まれてるんじゃないのか、それって」

「そうだねえ、昔は同じことを考えていたよ。だけれど、今隣に座っいる葵ちゃんを人間に戻そうとして、サンプル体を何体も作って気づいたんだ。基本的な物は遺伝子の情報によって左右されるものの、それ以外は脳の電気指令によって再生をしているという事にね」

「……?」

 葵が名前を呼ばれて良く分からない顔をしている。

「イマイチ良く分からんが、頭が無くなってどうしてああなるんだ? 多分頭が無きゃ再生出来ないって事だろう?」

「うん、根本的にはそうだね。ただ、あのサンブルの場合は……おっと、東元矢代の場合は葵ちゃんを食べるという特殊な趣味があったろう? それが原因で再生する上で特殊な形態の生体反応を示してしまったんじゃないかなあ、葵ちゃんは形状を維持しているのは僕と香織ちゃんの研究成果が大きく関わるんだけれど、まあそれは秘密って事で」

「ついでに次の質問をさせてもらおうか。葵を人間にするってどういう事だ」

「……? 私人間になるの?」

 予想外にも葵が発言する。

 今まで何となく話しているときは黙っているのが当たり前な感じだったので、意外だった。

「ああ、そうだよお。葵ちゃんは僕が人間にしてあげるよ」

「……ちーくんがいい」

「え? 何だい?」

「……ちーくんがいい……」

 何のことだろうか。俺がいい?

「ちーくんと同じがいい!」

 分かってはいたが、この子我儘だ。子供っぽい無邪気な我儘である。見た目は成熟しているのに、精神年齢が追いついていないように見える。

「これは弱ったなあ。君、どう思う?」

 ぼさぼさの頭をぽりぽりと掻きがなら尋ねてくる。

 これも分かってはいたが、この人は言葉が足りない。理系に良くありがちな自己完結型だろうと思う。

「どう、とは……」

「いや、ね。君は自分が人間だと思うのかい?」

「……」

「……ちーくん?」

 先ほどの質問基盤である問題である。

 スプラッターな日々の中にあった葛藤する哲学。いやはや、面倒な事この上ない。

 人であることの定義は何であろう。

 昔読んだ本では「思考し、会話を交わす事が出来る者」とか書いてあったっけ。

 そう言った意味では、確かに東元矢代は人間を辞めていたのだろう。

 俺はどうだ。今確かにここで喋り、考えている。ただ、その点においては葵も同じである。

 だが葵は人ではない。これは腕の再生を見ると分かるであろう。

 道徳的な考え方をするのであれば、俺は人である東元矢代を殺し、その後堕ちた東元矢代を二度殺した。償いきれないほどの罪である。神に祈りでも捧げるべきか、無新論者だからどの神に祈るべきだろう。

 それに、俺は自称人間をしてきたが、どうもそうではない気がしていた。

 そうだな。メディアで言う『客寄せパンダ』と言う言葉は実に良くできている。俺は人間ではなく、ただの鑑賞されるだけの存在だったのだ。

 非人道的な扱いを受けてきたわけでも、無碍に扱われてきたわけではいが、多分踏み越えてはいけない一線を踏み越えている。

 そうか、あの時か。俺は人間を辞める覚悟が出来たのは。

「俺は、多分人間じゃない」

 長い沈黙の後、そう言った。

 苦い汁でも飲んだ顔をして医は頭をぽりぽりと掻きなおす。そんなに頭が痒いか。

「私も……人間やだ!」

「ふむう、困ったねえ」

 やっぱり人間としての最後を迎えるのは、やはり俺は聊か無理がある。考えが浅はかだと誰かに叱責されるかもしれない。

 俺は人ではなく、ただ動物として生きる方がいいかもしれない。

「ううん。そうだねえ。君が人でなくなったら、実験動物として扱うのが楽になりそうで実に僕としては嬉しい限りだけれど、それを香織ちゃんが赦さないだろうねえ」

「はは、そうだな。俺が人権放棄したら、それも可能か。ただ、それは曖昧にする形で世間に公表しようか」

「世間に公表? どうするつもりだい?」

「具体的にはまだ何も考えていないけれど、結果として葵に人権を与える為の手段として考えてるだ。メディア露出は色物の様に扱われると思うんだけれど……葵と俺の存在、関係、そして、一部の事実を公表しようと思う」

「君は面白い事を言うねえ。それをした結果、二人はテキトウな研究機関で好き勝手に弄られるだけのモルモットになるかもしれない危険もあるだろう? 今僕が言ったみたいに、実験動物としてね」

「葵はそれ以上に辛い日々を送って来たんだろう。それに、そうなら無いように俺の方でも尽力を出すさ」

「私? どうなる……? 人間なるの?」

「葵はそのままでいいんだよ、俺が護る」

「???」

 多分これを聞いている人の大半が分からないかもしれないが、俺も一部まだ不明瞭なので詳細はこれから煮詰める。

「リスクが大きすぎる気がするねえ」

「それを言っても始まらないだろ?」

「ところで香織ちゃんはどう思うんだい?」

「……!?」

 夕日先生はこの部屋に居ない。何故この男は先生に問いかけたのだろう。

「ふにゃあああ!!!!」

「おぁっ」

 ソファアの後ろの埋もれた書類の中からサーカスの一幕であるような演出で先生が飛び出してきた。

「何でそんな所に隠れてんだよ!」

「てへっ。ちーくんが多分来ると思って?」

 本当に何を考えているのか分からない人だ。汗で長い髪が乱れているし、服も少々肌蹴ている。そのままソファアの背もたれに後ろから寄りかかり俺と葵の間に顔を出す。

「あちかったよぉ~」

 そう言ってぐったりと俺と葵を両腕で抱きしめる様にして言う。汗がべったりと俺の頬にも付着した。

「香織さんはどうだい? 彼の意見は」

 コーヒーを啜り直して医は問いを続けた。

「そうねぇ。多分ちーくんの考えは悪くないけれど、あーちゃんを人間にして、ちーくんも人間のままでいるってのは駄目なのかな?」

「それをしたら、多分これから先生と同じ治療が出来る人間が出て、命拾いした人が苦しむと思うんだ」

「どうして?」

「俺がそうだったから、って言うのが分かり易いかな。自分だけ命拾いをしてもいいのだろうか。他の苦しんでいる人に目も当てられない。そんな日常を繰り返すぐらいなら、人ではないと言い切るか、人として認められるかが必要なんだと思うんだ」

「もぉ~、ちーくんは優しいんだからぁ」

 頬ずりをしてそう言う。

 これは俺の優しさではない。エゴだと知っている。

「東元矢代は、その点人でとして踏み外す領域を踏み越える事で納得していたんじゃないかな。葵はその犠牲者だと俺は思うんだ」

「そうねぇ。彼女は確かに色々面倒な事情もあったし、何か腑に落ちない点もあったのかもしれないわね。そこまで深く考えてるとは思えなかったけれどもね」

「医者としてもアフターケアは欠かせないだろ? そんな所さ」

「君も中々図太い事を言うんだねえ」

「神経毎回張りつめてたら、何年も取材をされた金で生きていけないさ」

「変な所大人ぶっちゃってぇ~、おませさんっ!」

「俺はこんな見た目だけど十八だよ」

「ふふふ、そうね。あーちゃんはまだ十二歳だもんね~」

「……じゅうにさい?」

 じゅうにさい? 葵は口に出して疑問符を。俺は心の中で疑問符を打った。

「えっ、ちょっとまって。俺と同い年ぐらいだと思ってたんだけど、え?」

「誕生した時からこの見た目よ? あれ、言ってなかったっけ?」

「うん、言ってない」

「ちーくんは見た目は子供頭脳は大人だけど、あーちゃんは見た目は大人、頭脳は子供なのかしらねぇ~。あ、でも私とトッキーの脳構造の中間で取ってあるからもう大人並みに物事考えられるようになってるかもね」

「まあ、僕が足を引っ張ってると思うけれどねえ」

「完璧な生命何て出来ないんだし、しょうがないわよー。ねー?」

「???」

 葵はもう何の話をしているのか全く分かってない。

「話がズレてる。戻そう」

「そうだねえ、君たちをどう公表するべきかだろう?」

「公表する点に関しては同意でいいのか?」

「私は反対だけれど、ちーくんがそうしたいならいいかなぁ~」

「私も……私もちーくんと一緒!」

「二人ともテキトウだな、おい」

 ああ、もう。二人はクローンか。同じような感じだ。

「僕は葵ちゃんが幸せならそれでもいいと思うよ。数百人単位で色々な実験が行われて、多くの命が助かるだろうしねえ」

「意外だな、医はてっきり他人に興味が無いもんだと思ってた」

「くくく、そうだねえ、基本的には興味がないけれど、学術的な興味は少なからずあるからねえ。実験の過程で生まれた仮初の生命には興味がないけれど、ある程度完成された生命には少なからず価値はあるさ。葵ちゃんは僕と香織ちゃんの娘なのだから、その点で興味を失うわけにはいかないしねえ」

 人らしい面もあるんだな、と感心した。

 隣で顔を膨らせて夕日先生は嫌な面を見せていた。

(トッキーね、命の責任をとれないから私好きじゃないのよ)

 と、夕日先生が耳打ちをしてきた。

 見ると幽鬼の様な笑いを浮かべて、まるで妖怪の様な顔をしている。

「さて、君たちがそうやるのであれば、僕の今やっている実験や研究は意味が無くなってしまうわけだなあ。こっからどうしようねえ」

「この子たちのパパになればいいんじゃない? あーちゃんのパパみたいなもんなんだし」

 嫌いと言っておきながらそんな事を易々と言う。

「ううん。そうだねえ、それも一興だけれど、岩波君の意向にそぐわないだろう?」

「ああ、俺はこんな妖怪みたいな親父はいらん」

「くくく、そうだねえ。妖怪とは久々に言われたよ。どうだい、香織さん。僕とやり直さないかい?」

「私はこの子たちがいれば十分よ。それに、トッキーとは馬が合いそうにないって結論づいたじゃない」

「もう十年も前の話しじゃないか。そろそろ合うんじゃないかなあ?」

「えー。興味ない~」

「そうかい……」

 妖怪小泣き爺は、石になったように寂しげな表情で固まった。若干可哀想である。

「なら、僕はまた色々な所を転々と回る日々になるかなあ。また時々香織さんに会いに来るよ」

「戦車砲弾で死にそうになった武勇伝はもういらないからね」

「くくく、そうだねえ。椅子に座っていれば僕は大抵問題ないよ」

「うっさい! 行くなら早く行っちゃえ! いー!」

「邪険にしないでおくれよ、ここを離れるのに片付けも必要だろう」

「それもそうねー」

「と言うわけで、君。僕はもう少ししたらここを立つよ。最後に何か手伝う事はあるかい?」

「へ? あ。そうだな……」

 痴話げんかみたいな会話でぼーっと聴いていたので、突然振られてびっくりした。

 最後に手伝う事、と言われてもなあ。まだ何も決まってない段階だ。

「ねえ、ちーくん。トッキーには海外メディアの操作お願いしましょうよ」

「また面倒な事を言うねえ」

 海外だ? どういう事だろう。

「トッキーはそれぐらいしか取りえないでしょ? 人脈なんて変な人ばっかりだし」

「香織さんにいわれちゃあしょうがないかあ」

「法王とか私知らないしさぁ~」

「法王!? ローマのあれか」

「え。うん」

「くくく、僕の友達だよ。あのおじいちゃん気さくな冗談が多くてねえ。この前何て地で洗う制裁を赤ワインで例えたりしてたよ」

 ちょっと飛躍しすぎて、頭がくらくらした。

「海外の人は冗談が好きよね、マシンガン連射してダンスを踊ってるみたいだとかねぇ~。ちーくんはそんな風になっちゃだめだよぉ?」

「そんな機会は無い」

 はあ、とため息をついて呆れていると、葵が何か思いついたように言った。

「……! ダンスワイン!」

「あーちゃんも変な言葉覚えなくていいわ」

 しゅんとしてしまった。

 夕日先生もいつの間にかべったりから、少し離れていて葵の顔が可愛らしさに満ち溢れているのが見えた。

「さて、じゃあ僕はそろそろ片づけを始めようかな」

 話がおおよそ終わったと判断したのか、のっそりと白衣の妖怪は……失礼、医は動き始めた。

 それから済し崩し的にその場は解散となった。俺は言われた通り、他の病院職員に見つからないようにこっそりと、部屋に戻った。


 部屋に戻る時に葵もついて来て、俺は拒否をしたのに同じベッドで寝ることになったのは秘密にしておこう。俺だけの秘密だ。絶対にばれるけど。





 翌日から俺達は動いた。

 連日追われるようにして、と言うか完全に追われて三日後に会見を開くこととなった。

 芸能人ってこういう事も全部やって大変なんだなぁ、と思ったけれど良く考えたら彼らにはマネージャーがいるのに、俺にはいないんだなという結論がついた。

 控室は夕日先生仕様で紙や資料やらが散らばっていた。よくもまあ、借り押さえした日から二日でこれだけ汚せるものだと関心もした。


 会見の後の話をひとえに言葉にするのは少し難しい物がある。

 俺達は一度は人間として扱われないという境遇に立ったり、国会での議題に上げられたりと、また別のお話が一本出来てしまいそうだからな。



 それに、葵と共に生活をしているイチャラブな日常を描いても誰も得をしないだろう?




■■■エピローグ:会見 質疑応答■■■


『岩波さん、貴方は人間ではないという意見が出ておりますが、どのようにお考えですか?』

「その点に関しては否定できません。しかし、肯定も出来ません。人間の定義は生物学上の人間を考え直す必要があると思われます。相違点があった時点で人ではないとなると、障害や、世代間による進化などが出来なくなり、生命として否定されます。その際にどの点を許容範囲とみなすかは、学者の皆様の学術的見解のみならず、人間としてと言う基盤に置いては大衆での意見も必要だと私は考えております」

『では、先ほどおっしゃらられた『葵に関しては現在人として認められていない』と言う点に関して、岩波さんのご意見をお聞かせください』

「私は、彼女の事をあなた方より深く知っています。その点をご理解したうえでご判断下さい。彼女は、実に人間的で、年相応に若干幼い一面もありますが、私自身が見て来た他の誰よりも人であろうとしています。現在彼女には人権がなく、実験動物の様に辛い経験をして来た過去を持ちます。倫理の観点からこの場での説明は控えますが、私やあなた方よりも人間でいる事の意義を確かに持っている一人の少女、と見ております」

『誠に勝手ながら、時間の都合上、次の質問で最後にさせていただきます』

『岩波さんの率直なご意見をお聞かせいただきたいです。葵さんに関してどのような感情をお持ちでしょうか?』

「感情……ですか。そうですね……」


「私は葵さんを愛しています。一人の人間として。他のどのような人間に否定されようと、私だけは彼女を最後まで一人の女性として向き合いたいと思います。実はこのような感情を彼女に伝えるのはこのような場所をもって、となるので大変心苦しい物がありますが、真実であると、どの神にも、どの仏にも、どの皇帝にも誓って言います。ですので、貴方がたの中で、またこれをご覧になる方々の中で彼女を否定する者は俺……私は全身全霊をもってその人々を人でなしと言います。人が人であるべき世の中で、人である事を見詰め直すのであれば、僕は一人の人間として、彼女を人間と認め、人間として愛します。以上です」

『会見は以上とさせて頂きます。本日はお忙しい中のご出席ありがとうございました』


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