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食用少女INNRD  作者: 間楽面明
2/4

科学者は政治力



■■■二章:科学者は政治力■■■


「君、自分が誰だかわかるか!?」

 目を覚ますと、目の前に見知らぬ男性の姿があった。頭にヘルメットをかぶり、淡い水色の服装をしている。救急隊員だろう。

「はい……大丈夫です」

 俺はそう言い、起き上ろうとすると全力で止められた。

「骨が折れているんだ。動いちゃいかん」

 そう言われたが、俺は無理やり起き上った。

 首を鳴らして、両肩を回す。手を開いたり閉じたりとして、指先までの神経系に異常がないかを確認する。

 立ち上がると、隣でしゃがみ込んでいた救急隊員が腰を抜かして転んだ。

 人あらざるものを見るような目で言う。

「確かに……確かに折れていたんだ……」

「ああ、あんたは間違ってないよ」

 それだけ言って、俺は瓦礫で埋もれた部屋を出た。

 昨晩濡れた状態で瓦礫や埃をかぶった靴を履くと、少し粘り気がある泥濘ぬかるみが足に広がった。

 一歩部屋を出ると、警察官がいてシールで部屋への立ち入りを禁止していた。

「あ、ちょっと君!」

 そう言って止められるのを振り切り、階段を駆け下りて駐輪場から、鍵のかかっていない自転車をテキトウに見繕い走った。パトカーの隣をそれで走るのは聊か気が引けたがそれどころではない。

 静止を促す声を無視してとある行きつけの場所へと向かった。正確には行きつけだった場所だ。ここ数か月足を延ばしていない。

 自転車暴走列車と言う映画が出来るかもしれないぐらい雨上がりで塗れたアスファルトでスリップをしながら右折左折を繰り返して、通常四十分かかる道のりを二十分で到着した。途中猫が飛び出してくるという話は蛇足だろう。

 盗んだ自転車を駐輪場に置き去りにして、その勢いのまま駆け足で受け付けに行く。

「すみません。……お久しぶりです……先生は……」

 ぜえぜえ、と息を切らしながら言う。

「いつもの部屋にいますよ? そんなに焦ってどうしたんですか?」

「おかまいなく……」

 端折りながらここまで話したが、頭の中には非常識な先ほどまでの状況が信じられずにいた。

 半壊した部屋を見て、口や髪に着いた血がそれを否定させてくれなかった。

 木製の重厚な扉の前に立ち、ノックをせずに開ける。

「夕日先生ッ!」

 部屋の中は資料や日本語なのか英語なのか中国語なのか、よく分からない本の山で埋め尽くされている。

 腰の辺りが傾くデスクチェアに座ったまま、けだるそうに首だけでこちらを見た。

「……」

 じとり、と睨むような目が一瞬見えた。が、次の瞬間にはたんぽぽの花畑が広がるような笑顔になって乙女な声を上げた。

「ちーくんお帰りさない!」

 知郷の名前を、恋人の様な名称で略す。これでも命の恩人であり、育ての親の様な存在だ。

 機敏な動きで近付いてきて、飛びついてくる。俺の身体を抱きしめて言う。

「もぉ、ちゃんと来ないとだめだよ! 処方箋とか体調の変化とか……」

 言葉を切り、汚れた作務衣の匂いを嗅ぐ。

「まっ、女の匂い! って服ボロボロだし、なんで和服?」

「ああ、これは……少し訳があって、実は――」

「ふぅん。とりあえず座って、話しを訊くわ」

 俺の声を切るように言うと、絡みついた腕を離していそいそと紅茶を淹れ始めた。

 焦る気持ちで、来客用の椅子に座ってから紅茶を淹れ終わるまでに足を揺らしていた。

「焦らないで、ちゃんと話してみて」

 貧乏ゆすりに気付いたようで、隣に座り揺れる膝に手を置き、諭すように語りかけられる。

――俺は事の顛末てんまつを話した。

 葵と出会った事。

 何者かに追われており、自身の部屋に招き入れた事。

 発信機の探知機が反応したこと。

 部屋を半壊させて少女が乱入してきた事。

 ただし一つだけ嘯いた。少女に口づけをされて葵の一部を食わされた事を、無理矢理におしこめられたと言った――

 それを静かに聞き、母親の様な優しい顔で俺の不安を受け止めようとしてくれた。

「だから……俺は早く葵を助けないと……食い殺されるかもしれない……」

 頭を抱えながらそう言う。

「……」

「ここに来たのは、葵の場所を……どうにか知りたかったからなんだ……」

 俺は少し夕日先生の顔を見るのが怖かった。

 普段何も言わないのに、こんな時だけ頼るだなんて虫がよすぎる。しかも、目の前で人を食う現場を見て、しかも食わされるという状況だった事を話して、その食われた人間の場所を知っているのかを訊くなんて、荒唐無稽にもほどがある。

「うーん……アテはあるし……普通に行けるんだけれども……」

 俺はこの人を尊敬して、敬遠しているのはこのような所にある。

 夕日先生は俺のINNRD治療の手術を行う際の執刀医だ。そして、それから長い間この病院で委員長として務めている。彼女以外のINNRD治療の成功例は表向きには無い。自分を含めた三例は夕日香織による執刀であり、その後外科医として手元が正常に動かない旨を公表し、第一線から退いた。

 俺だけの秘密だが、嘘らしい。

 INNRD治療は適合率や何らや難しい事が多く、それに受け入れられなかった症例を受け付けないと言った際の世間の反応に飽き飽きしたとの事だ。

 まるで人情の無いようだが、人間らしいせいでそのように追い込まれているのは当時間近で見ていた俺は知っていた。

「ちょっとだけ、待ってね」

 そう言って、彼女は俺を来客用のソファに残しデスクのPCで何かを流し始めた。

 よくよく考えたら院長室のイメージが俺の中でこれほど散らかっているのが当たり前になっているが、他の医院では整理整頓された鉄製の棚に、ガラスの扉が付いていて整理されている研究室といった印象を持つものだろう。

 夕日先生は普段ここに人を通さないらしい、以前ナースが話していたのを小耳に挟んだのだが、応接室を別に設けているらしい。この部屋訪れるナースには叱責を事欠かないだとか。

 ただ優しい先生に見えていたが、別の一面もあるものだ。

「んにゃぁー」

 伸びをしながら淫靡いんびな声を出して振り返る。

「分かったのか……?」

「うーん、分かったんだけどねぇ……ちょっと……」

 そう言って言葉を濁すように言う。

「もう俺はあの場面を見て躊躇していられないんだ」

「でも、出会ったばっかりなんでしょう?」

「時間なんて関係無いよ、たとえ葵が食……あれがCGだとしても、詐欺だとしても、俺は彼女を助ける。そう決めたんだ」

 体験して言える。あれは決して偽物ではない。

 ただし疑問点が一つだけあった。

 味。

 甘い味。

 人の血とは思えない、奥行きのある甘い味。

 あれを見知った相手の者の味だと脳が混乱したとしても、異端な味である。あの名も知らぬ少女の唾液による甘さだとしても生臭いあの匂いと似つかわしくない味だった。

 癖になるその味は、もう一度と思って終うほどだ。

 それはきっと……背徳である事を理解する。

「本当に頑固ねぇ~」

 その言葉を放った夕日先生は、少女の様な無邪気な顔と、母親の様な心配する顔が混ざっているように見えた。

「ちーくん。今からちょっとだけ難しい話をするけど大丈夫?」

 足を組み、デスクチェアに座り直して、この部屋を訪れた時に見た目に変わる。

 ああ、仕事モードか。なんて普段なら悠長に構えていたのだが、今日は俺自身にも関係がある事だ。真剣に聴く姿勢を取る。

「まず、これ」

 そう言って一枚の紙を渡してきた。

東元とうげん矢代やしろ。東元家の跡取りとしてしばらく英才教育を受けているらしいわ。ちなみに公表はされていないけれど、彼女もINNRDの元患者よ」

「そう……へ?」

 INNRDは現状三名だけしか治療が成功されていないはずだろう。何故それがこのような場でそれ以外の人間が居る事を知ることになるんだ。

「この子はちーくんの次の患者よ。家の事情で表ざたにはしてないけれど、かなりのスポンサー料と言う形でこの医院に出資をしてくれたの。ちなみに今座ってるその椅子もその時に買った椅子ね。INNRD治療をする上でこの東元家の出資は欠かせない物だったわ。葵はその時に生まれた私の子供なの」

「ちょ、ちょっとまって」

 言葉と同じことを思う、ちょっとまって。

「子供!?」

 言われてみれば、葵は髪の色や目の色が緑色だった事から外国人だと思っていたが、夕日先生に似ているかもしれない。いや、言われてそう錯覚しているだけか?

「ええ、私のDNAを媒体に、幾つかの生物のデオキシリボ核酸の構造をコピーした物を埋め込んで――――」

 ここからは幾ら聴いても分からなかった。確か理科の時間でデオキキリシボ核酸はDNAの和名だって事だけは聞いた事がある。勉強だけちょっとしておいてよかった。後は知らん。

「ごめん。難しすぎたね。簡単に言うと、私のクローンに、えーと、植物の様な再生能力や栄養精製能力、爬虫類の様な形状再生の構造、あと――」

 またやっぱり分からなかった。

 多分これ以上簡単に説明するのは面倒になったのだろう。

「と、とりあえず、彼女はINNRD治療をするうえで欠かせない物になったのよ」

 と言う事らしい。

「それで、この東元家とどういった関係があるんだ?」

「東元家の跡継ぎの矢代の治療の上で欠かせないなのよ。彼女は一部葵の遺伝子との適合性が足りない部分があったので、特殊な食事と言う形で彼女のDNAに対する適合性を付けていく治療から入ったの。その際に、葵を買い取ったのよ」

 少し最後の言葉だけ揺らぎの様な物を感じた。一度資料から顔を上げて夕日先生を見ると、唇を強く噛んでいる。

 時々俺に対して『自慢の息子』と言って抱擁する時に思う子供という存在とは別物だろう。自信の体の一部から生まれた、身の一部と言われる子供が葵に対する思いなのかもしれない。

「葵は身体を切断されても、髪、脳、心臓などの主要器官が大ダメージを受けなければ再生出来るわ。特に心臓だけは傷付けてはいけないと説明しておいたら、矢代によってその少女の栄養源にされているのね。多分矢代自身も食べていると思う」

 喉に熱い物が昇ってくる。その熱い物を、溜息をつくように押し込んでから深呼吸をして、話しを聞く姿勢に戻る。

「つまり、ほとんど不死身に近い身体って事か?」

「ええと。安易にそう言ったことは言い切れないけれど、おおよそあってるわ。死ぬときは多分あっけなく死ぬ。他の被験体がそうだったから」

 他の被験体。その言葉は少し引っかかったが飲みこむ。

「ちなみに多分少女の検討は付いているわ。多分、葵を作る前に出来上がったサンプルのデータも全て買い取って言ったから、それを元に作った何かね。最初に発案した再生基盤に金属を使う物があったから、それだと思う。ただ、あの研究はあの男がいないと……いや、なんでもないわ。とにかく、その少女が『ずっと葵を食べてきた』と言う事は、その金属による対待望の損失を埋めるために、葵を食べてバランスを取っているのかもしれないわね」

「ああ……それは何となくわかる」

「そう、ね。ちーくんの身体もそれに近い状態になっているもの。何度か処方した薬は、葵の生体データから作り上げた薬なのよ」

 INNRDの治療で手術の後何度か処方された薬。自由になった俺は無理な事をして全身複雑骨折をする事があった。しかし、全治三日で回復した。それは治療の代償であり、副作用だとの事だ。

 今俺の身体が十二歳、十三歳と言われても仕方がないぐらいに成長していないのもそれが原因だと聞かされている。

「それで、葵の身体を……食べさせられて俺は今動けてるのか」

「多分そうね、暫くは回復力が過剰になっている状態だから、大きな外傷は避けるようにね」

 大きな外傷を避けるように。これは以前から何度も言われている事だ。回復の過剰になっている事で皮膚がただれたり、異常な隆起が出来たりするとの事だ。

「それで、葵の場所は分かってるのか?」

「ええ、多分東元家の屋敷よ。話をちーくんから訊いて、最初にここを調べてみたら、案の定外交で葵の身体を傷つけるパフォーマンスなどをしていたようね。あ、これは裏の社会だからあまり首を突っ込んだらだめよ」

「ああ、肝に銘じておく」

「そこで助け出す方法なんだけれど、今言った話の内容が意外と重要だったりするわ」

 ここからが、直接的な本題である。

「今回ちーくんには、私の助手と言う形で東元矢代の状態を謁見し貰うわ。あくまで恭しくする事が必要なの。矢代の家と私との関係が理由よ、さっき言ったみたいにお金に関する面で少し不利な立場なの。医者としての立場もあから対等ではあるんだけれどもね……。まあ、細かい事は機会があれば話すとして、一先ずは屋敷に入る口実には定期検査を理由にするの」

「俺の顔は割れてないのか?」

「心配ないわ。あそこはSP……と言ってもちょっと過激な集団だけど。外に行く時だけそれを雇うから、普段は使用人だけよ。それに数も少ないから屋敷中探し回るのは苦ではないかもしれないわね」

「人数が少ない?」

 屋敷と言うからにはかなりの大きさがあるだろうし、人数が少ないと言っても規模も分からない。

「うーん。十人ぐらいかなぁ? 確か屋敷の部屋数は百部屋以上あったのに、不釣り合いだなぁと思った記憶はあったわ」

「そ、そうなのか?」

「病院の院長をやってるからそう思っただけかもしれないわね」

 病院に比べたら、そりゃあ床の数も少ないから少ないのは当たり前だろう。と言おうかと思ったが、知らない事に口を出すのは良くないと思ったので喉元で言葉を飲み込んだ。

「で、俺はそこに行って何をすればいいんだ?」

「え? 探す」

「はい?」

「屋敷をぐるーって回って探せばいいわ」

「肝心な所が曖昧じゃないか」

「んー。と言っても、これを細かくやると多分ちーくんだとキャパシティーオーバーになるから詰めない方がいいと思うのよ。ほら、事細かく指示をしても覚えきれないでしょ?」

 アンニュイな笑い方をしてそう言った。

 気づけば仕事モードから少し砕けて来ている。多分これ以上言っても何もしてくれないだろう。最後は自分の力でやれ、と言う事か。

 まったく放任主義な親心だと思う。

「とりあえず、連絡入れて日程を決めるわね。葵には苦しい思いをさせてしまうけれど、多分日常的になっているし気にしなくていいわ。何かしようと思っても出来ないけれどね」

 実に冷徹な言葉で俺を抑え込んだ。

「で、活路が見えてきたから少しは冷静になったかしら?」

「え?」

「ほら、ちーくんこの部屋に入って来たとき右も左も考えずに突っ走る勢いだったでしょ?」

「そうだったかな?」

 この辺りは医者だなぁと思う。相手を落ち着かせるために最善の解決策で言う事だ。

「ところでずっと訊きたかったんだけれど、先生って医者だけじゃないよな、やってる仕事」

「うん、そうね。博士って肩書きも何個だったけー……? とりあえず何個かあったはずよ。あ、でも論文博士号だから結構簡単になれるわよ」

「簡単って、夕日先生に言われても納得できねぇよ」

「そうかしら? 試しにこの前病院の子が書いた絵日記をちょっと変えただけのを提出してみたんだけれど、博士号とれたわよ?」

「はぁ?」

 病院の子。多分絵日記と言っている時点で小学生低学年ぐらいの小児棟の入院患者であろう。その子が書いた絵日記で博士号と頂戴しただと言っているのか。意味が分からない。

「ああ。あれよ、政治力があれば誰にでもとれるわよ」

「いや、納得できねぇよ。じゃあ俺が今からテキトウに書いて先生に渡せば先生は新しい博士号を一個手にできるってのかよ!」

「ね? 簡単でしょ」

「うぁあああぁあ」

 俺は落胆した。

 この人は社会の基盤を揺るがしかねない発言をしている。

 だって、深夜にやっている科学者百人が認めたダイエットサプリとか、信憑性が皆無になるじゃないか。

「あ、ちなみにテキトウな学会も作れるわよ。例えばそうねぇ……たこ焼きを四角に形成する学会とか、ちーくん大好き学会とかも簡単に作れるわよ!」

「どんな学会だよ!」

「そうねぇ、ちーくんについての愛を論文で提出する学会ね!」

 俺はほとほと呆れて溜息を吐いた。

 これ以上話していても夕日先生のラブコールがやまない気がしたので、一旦話を切り上げて資料に目を通し直した。

 一部塗りつぶされている部分があるが、幾つかの経歴が書かれている。


 東元矢代。

 東元家財閥の令嬢。政界への権力を多大に持つ両親東元一樹、東元優子(旧姓:三島)の一人娘である。

 幼少より英才教育を施されていたが、ある時INNRD《Infected with non-renewable disease》の発症により周囲と隔離されるが、治療を行い完治。

 その後令嬢の様子が急変、凶暴性を持つ一面が現れるようになる。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 現在は東元家屋敷に置いて、来客等の対応をする事を中心に稼業を引き継ぐ準備をしている。

 また、類稀なる政治手腕で政界への権力者としての地位も確立しつつある。

 特にそれは自衛隊などの軍利権力に強いとされている。(詳細不明)


 その後の内容はほとんど黒塗りになっていて読むことを拒絶した内容になっていた。

 ご丁寧に先ほど話した内容の『博士号会得』という内容も沢山書いてあるのは読み取れたが。

「なあ、先生。この真っ黒な所は一体何なんだ?」

「ああ、それねぇー。あんまり知らない方がいいわ」

「そうなのか、一応尋ねる上で失礼があっちゃいけないだろう。例え葵を捉えている張本人だとしても、何かしらの疑いをもたれると行動し辛いだろうし」

「うーん。帰ってきたら話すわ」

 話す事は構わないらしい。が、今知るべきではないという事だろうか。

 この件が解決したらかかりたくもない相手だという事はこの資料だけで分かるが。

 俺はソファアに座ったまま考えに耽った。これから出会ったばかりの少女を助けに行くなんて、しかも恩人、恩師である夕日先生の娘を助けに行く事だなんて思っても見ない情報が手に入ってしまった。これは運命なのだろうか、と。

 夕日先生は相変わらずデスクチェアに座りながらPCと格闘していた。

 少し冷めた紅茶を啜りながら、考えていたら今日の寝床が無い事に気付いた。

「先生、どうしよう。焦って何も考えてなかったんだけど、俺今日家無ぇや」

「まあ、女の匂いがする家に帰れないわよね」

「いや、そうじゃなくて……部屋ぶち壊されたんだ。起きた時警察もいたのに振り切ってここ来ちゃったしよ、戻ったら時間取られるどころじゃ無いよ……」

「バカねぇ……救急隊員がいたでしょ? 救急車でここに来ればよかったのに」

「焦ってたんだよ、仕方ねぇだろ」

「もぉ、ちーくんのあわてんぼさん!」

 椅子を回して振り返るとそう言ってからかって来た。

 言い返せないので、ぐぬぬと呻いていると続けて夕日先生は言う。

「とりあえず病院のベッドが空いてるから寝ていいわよ。って言われるの期待してたでしょ?」

「ぬぅ……」

「お見通しよ、それぐらい。確か空いてなかったはずだから今日はウチに来なさい? ね?」

「分かったよ……」

 以前先生にお世話になった時に住まわせてもらった家でもある。

 両親は両方一人っ子で、祖母、祖父が共に他界しており、両親も俺に続いてINNRDに感染してしまったので、施設に預けられるかと思われたが、夕日先生によって育てられる事になったのだ。

 親の様に俺は思っていると言ったが、戸籍上は親と変わらない扱いだ。

 岩波性を残してあるのは両親への思いを忘れたくないという事を言ったら、夕日先生が養子引き取る際に名前を変えないでも大丈夫と言ってくれた。詳しい事は良く分からないのでとりあえず戸籍が変わっていなければ俺は今でも岩波のままだ。昔の法律がどうとか言っていたが、途中で法改正でもあったのだろうか。


 夕日先生が仕事を終えてから、俺は車で実家ともいえる家へと向かった。

 深夜二時を回っていた。

「久しぶりねぇ、こうやって車に乗るのも」

「そうだな……」

「免許はまだとってないんでしょ?」

「ああ、教習所にでも行ったら多分またパニックになるしな……」

 INNRDを治療したと言っても、やはりまだ世間の恐怖が取れている訳ではない。何年も取材陣が俺に対して取材を申し込んでくるのも、それで生計を立てれるのも生憎な話である。

 俺は行きつけの場所以外は基本的に何処にも行けない。それは言った先々で人々が「感染症だからまだ危険がある」と決めつけて俺を避けるからだ。酷い時は町役場から避難警報が出たほどだ。

 ついでではあるが、俺があのマンションに住んでから同階層の住人だけではなく他の階層の住人もほとんど出て行ってしまった。まるで団地後である。そのうち九龍城みたいになるのかなぁ、とか思った事もある。

「今度、運転教えてあげようか?」

「そんな非合法な教習はいらねぇよ。流石に運転は危ないし」

「ちゃんと合法で出来るわよ、三日ぐらいなら田舎の教習所貸切に出来るし」

「それって先生に教わる意味ないよね?」

「あっ」

 やっちゃったなぁ。と言う渋い顔をしながら運転を続けた。

 そんな雑談をしていると家に着いた、一軒家である。駐車場付きである以外なんの変哲もない一軒家だ。職場に近いという理由だけで買ったらしい。車ではなく歩いてでも行ける距離だ。

 家に入ると思っていた以上に綺麗だった。先ほどまでいた部屋とは大違いだ。

 勿論誇りが無い事も勿論の事、物がない。最低限の物しかないのは昔と変わらない。

「さて、ご飯にしましょう。何にする?」

「何でもいいよ」

「じゃあいつも通り出前ね」

 そう言うと手際よく、出前の電話をかけている。

 夕日先生は料理が出来ない、壊滅的に。包丁捌きはメスと同じだからと言う理由で一流らしいが、味付けが自分でも吐き出すぐらいに苦手だという。ほんとの所は一度も食べていないので知らない。

 よくよく考えたら、夕日先生はこの近所で多分気味悪がられていると思う。

 俺が言えた事ではないが、夕日先生の見た目が変わらなさすぎる。俺と出会った時とほとんど一緒だ。三十路前、二十七とか言われても納得できるぐらいの見た目だ。

 近所の少年には「妖怪女」とか言われていそうな気がするが、その辺りは気にしない性格だろう、と思ったので言うのをやめた。

 リビングのダイニングテーブルに、住んでいた頃と同じ向かい合わせに座る。

「どお? 久しぶりの実家は」

「いや……普通」

「ちーくんらしい解答ねぇー。もっとこう。香織ちゃんの匂いがするーとか、久々に女の人と一つ屋根の下でねるのかぁ! みたいな答え方は出来ないの?」

「夢見過ぎだよ、先生」

「むぅ~」

 そういえば、昔から一緒に住んでいるが、ずっと夕日先生としか言っていない。

 今更言い方を変えようとは毛頭思わないが、きっと普通の里親に育てられたら「お母さん」とでも呼んでいたのだろうか。少し考えると寒気がする。

「とりあえず、今日は食べたらゆっくり寝ておいてね。いつ問診に行くことになるかわからないからね」

「……分かった」

 その日、二十四時間営業の出前の弁当を食べてから床に就いた。

 他愛もない雑談を夕日先生と交わしたぐらいしか覚えていない。

 病院の職員が「あの冷徹先生」「機械人間」と言われている事から、多分他にこのように話す相手がいないのだろうな。と思い、はしゃぐ先生の語りに耳を傾けた。

 こうしている間にも葵がひどい扱いを受けていると考えると心が痛くなった。

 もう、寝よう。

 そうして、時が来たら確実に助けられるようにしよう。

 考えていたら、居た堪れなくなったので、昔と変わらない質素な自室のベッドの上で寝た。









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