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食用少女INNRD  作者: 間楽面明
1/4

その少女は食用

タイトル通りグロテスクな表現が一部あります。ご注意ください

■■■プロローグ:日常■■■


――――しとしと。

 降り注ぐ雨が服にしみこみ肌に纏わりつく。

 空を見上げて俺は考えていた。

 何年も続く連日の予定により心身ともに疲れ切っていた。

 INNRD 《Infected with non-renewable disease:感染型再生不可症》を完治した最初の一人として大々的に報じられた。

 一度は死ぬことを覚悟した身としては見世物になる事などどうでもよかったが、自身を含め三名しか現在完治にいたっていないという事で何年も色者扱いで取り上げられる。

「父さん……母さん……」

 同じ病に伏せて死に至った。

 完全隔離が徹底されていたものの、親族は死を覚悟して会いに来ることがある。

 母は病にかかった事に気付く事なく逝った。階段から転げ落ちる、という老人のような死因だった。気付く事なくと言ったが、気づいたかどうかも判断できずに逝ったと言うべきかもしれない。父は母が亡くなった事を悲しむ間もなく病床に伏せた。隣の病室で同じく手術を受けたが、医師の検討報われず心停止。

 名前の通り体の再生能力を奪う感染症。何故このような感染する標的を確実に殺すようなウイルスが蔓延したのかは未だにつかめていない。人類とウイルスによる戦いも最終決戦と言う事なのかもしれない。そんな事は俺みたいなただの被験者には分からない事だ。

「死ねないよなぁ……」

 両親の死が重くのしかかる。それを洗い流せないかと雨に打たれてみるが、無くならない。

 代わりに心がからっぽになる感じだった。

 少しだけ。

 あと少しだけ。

 そう思って何時間も公園の電気の切れかけて瞬く街灯の下で、立ち尽くしていた。









■■■一章:その少女は食用■■■


 背中に衝撃が走った。

 振り返り最初に抱いた印象は『緑』だった。

 よく見直すと人である。

 電球の明かりが切れた街灯の下と言えど、この辺りには街灯が多く、近接距離であれば小説の文字も見えるぐらいの明かりがある。

 自分の身長から二十センチほど差がある、華奢な少女であった。

 息を荒げたまま俺の背中に抱き着いていた。

 荒げた息遣いで揺れる口角を上げて、深緑を連想させる大きな瞳で目線を合わせて言う。

「助けて……下さい」

 その小さな声がかき消されそうになるような雨の音が五月蠅い。

 首だけで振り返っている場合ではないと思い、踵を返し彼女の方を見ると俺は驚愕した。

 少女の服装は、一度みた瞬間は白いワンピースを着ており、雨に打たれて肌に密着しているものだと思ったが、それはただの一枚の布であった。

 柔肌をのぞかせる太ももの先端、つまり足には靴を履いていなかった。

 ついぞやこれはただ事ではない。

 普段使わない言葉ですら出てくるほど焦りつつ、少女を抱きかかえて俺は公園の中を走った。

「後で説明してくれよッ」

 走っていると、普段と違う違和感の様な物を感じた。

 池がある大型の公園……正確には緑地公園なのだが、普段公園の周りは街灯で照らされているだけのはずが、やけに明るい。

 俺は違和感を覚え、その場の判断で彼女を抱えて通路わきに植林されている軒の低い木の陰に抱きかかえたまま身を隠した。

 彼女の上に覆いかぶさるようにして身を隠す。丁度街灯の間の陰になっている部分に身を隠すことで、今着ている黒い長袖のTシャツとジーパンも違和感なく葉の間に隠れる事が出来るだろう。

「悪い、少しだけ我慢してくれ」

 覆いかぶさる、と言ったがほとんど密着しており、息遣いや心臓の音すら聞こえる距離だ。

 少女は力なく頷き、俺に身をゆだねた。

 これで何事もなくただの痴女であれば俺はえらく滑稽な行動をとっている事になる。

 が、それを否定するように蹄の様に固いブーツの音が幾つも先ほどまで走っていく。耳を澄ませた感じでは、三足……いや、四足か。

 身をひそめてしばらくすると、諦めたのか公園から出ていくのが確認できた。その間も雨はしんしんと降り続いていた。

 薄明かりの中で少女の柔肌を独り占めしたまま、安全を確認する。

 さて、ここからどうするべきか……。

 幾度とこの公園の中を歩いているので目をつむってでも歩けるが、シーツ一枚裸の少女を連れて無事に歩けるかは聊か不明だ。

「ちょっと……汚いかもしれないけれどいいか?」

 俺は一つ思いついてすぐさま、それを行うための質問を少女に投げかけた。

 声を出さずに小さく頷く。

 蟹のように少女の上を這う体勢からゆっくりと周りを軽快しつつ起き上る。軒の低い木々から頭だけを最初にだして周囲に誰もいない事を確認する。

 少女の手を力強く引き立ち上がらせて、もう一度彼女を抱えてから、身を隠していた木を乗り換える。

 そして、足音を極力立てないように細心の注意を払いながらある場所へ駆けていく。

 緑地公園の片隅にある遊具の集まる場所。夜、ましてや雨の公園に子供の姿は無い。ただし、そこには人影がある。ホームレスだ。

「おっちゃん、おっちゃん」

 屋根の下の固定されたテーブルセットの椅子の上で寝ている老人に声をかけた。顔を見知っているが会話をするのは初めてだ。

 白髪で体臭のキツい老人は不審そうな目で無言の返事をする。俺の顔を一瞥してからは少女の太ももや、シーツにくるまれた体を舐めるような目線をくぐらせる。

 俺はすかさずポケットの中の財布を取り出して、有り金を全部渡す。二万四千円と小銭だ。

「これで服をくれ。あと、俺とこの女の子の事は見てなかったことにしてくれないか」

 手に無理やり握らせた金を見て、呆気にとられている。軽く手を揺らすと我に返ったように、荷物を漁った。

 大き目の黒い柄のプリントされたTシャツを渡してきた。フードつきの無地のパーカーと太目のズボンも渡してくれた。

「おっちゃん後でもう幾らか渡すから、靴もいいか?」

 目を見開いて首を縦にカクカクと震わせた。すぐに履いていたボロボロの靴も渡してくれた。

 服を着せようとすると、少女はシーツ以外一切何も身にまとっていなかったので、慌てて老人を反対側に向けて、服を着させる。俺も見ないように細心の注意を払った。

 そうして髪をまくり上げてフードを深くかぶらせて、俺自身も来ていたショッキ型のダウンジャケットのパーカーを深くかぶった。

「前を見るなよ? ずっと下見とけ」

 少女にそう言って、老人を一瞥して踵を返して雨にまた俺達は打たれた。

 俺は少女の方を抱き、カップルを装い公園を後にする。公園を出るときに幾つもの車が光をまだ放っていたが、俺達は別段気にしないようにしてその場を切り抜ける。

 普段の道のりの二分。それがあまりにも長く感じた。

 状況の理解がまだ追いついていない事。

 少女が何者か理解しえない事。

 そして、彼女を追っている者の目的。

 それ以外にも腑に落ちないこの自分の状況や不安や不信が脳内を走り回る。

 走り回ったそれは手の震えへと変わったが。なるべく少女に不安を与えないように止める。

 自身のマンションのエントランスを早々に抜け、エレベーターの昇降ボタンを押す。

 四階。

 三階。

 二階。

 俺は不安になり一度振り返る。

 そこには誰もいなかった。

 エレベーターの扉が開き、俺は彼女を無理やり押し込むようにして身を滑らせ乗り込む。

 扉が閉まるギリギリまで外を凝視していた。

 がたり。締まる扉の音と共に俺は瞬間的な安心を手にした。少女はまだ心ここに非ずなのか、しっかり俯いていた。

 そうだ、まだ安心出来るところではない。少なくとも自身の部屋に入るまでは油断するなと心を奮い立たせる。

 見えない敵を相手にするのは一身上の都合で慣れている。

 八階、すなわち最上階にエレベーターが到着すると扉が厳かに開いた。

 一度外を見て回り、誰もいない事を確認してから少女の方をもう一度抱き、一番奥にある自室へと向かう。

 なるべくさり気なく、部屋へと続く廊下から見える外を確認する。側面に手すりと日差し避けのある廊下の隙間から地上を見る。特段普段と変わった様子わない。

 ジーパンの右手についているコインポケットに入れた鍵を取り出して扉を開け、エレベーターに乗り込む時と同様に、少女を押し込むように入れて、俺は外の様子を伺いつつ、扉をゆっくりと閉めた。即座に錠をして、チェーンをかける。

 電気をつけて、濡れた身体もかまわず部屋に上がり、カーテンをすぐに絞めた。

 玄関に戻り、少女がまだ俯いている姿を見て、俺はへたり込むように座った。

「ふぅ……これで、一先ず安心だろう」

 腰を落ち着けて溜息がてらにそう言った。

「悪かったな、そんな服着させちまってよ……いや、その言い方は素直にくれたおっちゃんに失礼か」

 少女はまだ強張っているように動かなかった。

 俺は落ち着けた重い腰を上げて、未だ玄関に立ちすくむ少女に近付いた。

 フードをとり、顔を確認した。

 街灯の薄明かりでは分からなかったが、澄んだ緑の瞳と、艶やかな深緑色。透き通るような白い頬にはハリがあり、首筋から腕にかけて骨の上に軟らかい肉が乗っているだけの身体だと思わせる四肢が順に伸びていた。

 その瞳はこちらを見ているが、どこか遠くを見ているように精気を失っていた。美しい緑色は生きている深みを失っている。

「そのままだと風邪をひくから、風呂に入ってこいよ……あ、いや、決していやらしい意味ではなく、本当に心配しているだけであって……」

 彼女は特段意識する事もなく縦に頷き、俺の言い訳は虚しく空振るだけだった。

 はぁ。

 部屋にまで入って緊張する必要は無かった。

 そう思って俺は一度ため息を吐いて、冷静になった。

「とりあえず靴脱いで上がれよ、ずっと玄関に居てもしょうがないだろう?」

 そうだ、顔が強張っていたのだ。

 いつもの。そう、いつもの営業スマイルでいいんだ。

 そう思った。

「……あの……えっと……はい」

 少女のその声は、細い声だ。まるで生まれて初めて喋ったかのような細さである。もちろん、本当に初めて喋ったとしたら俺に行った『助けて』という言葉が初めてと言う事になるが、そんな事は無いだろう。

 実のならない推測を辞めて靴を脱ぐのに手間取っている少女に手を貸して、紐をほどいてから、少し段差がある玄関の石畳から、フローリングに手を持ち引き上げる。素足で靴を履いていたが、靴の中が水浸しになっていたようで床がぐにゅり、と聞き取れるギリギリの大きさで嫌な音を立てる。

 そのまま手を引いて洗面所兼脱衣所に連れてきた。多分先ほどの様子から無理やりにでも風呂に叩きこむのがいいのだろうと判断した。これを誤っていれば人生最大の汚点である。

「とりあえず脱いだ服はこんなか。洗濯機の中に入れて、石鹸とかは好きに使ってくれ」

「……」

 きょとん。

 擬音はそれが正しいだろう。俺を見るその瞳は真ん丸に開いて何かを言いたげにしている。

「……あの……私……私を……」

 もじもじとしているというよりも、言葉をあまり知らないというのが正しい表現だろう。

 少女は緑色の髪の色をしていると言ったが、眉も綺麗な緑色だ。顔つきも清楚でおそらく日本人ではないのだろう。少し話せる所からハーフだろうか。

「私、を……食べないんです……か?」

「はぁあ?」

「?」

 えも、はも、言えない声で驚愕している。

「おま、お前、今なんて言ったんだよ」

「……???」

「食べるって言ったよな、そんな、いや、ま。え?」

 齢十八になった所の俺は、そんな経験が無かった。

 じぇねれぇーしょんぎゃっぷ。ちがう、かるちやーしょっく。

 過去の経験を頭の中で、全てフル回転させて少女が言う『私を食べて』なんて言葉の意味をインデックスから探し出す。インデックスでは足りないと思い、脳内辞書も索引したが、ほかに見当たらなかった。

「ちょ、えーと……」

 俺の手は気づけば自分の眉間を押さえながら少女に平を見せていた。

 ここは男として……いや。先ほどあったばかりの少女と……――

 考えつつ前を見たら自身の顔が映った。酷く間抜けない顔をしている。

 ……やっぱりだめだ。

「あのさ、やっぱり――うぇおい!??!」

 酷く間抜けな面を晒した次は、酷く間抜けな声を出した。

「なな、な、な、何やってんだよ!」

「ぬぅう?」

 少女は脱いでいた。その一言に尽きる。

 塗れた上着を腹から持ち上げて、べた付く布に四苦八苦している。

 はだけそうな胸に気を取られて見詰めそうになるが、俺は慌てて洗面所を出た。

「男の前でそんな、はだけたり、食べたりって……何言ってるんだよ」

 まったく何を考えているのか分からない。俺も何を言っているのか分からない。

「はい……ごめんなさい……」

 扉越しに声が聞えた。

「いや、謝らなくても……いいけどさ……とりあえず、気にせずゆっくりシャワーでも浴びてくれ」

 本当に冒頭から何も分からずここまで進んでいる。物語だとしたら蛇足の連続だろうと思う。

 一度落ち着こう。

 廊下に面した扉に背を預けて座る。足元には雨の水が滴り落ちて少し水たまりみたいになっていた。またいつものように後で拭けばいいか、と気に留めないでおく。

「名前すらまだ聞いてないないし、あの子は一体何なんだよ……」

 ため息交じりで一人空に呟く。見えるのは嫌見たらしく白い天井だった。

「……葵です」

 背中から声が聞えた。

 俺は飛び退く。

「ぉあぁおあ!」

 反対の壁に頭をぶつけるようにして張り付いた。

 すると扉が開いて心配そうな顔で少女が顔をのぞかせる。

「ま、まだ入ってなかったのか」

「その、名前……あおい、葵です」

 少女。いや、葵とは徹底的に息が合いそうもない。ずっと、俺の落ち着く間を与えてくれそうもないようだ。

「えっと、あの……シャワーって……入り方……」

 疑問符。?。クエッションマーク。

 葵と俺の間にはそれしかなかった。少しだけ考えて、シャワーの浴び方が分からないのだと分かった。

 いやまて、何でだよ。外人だとしてもシャワーぐらい浴びるだろう……。

 違う、そうか。蛇口が分からないんだ。きっと森の中に住んでた少女なんだ。だから保護色で髪の色も目の色も緑色なんだ、そうに違いない。きっと日本にさらわれてきて、船の中でちょっとだけ日本語を覚えてから俺に助けを求めて来たんだ。

「そこの……あー、えー。そこ、ディス、レッド、イズ……あー、スピン!」

 英語だったら分かるだろうかと思って、それっぽくやろうとしたが、顔は困惑の表情を浮かべたままである。寧ろさらに悪化した表情にも見える。

 次いでまて、さっきまで日本語で喋ってたじゃないか。早とちりもいい加減にしろ、俺。

「風呂場に入って、赤い蛇口ひねれば、お湯が出るよ。給湯器は蛇口をひねったから勝手につくから、それでシャワー浴びてくれ」

 自分に呆れながらそう言った。

「……えっと……分かりま……せん」

「はい?」

 根本的な問題な気がした。ひょっとしたらこの少女、葵は幼い頃に攫われてからずっと、捕虜のような生活を強いられていたのかもしれない。

 よくよく考えるとそれが一番納得いく。

 見知らぬ男に助けを求め、更にその男の家でホイホイ服を脱いだり、自傷行為にも近い体を差し出す事をほのめかしたり。

 昔から戦争が無く平和だと言われている日本でもそのように裏では、売女ばいたと言われる少女が声を殺して生きていたのだろう。

 俺に喉に苦い物が詰まったような気持ちになった。

「よし、分かった」

 俺はまだ何も知らないけれど、この子の事を護ろう。俺意外に誰も護れないだろう。

 どんな悪党が相手だろうと、俺の立場や、それによって生じた物を全て使い葵を救おう。

 先ほどの俺も、今の葵のような表情をしていたのだろうか。相手に対して分からない、不信感ではないが、どう接すればいいのか分からない、そんな顔。

 立ち上がり、扉に近付いて顔を出した葵の頭を撫でた。

 服を脱ぎ、体をさらけ出した葵の姿を見て、揺さぶれそうな心を菩薩を思い浮かべて意味もなく般若心境を唱えてみた。仏教徒ではないけれど。

 彼女になるべく触れないようにして、風呂場に入れる。服を着たまま続いて入る。

 俺はシャワーの蛇口をひねり、お湯が出るのを待ってから少女をプラスチックで出来た椅子の上に座らせた。肩からお湯をかけてから体を温める。髪の毛をブラッシングするように背中に回して、毛先から徐々に頭皮に向けてお湯をかけた。

 葵は無抵抗のまま、何も言わずにそれを受け入れた。

 本当に心が痛かった。

 シャンプーをかけている間は、お湯を浴槽の中に溜めた。時々体が冷えないようにお湯を肩にかけながら。

 次に体を洗う。指先からがいいかと思ったが、それでは逆に意識しすぎだと、八百万の神あたりが俺に告げてきた(と勝手に思った)ので、肩から胸や恥部には触れないように気を付けつつ軟らかいスポンジで泡立てながら洗った。

 最後に男性用の洗眼で少女の顔を洗うのは聊か気が引けたので、ボディーソープを念入りに手で泡立ててから、顔を洗う。耳の後ろまで丁寧に洗った。

 仙人のような心を手に入れた俺はそのまま少女をお湯が半分以上溜まった浴槽に入れて、風呂場を後にした。

「ゆっくり休んでくれ」

 そう言って扉を閉めてから、急いで服を脱いだ。

 今お湯の蒸気などで徐々に温まっていた体を冷やさないようにしなければ自分が風邪をひいてしまう。半端なのが一番よくない。

 洗濯物を乱雑に洗濯機に放り込んでから体に着いた水滴をふき取り、頭にそのタオルを巻く。部屋へ移動して、自分の服の締まってあるタンスの引き出しから服を取り出し着替えた。とりあえず部屋着の作務衣で良いだろう。

 少女が風呂から上がった際は、とりあえず申し訳ないが男物の作務衣を貸し出しておこう。背丈が同じぐらいなので男物と言っても差し支えが無いはずだ。今俺が来ているものと同じ紺色の作務衣だ。

 下着が……無いのでTシャツと自分の下着を渡すことにした。なるべく綺麗で、柄の綺麗なトランクスだ。

 再びそれを抱えて洗面所へと戻り、洗濯機の蓋を閉めて、その上に置いた。

「葵さん。とりあえず、着替えはここに置いておくな。風呂から出たら使ってくれ」

「……はい……ありがとうございます……」

 葵の声は先ほどよりも幾らか軟らかくなっていた。風呂に入って少し落ち着いたのだろう。

 俺も少しばかし安心した。

 あとはいつも通り、床を拭く専用の雑巾を手に取り、濡れた床を拭いて回った。

 そして、洗面所へ戻り一息つきながら雑巾を絞った。

 前を向くと自分の顔が見えた。

 改まってから見ると、幼い顔をしている。自信で判断をすると穿った見方になるかもしれないが、十二歳程度にしか見えないだろう。実際の年齢は十八である。声変りもまだしていない。

 何度もあの公園で補導をされて、雨の日でしか夜に出歩かなくなったのは、これが一つの原因でもある。

 それに対して、葵の見た目は俺の実年齢と同じぐらいだろうか、十七、十八歳ほどだと思えた。第二次成長を終えた身体つきである。

 自分の成長が遅いのはINNRDの治療の副作用だと言われた。主治医の夕日ゆうひ先生が以前そう言っていたのを思い出す。

 このまま人と違う時間を生きて、周りが朽ちていく中自分だけ生き残る恐怖が具現化したような夢をよくみる。徐々に成長はしているが、本当に徐々にしか成長していないのだと顔を見るたび絶望する。

 バシャリ、とお湯が波打つ音がした。葵が風呂から上がったのだろうと思い俺は急いで洗面所から廊下へ出た。

 そうだ、それどこではない。この子に色々な事情を訊かなければ。

 護ると言っても誰から少女を護ればいいのだろう。そんな尾崎豊の詩のような事を思い浮かべて廊下で立って待っていた。

 やがて扉が開くと、作務衣の上着だけ着方が分からなかったようで、それ以外の服を着て少女は出てきた。

「ああ、分からないか。ごめんな」

「……ごめんなさい」

「だから謝らなくていいんだって……」

「ごめんな……はい」

 そう言った会話をしながら葵の腕を、甚平のような上着に通してから前の結紐を結ぶ。その後、部屋へと移動した。

 リビング&キッチンがある部屋。その奥には寝室、自室と呼べる場所がある。

 リビングには対面用のソファを用意してある。これはよくメディアの人間が来るからだ。ソファアもそれなりに上等な革製の物を用意してある。体重をかけるととふわりと沈むが、程よい反発で体を支えてくれるものだ。

「とりあえず座りなよ」

「はい……」

 少女を座らせてから、ポットに沸かしてあったお湯でインスタントのコーヒーを淹れる。

 砂糖などはとりあえず自由に入れられるように別に用意してある。来客が多いのでこの辺りは常備してある。

 コーヒーを乗せたトレイを運び、机の上に置いてから俺も葵の前に腰を下ろす。

「さて、幾つか聞きたい事があるんだけれどいいかな?」

「……はい」

 彼女は少し俯いてそう言った。

「葵さん、君は……えっと、何処から来たんだ?」

「……それは……その……」

「言いたくないなら、いいんだ。あんまり詮索する気は無いからさ……」

「その……分からないんです……」

「分からない……?」

 俺はコーヒーを啜ろうとした手を止めて、一度マグカップを机の上に戻す。

「分からないってのは、何から……分からないんだ?」

「その……私……生まれた時から……そこにいて……」

 箱入り娘か。そうなると、先ほど追ってきていたのは、その屋敷のSPか何かなのだろうか。

 続けて葵は口を開き、俺は驚愕した。

「そこで……ずっと……食べられてました」

 食べられてました。

 非日常的な言葉に思考が一瞬停止した。

 幾つか徐々に想定してきたものの最低の推理が当たってしまうかもしれない。

「その、なんだ。葵は小さいころに攫われて、ずっと……その。食べられてきたのか?」

「……」

 沈黙は是也。

 本来の意味とは違う使い方かもしれないが、少女が黙っている事でそれを肯定していると俺は考えた。

「それが嫌になって逃げだしてきたのか……」

「……その……外の世界が……見たくて……」

 フィクションではありきたりなセリフ。だが、少女にとっては一大事なのだろう。

 俺は映画でそのような言葉を聞いて全く感化される事が無かったが、目の前で言われると心打たれる物があった。

「そうか……。ずっとここにいて良いから、さ」

 柄にもなく涙が眼に溜まっていたので、袖で拭って零れ落ちるのを防いだ。

「……ありがとうございます……」

 葵のその言葉には色々な感情が混ざっているように聞こえた。いや、そうであってほしい。心まで無くしてしまうような状態に晒されていたのかもしれないと思いたくなかっただけかもしれない。

 これ以上今すぐに葵から色々訊きだすのは、彼女の心を傷つけてしまうかもしれない。

「……今日はもう疲れてるだろう。色々あったようだし……詳しくは明日訊くからもう寝よう」

 俺はそう言って一度ここを切り上げようと思った。

「はい……えっと……」

 こちらを見て、何かを言いたげにしている。

「あ、そうか。自己紹介がまだだったな。俺は岩波いわなみさと。知郷って呼んでくれ」

「はい……知郷……さん」

 心臓が『ドキッ』とした。

 あれか。ときめいたのか、俺は。

 病院学校を卒業してから、女性と話す機会なんて一切なかったので、少女に名前を言われただけで、ときめいてしまったのか。

 硬派気取りのはずだったのに、何てことだ。

「お、おう」

 恥ずかしくて葵の顔を見れなかった。

 とりあえず立ち上がり、寝室へ彼女を連れて行くことにした。俺は今座ったソファで寝ればいい。

 扉を開けると音がした。

『ピッ。ピッ。ピッ』

 それは盗聴器や発信機などを発見する機械である。

 先ほども言った通り、俺は境遇から取材を受けることが多い。その上で、取材に来た記者たちが盗聴器や、服に発信機を仕掛けていくことがあるので、夕日先生に相談をした際にこれを貰ったのだ。

「どう言う事だ……今日は誰も来てないぞ……」

 取材陣は誰も来ていない。空き巣にでも入られたか……。

 探知機に近付き、手に取り部屋の中を探す。

 リビングに近付くにつれて『ピピッ、ピピッ、ピピピ、ピピピ』と音が早くなっていた。

 葵が不安そうに見つめている。

 コンセント回りなどを調べるが反応が薄い。扉の近くが、一番反応感度が強かった。

 不意に葵の方を見た俺は気づく。

 まさか。

 まさかだよな。

 口の中が苦くなった。

 葵に一歩ずつ、近付くにつれて、音が早くなる。

 彼女も何か不穏に感じたのか、後ずさりをする。

 壁に追い込まれて、体を小さくした少女に近付くと、探知機はより一層荒々しく音を出した。

 先ほど体を洗った際は発信機らしいものは無かった。

 つまり、彼女の体内に……埋め込まれているという事か……。

 手から探知機が滑り落ちた――

 


『ガゴンッ』

 部屋中に大音量の音が響き渡る。刹那、廊下からリビングに繋がる扉が砕けて玄関扉が飛んで来た。鉄製の扉はへしゃげて、かろうじて取っ手がある事で、それと分かる程度だ。

 フローリングの床を割り、ソファアの手前で勢いを無くして止まった扉の奥は煙が渦巻いている。フローリングを割っただけでは無く、壁を削り取ったコンクリートの粉塵が待っているのだろう。

「な、な、なんだよ!!!」

 困惑どころではない。状況の理解がついに追いつかなくなった。

 爆薬。そうだ、扉に爆薬を仕掛けられて破壊されたのだ。どえりゃあガサツなノックだなぁ、おい。

 相変わらず探知機は音を上げ続けている。落ちて少し離れたお蔭か、時間を告げる時計のようなタイミングで『ピッ、ピッ、ピッ』と鳴る。

 玄関の方から何か物音が聞こえた。

 俺はハッとなり、リビング併設のキッチンの方に行き包丁を取り出す。

 武器になりそうなポットも手に取った。

 そしてすぐに葵の元へ駆けつけて背に隠すようにして玄関の方を見詰める。

 人影。

 先ほどのSP達だろうか。しかし一人分の人影しか見えない。

「くそっ……」

 歯を食いしばり裸足で立ち向かうには不利な状況だという事を噛みしめた。

 俺は入ってくる人影を見てさらに驚愕した。

「おじゃましまぁ~す」

 あまりにも戦闘意欲の無い声で、少女が現れた。

 ショートカットで、前髪はパッツン。頭にちょっとした髪飾りを左右対称に付けている。隣に立つと多分同じらいの年齢に見えるであろう十二歳前後の容姿と身体。

 ニヒルな笑いと、高い声が特徴的だ。

 服装は極めてシンプル。だが迷彩柄の服を身に着けているので軍隊所属と言われても信じてしまいそうだ。

「あらー人がいたのかぁ。ごめんなさい、今度部屋代弁償しますねぇー」

「そう言う問題じゃ無いだろう!」

 俺は叫ぶ。

「うーん? めんどくさいなぁー」

 頭を掻きながら、実にけだるそうにこちらに一歩ずつ近づいてきた。

 足元に転がった木製の扉の破片を踏んで割れる音がする。固いブーツを履いているのだろう。

「それ以上近付くな!」

 包丁をかざして威嚇する。

 それを無視して近づいてくる少女に狂気を覚えた。その顔には笑みすら見えているのがさらに異常性を際立たせている。

 その恐怖で手が震える。

 包丁を最初から突き立てるのは自尊心が邪魔をしたので、ポットの蓋を外して熱湯を少女に向けて放った。

「キャァアァアアァ!」

 顔面に直撃して少女は悲鳴を上げて顔を押さえた。

 俺は即座に葵の手を引いて少女の隣を走り抜ける。

「来いッ!」

 葵はつられて走るが瓦礫の上を乗り越えるのがなかり苦戦した。

「ぁくっッッ!」

 少女の隣の瓦礫を乗り越えようとしたところで、葵が苦痛に塗れた声を出した。

 振り返ると、葵が左足から出血をしていた。瓦礫で足を切ったのではない、アキレス健からの出血だった。

「お、おい! 葵! 大丈夫……か……」

「ちさ……と……さん……」

 見たくなかったが、目に入ったそれは常軌を逸していた。

 名も知らない少女の口元に滴る血。

 口を閉じても聞こえる咀嚼音。

 唾液と共に飲みこまれる口の中の物。

 それが胃に落ちたあたりで、少女は悦を得た笑みを浮かべた。

「あ。あ、あ。ああ」

 右手に握った包丁の切っ先がガタガタと震えている。


 異常だ

 異常だ、

 異常だ?

 異常だ!

 異常だ。


 吐き気が胸の奥から込み上げてくる。吐きだす前に俺は動かなければならない。

 葵を助け出さなければならない。

 そうだ、助けなけば。

 ここから逃げなければ。

「うぁあぁああぁああああぁあああああぁああぁあ!」

 俺は包丁を少女に向けて飛びつく。

 葵の斜め上を滑空し、少女に向かう。

 距離があと少しの所で腕を勢いよく伸ばして突く。刃を横にして突き刺した。

 鎖骨のやや下に刃が当たる。

 力を入れて置くまで突き刺すつもりだったが、表層で止まってしまう。勢いに任せて突いたため、少女の身体に抱き着くように体が当たる。

 壁に当たったような衝撃が体全体に広がる。

「痛いなぁ~」

 少女は俺の身体を抱きしめるようにして包丁を抜き、投げ捨てる。

 そうして俺の背中に両手を回してきた。

 投げられるのか。締め上げられるのか。食べられるのか……。どんな行動に出るのか覚悟を決めた。

 が、その手は少し力を感じるぐらいだった。

「チサトさんって言うのかな? ボクのタイプだよ」

 口元に葵の血を付けたまま少女は俺に好意を寄せてきた。

「何で名前を……」

 俺の口から出たのは自分でも意図していない言葉だ。頭の中では『逃げろ』と警告がなり続けている。

「さっきさぁ~、これが言ったじゃん? 生意気だよねぇ」

 少女は葵の事をこれと言った。そして同時に指先を俺の背中に立ててするすると撫でている。まるで駅前で抱き合っているバカップルみたいに。

 俺がこうなっている間に葵が逃げてくれれば、と一瞬考えたが俺の方に少女は顎を乗せて葵が逃げないように見つめている。

「チサトさん。コレの事どれぐらい知ってる?」

 少女は耳元で囁くように俺に問いかける。

 俺は何も答えられなかった。

「これね、ボクのご飯。だから食べていいの」

 少女の回答。

 葵の事をご飯と言う。

「ボクねぇ、生まれてからこれ以外食べた事ないのよ」

 そう言うと、俺押し倒してきた。倒れた先には葵がいた。苦しそうな声を押し殺して、痛みを見せないようにしていた。

「ぅぐぁあッ」

 一件少女の体重は俺とほぼ同じ四十キロ前後だと思っていたが、その倍、それ以上は確実にある重さだった。

 少女が少し動くと、胸骨が押しつぶされて不快な音を立てる。

「いただきまぁーす」

 目の端に映ったのは葵の手と少女の顔だ。

 指先を艶めかしく舐めた後、人差し指、中指、薬指をいっきに口の中に入れて『ブチリ』と音を立てて噛み千切る。千切れた指の付け根から出る血も啜る少女は愉悦の表情をしている。

 葵は声を上げない。苦しそうな吐息が聞えるだけだ。

 見ているだけで自分の指が痛くなってくる。

「チサトさん、おいしいよぉ? 食べる?」

 真っ赤にした口で笑顔を見せてきた。口の中にも赤い血がべっとりと付いている。

 俺は苦悶の表情を浮かべていると思う。身体中だけではなく顔の筋肉も強張っている。

 骨の砕ける音と肉の潰れる音が、頬を伝わって生々しく伝わってくる。

 少女の唾液と混ざってか、血がその役割をしているのか分からないが、粘つきのあるその音を出しているのは、つい数秒前まで葵の一部だった物である。

「あっ! そうだ」

 そう言うと俺の身体の付加を考えずに少女は身体を捻り、俺の前に顔を持ってきた。

 そうして、キスをした。

 強引に唇を重ねてきた。

 少女は舌を突き出してくる。

 それは、血の味。

 そして、きわめて甘い香り。

 そして、それに準ずる甘い味。

 そして、棘のある骨が舌を刺激する。

 そして、絡めた舌から少女の唾液が喉へと伝わる。

 最後に、ひとしきり俺の口を這いずりまわった舌は少女の口の中へと帰路へ着く。

 糸を引いた唾液に情緒を得る前に、乗除はそれを叩き切った。

 俺の口を力任せに塞ぐ。右手の平で顎を持ち、指先で鼻の横を掴み、唇を開く事さえ不可能にしてくる。

 必死の抵抗をしようとしたが、少女の体重はその抵抗を防ぐには十分すぎた。

 体を捩っても、首を揺らしても、その手は解けそうにない。

 やがて酸欠なような状態になり、口の中に入ったそれは俺の喉へ向かい食道を通過した。

「これでチサトさんもオクとおんなじだね」

 背中の一部に葵の肌がふれている。声を出さないで苦しんでいるのが心臓から伝わる。

 少女は葵を食い。

 俺も葵を食った――食わされた。

 前を向くと少女の奥には天井が見えた。

 つまり俺の前が上である。前が上であり上が後ろであり、後ろ下である。その当たり前が、異常に感じた。

 異常に見える世界に飛び込むと、当たり前が異常になる。

 どちらが正しいなんて一方からじゃ分かる訳が無かった。

 今俺は生きているのか、死んでいるのか。

 今起きているのが現実なのか、俺の妄想なのか。

 何も分からない。

 分からない。


 バギッ。

 骨の折れる音がする。

 ギチリ、ニチリ。

 肉の千切れる音がする。

「くぁ……ッ……ゥ……」

 葵の呻きが零れる。

 ベキッ。

 さらに骨の折れる音。

 ぐにゃり、ぐちゃり。

 咀嚼音。

 ベキッ、ぐちょり。

 合間、合間に骨の砕ける音がする。

 その咀嚼音が続いている。

 目を回して、その勢いで右を見ると、葵の左手を間食し腕に差し掛かっている。

 腕から血がどくどくと溢れ出し、血溜まりが出来ている。

「あ、あっ、あ。あッ、アッ」

 俺は言葉にならない声を上げていた。

 何を言おうと舌かなんて分からない。

「知……郷……」

 葵はそう言った。

「おやすみのキスだよ」

 そう言い、少女はもう一度情熱的な口づけを交わしてきた。


 俺の鼻をつまむ少女。


 そして、キスで息を継ぐ事なく、押し付けるようにしてくる。


 徐々に意識が遠くなり。


 視界がぼやけると同時に意識が途切れた。



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