カナ
感想、評価大歓迎です。ドッロプアウトした場合もどのあたりか記入していただければ今後の作品作りの参考になります。モラルの範囲内での辛口コメント期待しています。
「タクミ時間よ、起きなさい」
母親の呼ぶ声が階下から2階の寝室まで届く。
もぞもぞと、もがきながらタクミは薄めを開けた。
「もう少しだけ・・・」
布団の中から発した言葉は母には届いていない。
「母さんもう出るから、遅刻しないようにね。朝ごはんちゃんと食べるのよ」
その言葉をあとに下階の足音がパタリと止む。
母親の気配がなくなるのを夢現で感じ取ると
「おやすみ」
という言葉を最後に再び夢の中に意識を埋没させていく。
自発的な意識の覚醒を覚えうつらうつら枕元に置かれた目覚まし時計に目を移すと針は既に8時15分を回っていた。
現状を正しく理解すると、タクミは布団を蹴りあげ学習机にかけられたかばんと学生服を手に取り荒々しく床を踏み鳴らしながら階段を下っていく。
ダイニングのソファにかばんと制服を投げつけると早足で洗面台に向かいパシャパシャ二、三度水を煽り飛沫を残しつつタオルでゴシゴシと顔を拭った。前髪が少し濡れたままだが気にしてはいられない。続けてそそくさと歯磨きを済ませるとダイニングに戻り寝間着を絨毯の上に脱ぎ散らかす。下着姿から機械的に流れるように上から順に制服を纏っていく。最後に制服の上着に腕だけ通すと食卓に進み用意されていた朝食に目を移す。けれどすでに朝食を摂る猶予など微塵もなく台所まで行きラップとポリ袋をもってすぐさま往復する。
適当な大きさにラップを広げその上に冷めてしまったトースト、さらにその上に綺麗に盛られたサラダを雑に散らす。更に上にもう一枚トーストを重ねラップで包む。ゆでたまごはポリ袋へ、牛乳はこぼさないように慎重に500mlペットボトルに移し替える。数滴こぼれたミルクをそばにあるフキンでさっと拭き取ると。朝食と母が作りおいてくれた弁当袋をかばんに詰め込み。堰を切ったようにダイニングを抜け玄関へ向かう。クツに片足を通したところで忘れ物を思い出しすぐさま引き返す。リビングの鍵掛けから紐のついた鍵を取るとドンドンと地を蹴って家を飛び出した。
息を切らし学校までたどり着くと既に始業のチャイムは鳴り終え登校する生徒もまばらな状態。校門をくぐり抜け時計を確認すると40分を回ったところだった。朝のSHRが既に始めっている。諦念のため息と興奮しきった肺を沈めるための息を同時に吐く。クツを履き替え教室とは反対の職員室前まで行くと廊下に置かれた書類棚から紙切れ一枚を取り出し。一緒に入っていた鉛筆でなにやら必要事項を書き綴っていく。この行為自体初めてではないために些か慣れた手つきと落ち着き払った面持ちで書き終えると職員室の扉に手をかけた。
自分の教室の前までたどり着くと中の気配を伺うようにそっと後ろ扉を開く。当然音を立てないように気を配りながら、空き巣にでも入るようにこっそりと自分の席へ向かう途中、後ろの席の生徒何人かと自然と目が合う。席までたどり着くと見知った周りの席の連中が様々な感情を込めた笑顔をこちらに向ける。タクミもそれに照れ隠しの笑みを返す。一息ついて教卓へ向き合うと担任教師と目があってしまう。教師が訝しむような呆れたような顔を一瞬見せたのでわざとらしく頭を掻いてお辞儀をする。
ようやくひとごこちがついたなと思ったらまだSHRは続いていたらしくタクミの前の席の生徒が肩を開くような形でのけぞり状況を説明してくれた。
「転校生?」
「そうそう、昨日まで連休だっただろ。休みの少し前からこっちに越してきたらしくて、もっとも前にこっちに住んでたって話だけど」
「ふうん」
かくいうタクミが寝坊したのも連休に怠けて夜更かしをしてしまったのが要因でもある。
クラスメイトの話を経て前を向くとようやく担任教師の隣に人影があることに気づく。人影にはうっすら気づいていたがまさかそれが転校生だとは思ってもおらず誰か立っているなと思っていた。改めてそれが転校生だと認識するとしげしげと見定めるように視線を向けた。
「女子か」
それが最初の感想だ。性別はもっとも重要な要素のひとつでもある。
続いてなんかきれいな子だなというありきたりな感想を抱き、その後黒板に目を写したところでタクミの思考が鈍った。東塔 神奈 と記された名を目にしてタクミの記憶が揺さぶられた。
その様子を知ってか知らずか隣の席の男子が声を掛ける。
「いいんじゃね」
彼の言ういいんじゃねとは有り体にかわいいんじゃないという意味だと汲み取られる。
中学3年初春、順当に進学を決め卒業式を控えていたタクミ。
そんなタクミはある放課後、校舎の一角に呼び出された。受験を終えた男友達との遊びの約束もあるなかいつにまにか手元にあった手紙に指定された通りその場所に行くとタクミを待っている女生徒がいた。中学生、多感な年頃にもなるとこういうシチュエーションに大方の憶測が立つ、半分の可能性で愛の告白であろう。
案の定、少女が口にしたのは交際の申し込みだった。思春期真っ只中、正直彼女が欲しいか欲しくないかで言われれば欲しい。しかしまわりの友人は子供っぽいやつも多く彼女持ちのヤツなど天然記念物並みに希少だった。少なくともタクミの通っていた中学ではそうだった。
正直迷ったのは違いない。目の前の少女はタクミのこと好いており恋人にしてほしいと言っているのだ。けれどこの時のタクミは少々めんくいだったのかもしれない。不細工とは言わないまでもどこか芋っぽく、子供っぽく、端的に地味な少女にタクミは惹かれなかった。
そしてその告白を正面から断った。その後多少は引きづったものの友人たちと騒いでるうちにどうでもよくなり、加えて武勇伝として語るにしても芋少女に告白されたことが返って不名誉なことに思えた当時のタクミはその出来事を記憶の隅にしまいこんでしまっていた。
実際、卒業式を待たずして進学の都合で彼女が引っ越したという噂をききはしても結局タクミの中で彼女の存在がそれ以上大きくなることはなかった。
けれど、今黒板の文字を見てタクミは当時の淡い水彩色の記憶を鮮明に思い出していた。呼び出しに用いられたあの手紙。文末に添えられた彼女の名前、あの筆跡。確かあの手紙には柔らかい女子の書体で東塔神奈と書かれていた。ヴィジュアルとしてのその記憶を入り組んだ引き出しから抜き出す。
SHRのあと、1時限までの準備時間の間に教室内は男子と女子で自然と二分されていた。それは確固たる二分ではなくふんわりとしたものであるが。
男子の連中に混じりタクミはクラス男子の転校生の品評を食べそこねた朝食片手に聞いていた。
「須藤、おまえペットボトルに牛乳なんか入れてたら腐るだろ?」
「いいんだよ、すぐに飲んじゃえば関係ない。ちょっとはぬるくなるけどさ」
「おいおい、そんなことよりお前らはどうなんだよ」
「どうって何が?」
「どう思うかって話、トウドウさんのこと」
こういう話が人一番好きな市川は頼まれることもなくMCのように取り仕切る。年頃も相まってクラスで一番と言ってほど色恋に敏感なのだ。
そんな市川の隣で宮池が目を閉じて考え事をしている。
「う~ん、綺麗なんだろうけどイマイチぴんとこないなあ。昨日見たグラドルの田之上風花のほうがかわいいと思うぜ」
「おまえ、そんなこと言ってっと童貞こじらすぞ」
冷ややかなツッコミを入れる家田は反対に転校生に興味津々だ。
「うちのクラスん中でも頭ひとつ抜けてんだろありゃ、オレはアリだけどな。学年でもいい勝負するんじゃないか?」
「おまえも宮池と言ってること違わねえぞ。なんで上から目線なんだよ」
「タクミどうなん?オマエ」
「ん?おれ」
それまで朝食を咀嚼しながら集団の輪から外れるように聞いていたタクミは投げかけられた質問に言い淀んだ。
「う、うん。かわいくない、こともないけど」
「うっわあ、一番最低だそれぇ」
「そうかぁ?本人に言うわけじゃないし別にな」
そう言いながらも今の会話が聞かれていないかビクビクしながら女子の集団に目を向ける。様子を見るに聞かれている心配はないようだ。
タクミの胸中ではいまだ混乱が渦巻き気持ちの整理がつかないでいた。
もちろん以前自分に告白してきた少女が自分の高校、クラスに転入してきたこともそうだがそれ以上に当時の彼女の面影からは想像できないくらい垢抜けて女らしくなっていたからだ。東塔神奈を認識してからというもの無意識に神奈を横目でチラチラとみている。それはもう頻繁に。
まず同一人物だと思えない。それがタクミの神奈に対する第一印象で、第一印象というのもこの場合は語弊があるが、そう思わせるのは神奈が当時よりも可憐になって帰ってきたことに起因する。
先にタクミがかわいくないこともないと表したが実際はそうではない見惚れてしまうほどにかわいかった、かわいくなっていた。
他の男子生徒間ではアリ派、ナシ派、フツウ派で好き勝手な評価がなされているがタクミはというと断然アリ派の人間だった。
その日の担任が受け持つ授業の際、東塔のため急遽クラスメイトの自己紹介の時間が設けられたが、その時でもタクミは神奈との面識を公にはしなかったし神奈も口にはしなかった。クラスの様子を見るにタクミが神奈と同じ中学出身だと知る当時の学友はいても二人の関係性まで知っているものは当然のようにいないようだ。
学年全体を見れば中学組もいるにはいるがそれは全体の5分の1にも満たない。そしていまは2年生。中学時代の思い出トークもすでに定番ネタから外れている。よっぽどのことがない限り当時のことを振り返ることもない。そしてその後もタクミはそれなりに仲の良いクラスメイトにも神奈との過去のいきさつを話さなかった。それは神奈のためでもあるしタクミ自身のためでもあった。
その翌日、早くも男子間での恋愛戦線に異変が生じていた。
クラス一のスケベ男市川の提案で東塔への告白独占計画が進められていたのだ。
なんでも市川が言うには
「ぶっちゃけ東塔さんはかなり上玉だと思うのよ」
「まあ、同意だわな」
「な?だからさ遅かれ早かれ他のクラスの連中も気づくのは間違いない」
「うちの学年、何人か遊んでるって噂の野郎いるしな」
「そんなやつに粉かけられたくないだろ?」
「それはわかる、それはわかんだけどさ」
「だから、その前にうちのクラスの有志でアタックブロークン作戦を決行すんのよ」
「当たって砕けろっていいたいのね」
「砕けろってのもどうなのよ。まあ正直自信ねえのは確かだけど」
「けどさ、そんな急いでしかもゲームみたいにやんなくても」
そこでタクミが作戦の中止を持ちかける。
女子からしたら男子のこんな企みはたまったもんじゃない。けれどこんなことに本気になってしまうのもまた持て余した若さの暴走だ。
「でさ市川、具体的に説明してよ。そのアタブロ作戦」
「略すとなんかかっこよくね」
「美川、おまえ英語一だっけか?」
「今関係ねえじゃんそんなの」
「いいか、よく聞け。オレが男子連中に個別アンケートとった結果、東塔を彼女にしたいってやつが結構いたんだよこれが」
この個別アンケートとやらは当然タクミも答えさせられている。無難にかわいいとは答えた。なにしろ一対一になったときの市川の問い詰めはやらしい。まるで誘導尋問のようにはぐらかそうとしても否応なしにイエスかノーを選ばされてしまう。タクミ本人はなくはないと答えても市川に相手ではそれは東塔に告白したいと同義に変換されてしまう。
「彼女にしたいも何も転校した翌日でなんも知らねえじゃん俺ら」
「どいつもこいつもめんくいってことなんだろ。顔さえよけりゃいいのよ高校生には」
「おまえも高校生だろうが」
「ルールは簡単。東塔に告りたいやつらで順番決めして一人三日以内に順繰りでコクってくってわけ」
「順番回ってから3日、ってか告白してから3日ってこと?」
「そう」
「冷静に突っ込むけどそれ東塔さんにすげえ迷惑じゃね?」
「冷静に言わなくてもそうだけどな」
「けど、おまえら正直どうよ、かわいいだろ東塔さん?」
円陣を組んだ男の塊が一様にざわめき波打った。
「他のクラスの奴に取られたくないだろ?」
再び波打つ。
「まあこのクラスのやつでも嫌は嫌だが平等にチャンスが巡ると考えれば」
「質も~ん」
「なんだよ?」
「東塔さんにもう彼氏がいるって可能性は」
その不用意な一言が一同を不安という底なし沼に突き落とす。
「そんなこといったら始まんねえだろ。本人に聞くに聞けねえし。考えんな考えんな、んなこと」
そうこうして一応にこの話に結論がついた。
問題はそこからだった。
タクミ自身神奈のことを気にかけているため告り隊に加入させられたまではしぶしぶではあるが良しとしよう。いざとなればバックレる算段だったし数人こなしたところで男子も飽きるだろうから、なにより女子からクレームが来ることは容易に予想出来ていた。
だがよりにもよってタクミが一番手に選ばれるとはよもや予想外と言う他なかった。
「マジ?コレ?」
タクミの言葉はひどく短いものだった。
目の前に置かれた紙には順番ぎめのあみだくじが書かれているがそこに記されている順番、タクミの線をたどると何度目を擦ろうが瞬きしようが変わらない「1」の文字があった。しかもなぜか赤色で。
「須藤が一番か、まあ無難だな」
「タクミっ!がんばれ、よっ!」
タクミの顔は励ましの言葉をかけられるほどに沈んでいく。
まさか一度告られた相手に、しかも振った相手に今度は告白するはめになるとは。
けれどその事実を知っているものは自分以外このクラスに誰もいない。
確かに帰ってきた東塔神奈はカワイイ、キレイだ。「けれど」という言葉はいつまでもタクミにつきまとう。
「やっぱ、おれ」
そう言いだそうにも高ぶった男たちの熱はタクミの冷や風を受付はしない。
決まってしまった以上この状況をタクミがどうこうするのは容易ではない。男子高校生には特有の「波」ともいうべき連帯感が存在しその波に逆らって泳ぐことはとても難しい。
顔面に拒絶の色を貼り付けたタクミであっても本人が望む望まないに関わらずこの一戦に臨まなくてはならない。そしてすでに運命のカウントダウンは始まっておりその猶予は刻一刻と削られていく。
タクミは一人になった時に考えてみた。実際のところどうだろうか、東塔神奈には2年前に一度告白されている。当時とは雰囲気が変わっているとはいえあの神奈に告白されている。つまり少なからず可能性が残っているのではないだろうか。あの時は断ってしまった。けれど神奈のことが嫌いだったわけではない。「なにか違う」そう思ったからだ。でも今の神奈はタクミの好み、高みから言うとメガネに適う愛らしさだ。悪くない。タクミは素直にそう思った。神奈が彼女、そうなれば鼻も高いし、自然と頬が垂れる。
イケル、断言はできないが見込みはある。そうそう男の趣味は変わるものではないし、人間一度好意をもった相手への思いはそうそう薄れない。そういうものだとタクミはそう考えた。
そして早々に決戦の時は訪れる。
さらに翌日、当事者のタクミではなく言い出しっぺの市川が呼び出しの旨を書いた手紙を東塔に渡していた。こういうことに関する市川の積極性、行動力いわゆるバイタリティは侮れない。他の男子生徒が言っていた、この積極性から必要に迫られれば市川は街頭ナンパも平気でやってのけるだろうという、その話もうなずける。そのくせ未だに女気がない。彼は彼でなにか面倒な性分なのだろう。
兎にも角にも市川のこの一手でタクミはウジウジする暇をスパッと切り捨てられてしまったのだ。もう退路はない。手紙を渡された時、神奈本人はきょとんとしていたものの市川の念押しに来ることを確約していた。けれど手紙にはもちろん市川の口からも誰が来るとは告げられていない。なのできっと神奈は呼び出しの相手が市川であると勝手に思い込んでいるに違いないだろう。
放課後、校舎の一角。突き当りになっているその場所で約束の時間より早く待ち合わせ場所に訪れたタクミは人が来るであろう方に背を向けソワソワとただひたすら神奈を待っていた。
男子間の取り決めで聞き耳を立てたり茶化すことは禁止され、それでも発端の市川や結果が気になる面々は当事者が出番を終えるのを教室その他で時間を潰し待っている。
今に来るのではないか来るのではないかと、半ばビクビクしながらその時を待つ。
待ち時間を持て余す気もしていたが実のところそれどころではなかった。心臓はバッタの跳躍のようにピョンピョン跳ね頭のなかではどんな言葉を投げかければいいかと考えを巡らせている。ふたりきりなのだ、過去のことを持ちだしても問題はないはず。正直それなりの自信はある。東塔が彼女か、そう思うと不思議と心が軽くワクワクがとまらなくなる。思わず軽くトリップしてまだ見ぬ恋人ライフに夢を咲かせ口元をがゆるんでしまう。
そんな時、砂利を踏み鳴らす足音がゆっくりとこちらに近づいてくるのに気がついた。はっと我に返る。神奈が来たのだ
。
恐る恐る振り返ると、そこにはやっぱり神奈がいた。東塔だ、東塔がそこにいる。
当の神奈は待ち人がタクミだとわかると驚きと戸惑いの色をありありと顔に浮かべた。それも当然ではあるの。呼び出しの相手が市川ではなく中学の同級生である須藤タクミで、彼がそこにいたのだから。
対面してすぐにどちらかが言葉を発することはなかった。できない。
初々しい甘酸っぱさを内包したこそばゆい空気が互いから醸しだされそれが互いに伝播していく。
「覚えてる?」
最初に堰を切ったのはタクミだった。
「須藤くんだよね」
そのとおりだ。神奈は覚えていた。けれどタクミの「覚えてる?」には2つの意味が含まれており、おそらく神奈もそれとなく気づいていた。
タクミは恥ずかしさで俯きながらも隙を見て神奈の表情を伺う。やっぱり違う、カワイイ。ホントは別人じゃないのか?そんな疑問が浮かびもするが先の質問で自分の知る東塔神奈であることはまず違いない。だが当のタクミは何も知らない、「東塔神奈」について何も。
「覚えてくれてたんだ」
少しほっとした。知らないと言われればそれはそれで落ち込む。身勝手な話だタクミは一昨日まで相手のことを忘れていたというのに。
「久し振りだね」
神奈の言葉に“そうだね”とタクミは返す。まるでオウム返しのようなテンポで、
一言一言言葉を交わすもそのたびに沈黙が流れ時が停滞する。
この状況とむず痒さをどうにかしたくてタクミは無い知恵を絞った。この場合共通の話題、思い出話でもすれば少しは華が咲くだろうか。そう考えると話題は中学の話しかない。けれどタクミはこれといった、場に則した話の種を選べず押し黙ってしまう。そんな沈黙がこっ恥ずかしくてついにあの話に触れてしまう。
「あの日のこと」
「あの日?」
さすがにその言葉だけでは合点がいかないか。
「あの、えっと、なんつうか」
途端しどろもどろになる。自分から切り出したものも二の句を継げない。そのタクミの言い淀む態度、今度は神奈が切り返した。
「私が転校する前の?」
ドキッ
神奈はオブラートに包んで選んだであろう遠回しな言葉、そんな曖昧な言葉でさえタクミはドキっとしてしまう。どちらかといえば「ズキッ」だろうか、どっちにしろなにか胸に突き刺さる痛みいや衝撃。
「そう、その、」
どうしても一息に言葉が出てこない、途切れ途切れに紡がれる台詞。そんな自分が歯がゆくかっこ悪い。普段の自分らしさそんなものどこかへ置いてきてしまったのだろうか。
恥ずかしさに耐え切れず目を閉じてしまう、“それでも顔は彼女の方へ”と顔を持ち上げる。そして恐る恐る瞼を持ち上げる。顔が紅潮していく、熱い。体が燃える、脈動が体内を駆け巡る。
視界の正面、そこにいるのは神奈だ。彼女を見据え口を開き声帯を震わす。
「東塔、、、さんが告白、、、して、くれて、、、それで、、、それでオレが」
「いいよ、無理しないで。顔真っ赤だよ」
タクミを気遣う言葉、ハニカミながらとその様に目を細め微笑んだ。
ドクン
その瞬間、タクミの胸が高鳴りを覚えた。
“かわいい”そうおもった。
声には出さなかったが、それでもその言葉が不意に浮かぶ。
東塔はこんな顔を持ってるんだな。タクミはひどく驚いた。あの日、あの時、まだサクラが蕾だった頃、東塔は今の自分と同じように緊張してドキドキしていたのだろうか。一際オドオドしてみえた彼女の今のこれが本当の東塔なのか。それともこの2年という月日が彼女をこうしたのか。
そして彼女の言葉によって落ち着きを取り戻すと今度は次第に罪悪感が襲ってきた。自分はあの時、今の自分のようにこんなにドキドキしていた彼女を、彼女の一大告白を「なんか違う」「めんどくさい」という小便臭い安い理由で切って捨て、その後もろくなフォローを入れることもなく別れてしまった。当時の彼女はどう思っただろう、そんな考えに思い至る。
そしてなおのこと、いや今はじめて“神奈を彼女にしたい”と思った。きれいなだけじゃない、まだ良く知らないけれどこんな素敵な笑顔ができるこの子といっしょに、そばでこの笑顔を見ていたい。
「あの時は、ゴメン、、、頑張ってくれたろうに応えてあげられなくて」
タクミは頭を下げた。けれど本当に言いたいのはその言葉はではない。
「それで今日?」
「それだけじゃないけど、、、。驚いたよ、まさか東塔さんが転入してくるなんて。そんな、おもいもしなかった、から」
「私も驚いた。転校してようやく“あ、須藤くんもここだっけ”って。ふふふ」
「そうなんだ、ははは」
“なんだかいい感じ”タクミは手応えを感じ始めた。とりあえず場は和み空気は整った。ここからゆっくり行こう。ようやく本来の自分のペースで進められそうだ。
「もう一度、ほんとにあの時は」
「いいよ。怒ってるわけじゃないし、“仕方ないことだって“気にしてもないよ。ほらあの時はあの時だし」
「そう、よかった」
“気にしてないよ”これはポジティブにとらえていいのだろう。けれど見方を変えればネガティブにもとれる。そして今の状況においてタクミにはネガティブかもしれない。これから控える一大告白にとっては。
「なんか変わった?よね、東塔さん。なんか垢抜けたというか、、、キレイ、になった、、、」
最後の方は尻切れトンボ気味に沈んで届かない。面と向かってかわいいね、きれいだねというのはこっ恥ずかしいしそんな言葉を同級生の女の子に投げかけるメンタルをタクトは持ち合わせていない。
「そうかな?でも、前の学校でみんな良くしてくれてすっごく楽しかったから」
「そうなんだ」
「うん、お別れの時なんかすっごく泣いちゃって、もう」
こんな時に神奈の泣き顔ってどんなだろ、泣いてもきっと綺麗なんだろうと柄にでもないことを想像した。今のタクミは決戦前の高揚で心も体もそして頭も熱にうなされたようにハイになっていた。
そろそろ本題に入ろう、タクミは決意する。それなりに場は温まった、神奈の表情から感触も悪くない。この様子ならうまくいくかもしれない。それにこれはダメ元なんだ、どちらに転んでもなんとかなる。根拠の無い理屈がタクミを後押しする。
「東塔さん、、、」
「?」
「今日は、その中学の時のこととそれから、、、」
「」
「それと、、、大事な話があって」
「うん」
タクミの言葉で神奈の顔色が少し変わった。タクミの緊張が伝染ったのか、それとも何かに勘付いたのかもしれない。それでもこれは悪い感じではないそう思う。
「東塔さん、、、僕と、付き合ってくださいっ、、、」
言った、言い切った。心のなかで勝利のガッツポーズをとるように腕を突き上げる。けれどまだ早い。まだ神奈から肝心の答えを聞いていないからだ。
神奈はというと懐かしい思い出話から一転、愛の告白を受けしばし考えこむ様子をみせる。彼女が戸惑っているのは間違いない。
そんな様子にタクミも気が気じゃない様子で待ち焦がれる。言うべきことは言った。答えを待つだけ。それでも今足がガクガク震えてる気がする。気がするだけでホントのところ分からない体が硬直してしまったのか俯くことも腿に触れることも憚られた。まだか、まだか、その時を待つ。目が充血したのか熱い、瞳が潤む、興奮の沸点を超えて頭が沸騰しそうにジーンとする。息をはく、少しでも体を冷やしたい。“もっともっと冷静に”“落ち着け自分”と言い聞かせながら。
「須藤くん」
「はい」
「須藤くん。ありがとう、うれしい、のかな?あの日の自分が報われた気がして。うん、きっとそう、あの時の、小さくなってた私が喜んでるそんな気がする。ありがとう」
まだわからない。けど感触は悪くない。“ありがとう、でもゴメン”はよくある。それでもそれを聞くまではまだわからない。
「ちなみに今は?好きな人は?」
「今はいないよ、これといって。付き合ってる人も」
なんとなく好きな人がいない、そのことに、それが自分でないことに残念な気持ちにもなるがいくらなんでもさすがにそれは虫が良すぎる。
「そうか」
「うん」
「い、、いまの、、、こたえ、きかせて」
「須藤くんが変わったって言ってくれて嬉しかった、ほんとに、、、今も思うの、あの時の自分は今よりも弱かったんだなって、、、それで、須藤くんの言葉で、あの時よりも強くなれたって、少しは前に進んだんだって自信持てたよ。ありがとうっ!」
「」
「だから、、、強くなれた今の私だから、、、ゴメンナサイ、須藤くんとはお付き合いできません」
その瞬間、彼女の言葉が耳に届き頭でその意味を理解した時、途端に全身の血が重力を帯び地面に引きづられるかの如く力が抜け、頭に昇っていたはずの血が熱が体中に、体外、方方に散っていく。
サーーッと静かな悪寒が全身を支配する。振られた、振られたのだ。彼女の言葉の意味するところはそういうことなのだ。
そして、彼女は続けた。
「須藤くんのことが嫌いになったわけじゃない。あの時の気持ちも嘘じゃない。だけど今の私はあなたにそういう気持ちを持てないの。ゴメンナサイ」
断った神奈の方がむしろ悲しげな顔だ、タクミよりも。
“なぜ”
「あなただけじゃないと思う。絶対、じゃないけど今は誰かを好きにならないと思うの。なんとなく、ホントなんとなくだけど、、、今は、今は学校が今の暮らしが好きだし。これからこの学校を好きになっていきたいから」
神奈の自分をさらけ出すように紡いだ言葉はきっと偽りのない真実で、それでもそれは虚しいことに呆然とするタクミをすり抜け彼の心には届かなかった。タクミにはそんなことどうでもいい。自分が振られた事実が全てなのだ。今あるすべて。なんだったのかイケルかもなんておもっていた自分は。彼女がまだ自分を想っているかも、というわけのわからない予想は。恥ずかしいとか悔しいとか悲しいとか二の次だ。人は告白に失敗した時、“真っ暗だ”“世界が、人生が終わる”というが「ほんとそうだな」とタクミは強く共感した。それでも両の足はしぶとく地面に張り付いている。けれど心のなかでは膝から崩れ落ち手をつき項垂れる自分がいる。なんて有り様だ、滑稽だな。
固まったまま何も言葉が出てない。光の消えた目で佇むタクミにたまらず神奈は声をかけた。
「須藤くん?大丈夫?ごめんね、ホントゴメンナサイ」
「うん」
“やめてくれ”
そう思った。謝罪の言葉が積み重なる度にそれがそのままタクミにのしかかり失恋したという事実が、粘土を貼り付けたようにしっかりと象られていくようでこの上なく、辛かった。
けれどそれでもそうそう消沈してもいられない。
なぜなら神奈がこっちを、自分をみているからだ。
神奈が心配している。けれどそれだけじゃない。神奈の目をみてようやくわかった。
いつまでも彼女をここに引き止めてはいけないということ。用は済んだんだ。おわった。
彼女をこの場から、みっともなくも情けない自分から解放してあげないと。最後の精一杯の強がりで誠意を見せるんだ。空元気の笑顔を浮かべるタクミは「ぴえろ」だった。痛々しいくらいの空元気を彼女に。
「ありがとう、ゴメンね、、、あはは、いろいろと、、、もう、行ってくれて、いいよ。ホント、、、ありがとう、、、」
装った、仮りそめの貼り付けた笑顔で彼女が少しでもシコリを残さないように、誰が見ても無理してるのがわかったとしてもそれが唯一タクミのなかに残ったもの、意地だった。
タクミの辛そうな表情が後ろ髪を引くが“それじゃあ”という言葉だけを残して彼に背中を向け去っていく。校舎の一画がまるで世界の片隅のように、残されたタクミのこころは空虚でそんな彼のこころに嵐が吹き荒む。
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