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エピローグ



「ううん…………」

 異常に気持ち悪い寝覚めだった。

 まるで、世界が滅亡してしまう悪夢でも見ていたかのようだ。

 部屋の明るさから夜が明けたことを渋々認めた水鏡は、あと何分寝ていられるかを確認するためにケータイに手を伸ばした……が、途中でもう自分は高校を卒業し、春休みであったことを思い出す。

 それならばと、再度、甘い睡魔に身を任せようとしたところで、自分とは全く違う熱源がもう一つ布団の中にあることに気付き、反射的に掛け布団を跳ね飛ばした。

「……いやん。寒いよー。おにーちゃーん」

 ごろにゃん、と甘えたような声を上げるのは妹の絵夢だ。

 寝起きにしてはあり得ないほど髪形が整っており、顔にもヨダレの跡は窺えない。にもかかわらず、服装はパジャマ。それも、おそらくは新品だ。

 超絶寝相の悪い妹がここまで綺麗な容姿を保って寝ていられるはずはなく、ゆえにこの妹は、一度起きて身なりを整えた後、再度新品のパジャマに着替えてから兄の布団に潜り込んだのであろうと水鏡は推理した。

「……で、なんでワタクシの布団に横になっておられるのですか、絵夢サン?」

「うん。春はね、人肌の恋しい季節なんだよ?」

「それは冬だと思いますが。つーか、年頃の女子高生が兄の布団に入るって、アウトじゃないですかね?」

「そ、そうだね……。だからこれは、妹としてじゃなく、一人の女として――――」

「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」

 今日も朝から、水鏡は貞操の危機を迎えていた。



「なにも叫ぶことはないのに……。可愛い妹のサービスじゃない」

「あのな。お前のアレはサービスの域を超えてるんだよ。つーか、なんでお前は「禁断の関係、ドンと来い!」みたいなスタンスなんだよ……」

「ええー? だって絵夢とおにーちゃん、血が繋がってないんだよー? それなら、ウハウハなイベントがムハムハで、フラグ乱立の淫らな生活が――」

「ねーよ。ウチは健全な家庭です」

 朝ご飯を食べながら、いつも通りのバカなやりとり。

 そんな普通の出来事に、どこかほっとする水鏡がいた。

 相変わらず義妹は禁断の関係を求めてきて、その度に冷や汗が流れるが……だけど、これがいつもの絵夢なのだ。自分にとって都合がいいだけの妹よりは、ずっとマシだ。

「おにーちゃんの担任の先生からね、さっき電話があったんだー。なんでも、教室のワックス掛けを手伝ってほしいらしいよ?」

「……なんで辛い受験戦争を乗り切り、束の間の休息を楽しんでいる戦士を呼び出すのかねぇ……」

「うーん。たぶん、淋しいんじゃないかな? おにーちゃんみたいに騒がしくて、手がかかる上、なんだかんだでいい大学に受かっちゃった生徒は思い出に残るものだと思うよー」

「そんなもんかねぇ……」

 ただ単に、雑用を任せたいだけなんじゃないのか。いいパシリだ。

 いやまぁ、受験を乗り切るにあたって非常に世話になった担任だから、断るわけにはいかないんだけど。

 そんな風に考えながら、もう着ることはないと思っていた高校の制服を摘んで見下ろしていると、インターフォンの音が響いた。

『ピン、ポーン』

「あ。都子さんだ」

 その控え目な押し方から、一瞬で来訪者が判る。

「ん? どうして都子が? あいつも大学受かって、進路は決定しただろう?」

「たぶん、都子さんもおにーちゃんみたいにワックス掛けを命じられたんじゃないかな?」

 そんなことを言いつつ、「はいはーい」と絵夢が玄関へと駆けて行く。

 水鏡も学生鞄を持って後に続いた。

「おはよう、恭ちゃん」

 果たして、玄関には水鏡の幼馴染・小島都子が立っていた。

 パッツン前髪にショートカットの黒髪。膝下まであるスカート丈。顔にも全然化粧っ気がなく、田舎者らしい女子高生。

 今日も都子は、いつも通りだ。

 ただ、その顔がほんの少しだけ、嬉しそうではある。

「おはよう、都子。今日もいつも通りだな。なんか、落ち着くわー」

「うん。いつも通りが一番だよー」

 縁側で日向ぼっこするじいさん・ばあさんのようにほのぼのとした会話を繰り広げる。

 ボケもツッコミも発生しない。それでも、二人にとってはこの空気が心地よかった。

「おいこらー。浮気は許さないぞー、おにーちゃん」

 ただ会話していただけなのに、それだけで嫉妬したらしい。絵夢が水鏡の左腕に抱きついた。

「んー。ここは仲良く、半分こにしない?」

 のほほんとした発言をしている割に、都子は素早い動きで右腕をとった。

 両手に花だ。ただし、実際にこの状況になってみると、なんか色々としんどいが……。

「よ、よーし。それじゃあ、学校に行くかー」

 牽制する妹とほんわかそれを受け流す幼馴染を連れて、通い慣れた通学路を歩き出す。

 すると、数分も歩かないうちに、道の真ん中で仁王立ちしている女の子に出くわした。

「見つけたわよ、水鏡恭弥!」

 楽しそうにニヤリと笑うその子を見て、水鏡も知らず、笑みが零れる。

「あー、悪い。二人とも、ちょっと先に行っててくれ。すぐに追いかける」

「うにゃっ!? 浮気!? おにーちゃん、浮気なのかにゃーっ!?」

 キシャーッとツインテールを逆立たせて威嚇する妹と、あははーとのん気に笑いながら、しかしぎゅっと右腕にしがみつく幼馴染。

 その二人をなんとか宥めて先に行ってもらうことに成功したのは、それから十分後のことだった。



「ふーん……随分おモテになるのねぇ……【封印指定のZランク魔術師】さん?」

「その言い方、やめてくれ……」

 水鏡がげんなりすると、カナミは「あははは!」と快活に笑った。

 場所は奇しくも同じ場所。カナミと始めてやりあったイベントホールの駐車場だった。

 カナミは制服を着ているが、それはもう水鏡の通う高校のものではなかった。おそらく、カナミの本来の高校のものなのだろう。

「でも、安心した。こうしてこっちの世界で会えたってことは、無事にルクルドをやっつけられたのね?」

「お前……やっぱり記憶があるのか」

「ん? そうね。あたしが消える直前までのことはしっかりと覚えているわ」

 ケロリとしたカナミだが、水鏡は心中で感心していた。

 前回の記憶改竄はルクルドが行ったが、今回はエレナに頼んだのだ。

 精霊としてそんなに上の位でなかったルクルドはともかく、ハイエンドにも近いエレナのチカラすら無効化するなんて、メチャクチャな体質だ。

「そうね。私としても少々口惜しいわ」

「って、エレナ!? やめてっ! 眼球抉らないでぇ~~~!!」

 突如現れた【金の精霊】に、その対価を請求されると思い、慌てる水鏡。

 そんな彼を、精霊の女王は冷めた目で見つめた。

「五月蝿いわね。私が自分の意思で顕現しているのだから、当然、代償は自分で支払うわ」

「久しぶりね、エレナ。話では何度も聞いてたけど……こうして会うのは初めての時以来じゃない?」

「そうね」

 ドタバタ、ハラハラする水鏡を他所に、女性陣二人は久々の再会に花を咲かせていた。

 誰がどう見ても、水鏡が世界の中心だとは思うまい。

 世界は、再構成されたのだ。

「……ねぇ。せっかくだから聞いときたいんだけど……あれから、どうなったの?」

「単純な話よ。ここにいる恭弥が、ルクルドを倒した。そして、世界が元に戻ったの。もちろん、ルクルドの霊力は私が美味しく頂いたわ」

「よ、よく倒せたわね……。正直、あたしはもうダメだと思ってたわ……」

「ちょ、ちょっと待て! お前、消える時になんかいい風なことを言ってたじゃないかよっ!」

「いや、あれはその場の雰囲気というか……。辛気くさい最後なんて嫌じゃない」

 そんなテキトーな言葉だったのか……と水鏡がガックリと項垂れる。

 あの言葉に導かれて頑張った自分はなんだったのか。いや、そのお陰で今の世界があるのだが。

「乙姫奏美。貴女以外の記憶は私のチカラでもう一度改竄したわ。もうあの世界のことを覚えているのは貴女と恭弥だけよ。時間軸も戻してしまったから、あの世界で過ごした数日は無かったことと同じね」

「そう……。でも、アンタの幼馴染と妹さんが支払った代償は戻らないのよね……」

 カナミが少しだけ表情を曇らせる。

 自業自得と言えばそれまでだが、それにしても二人が支払った〈供物〉は取り返しがつかないものだ。

 しかし、そんなカナミの苦悩を吹き飛ばすかのように、エレナが事も無げに告げた。

「いいえ。二人が支払った〈供物〉も、当然取り返したわ」

「……………………え?」

「私は【金の精霊】よ? 私に不可能なんてないもの。〈供物〉さえ……対価さえ用意してもらえれば、私は何だってできる」

 エレナのそんな言葉を聞いて、カナミが弾かれたように水鏡へと視線を移動させた。

 その視線に耐えかねたのか、水鏡はそれとなく視線を逸らす。そして……なにかのついでのようにボソッと説明した。

「……ルクルドの霊力。それと……俺の『思い出』と『人格』」

 カナミが口を開けたまま唖然とする。

 そのまま何かを言おうとしてパクパクと口を動かすが、言葉が出てこない。

「…………いいの?」

 そうして、最後に出てきたのはそんな言葉だった。

「……いいさ。〝女の子の恋心は世界よりも重い〟んだろ? だったら、これくらいは当然だよな?」

「うぐっ……! いやあれは……確かにそうなんだけど!」

「それにさ。最後の最後、俺はその〝女の子の恋心〟に救われたんだ。だから、ちゃんと恩返しはしないとな」

 そう言って、水鏡はポケットから白い封筒を取り出す。

 可愛らしいピンクのハートで封がされた、それを。

「なにそれ?」

「絵夢からのラブレター」

 ずざざっ、とカナミが水鏡から距離をとった。

「あ、あんた、あっちの世界で妹にまでそんなことさせてたの!? ほんっと外道ねっ!!」

「う、うるさいっ! 確かにアレかもしれないけど――これのお陰で俺たちは助かったんだぞ!?」

「へ、ヘンタイっ! 近寄らないで! サイテー男! シスコン!」

「ええいっ! そこまで言うならその変態パワーをお前にも伝染してやるわーーー!!」

 逃げ出したカナミを水鏡が全力で追いかける。

 まるで初対面の時の逆回しだ。

 そんな二人を見て、エレナがため息をつきながら、水鏡の中へと戻る。

「やれやれ……。まだまだ【精霊王】は遠そうね……」


 この世界は、上手く行かないことばっかりだ。

 神様はこっちなんて向いてくれず、たまに気まぐれを起こしても、きっちりと対価を要求する。

 だけど、だからって、この世界は最低なんかじゃない。

 誰かのことを真剣に想ったり、想われたりして、みんな生きている。

 そして時には、そんな想いが神様にだって引けをとらない奇跡を生んだりするのだ。

 そう、きっと運命にも勝てるほどに。


『あなたのことが大好きです。あなたが望む世界が、わたしの望む世界です』




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