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第五章 君が望んだこと



「絵夢! しっかりしろ、絵夢っ!」

 落下の衝撃のせいか、絵夢は再び目を閉じたまま、微動だにしない。

 最悪の状況を予期して心臓に耳をやった水鏡は、とりあえず絵夢の鼓動が正常である事実にほっと胸を撫で下ろした。見れば、呼吸も規則正しい。ただ気を失っているだけのようだ。

 しかし、そんな風に一安心した水鏡の腕の中で、絵夢の体が淡く発光し、次いで光の粒子となって消えて行った。

「!!? え、絵夢っ!?」

 光が消えていく空中へと手をさ迷わせる。

 だが、無力なその両手は、残酷にも空を切った。

「恭……ちゃん……」

 掠れた声に振り返ると、都子も似たような光に覆われている。

 そして、足下から順番に光の粒子へと変換され、その存在がかき消されようとしていた。

「都子!」

「恭ちゃん……ごめんね……。わたし、ワガママばっかりで……」

「そんなことない! そんなことないんだっ! 悪いのは、全部俺で――――!!」

「もう少し……恭ちゃんと一緒に……居たかっ――――」

 そこで、都子の体も空中へと消えて行った。

 水鏡は直感で悟る。ルクルドが本格的に世界を改変している事実を。

 振り返れば、屋上の端で寝ていた亜季も同様に光へと変換し、消滅していた。

「恭弥!」

 自分以外の人間が全て消えてしまったのではないかと震える水鏡の耳に、声が届く。

 見れば、亜季とは反対の角にいたカナミが起き上がり、こちらへと駆けて来ていた。

「カナミ!? お前は大丈夫なのか!?」

「大丈夫って何が!? っていうか、今どういう状況なの!?」

 水鏡はカナミにこれまでの経緯をかいつまんで説明した。

 その間も次々と世界が光に包まれ、姿を変えて行く。

 このまま高度の高い屋上に居るのは危険だと判断した二人は、急いで階段を駆け下り、校舎から脱出した。

「まさかアンタの幼馴染と妹が犯人だったなんてね……」

「おい、犯人とかいう言い方はやめろ」

「あんただって、あたしを犯人呼ばわりしたでしょう?」

 カナミがジト目で睨んでくる。

 世界が終わりそうなこの状況でも、カナミは相変わらずカナミだった。

「ところで、どうしてお前だけが無事なんだ? 絵夢や都子、それに亜季先輩が消えたことから考えても、この世界の人間はほとんどが消滅しているはずだ。その方がきっと、世界改変もしやすいだろうし」

「あんたが消えないのには、この世界があんたを中心に創られていることと関係があるんでしょうね。あたしの場合は……なんでか分からないけど、やっぱりイレギュラーなんじゃないの? 記憶の改竄だって上手くできなかったみたいだし」

 そういえば、そうだ。

 精霊に関与していないにもかかわらず、この世界の異変を感知し、今尚この世界に現存してるカナミは、何か特別な体質なのかもしれない。

「……で、どうすんの?」

 校舎を出て、とりあえず周りに障害物の無いグラウンドの中心まで避難した後、カナミが唐突に切り出した。

 地震などの天災なら屋内の方が安全である場合もあるが、このような状況では周囲に何も物が無い方がいいだろうという判断だ。

「どうするって…………」

 水鏡は言いよどむ。

 はっきり言って、彼自身もどうすればいいのか解っていなかった。そしてそれ以上に、都子と絵夢が〈供物〉を支払ったというショックが未だに尾を引いている。

 都子は自分との〝思い出〟を。

 絵夢に至っては〝全て〟を差し出したのだ。

 考えてみれば、この世界の絵夢が人格まで丸ごと違ったのは、水鏡に都合のいい妹にするためなどではなく……単純に、ルクルドに全てを支払ったせいだったのだ。

 絵夢には……もう、何も…………。

「しっかりしないさいっ!」

 バシン!とカナミの両手が水鏡の両頬を叩く。

 馬鹿力のカナミに全力でビンタされて、水鏡の思考は一気に停止する。

「エレナが言ったんでしょう? 「あんた一人の力でルクルドを倒せ」って。だったら、もうそうするしかないじゃない!」 

「そうは言うけど、エレナのチカラもなしに精霊に太刀打ちできるわけ――――」

「無理でも何でも知らないわ! やるしかないのよ! 今あたし達が諦めたら、永遠にこの世界に留まるしか――いえ、〝永遠にこの世界を一人の精霊に好き勝手される〟ことになるのよ!?」

「…………っ!」

 水鏡が歯を食いしばる。

 一度に色々なことがありすぎて、色々なことを聞かされて、すっかり思考停止していたが……今、真にやるべきことは一つだけだ。

 ルクルドを倒す。

 それ以外のことは全て後回しにすべきだし、事実、後回しにしかできない。

 どんなに都子や絵夢に詫びを入れたくても、肝心の二人は目の前にはいないのだ。いつも優しい亜季もいない。頼るべきエレナもいない。

 だったら、この状況で自分がやることは、ただこの世界をこんな風にメチャクチャにしているルクルドを、必死になって倒すことくらいなのだ。

「……サンキュ、カナミ。目が覚めた」

「ん。で、どうするの?」

 戦力は水鏡とカナミだけ。

 この二人だけで【運命の精霊】・ルクルドを打倒しなければならない。

 どう考えてもムリゲーだが、その無理を通さなければ、この世界は永遠にこのまま。都子や絵夢に謝ることすら、できなくなってしまう。

 だから水鏡は、必死に考えた。

 必死に、探した。

 どんなに可能性が低くてもいい。ただ、ルクルドを打倒し、元の世界に帰る方法が僅かでもないかと、あらゆる手段を検討する。そして――

 あり得ない筋書きを、思いついた。

「……カナミ。俺と、結婚してくれ」



 世界の舵取りを手に入れたルクルドが最初にしたことは、人間の殲滅だった。

 とは言っても、いきなり問答無用で消滅させるのでは天文学的な霊力を消費してしまう。

 いくら圧倒的有利な地位を確立したといっても、油断は禁物。燃費が悪いことを切り口にして『霊力切れ』で下克上を成し遂げたルクルドは、同じ轍を自らが踏むといった愚行を行う気はサラサラ無かった。

 よって、人間は消滅ではなく配置換えのため、異次元にプールしておく形をとる。

 この方法なら多大な霊力を消費することは無く、加えて他の人間の行動を制限することもできる。

 今、この状況のルクルドにとって最も恐れる状況は『新しい精霊の出現』である。

 まさか再び【金の精霊】クラスの大物と鉢合わせになるとは考えにくいが、それでも他の精霊のチカラが介在するとなると、今現在のルクルドの圧倒的立場も危ぶまれる。

 だからルクルドは、迷わず一番最初にその可能性を潰した。

 真摯に祈りを捧げる人間さえいなければ、精霊は現れない。逆に言えば、人間から『祈りを捧げる』という行動的自由を奪いさえすれば、新しい精霊の出現を危惧する必要はなくなるのだ。

 ただし、ここに二人ほどイレギュラーが存在した。

 一人は言うまでもなく水鏡恭弥。

 一度、この世界を彼中心に創り上げてしまったものだから、いきなり水鏡を異次元に移動させてしまっては、この世界がどんな風に変化するか、ルクルド自身にも予測がつかなかった。

 本来ならば真っ先に行動を制限しておきたいキーパーソンであるが……そんな事情により、今の所は放置するしかできないでいる。

 ただし、それもあと一時間程度の話だ。

 世界の再構成さえできてしまえば、この制限も外れる。そうなれば、水鏡を消滅させることになんの躊躇もしなくてよくなるのだ。

 加えて、彼は既に【金の精霊】と契約している。

【精霊戦争】に勝利して他の精霊の霊力を吸収する、もしくは座に戻った精霊の協力を得ることはできるが、一度に複数の精霊を憑けることは不可能だ。だから、水鏡が新たな精霊を呼び出すことはできない。

 にもかかわらず、水鏡の精霊――エレナは、戦闘不能に陥っている。そう。この状態では、水鏡にできることは何も無い。

 そして、もう一人のイレギュラーが――乙姫奏美。

 彼女だけは、なぜか精霊のチカラの効きが薄い。

 ルクルドの記憶改竄も無効にしている。ただし、効力が薄いだけで完全無効化できるわけではない。ゆえにルクルドは、とりあえずカナミが新たな精霊を呼び出せないように縛りを設け、あとは水鏡同様泳がせておくことにした。

 要するに、ルクルドが恐れているのは【精霊】なのだ。

 もし自分を脅かす存在が現れるとしたら、それは精霊自身か、少なくとも精霊の憑いた人間であると考えている。

 だから彼は、軽視していた。

 この世界で唯一、封印指定された【Zランクの魔術師】と、最高ランクのSを誇る【原子分解】少女の存在を。

「…………なんだァ?」

 イレギュラー二人を除いた人間全てを管理し、悠々自適に世界を創り変えていたルクルドの手が止まる。

 なぜか先程から、世界の一端が自分の意に介さない形で改変されているのだ。

 最初は小さな点の一つに過ぎなかったその異変が、徐々にその領域を侵食している。

 それはあっという間にルクルドが支配している世界の五分の一に達し、なおも範囲を拡大。世界を塗り替えていく。

 侵食に遭った後の世界は、まるで、ルクルドの手が一切入っていない元の世界のようで――――

「……チィッ。このまま高みの見物と行きてェところだったが、そうも行かねェかァ」

 くつくつ、と嗤う。

 ルクルドの勝利は確定している。

 だから、最後の最後まで悪足掻きする人間が、彼にとっては愛おしかった。



「意外と、上手く行くもんね……!」

 カナミはグラウンドの地面に手をついたまま、汗びっしょりの顔で気丈に笑って見せた。

「だから言っただろう、俺の計画は完璧だって」 

 そんな風に得意気な水鏡の顔には赤紅葉が張り付いている。

 例によって例の如くなやりとりが行われたであろうということは簡単に見て取れた。

「しっかし、考えたもんね~。あたしの〈超能力〉とあんたの〈チカラ〉を掛け合わせるなんて」

「ああ。つーか、今この状況で打てる手はそれしかないからな」

 そんな会話を繰り返しながらも、カナミの顔は真剣そのものだ。

 今も世界のどこかで、二度改変された世界が、元の世界へと原子レベルで回帰している。


「ったくよォ、もうちっとの間だけ大人しくしとくわけには行かなかったのかァ?」


 そうして、二度と見たくなかった顔が再び現れた。

 最早二人から距離をとったまま、淡々と世界を我が物にしようとしていたルクルドが、再び水鏡とカナミの前に現れたのだ。

「一応、どうやってそんなバカげたことやってンのか聞いてやる」

 余裕の表情で手を広げ、リラックスしたままルクルドが問い掛けた。

「……カナミと結婚したんだよ」

「ちょっと! 変なこと言うなっ!」

「事実じゃん」

 言葉だけは軽口を投げ合っているが、水鏡もカナミも表情は真剣そのものだ。

 カナミは今この瞬間も粛々と世界を構築しなおし、水鏡はそれを邪魔させまいとルクルドの動向を窺っている。

 世界の命運を背負っている、という笑えるような状況が、すぐそこにあった。

「……なるほどなァ」

「俺にできるのはラブコメするくらいだ。だから『カナミと結婚したら、その奥さんのチカラが増大しちゃって世界の創造までできるようになっちゃった』……なんて、おバカでくっだらない設定を妄想したのさ」

「そいつは傑作だ! まさかその場にあっただけの材料でそこまでやらかすなんてスゲェぞ、オマエら!」

 ぎゃはははは、とルクルドが嗤う。

 爆笑しすぎて天にまで反り返ってしまった。

 そのまま転びそうになるんじゃないかというほどに背を反らしたところで、機械仕掛けのオモチャのように一気に体勢を戻す。

「……で、それがどォーしたよ?」

「……………………」

 水鏡が黙る。

 カナミも世界の再生に力を入れたまま、口を引き締めてルクルドを見据えた。

「素っ晴らしいぜゼ! ビックリした! でも――だからなんだってンだよ。そンなモン、オレ様が直々にオマエらを殺してやりゃあ、それで終わりじゃねーか」

「……できるのかよ? 〝運命を変える〟程度しかできない精霊が」

「ああン?」

 水鏡の狙いは、それだ。

 エレナは最強の精霊だった。それゆえに色々なことができたが、ルクルドにできるのは〝運命を変える〟程度のことなのだ。

 屋上でエレナが放った金色の一撃必殺ビームも放てなければ、ナイフを持って襲い掛かることもできない。できたとしても、それではただの人間と変わらない。

 唯一、世界や運命を改変できるというチカラは怖ろしいが、カナミと水鏡の力を合わせてそれと同じ力を実現した。だから、いくらルクルドが運命を――世界を改変したところで、それと同じことをカナミがやり返せば、事実上、無効化できる。

 そう。水鏡はそんな風に考えていた。

「……ぎゃはははは! いいねェ、オマエ。最っ高に面白ェぞ! それじゃあ、オレの力とオマエら力――どっちが上か勝負してみるかァ!?」

 叫ぶと同時、ルクルドがグラウンドの地面へと足を振り下ろした。

 その衝撃が合図だったかのように、突如、上空数メートルの位置に隕石が出現する。

「なっ――――!?」

「――――っ!」

 水鏡は驚いて固まったが、この世界を原子レベルで観測できるカナミには、その発生も事前に予知できたらしい。

 隕石が致命的な速度で迫る途中、風化するように掻き消えた。

「オラオラァっ! そンなことぐれェで得意になってンじゃねェぞっ!!」

 続いてルクルドが空中を殴るように拳を叩きつける。

 空間が歪み、あらゆる時代の拷問器具が出現。その数は、十や二十ではきかない。

 それら全てが、まるで意思を持っているかのように、標的を水鏡に見定めて飛んできた

「――っ! カナミっ!!」

「わかってるわよっ!!」

 額に汗をかいたカナミが目を閉じ、真剣な表情をするや否や、拷問器具が次々と消滅し、風化していく。

 だが、数が多過ぎる。

 そのうちのいくつかは水鏡の脇を掠め、体を傷つけていった。

「オラァ! どうしたァ! 逃げてるだけかァ!?」

「恭弥っ!」

 カナミが叫ぶと同時、どこからともなく砂のような原子が集まり、水鏡の手元で収束する。

 それらが形作るものを端的に表現するなら――

「――――剣!?」

「それなら、目の前の精霊も斬れるはずよ!」

 カナミの声を聞くや否や、水鏡が飛び出す。

 さすがカナミが創ったものだけあって効果はあるようで、ルクルドは水鏡が振りかぶった切っ先を避けた。

「いいぞォ! ちったァ面白ェことできンじゃねェか!」

 パン、とルクルドが宙を叩く。

 たったそれだけのことで、水鏡の手元にあった剣が再び風化した。

「キリが無い…………っ!」

「ンなことはねェだろォ! ほら、上を見なァ!!」

 愉しげに嗤うルクルドが上空を指し示す。

 再度、隕石かと思って水鏡が空を見上げると……隕石などよりもっと凄惨な現実が、そこに待ち構えていた。

 もはや、百や二百でも足りない。

 下手をしたら千にも届きそうなほどの刃物……剣や鉈は言うまでもなく、包丁やナイフ、ノコギリが所狭しと並んでいる。

 切っ先が目指すのはもちろん――水鏡と、カナミ。

「う、うおおおおおおおっ!!!」

 水鏡は走った。

 ただ待っていただけでは間に合わない。

 いくらカナミが世界を塗り替える力を持っていても、限度がある。

 あんな大量の刃物、それを一つ残らず迎撃するなんて、人間業では不可能だった。

「――――――――っ!!」

 カナミも立ち上がって走り出し、その過程で少しずつ刃物を迎撃・風化させていく。

 それでもいくつかはそのまま体を切り裂き、二人に裂傷を与えた。

 無限にも思える刃をやり過ごして振り返ると……土煙が立ち込めるその奥から、当然のようにルクルドが歩み寄ってきた。

「……わかっただろォ? 所詮オマエらは人間なンだよ。精霊には勝てねェ。まァでも、ここまで頑張ったんだ。それだけは、褒めてやるゼェ?」

「まだ、終わってないわ! 今度こそ――――!!」

 大声を上げ、宙へと手を伸ばしたカナミの動きが止まる。

 信じられないものを見るように、己の手を見つめた。

「ウソ……でしょ……?」

 その言葉で、水鏡にも現状がわかった。

 ついにカナミのチカラにも制限がかかったのだ。

「そォだァ。もうすぐ、世界の再構築が完了する。その女のチカラもすでに制御下に入った。あとは……オマエだけだ」

 そう言ってルクルドは愉しげに水鏡を示す。

 ――――万策尽きた。

 なおも必死に策を考える水鏡の脳内で、他でもない水鏡自身の声が響く。

 もとより、不利な条件だった。

 手札は自分とカナミのチカラだけで、それ以外は全て相手が掌握している。その状況で世界を相手に喧嘩を売って、勝てると思う方がどうかしていた。

 大体、どうして自分がこんなに頑張らなくてはいけないんだ?

 責任があるとしたら、こんな世界を望んだ絵夢や都子にあるんじゃないのか?

 自分は、悪くない。

 もしここで世界が終わり、全てをこの精霊に乗っ取られても、決して――――

「――――自分は悪くない、なんて、考えてるんじゃないでしょうね?」

 諦めかけた水鏡のその隣で、気丈な声が響く。

 いつの間にか自分の足下に視線を落としていた水鏡とは違い、カナミはずっと前を向いていた。

 その体が、薄い光に覆われている。

「カナ、ミ――――」

「あたしはここまで。でも、アンタまで諦めてんじゃないでしょうね? アンタはこの世界の中心。この世界は、アンタのものなのよ?」

 カナミの身体が消えていく。

 もう、胸より下は光となって消滅していた。

「二人も女の子に好意を寄せてもらっておいて、それに応えないなんて男らしくない真似、しないでよね。女の子の恋心は世界よりも重いのよ? そんなものをもらったんだから、ちゃんとそれに応えること」

 冗談っぽくカナミが笑う。

 自分の身体が首まで消えて、もうすぐそこまで自分の消滅が近づいているのに――それでも、取り乱した様子はほとんどない。

「待ってるわ。元の世界で――――会いましょう」

 それだけ言って、カナミが光になった。

 もうこの世界には、水鏡とルクルドしか残っていない。

「…………。…………っ」

 水鏡は歯を食いしばる。

 現実から逃げていた自分に酷く腹が立った。

 何が絵夢や都子のせいだ。元を正せば、彼女たちを傷つけた自分にこそ、責任があったんじゃないか。

 今ではもう、水鏡自身にも、高校生最後の日に告白した女の子が絵夢であることは分かっていた。

 水鏡の教室は早朝の朝日が眩しい。そう。三年生の教室の窓は〝東向き〟なのだ。

 だから、夕日が差し込むあの教室は、三年生のものではない。

 それを契機に、全ての記憶が水鏡へと流れ込んでくる。


 夕暮れの教室。

 泣いている絵夢。

 自分が絵夢の告白にひどい返事をしたこと。

 三年生になって、都子をないがしろにしたこと。

 二人も大切な女の子を泣かせ、逃げるように他県の大学へ進学の準備を進めていたこと。


 これは、罰だ。

 大切な女の子を泣かせ、傷つけた罰だ。

 だから今、『世界の命運』なんて分不相応なものを背負っているのも、みんなみんな、自分のせいなのだ。

 水鏡は、己の不甲斐なさに拳を握る。

 何も出来ない右拳。

 世界を自分中心に回したところで、結局、水鏡だけでは何もできない。

 きっと、元の世界でもそうだったのだろうと思う。

 難しい大学だった。とてもじゃないが、自分一人で勝ち取るには難しすぎるハードル。

 それが実現してしまったのだから、きっと、自分の知らない所で大勢の人達が支えてくれていたのだ。

 それなのに、そんな大切な人達に気付かなかった。気付こうとも、しなかった。

 だから、これは罰だ。

 多くの人を犠牲にし、傷つけ、泣かせ、踏みにじってきた……罰。

 それでも、と、水鏡は思う。

 そうやって多くの人を犠牲にし、傷つけ、泣かせ、踏みにじり……そんな風にしてここまで来た水鏡だからこそ、思う。

〝もう一度、やり直したい〟と。

 ただしそれは、過去に戻りたいということではない。

 ちゃんと元の世界に戻って、自分が傷つけた大勢の人達に謝罪をし、罪滅ぼしをしたいと。正しいやり方で自分の誠意を示したいと、水鏡は心底思う。

 そんな水鏡の弱い右腕が制服のブレザーのポケットに当たり、微かな音を立てた。

「……なあ、ルクルド。お前の望む世界って、どんなだ?」

「あァ? 何言ってンだ、テメェ?」

「俺は、さ。結構、普通なんだよ。妹がいて、幼馴染がいて、憧れの先輩がいて……ちょっとうるさい友達もいて。ついでに、非現実的な金髪少女もいたりして。それだけで、俺は満足なんだ」

 ルクルドが怪訝そうに顔をしかめる。

 状況は完了した。ルクルドの勝利だ。

 もうすぐ、水鏡の存在を消し去ることもできる。

「女の子になんて縁の無い灰色の高校生活だと思っていたけど……でも、案外俺って恵まれてたんだな。気付かなかっただけで。今の俺にはさっぱり分からないけど、どうして元の世界の俺は、そんなことに気付かなかったんだろう?」

 世界が崩壊していく。

 水鏡の視界も、このグラウンドを除いた全てが様変わりしつつあった。

 もうすぐ、世界の全てがルクルドのものとなる。

「たぶんさ……幸せなんて、きっとそこら辺に、たくさん転がってるんだよ。気付かないだけで。それを人が拾わないだけで。女の子を好き勝手できたり、物質を原子レベルで分解できたり、世界を再構築できたり、あらゆる不可能を可能にしたりしなくても……きっと、ただそこにある世界が、みんなの理想なんだと思う」

「…………カッ。負け惜しみの遺言か。ウゼェからもう喋らなくていいぞ、テメェ。あと数分で、世界はオレ様のものになるんだからよォ」

 そう言ったルクルドの前に、水鏡が最後の切り札を提示した。

 水鏡の制服。そのポケットに入っていた封筒。

 可愛らしい白い封筒は、ハートのシールで封がしてあった。

「精霊と人間の関係はフェアだ。精霊から大きなチカラを借りるにはそれに相応しい〈供物〉が必要となる。……だが、大きな〈供物〉を差し出せば、精霊もそれに相応しいチカラを貸さなければならないんじゃないのか?」

「…………何が言いたい?」

「お前は屋上で、一も二も無く真っ先に絵夢を消したな? 人格が変わるほど、全てを〈供物〉として差し出した絵夢だ。お前が必要な時に必要なだけ〈供物〉を奪えることを鑑みても、それに対する対価は相当なものだと推測できる。少なくとも――――絵夢の命令なら、お前は全てを中止して元の世界に戻すしかないんじゃないのか?」

 ルクルドが沈黙した。

 それを見た水鏡は、己の考えが正しかったことを悟る。

 だから、これが最後の賭けだ。

 もしこの賭けに敗れたら、もう二度と水鏡は元の世界に戻れない。

 それどころか、世界はルクルドに掌握され、二度と人間の住めない場所になってしまうだろう。

 しかし、もしこの賭けに勝てば――〝もう一度、やり直せる〟かもしれない。

 水鏡は初めてエレナに祈った時以上に真摯な気持ちで、その手紙の封を切った。

 大好きな妹からもらった、人生初のラブレター。

 その便箋を取り出し、広げる。

 そこには――――水鏡の望んだ言葉が書いてあった。

「世界を――返してもらう」

 水鏡の勝利宣言と共に突きつけられたその手紙を見て、ルクルドの表情が苦渋に歪む。

 だが、関係なかった。お互いにお互いのチカラを自由に使っていいと契約したルクルドと絵夢は、お互いの命令に絶対服従なのだ。

「クソッタレがァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 断末魔の悲鳴を上げ、元の座へと戻っていくルクルド。

 その霊力を喰らうためか、一瞬だけ金色の髪の毛が見えた気がした。

 しかし、今の水鏡にはどうでもいい。

 ただ彼は目を閉じ、己が愛する最愛の妹に、想いを馳せた。




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