第三章 崩れゆく世界
「大丈夫? おにーちゃん」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっと頬の骨が砕けて、脳みそがとろけ出ただけさ!」
「た、大変だよ! 全然大丈夫じゃないよ!?」
あわわ、と絵夢がわたわたする。
その仕草を見ながら、水鏡は「可愛ぇのぉー」と精神的回復を図っていた。
時刻は夕方の十八時。
絵夢と二人、自宅に向けて下校中だ。
カナミに鉄拳制裁を受けてから気を失い、保健室に搬送されていたらしい。水鏡が目を覚ました時にはとっくに下校時間を越えており、校内に残っている生徒はほとんどいなかった。
カナミは当然さっさと下校し、都子も共働きの両親に代わって小さな弟の面倒を見るために帰宅。水鏡の意識が回復するまで側についていてくれたのは、絵夢だけである。
「おおー、愛しの妹よー」
自分の身を心の底から案じてくれる妹に感激し、思わず絵夢の小さな体躯を抱きしめる水鏡。絵面的には完全にアウトだが、身分上はギリギリ兄妹だ。
「わっ! わっ! は、恥ずかしいぞー、おにーちゃん!」
「うぅ……! 暴力女なカナミとは違う、女の子の真の優しさが身に沁みる……!」
残念ながら、この場に事の経緯を知る者は一人もいなかった。
「と、とにかく、大丈夫ならよかったよ……。……と、ところでっ。おにーちゃんは、絵夢のお手紙読んでくれた……?」
「あ……」
そう言えば、と水鏡は未だポケットに押し込んだままの可愛いラブレターを思い出した。
とても嬉しいものであるが、なんか、それを読んでしまったら後に引き返すことができなそうなので、ポケットに封印したままの白い封筒。
「ご、ごめん。あれからドタバタしたから、まだ読めてないんだ……」
「そ、そそそ、そっかぁ……」
絵夢が指を突き合わせながら、チラチラと水鏡の方を横目に窺う。
未だにラブレターを読んでいないことで責められることを危惧したが、予想に反して絵夢は、ほっとしているようだ。
「あ、あのね……? よく考えてみたんだけど……やっぱり、なんか恥ずかしいから、あの手紙返してくれない?」
「やだ」
「即答!? おにーちゃん、まだ読んでないんだから、べつにいーでしょ!」
「いや……実はおにーちゃん、この手紙を返してしまうと全身が干からびてミイラになってしまう呪いがかけられているんだ……」
「そんなことあるわけないじゃん!!」
「いや、実は校内にいるSランク能力者に変な呪いをかけられてしまってな……」
「え……。そ、そうなの……?」
素直で単純な絵夢だった。
水鏡は心中でうおっしゃぁっ!!、と拳を握る。確かに読むと後に引き返せない感のある手紙であるが、だからと言って生まれて初めてもらったラブレターをみすみす返すつもりはない。
「てことで、この手紙はその内読ませてもらうよ~」
「う、うん……。で、でもっ! 絵夢のいないところで読んでね!?」
真っ赤な顔で両手の拳を握り、ブンブン振る義妹。
それを見て、可愛いなぁ……と思うと共に、世界改変により絵夢の人格を変えてしまっている事実が、チクリと胸を突いた。
「えーっと……絵夢は、最近どうだ? 楽しいか? 変わったことは無いか?」
だから、そんなことを聞いてしまう。
都子にしたのと、同じ質問。
変わってしまった世界の中で、しかし水鏡の可愛い妹は、何のためらいも無く幸せいっぱいの笑顔を見せる。
「楽しいよ! 今日も変わらず、おにーちゃんと一緒に学校から帰れるし!」
「そっかー。絵夢はいい子だなー」
「えへへー」
よしよし、と頭を撫でてやると、絵夢が気持ち良さそうに目を細めた。
高校二年生にしては少々幼すぎる反応も多いが、確かに水鏡の理想の妹だった。だからこそ……水鏡は、本来の絵夢のことを想う。全然自分の思い通りに行かない妹。禁忌上等でアプローチをしかけてくる、水鏡のことを慕ってくれる妹のことを。
そんなことを考えながら歩を進めていると……夕陽を背に、男の人影が見えた。
身長は百七十センチくらい。細身で、メガネをかけた男だ。
水鏡は始め、その男のことを気にも留めなかった。道の真ん中で佇んでいるため、僅かに「変な人だなー」くらいには思ったが、そのままスルーしようとしたのだ。
しかし、そんな水鏡の平和的な思考は、その男が手近な木から枝を折り、それを〝剣に変換した〟ことで吹き飛んだ。
「……水鏡だな?」
「そうだが……お前は?」
「…………」
一歩前に出て、絵夢を右手で制しつつ問い掛けるも……男の視線は水鏡に向いていない。
「……水鏡〝絵夢〟だな?」
次いで口にした言葉で、男の目的が自分ではなく、後ろにいる絵夢なのだと判明した。
「おいおい、うちの可愛い妹のファンなのか? 残念だが、絵夢は俺が予約済みなんだ。悪いけど、他の妹を当たってくれよ」
軽口を叩く水鏡。
だが、男はそんな水鏡を無視して――一歩、足を進める。
今日は朝から、何度も修羅場を経験した。だから水鏡は、取り乱して頭の中が真っ白になることはなかったが……しかし、内心、かなり焦っていた。【封印指定のZランク魔術師】という変な肩書きがある自分が狙われるのなら、話は分かる。だが、妹の絵夢が狙われる理由はわからない。
そして、それ以上に――このシチュエーションは果てしなくピンチだ。
物質を変換する能力は少なくともCランク。〈原子分解〉なんてぶっ飛んだことをやってのけるカナミを知っているから驚きこそ少ないものの……それでも、一般人では太刀打ちできない能力だ。
水鏡も一応Zランクのチカラを所有してはいるものの……相手が男ではどうにもならない。
「おい、なんで絵夢を狙うんだ? ワケくらい話せよ」
「…………」
必死に口撃で場を繋ごうとするも……男は無言で迫ってくる。
「おにーちゃん……」
「大丈夫だ。ちゃんと俺より後ろにいるんだぞ?」
不安そうな絵夢に向かって笑顔を向ける。だが、視線は男から外さない。
考えろ……。男の目的は不明だが、状況から絵夢の命を狙っているのは間違いない。
だから、今はこの状況を切り抜けることだけ考えるんだ……!
「……こっちだっ!」
「――――っ!」
三十六計逃げるに如かず、とはよく言ったもので、水鏡は絵夢の手を引いて手近な路地に駆け込んだ。
自分だけならともかく、妹まで危険に遭わせるわけにはいかない。最優先するは、絵夢の身の安全。
「はあ……っ! はあ……っ!」
体が小さく、歩幅も小さい絵夢を連れたままではすぐに追いつかれてしまう。
だから水鏡は、とにかく複雑な路地を何度も曲がるようにして逃げているのだが……それでも、足音はピタリとついて来ていた。
「……っ! 絵夢! 俺があいつを引き止めるから、その間に逃げろ!」
「で、でも……っ!」
「俺なら大丈夫だ! 絵夢が逃げたら、すぐに俺も逃げる! だから、先に行けっ!」
絵夢の小さな手をぐいっ、と引っ張って隣に並ばせ、そのままその背中を押し出して前に行かせる。
転びそうになりながらも、絵夢はそのまま駆け出した。
「お、おにーちゃん!」
「振り返るな! 早く行け!」
この時ばかりは絵夢が素直になっていてくれて、本当に助かった。
絵夢は兄の望みどおり、必死に走って、この場を離れてくれたのである。
「…………っ!」
水鏡は立ち止まって振り返り、震える脚を殴ってから前方を見据えた。しばらくそのままでいると……すぐに先程の男がやってくる。
気弱そうな男だ。身体も細く、メガネ姿も相まって、教室で黙々と勉強でもしていそうなタイプである。おおよそ、こんな野蛮な行為をする人間には見えない。
『……精霊のチカラの残滓を感じるわ』
「っ!? エレナ!?」
突如、頭の中に直接、声が響く。
姿は見えないが、それは金髪少女のものだった。
『……チカラを貸してあげるわ。祈りなさい。ただし、借りるチカラは最小限にすること。さもないと、貴方が消滅してしまう』
ありがたい、と水鏡は思った。
正直、エレナの助力が無ければ、玉砕覚悟でこの男を足止めするしかなかったのだ。
男は水鏡から三メートル程度の距離を置いて立ち止まり、剣を構えながら間合いを測っている。
「……この男を操り状態から解き放つ、ってのはどうだ?」
『可能よ。ただし、それをした瞬間、貴方の命は尽きるわ』
言外に願いの規模が大きすぎる、とエレナが言った。
「じゃあ、あいつの超能力を無効化する!」
『可能よ。あなたの心臓がいるわ』
「それ、同じ意味じゃね!?」
『何を言っているの。精神まで消滅するのと、死体になるものの心臓以外の身体が残るのは、とても大きな違いだわ』
だが、水鏡にとっては同じことだ。
そうこうしている間も、男がじりじりと間合いを詰めてくる。
「くっ……! ならば、俺を武道の達人にしてくれっ!」
『可能よ。時間は? 永続? それとも時間制限付きで?』
「五秒だ!」
『それなら、貴方は三時間、聴力を失うわ』
「それでいいっ!!」
水鏡が叫ぶと同時、目の前に金色のキラキラと光る人魂のようなものが顕れた。
エレナの説明を聞くよりも早く、水鏡はその光を掌握する!
「――――っ!」
それと同時、目の前の男が地を蹴った。
一気に詰まる間合い。迫る剣。
その切っ先を視た水鏡は、反射的に動く体に身を任せ、相手の剣を白刃取りした!
「!?」
驚き、一瞬だけ固まる敵。
その隙を逃さず、水鏡は両手で挟んだ切っ先を捻り、相手の手から剣を取り上げる。
慌てた相手が次なる剣を生み出そうとしたところで――
「うらぁぁああああっ!!」
奪った剣の峰で相手の頭部を強打。そこで、敵は気を失って倒れた。
……ここまで、四秒弱。
『初めてにしては中々上出来じゃない』
「ん? 聴力を失うんじゃ……」
と、言ったところで気付いた。自分の声が自分の耳に届かない。
『これは音ではないから聴力とは関係ないわ』
「そっか。……ありがとな。助かった」
『構わないわ。〈供物〉も貰ったのだしね。それじゃあ、私はまた眠るわ』
それっきり、エレナの声は聞こえなくなった。
水鏡は男を拘束し、聴力が戻るのを待ってから、警察に連絡を入れた。
男を警察に引き渡してから家に帰ると……大泣きしている絵夢が待っていた。
どうやら、無事に家まで帰れたようだ。実は、男を拘束してから聴力の回復を待つ間、何度も電話がかかってきていたのだが……電話に出ても声が聞こえないので、やむなく無視を決め込んでいた。
メールを送ればよかったわけだが、普段メールのやりとりをほとんどしない水鏡は、最後の最後まで気付かなかったのだ。
で、なんだかんだ泣きじゃくる絵夢を必死になだめて寝かしつけたあと、水鏡は自室でエレナに呼びかけた。
「……エレナ。今、話せるか?」
『何? 言っておくけど、こうやって会話するのも霊力を消費するのよ。あまり長々と話すのは得策ではないわ。まだ、この世界を操っている精霊を見つけてさえいないのだから』
「そのことで話したいんだ。俺は、世界改変をした精霊を本気で探すことにした」
『……今までは本気ではなかったの?』
「…………」
黙るしかない水鏡である。
世界が創り変えられてから、水鏡には割といいことがたくさん起きたため、ぶっちゃけこのままでもいいかなーと思っていた節もあった。
「と、とにかく、本気で精霊を見つけたいんだ。今日の一件だけど、なんで俺じゃなく、絵夢が狙われたんだ?」
『……そもそも、貴方が狙われることの方が稀であるべきなのよ。何故かは判らないけれど、今、この世界は、貴方の都合のいいように改変されているのだから』
そういえば、そうである。
カナミに襲われたせいで、また、自分がかなり得をしているという引け目もあって、水鏡は自分が命を狙われるのが当然だと思っていのだが……冷静に考えれば、この世界を改変した精霊が――引いてはそのパートナーである人間がこの世界を望んだのだ。それならば本来、水鏡が命を狙われるというのは筋違いなのだ。
カナミのように例外的にこの世界の理に気付いた者なら別だが……そうでない場合、水鏡の命を奪うことにメリットを感じる人間なんて存在しないはずである。
「だったらそれは、絵夢も同じだろう。絵夢の命を狙う理由がわからない」
『貴方の妹が個人的に誰かの恨みを買った……という線も考えられないわけではないけれど、しかし、今回は相手の男に霊力の残滓を感じたわ。即ち、この世界を改変した人間の仕業でしょうね』
「世界改変の首謀者……? それにしたって、なんで絵夢を?」
『さあ? 貴方の妹が邪魔だったのでしょう?』
ここに来て、初めて水鏡はこの世界を創っている人間について思いを巡らせた。
冷静に整理して考えると、思いの外、犯人の人物像が明らかになってくる。
まず、その人物は水鏡にとって都合のいい世界を創りたいと考えた。つまり、水鏡に対して少なからずいい感情を抱いているということになる。加えて、絵夢を襲ったことから、水鏡の妹・絵夢を邪魔に感じているはずだ。
それらのことを考慮した結果、浮かび上がる犯人像は……。
「……俺のことが好きな女の子?」
『何を言っているのか解らないわ。まさかとは思うけれど、恭弥のことを好きになる人間のメスがいるとでも?』
「それはひどすぎない!?」
虚空に向けて水鏡がツッコむ。半泣きだった。
『確かに今、この世界は貴方の都合のいいように改変されているわ。だから、貴方のことを好意的に思う女子もたくさんいるでしょうね。ただし、もし世界改変を行った首謀者が貴方に好意を抱いているとするならば……その女子は元の世界、即ち、チート能力の無い貴方のことが好きだということになるわ』
「まるで現実世界の俺が全然モテないみたいな言い方だなぁ!」
『あら。違うのかしら?』
「全然違うね! こう見えても俺は、楽しい青春を――」
『送れたの?』
「……………………」
朧気だが、水鏡の脳内に元の世界の記憶……実際に過ごした高校時代の思い出がフラッシュバックする。
世界改変の影響か、ほとんど思い出すことができないのだが……しかし、そんな僅かな情報で十分だった。たった数シーン、高校生活の記憶を思い返しただけで、自分がどれほど灰色な青春を送って来たのかがハッキリした。
『…………ふっ』
「おまっ! なにも笑うことないだろうっ!!」
『大丈夫よ、恭弥。私はたとえ素人ドーテーで、どうしようもなく女子に不人気な男のパートナーだって務めてあげるから。〈精霊王〉になってくれるなら、どんな人間でも構わないわ』
「どどど、ドーテーちゃうわっ! それに、俺だって全然モテないわけじゃないんだぞ!? 元の世界でも絵夢と都子には好かれていたし、俺を影ながら見守る女子がいても――」
そこまで言って、水鏡は眩暈のようなものを感じた。
高校生最後の日。
オレンジ色の教室。
夕陽をバックに振り返る女の子――
「…………っ」
『……恭弥? 大丈夫?』
「あ、ああ……。大丈夫だ……」
今のは何だ、と水鏡は思う。
この世界に来からの記憶ではない。
ということは、以前の……元の世界での記憶なのだろうか。
ひょっとすると、本当に自分を影ながら見守る女の子がいて、その子が世界改変を……?と考えたところで、水鏡の脳裏に今朝の一件がフラッシュバックする。
そして、気付く。
小さな引っ掛かり。
今日一日、この世界で暮らし、感じた違和感に。
「……………………」
『どうしたの? まさか、犯人に心当たりが?』
「ああ、確証は無いけどな……」
水鏡は思う。あの時、あの少女が発言した言葉の違和感。
ひょっとしたら、この世界を改変した首謀者は、すぐ傍にいたのかもしれない。
『そう。もし見つかったら、すぐに私を呼びなさい。――〈戦争〉になるだろうから』
「ああ、わかった」
それだけ言って、水鏡はエレナとの会話を終えた。
翌日。ネボスケの水鏡にしては珍しく、早朝に登校していた。
早朝も早朝、午前七時である。
朝、校内を清掃する用務員さんに無理を言って入校させてもらった。早朝の空気は清々しく、とても気持ちがいい。
思えば、水鏡は高校三年間、常に遅刻ギリギリで登校していた。よって、これほど余裕を持って朝の教室の空気を堪能したことは一度も無い。
苦笑いを浮かべつつ、そのことを少しだけ残念に思った。案外、いつまでも思い出に残る高校生活というのは、簡単に手に入ったのかもしれない。
教室には眩しいほどに朝日が射し込み、教室中が白い光で満ちていた。
本当に、色々と後悔ばかりの高校生活だったなぁ……なんて一人でごちる。
自分の席で伸びをしながら、待ち人を待っていた。たぶん彼女なら、早朝に登校するだろうから。
そうして、校門が開く八時を少し過ぎたところで、目的の人物が登校してきた。
「よう、カナミ」
「げっ! ……早いわねー。おはよー」
「人の顔見て、第一声が『げっ』って失礼すぎないか……?」
「アンタが昨日やったことを思い出してみる~?」
青筋を浮かべて拳をパキパキ鳴らし始めたので、水鏡は降参とばかりに両手を上げた。
「それで? 朝から何してるの?」
「……ああ。実は、この世界を改変した人間を本気で探すことにしたんだ」
隣の席に座り、荷物を自分の机に移していたカナミの手がピクンと振れた。
「へえ~。やっとやる気になったってわけね」
「ああ……。それで、やっとそれらしい人物が分かったんだ」
水鏡はすっと自分の席から立ち上がり、隣の席に座っていたカナミを指さした。
「犯人はお前だ、カナミ」
カナミは振り向かない。
視線を自分の机に固定したまま、動きを止めた。
「……単純な話さ。イレギュラーが二人いて、その内、一人が俺。そして、俺が犯人でないというなら……当然、もう一人の方が犯人だろう」
「……証拠はあるの?」
「もちろん」
水鏡はそう言って、唇を舐めた。
思えば、初めて会った時に、このカナミ自身が言ったのだ。
「俺が【封印指定のZランク魔術師】だと、お前は言った。……その通りだ。なぜか俺には〈ラブコメする能力〉が備わっていた。……だけどな。俺は、〝俺自身でさえ、そんなチカラがあることを忘れていた〟んだ」
「…………」
「あのままお前と出会わなければ、俺は俺にそんなチカラが備わっているとも知らず、平々凡々にこの世界で生きていただろう。……さすがに、全くチカラが作用しない、とは言えないが、それでも被害は最小限。最も自然な形でこの世界に作用し、何の問題も無くこの世界で生きて、死んで行っただろう」
「…………」
「……なあ、カナミ。お前はどうして、俺自身すら忘れていた俺のチカラのことを知っていたんだ?」
「……………………」
カナミは一言も喋らない。
水鏡もカナミを見つめたまま、身じろぎ一つできなかった。
犯人を言い当てるというのは名探偵のようで気分がいいものだと思っていたが……その犯人が自分に近しい人間、それも友人だと思っていた人間では、そんな爽快感が味わえるはずもない。むしろ、重く、苦い気持ちでいっぱいだった。
そうして、どれだけの時間が過ぎたのか。
一瞬にも永遠にも思える時間が過ぎた頃、カナミがすっと立ち上がった。
そして、水鏡の目を真正面から捉えて、こう言った。
「バッカじゃないの?」
「…………」
唖然とする水鏡。
推理ドラマのラストシーンよろしく、これからカナミの自白が始まると思っていたのだが、水鏡の予測は完全に空振った。
「もしあたしが世界改変の首謀者なら、そのことについてわざわざアンタに問い合わせたり、あまつさえアンタの命を狙ったりするわけないでしょうがっ!」
「うっ……!?」
まったくもってその通りである。
水鏡は堪らず一歩後ずさり、硬直した。
「だいたい、あたしが世界改変の首謀者なら、自分のチカラをこんなのにしないわよ! すっごい不便なんだからね、これ!? 気を抜いたら触れたものが風化するんだからっ! それに、もしあたしが世界を書き換えられるなら、アンタを中心に世界を回したりしないわよ!」
「そ、そこはほら、俺に惚れていたり……」
「ああん?」
「……なんでもない、です……」
ただでさえツリ目気味な目をさらに釣り上げるもんだがら、水鏡の声もどんどん小さくなる。
腕を組んで水鏡を睨みつけるカナミ。そんな彼女に対する追撃の反論は、当然ながら、水鏡には無かった。
「そ、そんな……バカな……!!」
ガクリ、と床に崩れ落ちる。
どうみても探偵の姿には見えない。どちらかと言えば、犯人のそれだ。
せっかく世界を自分中心に回しているというのに、非常に情けない姿だった。
「はあ~……。アンタのことはアホだと思ってたけど、まさかこれほどまでに救いようの無いアホだとは思わなかったわ……」
カナミが額に手をやって呆れる。
その仕草がグサグサと水鏡のハートに刺さった。
「ちょ、ちょっと待て! じゃあなんで、お前は俺のチカラのこと知ってたんだよ!?」
「教えてもらったのよ」
即答するカナミは、その時のことを思い出すためか、こめかみに手をやった。
「朝起きて、触れたものが端から砂になって「なんじゃこりゃー!?」ってなって、外に飛び出したところで、妙な男に会って……」
「妙な男?」
「ええ。まるでロックミュージシャンみたいに髪が長い男で……そいつが、教えてくれたの。『この世界で唯一、〈Zランク〉に格付けされている魔術師がいる』、って……?」
当時のことを思い出したカナミが唖然とする。
直後、水鏡とハモって叫んだ。
「「そいつ(あいつ)が犯人だっ!!」」
「……ん? あれ? でも、犯人は女の子のはずじゃあ……?」
「女の子? どうして?」
カナミが小首を傾げる。
水鏡は自分の考えを説明しようとして……チラリと黒板の上にある時計に目をやった。
昨日、自分が考えた推理、そして今後の活動方針について話し合いたいが……このままここで話していたら、朝のHRに突入してしまう。
「屋上に行こう。作戦会議だ」
授業はサボりになってしまうが、仕方ない。
身近な人間に被害が出始めてしまった異常、彼の中では完全にこの世界の謎を解き明かすことが優先事項第一位になっている。
そんなわけで、水鏡はカナミを連れて屋上に向かった。
「へぇ~、なるほど。面白い考えね」
この世界が水鏡を中心に回っている理由。
そこから導き出される犯人像。
そして、朧な幻のように覚えている、夕暮れの教室。
状況を整理すれば、元の世界で水鏡に告白した女の子こそが世界改変の首謀者だ、という水鏡の主張に、カナミは興味深げに頷いた。
「そんな話を聞かされると、確かにその女の子が犯人に思えてくるわね」
「だろ?」
「それなのに、どうして今までそれを話さなかったのか疑問だけど」
「…………」
正直、自分にとって都合がいいので、この世界のままでもいいと思っていました……なんて、言えるはずがない。
必死に明後日の方向へと視線を逸らす水鏡に、カナミはジト目を向けた。
「まあ、いいわ。……っていうか、そんな予想をしているなら、余計にあたしは犯人じゃないじゃない」
「……なんで?」
「あたしは、アンタと高校違うでしょーがっ!!」
言われてみればそうだった。
水鏡はすっかり失念していた……というか、自分の能力を知っていたという一点でカナミの容疑を固めていたために考えもしなかったのだが、高校が違うカナミが教室で自分に告白するとは考えにくい。
「なんて言うか……ほんと、すいませんでした……」
「まったくよ。冤罪もいいところだわ。……で、どうやって探すの?」
「それなんだが……」
水鏡は考えた。
どうすれば、犯人を刺激することができるのか。
どうすれば、犯人は行動を起こすのか。
「犯人はさ。俺のことが好きな女の子だ」
「……にわかには信じられないけど、そうらしいわね」
「失礼だな。俺は元の世界でもモテモテだったんだぞ?」
「…………」
カナミがジト目で黙殺する。
水鏡も「妹と幼馴染と謎の犯人にだけ……」という言葉を飲み込み、説明を続ける。
「そんな犯人を刺激する最高にして唯一の方法がある」
「……そうなの? よく思いつくわね。姿形が見えない上、性別もあやふやになりつつある犯人をあぶり出す方法なんて、ちょっと想像つかないわ」
「なーに、簡単だよ」
はっはっは、と水鏡は快活に笑い、自身が思いついた究極の方法をカナミに発表した。
「俺とカナミが、えっちぃことすればいいだけさ!」
直後、ブンッと風を切ってカナミの右ストレートが飛んできた。
どう考えてもそんな結果しか予想できなかった水鏡は全力で後方にダッシュしており、そのお陰で一命を取りとめることができた。
「気持ちは分かるが、落ち着け!!」
「落ち着いて頭を冷やすべきは、アンタの方でしょうっ!!」
なおも追撃を放とうとするカナミから逃れるため、必死に屋上内を走り回る水鏡。
止まったら、殺られる。
その恐怖感が水鏡の身体能力を飛躍的にアップさせていた。そして、そのまま走りながら……後方のカナミに向かって説明を叫ぶ。
「だから、俺のことが好きな女の子が望んだ世界で、俺が他の女の子とイチャイチャしてれば、さすがに手を打つだろうってことだよっ!!」
「だ、だからって――!」
とは言ったものの、一応、水鏡の考えを理解したのか、カナミが拳を下ろして大人しくなった。苦そうな表情を鑑みるに、その心中たるや、相当に複雑だと見える。
水鏡のセクハラは許せないが、かと言ってそれ以外に代案が思い浮かばず……いつまでも触れたものを風化させる手を持つのは不安で……とか、そんな感じだろう。
「……っ。や、やってやろうじゃない……!」
そしてついに、清水の舞台から飛び降りるような決断の下、カナミが真っ赤な顔で俯いた。
「わかってくれたか、カナミ!」
「うっ……。し、仕方ないじゃない……それしか方法がないんだから……っ」
「そんなに俺とえっちぃことがしたかったのかっ!」
「調子に乗ると殴るわよっ!?」
真っ赤な顔で犬歯をむき出しにして吠えるカナミ。
そんなカナミの気勢に気圧された水鏡は、直後、天に向かって右手を挙げ、次いで横に薙ぎながら叫んだ。
「〈永遠なるリボン〉っ!!」
「きゃあっ!?」
直後、屋上の貯水タンクからピンク色のリボンが風に運ばれてきた。
その複数のリボンは、まるで神風に操られるようにカナミの腕に巻きつき、カナミから両手の自由を奪う。
「ちょっとっ!? 犯人をおびき出すためとはいえ、限度ってもんがあるでしょうっ!?」
「大丈夫。少年誌に掲載できる範囲に留めるから」
「なに言ってんのか全然わかんないんだけど!? ――って、ひゃうんっ!?」
ガウガウと文句を言っていたカナミが一気に大人しくなる。
発声こそしなかったものの、水鏡は右拳を握り、何かを引き寄せるように、自分の体へと引っ張る動作をしていた。
「いや~。元の世界に戻る前に、このチカラを存分に使ってみたかったんだよね~」
「ちょ、っと……。アンタ……なに、する気……?」
カナミの強気なツリ目が、若干不安そうに揺れる。
それに対して慈愛溢れる笑顔を見せた水鏡は……直後、これから起こる惨劇を端的に表現した。
「これから……俺の【封印指定されたチカラ】を、解放する――ッ!」
「!!?」
カナミがギョッと目を剥いた。
次いで、己の過ちを後悔するように唇を噛む。
「きょ、恭弥……やっぱり、他の方法で犯人を捜すことにしない……?」
「……昨日、さ。絵夢が……襲われたんだ」
「ちょ!? どういうこと!?」
「理由なんてわからねぇよ……。だけどさ、これは予感なんだけど……たぶんこれは、あんまりのんびりと構えていていい問題じゃないと思うんだよ……。可及的速やかに解決しないと、本当に取り返しのつかないことになる気がするんだ……」
「恭弥…………」
なぜ、水鏡が急に犯人捜しにやる気を出したのか。
その理由を知ったカナミに、悲哀の色が浮かぶ。
「このままじゃあ、今日、どうなるか分からない。今日をもし無事に終えたとしても……明日は、どうなるか分からない。絵夢が、都子が、亜季先輩が……そして、もしかしたらカナミが、危険に晒されるかもしれない」
「…………」
「だから俺は、一刻も早く犯人を見つけ出して、元の世界に戻りたいんだ」
瞑目し、静かに己の確固たる決意を語る。その姿は紛れも無い真の日本男児で、この短期間の間で水鏡が飛躍的に成長したことを思わせる。
そんな真の日本男児・水鏡は、くわっと目を見開き、カナミに向かってもう一度宣言した。
「だから俺は、この【封印指定のチカラ】を使って、全力でお前をえっちぃ気分にさせるぜ!!」
「って、結論は結局サイテーじゃないのっ!! ――ひゃうっ!?」
カナミが全力で突っ込みを入れるも、水鏡がさらに左拳を体に引き付けるようにして引っ張ると、あられもない声を上げてしまう。
いつぞやの再現のように脚を閉じ、太ももを擦り合わせ始めた。
「ちょ、ちょっと……恭、弥……」
「まだ、だ……。俺のチカラは……まだまだ、こんなもんじゃない――!!」
己の胸に引きつけた両の拳を震わせたまま、徐々にその場へとしゃがみこんで行く水鏡。
「ひ、ひうっ! きょ、きょうや……。だ、ダメ……っ。ダメ……っ」
水鏡の動作に合わせてカナミの体の震えもどんどん激しくなっていった。両手をリボンによって拘束されているため、座ることはできないが……もう立っている力も残っていないようで、リボンの張力に頼って体を支えているだけのようだ。
顔は高熱を出したように朱に染まり、体の震えが発作を思わせる痙攣へと変わっていく。
熱いのか、はたまた苦しいのか……首筋には真珠のような汗が伝っていた。
そして、水鏡が縮めていた体を一気に伸ばし、天に向かって両拳を突き上げたところで――臨界点を超えた。
「うぉぉぉおおおおおお! 弾けろっ、俺のパトスッッッ!!!」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!」
声は無かった。
だが一度、一際激しくカナミの身体が跳ね、そのまま何度か痙攣を繰り返した末に……ぐったりと脱力してしまう。
「ちょ、カナミ……さん? その……大丈夫でせうか……?」
さすがに心配になった水鏡が近づいて生存確認する。
しかし、カナミは返事を返す余裕すら無いようで、ひたすら荒い呼吸を繰り返すだけだ。
「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……」
「……………………(ごくり)」
ところで、毎度すっかり忘れそうになるが、水鏡は健全な男子高校生である。
元の世界にて義妹から相当キワドイ攻撃を毎日のように受け続け、幼馴染から女子分をたっぷり補充して日々を送っていたため、一般的な男子高校生よりも免疫はついているが、しかし、その免疫だって絶対ではない。
たとえば、目の前にとても魅力的な女の子がいて、その女の子が弱々しく、男の劣情を刺激するような呼吸を繰り返していれば……さすがの水鏡でも、理性のネジは飛ぶ。
「カナ、ミ……」
気付いたら水鏡は、カナミのすぐ側に立っていた。
それどころか、カナミの真っ赤な頬に手を添えていた。
普段なら問答無用で鉄拳か回し蹴りが飛んできそうな諸行だが、今のカナミにそんな余裕は無い。それどころかむしろ、その頬から伝わる感触は、カナミにとっても心地よいもので――――
「…………ぅ?」
真っ赤な顔のカナミがどうにかこうにか、顔を上げる。
焦点の定まらない目は、涙で潤んでいた。
「……………………」
その目を見つめ続けていた水鏡の頭も、徐々に沸騰し、真っ白になっていく。
…………そして。
「その……いい、かな……?」
カナミの目を見つめたまま、意味の分からない――いや、二人だけにしか分からない問いを投げかける。
それに対してカナミは返事をせず、ただ赤い顔でこくり、と頷いた。
水鏡がパチンと指を弾くと、リボンが跡形も無く消滅した。その瞬間、くたりと脱力しきったカナミが水鏡の胸へと身体を預けてくる。
水鏡はそれを、慌てて受け止めた。
……柔らかい。同じ人間とは思えないほどふんわりとした感触に驚き、次いで鼻腔をくすぐる甘い匂いに脳髄を持って行かれた。
そうして水鏡は、カナミの制服のリボンへと手をかける。
その手を、カナミは蕩けるような瞳で見つめていた。
――――直後。
バタン!という派手な音と共に。
「やっほー! ミッキー! 元気してるー?」
光坂亜季が現れた。
「……………………」
思考停止する水鏡。
だが、すぐに再起動。
「あ、あああ亜季先輩!? こ、これはですね!? 誤解というか、何というか……そう、事故! 事故でして――!」
こういう時、男は意外なほど早く冷静に戻り、現状復帰できる。
ひょっとしたら、狩猟採集時代における、自己防衛機能の名残なのかもしれない。
「うんうん、わかるよー。ミッキーだって男の子だもんねー?」
「い、いや、た、確かにその通りのような状況ではあるのですが、いや、しかし――」
「だからさー。その子、殺しちゃうね?」
「…………は?」
と、間抜けな一言を呟くと同時、頭の中で警鐘が鳴った。
『構えなさい、恭弥! 目の前の人間も精霊に操られているわ!』
どうしてこんなことになった!?と、水鏡は心底思う。
自分にとって都合のいい世界。
少なくともこの世界は、自分にだけは害をなさないと思っていた。
もちろん、それが真っ当なチカラであるとはサラサラ思っていなかったため、ずっと自分にとってプラスのことばかりが起こるなんて甘いことは考えていなかったが……しかし、こうも残酷に、世界が自分を裏切るだなんて、水鏡は全く予想していなかった。
「目を覚ましてくださいっ! 亜季先輩!」
「あははー! ボクは正気だよー?」
亜季が笑いながらビー玉を放る。
小さな……直径一センチ程度のビー玉。だがそれは、放たれた瞬間から質量が増大し続け……水鏡の元へ届く頃には直径が身の丈ほどもある巨大なガラス玉へと変貌する。
にもかかわらず、巨大ビー玉の進む速度は初速とほとんど変わらない。
「くっ……!?」
水鏡がカナミを抱き上げて右方向へと跳ぶ。
体を揺すって本人を正気に戻そうとするも……カナミは虚ろな目をしたまま、クタリと脱力していた。
「ちくしょうっ! 誰だよ!? 普段元気なカナミをこんな風にしたのは!?」
「いや、それミッキーのせいじゃないの?」
ニコニコと笑いながら亜季がさらにビー玉を放る。
水鏡を狙ってくれるなら避けやすいものを、カナミを狙うものだから、いちいちカナミを抱き上げて移動しなければならない。
「――っ! 〈永遠なるリボン〉!!」
「おおー?」
先程カナミを拘束していたのと同様のリボンが亜季の体に巻きつく!
「いやん。ミッキーったら、エッチなんだから」
「もう何でもいいんで、少し大人しくしててくださいっ!」
「えー? ボク、元気だけがとりえなんだよー?」
水鏡が大好きなニッコリ元気いっぱいな笑顔を浮かべたまま、地面に落ちていたビー玉を足で蹴り上げた。僅かに宙に浮いたビー玉は、ワンバウンドした後、屋上をコロコロと転がり……そのまま質量を増大させていく。
水鏡はビー玉の大きさが手遅れになる前に全力で蹴りを入れ、どうにか進行方向をずらすことで回避に成功した。
「キリがない! エレナ!」
『何かしら?』
「チカラを貸してくれ!!」
『構わないわ。どうするの?』
「前回と同じでいい! 五秒だけ俺を武道の達人にしてくれ!」
『可能よ。ただし、それをするには貴方の片腕がいるわ』
「なんで対価が上がってんだよ!?」
悪態をつきつつ、水鏡はさらに転がってきたビー玉を避ける。
当然、ビー玉はカナミを狙っているため、脱力した人間一人を抱きかかえての回避だ。とてもじゃないが、何度もできるものではない。
『そういうルールなのよ。基本的に精霊は〈供物〉を集めることを目的としているのだから。貰えるだけ貰うのが、当然でしょう』
「言っとくけどなぁ! 最近の日本じゃ、そういう客から金を巻き上げるようなビジネスは衰退の一途をたどってるんだぞ!!」
大声で文句を言いつつ、さらにビー玉を避ける。
リボンで手足を拘束しているのに、お構いなしだ。どうやら亜季先輩の能力は、手足だけじゃなく、体のどこかでビー玉を押すだけで発動するみたいだな――と、水鏡は当たりをつけた。
「ちっくしょう! なんか割の良い能力ないのかよ!?」
『いくらでもあるわ。私にできないことはないもの。ただし、今の状況でどんなチカラがベストなのかは、恭弥にしかわからないでしょう?』
「ああーっ! もうっ!!」
頭がこんがらがって、考えがまとまらない。
ただでさえ、ついこの間までただの一般人だったのだ。全く面識の無い男ならともかく、見知った顔の人間――それも憧れていた先輩で女の子なんて、水鏡にとっては天敵みたいなものだった。
「亜季先輩! 目を覚まして! 後でいくらでもチューしてあげますからっ!」
「ありがとう、ミッキー! でも、ボクって欲張りなんだー。その子も殺して、その後でチューはしてもらうよー!」
あはは!と笑う亜季は、とてもじゃないが正気とは思えない。
恐らく、昨日の男と同じようにこの世界を影から牛耳っている精霊かそのパートナーである人間に操られているのだろう。
そうでなければ、いくら人を見る目がない水鏡とは言え、彼が好きになった女の子がそんな風に狂喜乱舞するわけがない。
「くっ……!」
飛び跳ねたり、体を捩ったり。
リボンに拘束されながらも、亜季は起用にポケットのあちこちからビー玉を床に散らばらせる。そして、それを器用に動かし、巨大化させてカナミの命を狙い続ける。
さすがの水鏡も冷や汗をかき始めた。
一つや二つならともかく、今は一度に五、六個のビー玉が襲い掛かってきているのである。
狭いスペースの屋上。今でさえギリギリなのだ。十個……いや、あと一つでも同時攻撃のビー玉数が増えれば、とてもじゃないが捌ききれなくなる。
『落ち着きなさい、恭弥。相手は女の子なのよ? それなら、わざわざ私のチカラを借りなくても、この世界での貴方自信のチカラを使うことで対処できるはずよ』
「――っ! そうかっ!」
エレナの言葉を聞いて、水鏡は覚悟を決めた。
先ほどは一応、犯人を誘き出すという大義名分があった。
そうでなくとも、カナミである。何か下手なことをすれば、当然後でボコられる。ボコられるのだが……だからこそ、水鏡はカナミに気を使うことなく好き勝手に欲望を解放することができたのだ。
これが絵夢や都子だったりしたら、笑って許してくれそうである。それでは、水鏡の罪悪感が収まらない。
結局のところ水鏡は、つまらない現実世界を生きている頃にボンヤリと妄想した『女の子をメロメロにするチカラ』を、実際に使うのは気が引けてしまうような偽善者だったという話だ。
よって本当のことを言えば、彼は亜季にだってそのチカラを使いたくはなかった。
亜季も当然、カナミのように暴力を振るうタイプではなく……絵夢や都子のように許しをくれるタイプの女子だからだ。
だが……水鏡は、拳を握る。
たとえサイテー呼ばわりされることになっても。
自分の欲望で憧れていた先輩を汚すことになっても。
そのことで恨まれ、蔑まれても。
笑って許され、一生罪の意識に苛まれることになっても。
それでも――亜季にチカラを使ってこの騒動を治め、元の世界に帰る。
「すいません……亜季先輩……。俺は……」
巨大ビー玉が過ぎ去った向こう側。
未だ多くのビー玉が散乱する屋上の入り口周辺で、リボンに拘束された亜季がさらなる攻撃を繰り出そうと体を捩っている。
その亜季に向かって、水鏡はきっぱりと告げた。
「俺は……亜季先輩を、全力でえっちぃ気分にさせます!!」
……色々と覚悟を決めていい話風の雰囲気を出しても、結局やることは最低だった。
「弾けろっ! 俺のパトスッッッ!!」
「――――ひうっ!?」
今まさに次弾を繰り出そうとしていた亜季の身体が、雷に打たれたように跳ねる。
そのまま数度痙攣を繰り返した後、隣で倒れているカナミと同じように、クタリと屋上の床に寝そべった。
「……………………」
そんな亜季の姿を見て、しかし水鏡は、劣情に浸るようなことはしない。
憧れの先輩の極上シーンだが、さすがの水鏡もこんなシチュエーションで興奮するほど最低人間ではなかった。ただ、自分が好きだった先輩をこの手で汚してしまったことに罪の意識を感じる。
そうして水鏡は、屋上の扉に向かって、静かに語りかけた。
「…………いるんだろ。出て来いよ、都子」
その呼びかけに応えるように、屋上から見慣れたはずの幼馴染が現れた。




