第一八話 『正義って一体、なんなの?』
黒の炎を纏い、伸びてくる〈ナーガ〉の右手――
その異様なまでの圧迫感が、〈へリックス〉の本能に警鐘を鳴らしていた。
「~~~~ッ!!」
刹那。
〈へリックス〉はその場から後ろへ大きく跳躍して、〈ナーガ〉から距離をとっていた。
〈ナーガ〉の右手はただ宙を掻き、ついに彼女はその手で左肩口を押さえて、両膝をつく。
ぜぇぜぇ、とか細い息を繰り返しこちらを見据える〈ナーガ〉。
その霞んだ光の眼を見て〈へリックス〉は気づいた。
もう〈ナーガ〉は眼も――見えていない。
放っておいても――確実に死ぬ。
だが、近づけば――そこを通ろうとすれば――確実に殺される。
「……ぜぇ……ぜぇ……」
もはや立ちあがる力も無いのだろう。
両膝をついたまま、見えてもないだろうにこちらを見据える〈ナーガ〉。
だがその彼女の口はにぃと笑みになっていた。
その表情が語っていた。
『かかってきなさい』と。
(嫌だよ、バーカ。ったく、これだから……。これだから《ディカイオシュネ》の奴らは大嫌いなんだ)
〈へリックス〉の右手から黒槍が掻き消える。
そして〈へリックス〉は〈ナーガ〉に背中を向けて歩き出した。
(つーか、これ以上は……俺もやべぇ領域だ。もし〈ナーガ〉が相討ちを仕掛けてきて俺が死んだとしたら……現実世界の俺も――。そういう可能性が無いとも限らねぇ。こんなちんけな仕事でそこまでのリスクを負う理由はねぇ。ったく、楽な小遣い稼ぎの寄り道と思いきや、とんだ骨折り損じゃねぇか……)
〈ステラ〉の横を通り過ぎ、館の出入り口に向かって歩いて行く〈へリックス〉に彼女は慌てて振り返った。
「ヘ、〈へリックス〉さん!? どこへ行くのですか!」
「はあ? 終わりだよ、終わり。もう無理。あんな馬鹿に付き合いきれねぇよ」
背後の〈ステラ〉へ〈へリックス〉はアホらしいと言わんばかりに手の平をふる。
「なっ!? あなたは何を言っているんですか!? あそこまで《ディカイオシュネ》の……”魔蛇”の〈ナーガ〉を追い詰めていて終わりって!?」
言われ、〈へリックス〉は足を止めて〈ステラ〉へと顔だけで振り返る。
「ならお前がトドメを刺せよ。――死にたいならな」
「分かりました。あなたにその気が無いのなら私がっ!」
〈ナーガ〉へと近づこうとした〈ステラ〉にやれやれとばかりに〈へリックス〉は声をかけた。
「おいおい、やめとけよ。お前、もしかして本当に気づいてねぇのか?」
「何がですかっ!? やれって言ったりやめとけって言ったり、中途半端にトドメを刺さなかったりあなたは何を考えてるんですか!?」
「〈ナーガ〉のヤロウ。相討ちに持ち込むつもりなんだよ。近づいたら殺されっぞ。俺は死にたかねぇの。ほっとけ、ほっとけ。どうせ……そんなに長かねぇ……」
「相討ち、ですって!? そんな……有り得ません……! あの状況からどう相討ちにするっていうんですか!?」
両膝をつき荒い息を繰り返している〈ナーガ〉をビッと指さす〈ステラ〉に、〈へリックス〉は肩をすくめてみせる。
「知るかよ。気になるならてめぇで試せよ」
言われ〈ステラ〉は苦虫を噛み潰したような顔で〈ナーガ〉を睨むものの、大盾を握りしめたまま〈ナーガ〉に近づこうとはしない。
(決着はついたのに……! 通れないなんて……!!)
〈ステラ〉が警戒して二の足を踏んでいるのを確認し、〈へリックス〉は出入り口を見据える。
そして、その惨状にやっと気づいた〈へリックス〉は思わず笑ってしまった。
「な、何を笑って――!」
そこで〈ステラ〉も〈へリックス〉の視線を追って、息を呑む。
今の戦いで背後の確認なんてする余裕はなかった。
他のプレイヤーがどうなっているかなんて気にする余裕はなかった。
〈へリックス〉と〈ステラ〉が見たのは――〈エイコオ〉と〈シュウソ〉が身にまとっていた防具や武器だった。
〈へリックス〉と〈ステラ〉の二人が〈ナーガ〉へと攻めに出た間に、〈エイコオ〉と〈シュウソ〉は殺されていたのだった。
二人がいた周辺を見るに炎や氷属性の攻撃を受けただけではないことが分かる。
〈へリックス〉が相手をしていた光と闇の二匹、〈ステラ〉が相手をしていた毒と風の二匹だろう。
そしてその状況は簡単に推察できる。
〈へリックス〉と〈ステラ〉が〈ナーガ〉へと歩みを進めた時、背後から〈へリックス〉と〈ステラ〉に大蛇で襲いかかり、足を止める方法も彼女ならあったことだろう。だが、〈ナーガ〉はそうしていなかったのだ。〈ナーガ〉は、彼女は〈へリックス〉と〈ステラ〉が自分に向かってきたのを良い事に、全力で、六匹の大蛇で――〈エイコオ〉と〈シュウソ〉を襲ったのだ。
いきなりの急襲――六匹の大蛇に取り囲まれた二人は一溜りもなかったことだろう。
〈ナーガ〉は自分に〈へリックス〉と〈ステラ〉を引きつけて、〈エイコオ〉と〈シュウソ〉を屠ったのだ。
〈へリックス〉はそれを彼女の執念のように思えた。自分がどうなろうが《正道騎士団》は絶対に許さないという執念だ。もしかしたら、彼女は最初から自分を、〈ステラ〉を倒すつもりはなかったのかも知れない。
(ただで腕をとらせたわけじゃないわけか。あの状況で冷静に『ダメージ交換』を成立させちまうとはなぁ……。あーあ、ほんと……マジで恐ぇ女……)
〈へリックス〉はポリポリと頭を掻いて、自分が引き連れてきた傭兵団員たちに声をかける。
「お前ら、無事か」
「問題ねぇぜ、団長。こっちに飛び火してこなかったからな」
やはり、と〈へリックス〉は思う。見れば”盾姫”が引き連れてきた《スクトゥム》のメンバーも誰一人欠けた様子が無い。大蛇が呑み込んだのは《正道騎士団》関係者のみだった。
「そうか。そりゃ運が良かったな」
〈へリックス〉は広間の出入り口までくると、壁に背中を預けてその場に座り込む。
「団長。いかないんですかい?」
《螺旋の騎士》団員に問われ、〈へリックス〉は荒い息を繰り返す〈ナーガ〉を見据えたまま黙っていた。
(《ディカイオシュネ》の〈ナーガ〉があそこまでの覚悟で力を貸しているのには訳がある。その訳ってのは、間違いなくあの無名のヤロウだ……)
〈へリックス〉はチュートリアルドラゴンでの戦闘を思い返していた。思えば熟練した【二つ名持ち】がひしめき合っていたあの戦いの中で、あの無名は他の【二つ名持ち】と遜色の無い動きをしていた。特に、〈エクスカリバー〉がチュートリアルドラゴンにやられた後の動きは正直、驚かされた。だがその時は面白い新人が出てきたもんだと、そのくらいにしか思っていなかった。しかし――
(……あの動き……誰かに似ている……)
〈へリックス〉は今になって〈セイギ〉の戦い方に見覚えがあるように感じていた。だがそれが誰なのかは分からない。メロディは分かるのに歌のタイトルが分からない、歌詞が思い出せない。そんな気分だった。
一言も発しない〈へリックス〉に団員たちは互いに訝しげな顔を見せ合うと、〈へリックス〉と同じように〈ナーガ〉へと視線を戻した。
〈ナーガ〉はぼやけた視界の中で、〈へリックス〉たち一団が手を出すのをやめたのに気づいて内心で安堵する。
(まだ……これで、時間が稼げる……)
《正道騎士団》の騎士たちはもう一度、大蛇を呼び出すことができれば凌げるだろう。
しかし、〈へリックス〉と〈ステラ〉、この二人はその範疇ではない。ところが、〈へリックス〉が手を引いてくれたことで注意すべきは〈ステラ〉のみとなった。その〈ステラ〉も〈へリックス〉の発言で二の足を踏んでいる。
僥倖だった。時間を稼ぎたい〈ナーガ〉にとってこの膠着状態は有難い。
今頃、セイギは〈ヘリダム〉と戦っているはずだ。この援軍がその戦いに割り込むのは絶対に避けなければならない。一分でも、一秒でも長く、足止めをしなければならない。
自分が死ねば道が開かれてしまう。なんとかしてこのお見合いの状況を続けることが〈ナーガ〉にとって今できる最良だった。
(問題は彼女がこのまま踏みとどまるかどうか――)
〈ナーガ〉は〈ステラ〉へと眼をやった。
戦いは終わりとばかりに出入り口でくつろいでいる《螺旋の騎士》一団とは逆に〈ステラ〉は顔を俯かせ拳をわなわなと震わせていた。
その視線の先には〈エイコオ〉と〈シュウソ〉だったもの、そして、倒された《正道騎士団》の騎士たちの装備品たちがあった。
「〈エイコオ〉さんっ、〈シュウソ〉さんっ……! よくもっ……どうしてっ……! どうして正義の味方が苦しまなきゃいけないんですか……っ! 彼らは《正道騎士団》ですよ……! どうして彼らのような善人が殺されなければならないのです……! こんなこと……していいはずがありません……! こんなこと許されるはずがありません……! このままでは――〈ヘリダム〉さんまで……!!」
〈ステラ〉の左手に白銀の細剣が出現し、〈ナーガ〉へと振り返る。
顔をあげた〈ステラ〉の瞳からは涙が流れていた。
口惜しさ、後悔、復讐、そして信念といった感情でぐちゃぐちゃになっているような表情をしていた。
(やはり……くるつもりね……。なんとか……時間を……)
細剣を構え、じりじり、と間合いを詰めようとする〈ステラ〉を見て〈ナーガ〉はなんとか立ち上がろうとする。だが、もはや体力はほとんど残されておらず、〈ナーガ〉は一瞬、気を失ったかのように片膝をついてしまう。
「そのような状態で、やるつもりですか。大人しくどいて下さい……! 時間が惜しいんです……!」
「何度も、言っている……でしょう……。ここは……通さないわ。絶対に……!」
〈ナーガ〉から黒いオーラが立ち昇り、二匹の大蛇――赤と青――が出現する。紅蓮の炎で模られた赤い大蛇、そして氷結した氷の彫像のように周りに白い冷気を放つ青の大蛇。
(っ……! 瀕死の状態で……まだ二匹を操る精神力が……!? これが”魔蛇”と怖れられたプレイヤー……! あんな状態にしても油断できないなんて……!)
〈ナーガ〉から感じられる覚悟となりふり構わぬ必死さに〈ステラ〉は驚きを隠せなかった。そしてそれが、〈ステラ〉にとっては無性に腹が立つ。
違う。明らかに。今まで滅してきた悪とは何かが根本的に異なっている。
《正道騎士団》を狙う理由は報復行為だろう、と〈ステラ〉は予測していた。
彼女らは過去に《正道騎士団》によって罰せられた悪なのだろう、と。
その遺恨を晴らしに《正道騎士団》を襲った――
(……にしては――)
〈ナーガ〉から感じる強い意志は、そして必死にゆく道を塞ぐその姿には気高さすら感じられる。自分が今までに相手をしてきた悪ならば、とっくに命乞いをして逃げ出している。
悪は自分たちが悪だと理解して悪事を働いている場合が多い。
その場合、状況が悪くなれば罰せられるの避けるために身を隠そうとしたり、あるいは正義を抑圧しようとする。中にはまるで自慢でもするように自分が悪であることをひけらかし、自分の悪事を顧みない者もいるが、そういう愚か者は一目で悪だと認識できる。
〈ステラ〉の眼から見れば、悪というのは自分が悪だと証明するような行動をするのだ。
だが彼女は――〈ナーガ〉はそれをしない。
彼女は逃げようともしない。
負けると分かっている戦いに、自ら足を踏み入れてきた。
左腕を失い、腹に穴が開いても、それでも、覚束ない足で立ち上がろうとしている。
果たして、悪事を考えている者がここまで頑張れるものなのだろうか。
同じ状態だっとして、自分は立ち上がれるだろうか。
何が彼女をそこまでさせているのだろうか。
そもそも彼らは五人で襲撃している。
《正道騎士団》への報復行為をするにしてはあまりにも無計画で無謀な作戦だ。
そんな諸々の要素が、〈ステラ〉の中で疑問となって膨れ上がってきていた。
〈ステラ〉は自分の中で徐々に広がっていく〈ナーガ〉への違和感が解せないでいた。
だが、だとしてもだ。
〈ステラ〉は横目で〈エイコオ〉や〈シュウソ〉だったものを、《正道騎士団》の騎士たちだったものを見た。
(――彼女は《正道騎士団》の人たちをこんなにも殺したんですッ……!)
細剣をチャキリと鳴らし、〈ナーガ〉を見据える。
踏み出そうとしたその瞬間だった。
〈ナーガ〉と自分の間に、幼い少女が立っているのが見え、〈ステラ〉は足を止める。
幻だと瞬時に〈ステラ〉は理解する。
なぜならそれはまだ幼かった頃の〈ステラ〉自身だったのだ。
――正義って一体、なんなの?
幼い自分が問いかけてきた。
それはかつて〈ステラ〉がまだ自分が小さかった頃、問うた言葉だった。
正義とは――もし真の正義があるのならば、それは父のような人を指すのだと、〈ステラ〉は考えている。
父は正義を体現したような人だった。真面目で、誠実で、そして優しい人だった。
そんな父親のことが好きだった。法の下、弱きを守りテロリストたちに立ち向かう父を誇りに思っていた。だから、彼女は父親と同じに正義を志した。正しいことを心掛けた。
だが、幼く素直な彼女にとって正義を執行することは常に困難が付き纏った。時にはその実直さが裏目に出たり、利用されたこともあった。それでも彼女は自分が正義の味方であることを辞めはしなかった。父の正義はいつも弱き者を守るために行使される。理不尽なものから、不条理なものから、弱きを守る盾となっていた父はヒーローそのものだった。
弱き者のために盾となる、それが正義なのだと思っていた。
だが、一〇年前のある日、その父は〈ステラ〉にこう言った。
『本当に正しいことをするっていうのは難しいな。どんな理由があっても人を殺すのはやっちゃいけないことだった。だから俺はもう正義じゃいられない。俺は裁きを受け入れなければならない』
正義に生き、弱きを守り、テロリストに立ち向かった誇り高き父親。
父は正しいことをしたはずなのに、悪いのは相手だったのに――
法では裁けない相手だから――放っておいたらまた人が死ぬから――
本当の『正義』を貫いたからこそ、彼は――彼女の父親は――その『正義』は上辺だけの『正義』によって罰せられた。
誰かが罪を負わないといけない状況で、彼は正義の行いをするために悪になった。
本来なら正当防衛で決着するはずの話だった。
対テロリスト強襲部隊に属する彼には悪を撃つ権限があったはずだ。
だがどこからか大きな圧力がかかった。
父の語る真実は闇に葬られた。
それでも父は自分は人を殺したのだから、その罪は受け入れなければならないと、そう言った。
彼女の父は世間から、母からも大きな批判を受け、部隊を辞めさせられ、冷たい牢屋に放り込まれた。
正義って一体、なんなの?
正しいことをするって、どういうことなの?
人の命が失われたとしても父は悪い人を野放しにしていれば良かったの?
どうして正義の行いをした父さんが苦しまなきゃいけないの?
正義って一体、なんなの?
彼女は母親にそう問うた。
しかし答えは得られなかった。
彼女は――〈ステラ〉は、ずっと今も、ずっとずっと、その答えを探し続けている。
〈ステラ〉はぐっと歯を食い縛り、細剣を強く握りなおした。
「どうして……! どうして正義の行いをする人たちが苦しまなきゃいけないんですか……! なぜその力を正義のために使えないのですか……! それだけの力がありながらなぜこんな悪事を働くのですかッ……!!」
「悪事、ですって? 何も事情を知らない癖によくもぬけぬけとそんなことが言えたものね」
〈ナーガ〉がギロリと〈ステラ〉を睨みつけた。
(やっぱり……この人は……自分が悪だと思っていないんだ……!)
その鋭い視線に少し怯みながらも、〈ステラ〉は首を振って気を取り直し叫んだ。
「いいえ、これは悪ですッ! こんなに《正道騎士団》の人たちを殺して……! これが悪でなければ何だと言うんですかッ!!」
「悪でないのなら、正義なんじゃないのかしら」
「ふざけないで下さいッ!! こんなことをしたあなたたちが正義であるはずが――!!」
「黙りなさいッ!!」
〈ナーガ〉の一喝で〈ステラ〉は言葉を止めた。
「さっきから悪だの正義だの……! 勝手に私をあなたの小さな物差しで測って枠にはめようとしないで頂戴……! あなたの正義が何を指すのかは知らないけれど……あなたが正義の味方になりたいのは分かったのだけれど……! 私から見ればあなたがやっている行為は間違いなく悪の味方だわ……! あなたが本当に正義の味方になりたいと言うのなら……! 正義の盾になりたいというのならっ……! あの人の盾になるべきだわ……!」
「私が……悪……!? 言うに事欠いてっ……! 私が悪などとよくも言えたものですねッ!!」
「いいえ、悪よ。なにせあなたは――《リベレイター》の味方をしているんだから」
その言葉に、〈ステラ〉は眼を見開いて、茫然となった。
そして俯き眼を伏せる。
その細剣を握る華奢な手が、正義を守る盾を持つ手が、ふるふると震えていた。
「――失望、しました……! あなたならっ、分かってくれるかもしれないと……思ったのに……!! きっと何かっ、あなたの中にも『正義』があるんじゃないかって……そう思ったのに……!!」
〈ステラ〉がゆっくりと顔をあげていく。
その眼は怒りに満ち満ちていた。
「そんな嘘までつくなんて――!!」




