第一二話 『【覚醒】』
一階の広間は〈ナーガ〉の作り出す危険地帯と化していた。
〈ナーガ〉が操る七属性七匹の大蛇たちは〈ナーガ〉に一切、敵を近寄らせることなく引き止め続けている。
宣言通り、〈ナーガ〉は未だ誰一人としてその場を通していないのである。
〈シュウソ〉、〈エイコオ〉がなんとか〈ナーガ〉に近づこうとするものの、炎の大蛇が〈エイコオ〉を、氷の大蛇が〈シュウソ〉を、それぞれしっかり二人に張り付いているため、それを回避するのに手一杯になっていた。
”盾姫”の〈ステラ〉には毒々しい紫の大蛇と暴風を纏う緑の大蛇、その二体が休む暇を与えていない。
”螺旋”の〈へリックス〉は自分を追ってくる漆黒の大蛇と光り輝く大蛇を避け、あるいは槍で弾きながら、冷静に場の状況を見ていた。
(…………《ディカイオシュネ》の”魔蛇”。七つの頭を持つ魔女〈ナーガ〉。久しぶりにバトるが、前にやりあった時よりも磨きがかかってやがる。しっかも……この大蛇七匹の特性……めんどくせぇな。炎は火傷、氷は凍結……。黄土の蛇は自身の防御に回し、そこらの騎士を牽制……。”盾姫”が相手してる紫は毒、緑のは鈍足効果。防御力の高い相手に状態異常で攻めてやがる。んで、俺にぶつけてきてる闇と光は視界を奪う効果を持っているときた。ったく、視界が暗闇になったり真っ白になったりで目がチカチカしやがるぜ……。だが、デコイがこんなにいりゃ隙は必ず出る。このまま時間かけてりゃ〈ナーガ〉のMPはすぐに尽きるだろ。こんな馬鹿みたいな火力の最高位魔法を使用してんだ……! 凄まじいMP消費に違いねぇ……! それも七属性同時だぞ――! 最高位の魔導士であろうと出現させるだけで気を失ってもおかしくねぇMP消費量だ!! もって一分、長くても二分――!! どんな大魔導士だろうがそれが限界――!! ここが最初で最後の踏ん張り所――!! ここを凌げばてめぇは終わりだ、ナーガ!! MPの無くなった魔導士なんざ撫でるだけで殺せるぜッ――!!)
〈へリックス〉が、〈ステラ〉が、〈シュウソ〉が、〈エイコオ〉が、この時、まさに同じ事を考えていた。
これだけの魔力量の同時使用――長く続けられるはずがない。
そして彼らの考えは正しい。
どれだけ魔導道具や装備で最大MPを増やし、MP自己回復のアイテムを使用していたとしても、仲間から強化魔法をもらっていたとしても、七匹の大蛇を呼び出すだけで〈ナーガ〉のMPが底をついてもおかしくないMP消費量――それほどの魔力が大蛇には込められていた。
数分の間を耐え凌ぎさえすれば〈ナーガ〉のMPは空っぽ。そうなれば〈ナーガ〉は成す術もなく、容易に狩ることができる。
わざわざ高火力の大蛇が付き纏う今の状態で無理に攻めに出る必要はない。
とにかく防御に、避けることに、専念していればいい。
これは勝利が決定づけられた戦いだ。
それが分からぬほど〈ナーガ〉が愚かでないことを〈へリックス〉は知っている。
だから、おそらく〈ナーガ〉はこう考えているのだ。
その一分、二分を稼げれば良い、と。
ならば、今はこちらも凌ぐことだけに専念していればいい。
簡単なことだ。
(だっていうのによォ――!!)
四人の【二つ名持ち】全員がその異常事態に気づいていた。
四人の胸には今、焦燥感と不安感と疑問が爆発しそうな勢いで込み上げていた。
〈へリックス〉の頬を脂汗が流れ落ちる。
〈ステラ〉は大蛇の体当たりを大盾で防ぎ、かわしながら、もう限界なはずの〈ナーガ〉の状態を何度も、何度も、何度も、何度も――眼をやって確認していた。
〈シュウソ〉と〈エイコオ〉は互いに目配せをし、違和感を確認し合っている。
《正道騎士団》の騎士たちが、《スクトゥム》の騎士たちが、《螺旋の騎士》の傭兵たちが、信じられないものを見るかのように、口を開け放ったまま突っ立っている。
(おかしい――! こんなこと――有り得ない――!!)
【二つ名持ち】四人は心の中で同時に叫んでいた。
(――長すぎるッ――!!)
この時、〈ナーガ〉が七体の大蛇を呼び出してから既に六分が経過していた。
どう考えても〈ナーガ〉のMPは空のはずなのだ。彼らが予想した〈ナーガ〉の最大MP量を、いくら少なめに計算してしまっていたとしても、もう四分前、ないし三分前には、とっくに大蛇は消えているはずなのだ。
どんな大魔導士であろうと、これだけの時間を維持できるMPがあるはずがない。
だというのに――消えない――!
〈ステラ〉は内心で湧き出る疑問と不安を必死に払拭しようとしていた。
もう何度目から分からいが〈ナーガ〉の方へ眼をやると、〈ナーガ〉は俯き、肩でぜぇぜぇと息をしながら足幅を広げて立っている。どう見ても満身創痍。彼女はもう限界。それでも――
(――消えない――!! どうして……!? 限界はもうとっくに超えているはずです……!! こんなこと……有り得ません……!! 一体いつまで……!! いつまで続くというのですかッ……!!)
極限まで高まった集中力で、直撃すれば消し炭になるだろう最高位の魔法を、回避し続ける四人の【二つ名持ち】たち。だが、もしまだこの状態が続くのであればいずれはボロが出る。ミスをしてしまう。いつまでもその集中力を保ち続けるのは人である以上は難しい。
だが、それは七体の大蛇を操る〈ナーガ〉も同じはず。
いや七匹の大蛇を同時に操る〈ナーガ〉の精神的疲労は、大蛇を相手にしている自分たちよりも大きい。
そう、そのはず、なのだが――そんな気がしない。
”魔蛇”の〈ナーガ〉がミスをする気がまるでしないのだ。
そして、四人は嫌な予感を胸に、徐々に考えを変え始める。
まさか――この七匹の大蛇は――消えない――!?
そんな考えが、そんな〈ナーガ〉に対する印象が、四人を精神的に少しづつ追い詰めていた。
そして四人の【二つ名持ち】は〈ナーガ〉の異変に気づいた。
もう限界を超えた彼女の、下を向きぽたぽたと汗を流し、肩で荒い呼吸を繰り返す彼女の身から、じわじわと、彼女自身を燃料にして燃えているかのような黒色の炎が立ち昇り始めていた。
〈ナーガ〉の全身から漏れ出る仄かな光。まるで炎のように彼女を包み込む黒色のオーラ。
そのあまりにも禍々しい光が彼女の全身から溢れ出て、周囲を揺らめいている。まるで陽炎のようにゆらゆらと、彼女の身から湧き出ている。
『ワールドマスター』内にプレイヤーの発光現象はたしかに存在する。プレイヤーが【溜め】を使用した時、技を発動した時、魔法を発動させる時、その武器が、手が光ることはある。だが、その場合はあくまで部分的、一部分であり体全体に及ぼすことはまず無い。
とはいえ、強化魔法の場合は全身を光が包み込むことはある。色のついた光が覆ったりすることはあるのだ。だが、その光り方に違いがあった。強化魔法の場合は身体のラインに沿って均等した光を体外へ放つのに対し、〈ナーガ〉が発しているものはその身から漏れ出していくように、ゆらゆらと蠢いていた。
そして、四人はプレイヤーのその発光現象の正体を知っていた。
(っく――なんてこと……!! 彼女は【覚醒者】だったわけですか……!! MPが尽きないのは【オンリースキル】が原因というわけですね……! 『周囲からMPを吸収するスキル』、もしくは『極限までMPの自然回復を高めるスキル』――そういう類の覚醒能力……!! おそらく今の彼女のMPは永久機関状態――!!)
〈ステラ〉の脳裏を掠めていた危惧が現実のものとなり、さらに焦りが膨れ上がってくる。
だがその〈ステラ〉の考えは少し間違っている。〈ナーガ〉は【覚醒者】だったわけではなく、今、まさに今――
(ったく、嫌になるぜ……! MP上限を超越してる理由は【オンリースキル】かよッ……! 〈ナーガ〉のヤロウ、ありゃ【オンリースキル】をもってたってわけじゃねぇ……!! あいつ、今まさにこの状況になって【覚醒】しやがったんだ……! ”魔蛇”の〈ナーガ〉はここにきて魔導士として完成したってわけだ……! この土壇場で――! これだから《ディカイオシュネ》の馬鹿共とは戦いたくねぇんだ……ッ!)
〈へリックス〉の脳裏に、《ディカイオシュネ》のNo.2の実力を持つ女の顔がよぎった。
満身創痍で、血まみれで、もう腕を動かす力も残っているはずがない、後は自分に殺されるだけのはずだった女の鋭い眼光を思い出していた。
その女の名は〈ヴァルキュリア〉という。
天使のような白い翼を持ち、空を舞う青の戦乙女――”天空”の〈ヴァルキュリア〉だ。
(あれも勝てる戦いだった……! 勝てる戦いだったんだ……!!)
過去に『CosmoChaos Online』で行われた〈へリックス〉と〈ヴァルキュリア〉の本能を剥き出しにした壮絶な戦い。
その時〈ヴァルキュリア〉は連戦で疲弊していた。〈へリックス〉はうまく地の利を生かして、彼女の翼を奪った。まんまと罠に嵌った〈ヴァルキュリア〉は圧倒的に不利で、〈へリックス〉は体力も気力も充実していた。
はっきり言って〈へリックス〉の一方的な勝利となるはずの戦いだった。
控えめに見ても〈へリックス〉と〈ヴァルキュリア〉の力量は互角。実際は〈へリックス〉の方が少し格上のはずだった。
加えて圧倒的なイニシアチブを手にした〈へリックス〉が勝利を掴むのは道理だったのだ。
だが、結果は――相討ち。
絶対に負けない、という彼女の意志が込められた眼光が脳裏から離れない。
あの時、〈ヴァルキュリア〉は本来の自分の力量を凌駕していた。
自分の限界を超越していた。
〈へリックス〉にはダブって見えていた。
あの時の〈ヴァルキュリア〉と同じ眼光をしている〈ナーガ〉に〈へリックス〉は戦慄を覚える。
絶対に退かない、という堅い意志を感じる。
だが意志だけではどうしようも無いほどに〈ナーガ〉は自分を酷使していた。
不意に、たらりと〈ナーガ〉の鼻から血が流れ出ていく。
身体が、精神が、〈ナーガ〉に訴えかけているのだ。
――もう無理だ、限界だ、と。
それでも〈ナーガ〉は口端を不敵な笑みに吊りあげたまま、垂れる血を親指でぐいっと横へ拭う。
彼女の身体そのものに異変が起きているのは明らかだった。〈へリックス〉は【オンリースキル】のなんたるかを知っている。その最たるものを見たことがあるからだ。
【オンリースキル】は個人の深層心理と脳をフルに活用し、あるシステムを通して発現される人間の覚醒能力だ。ただ使うだけならその身に起こる影響は少なく、ほとんど無害と言っていい。が、今、〈ナーガ〉は【オンリースキル】を最大限に、いや限界以上に、もっと、さらにもっと、と引き出している。それは禁忌とも言える行為だった。それ故に彼女自身の身体を、【オンリースキル】が確実に蝕み始めているのだ。
それは仮想世界の身体という意味では決してない。
現実世界の身体を痛めつける行為だということを〈へリックス〉は知っていた。
(――ナーガ! もう充分だろ……! よくここまで耐えた……! 敵ながらすげぇよ、お前は……! だがそれ以上はまずいぞ……! このゲームはゲームじゃねぇんだ……! 【覚醒者】の無茶は現実の世界に後遺症を遺すことになるぞ……! もういい……! 十二分に時間は稼いだ……! もう無名のヤロウは先に進んだ……! お前は立派に役割を果たし切ったんだ……! 退け……! 退け、ナーガ――!! マジな死人なんてこっちは出す気ねぇんだよ……!! だがこのまま続けりゃ奴は――!)
「おい、〈ナーガ〉ッ!! お前、それ以上は――!!」
〈へリックス〉が〈ナーガ〉へ声を荒げる。
〈ナーガ〉が彼の呼びかけにゆっくりと顔をあげ、にぃ、と口端を歪めた。
その青くなった顔で虚勢を張っている表情を見て、〈へリックス〉は理解し、言葉の続きを飲み込んだ。
(っ~~! バッカやろうがッ! あいつ、気付いてやがる……!! 仮想世界の身体が傷ついているわけじゃなく、現実世界の痛みが仮想世界に反映されてるってことに! 気づいて続けてやがる――!! そこまでして通したくないってぇーのかよッ!!)
さらに〈へリックス〉は知っている。
『ワールドマスター』というCSNゲームがただのゲームではないということを。
なぜなら、それを彼自身が体験しているからだ。
”螺旋”の〈へリックス〉――彼は今、この『ワールドマスター』からサイバーアウトできない状態にあるのだった。
(ったくよぉ、ちょっとした生活費を稼ぐつもりが――こんなところでこんな大馬鹿相手に何してんだろうな、俺は……!!)
”螺旋”の〈へリックス〉はこの『ワールドマスター』が始動する前からCSNゲームを引退することを決意していた。”人類への挑戦状”とやらを適当に楽しんで、参加表明を出した”魔王”に一対一の戦いを挑んだら――おそらく負けるだろう戦い――を最後に引退するつもりだったのだ。
彼がこの『ワールドマスター』に参加している理由は華々しく、派手に散って、後腐れなく、きっぱりと引退するためだ。
しかし、その予定はこのゲームが開始された初日に狂うこととなった。
彼がこの【はじまりの世界】へ飛んできた時に出会ったプレイヤー。そのプレイヤーが自分を傭兵と知って、出した依頼。それを受けたのがそもそもの原因だった。
事があまりに大きすぎた。
《リベレイター》、《シグナル》《ハッカー》連合、そしてその間に割り込んできた謎の集団。
『誕生の島』と呼ばれる空に浮かぶ一つの島をめぐった大混戦だった。
そして《ディカイオシュネ》――その一番最後の加入者――狂人染みた化け物たちの中で唯一の一般人。
当時〈へリックス〉にとって彼はとてつもなく印象的だった。なぜなら彼はあの《ディカイオシュネ》に所属しながら一度たりとも戦闘に参加したことはなかったからだ。彼はいつも《ディカイオシュネ》にいる先輩らの背中におどおどしながら尾いて歩き、戦いともなれば守ってもらい、あるいは、すぐに逃げ出す。自分より遙かに格下に位置していた少年。
《ディカイオシュネ》の中で”魔王”のお気に入りであったらしいが、ついぞ彼が戦闘に参加してきたことはなかった。
だが二年振りに見た彼には見違えた。
彼は戦う勇気を持っていた。
《ディカイオシュネ》から離れ、たった一人で行動する勇気を持っていた。
捕らわれた”鍵”を助けに来る勇気を持っていた。
その最中に起こってしまった大規模な爆発。
眼を焼く閃光が、〈へリックス〉をこのゲームに――『ワールドマスター』に閉じ込めたのだ。
〈へリックス〉だけではない。
その場にいたほとんどのプレイヤーがサイバーアウト不能となった。
彼、〈へリックス〉は今、このゲーム開始から二ヶ月間、サイバーアウトするために様々な方法を試みた。しかしすべて受け付けない。拒否されるのだ。
現実世界でも色々な方法が試されたことを彼は知っている。現実世界に辟易しサイバーネットワークに引き籠った人間や、サイバーネットワークへ逃亡した犯罪者を強制的に現実世界へ帰還させることができる強制剥離装置というものがあるが、それもダメだったようだ。
自分が受けたあの爆発はウィルスが内包されたものが撒き散らされた結果なのだということを〈へリックス〉は知っている。そのウィルスが仮想世界と現実世界にいる自分の脳を繋ぐBWDに何らかの作用を及ぼし、サイバーアウトする機能を失った。そう考えるのが現実的だとは思う。しかし〈へリックス〉はどうにもそんな気がしていない。
精神や魂なる観念的なモノが実在するかどうかは分からないが、あの爆発をきっかけに現実世界に置いてきたはずのそれが〈へリックス〉というキャラクターと癒着した。あるいは取り込まれてしまった。オカルティックでファンタジックな考えだということは理解しているが、どうにもそのように思えてならない。
二ヶ月近くこの状態で過ごし、この体に慣れたからそう感じるのかも知れないし、別の何かを感じ取っているのかも知れない。
何にせよ、どう足掻いたところで『ワールドマスター』からは逃げられない。
まるで引退しようとしていた自分を『ワールドマスター』が引き止めているかのように――
〈へリックス〉はそれを呪いのように感じていた。
(本当に、嫌になる……! どうしてこいつらはこうも真っ直ぐでいられる!? どうして諦めない……! どうして折れない……! もう、いいだろう、〈ナーガ〉……!!)
いや、分かっている。〈へリックス〉は分かっていた。
絶体絶命の〈ヴァルキュリア〉が相討ちに持ち込んできたように、勇気を手にした青年の一撃が自分の一撃を一瞬でも超えたように、もはや限界のはずの〈ナーガ〉がまだ立っているように――こいつらは絶対に諦めないのだ。
《ディカイオシュネ》――その強さの本質を何度も戦ってきた〈へリックス〉は理解している。
〈へリックス〉には見えるのだ。”魔蛇”の〈ナーガ〉の後ろに。
”魔王”の〈ジャスティス〉――
――奴だ。
相対した《ディカイオシュネ》すべての者――〈ヴァルキュリア〉の背中に、勇気を持った青年の背中に、そして――〈ナーガ〉の背中に。
連中の背後にはいつも奴が立っている。連中の内面に、奴が宿っている。
そして今も、奴が、〈ナーガ〉の背中を支えていた。
倒れそうになる体を、折れそうになる心を支えている姿が、〈へリックス〉には見える。
いや、〈ジャスティス〉の姿だけじゃない。
《ディカイオシュネ》の奴らが、〈ナーガ〉の今にも崩れそうな身体を支えている。
全幅の信頼を寄せる連中から、全幅の信頼を得ているから、そういうモノを背負っているから、奴らは倒れない。諦めてしまおうとする自分を戒めている。自分の限界を超えて動こうとする。
(《ディカイオシュネ》は一人一人が一騎当千の力を持っているだぁ!? 違うね……! あいつらは一人で戦ってるわけじゃねぇんだよ……! 陳腐で青臭くてムカツく話だが色んな奴らの想いを背負って戦ってんだ……! ああ、まったく嫌いだぜ……! 大っ嫌いだぜ、《ディカイオシュネ》の連中がッ――!!)
〈へリックス〉は根本的に努力型の人間だった。
一%の才能に、九九%の努力。それが〈へリックス〉を構成するすべてだった。
《螺旋の騎士》は元来そういうものだった。その名に恥じぬ誇り高き騎士の集団だったのだ。
PDCAサイクル、というものがる。
Plan、Do、Check、Act――計画、実行、反省、改善の四つを繰り返して技術を高めていく方法だ。
その四つをぐるぐると繰り返し、成功へと昇華させていく――そう”螺旋”を描くように。
”螺旋の騎士”は何度失敗してもそこから学び、高みを目指す騎士たち。
その象徴が『螺旋』であった。
数々の超難易度クエストを攻略し、対人戦大会の上位者を輩出し続けた由緒ある騎士団。
その団長――”螺旋”の〈へリックス〉といえば勤勉、高潔で知られる人物だった。
努力に努力を重ね、戦いの技術を磨き、脳を鍛え、己を研ぎ澄まし続けた。
だが、それでも三位だった。
いつだって、三位だ。
”魔王”の〈ジャスティス〉、”聖剣”の〈エクスカリバー〉。
いつだって一位と二位を争うのはあの二人。
自分を置いて、先へ進んでいく。
どんなに努力しても、どんなに頑張っても、どんなに考えても、どんなに”螺旋”を繰り返そうとも――あの二人には追いつけない。
二人は自分のことなんか目に入っていないように、お互いだけを見据えていた。
俺も混ぜろよ、と何度願ったことか。
だがその二人の戦いを、〈へリックス〉は離れた所から見ているだけだった。
俺を置いていくなよ、と何度追いかけたことか。
だが他の観客と同じように、二人がさらなる高みへ昇っていくのを見ているだけだった。
恐ろしい。恐怖した。圧倒的な力量差が自分とありながら、更に進化し続ける二人に戦慄した。
どれだけ努力をしても――無駄だったのだ。
――あの二人の化け物の前では。
まさに天より授かりし才能と呼ぶにふさわしい二人の姿に、自分がただの一般人でしかないことを思い知らされた。
そして彼は努力するのを止めた。
螺旋は上に向かわず、その場でぐるぐるとただ円を描き始めた。
ついに〈へリックス〉の心は折れ、騎士たちは――堕落した。
代わりに出来上がったのが血を啜り、弱き者を貪る傍若無人な傭兵集団。
それが今の《螺旋の騎士》だ。
その荒くれ者を纏め上げる長が”螺旋”の〈へリックス〉だ。
それでも三位としての誇りはあった。
あの”魔王””聖剣”に続くのは未だ”螺旋”――自分だという誇りがあった。
だというのに――
(どうして俺より弱い奴が……! 俺より上へ駆け上がろうとしやがるッ……! 怖くねぇのかよ……! 怖く、ねぇのかよッ……!!)
〈へリックス〉は怖い。努力が無駄になることが怖い。
精一杯努力して、これ以上の努力をして、それでも手が届かなかったら、と思うとぞっとする。
きっとその時、自分は思ってしまう。
今までの努力は一体、何だったのか、と。
そうなったらきっと、自分は立ち直れない。だから、そうなる前に――
ずきり、と眼帯の奥で右目が痛む。
〈へリックス〉より遙かに力の弱き者だったはずの斬撃。
ただ彼にあったのは一歩を踏み出す勇気だけ。
その一撃は〈へリックス〉の右目から光を奪った。
そしてまた、自分の前に《ディカイオシュネ》が立ち塞がっている。
一人で四人の【二つ名持ち】を抑え込み、善戦――いや、互角以上の戦いをしている。
(くっそがぁ……! デコイがいて助かったぜ……! 俺一人だったら――!)
そこまで思考して〈へリックス〉はギリッと奥歯を鳴らした。
(助かった、だと――!? この俺がッ……! ”魔蛇”の〈ナーガ〉に対して『助かった』だと!? ふざけるな……! ふざけんなよッ……!! これ以上、俺より格下の奴に――!!)
ぐっ、と〈へリックス〉は足を踏みこませる。
「俺はそこまで堕ちてねぇええええぇええッ――!!」
〈へリックス〉の前へ踏み込んだ右足が、床板を割って破片を撒き散らす。
大きな螺旋を描く黒槍を頭上でぎゅるんぎゅるんっと回転させ、〈ナーガ〉へと行く道を塞ぐ白と黒の大蛇へと突進していく――!
そこで、どう見ても無理のある〈へリックス〉の突撃に、〈ステラ〉が気づく。
「〈へリックス〉さん!? 【オンリースキル】が発動していても彼女の中身がもう限界です……! 耐えてさえいれば勝機はあります……! この膨大な火力を持つ蛇の中を行くのは無茶です――!!」
だがその呼びかけに応えることなく〈へリックス〉は突進していく。
慌てて〈ステラ〉は毒と風の大蛇の間を強引に潜り抜け、〈へリックス〉のフォローに回るため、〈ナーガ〉へと駆けだす。
「うぉおぉぉおぉお!!」
雄叫びをあげて突っ込んでくる〈へリックス〉の前に立ち塞がる白と黒の大蛇。
先に白の大蛇が動いた。大きく口を開けて、〈へリックス〉を丸呑みにせんと上空から降下してくる。
(耐えてさえいれば勝機はあるだぁ!? それがそもそもの間違いだったんだよ、アホ姫ぇ! てめぇは奴らのことを何も分かっちゃいねぇッ! こいつらを相手にするにゃそんな消極的な方法じゃ一生勝てねぇ……!! 越えられやしねぇッ!! 〈ナーガ〉のヤロウはな……!! 限界に達しようが何しようが〈ヘリダム〉を殺しに行ったあの無名が帰ってくるまで耐えちまうような大馬鹿ヤロウなんだよ……!!)
〈へリックス〉はその右手に持つ黒槍に左手をかざす。
瞬間、まるで血管が浮き出るかのように黒槍に白い光る線が走り、浮かび上がった。
「アクティヴェーションッ!」
その掛け声で、黒槍の中から機械的な音と共に蒸気口と、トリガーが出現する。
〈へリックス〉がトリガーを人差し指で引くと、蒸気口からプシューッと白い蒸気を噴き出し、黒槍が回転を始めた。
それを見た〈ナーガ〉の眼に驚きの色が浮かぶ。
〈へリックス〉の武器は今までただの螺旋を描いた黒い西洋ランスだった。その長さは二メートルほどで、兎に角、『突く』という一点に集中させた武器。
その様相は〈ナーガ〉の記憶と変わりはなかったが、彼女の知っている限りでは蒸気口など存在せず、トリガーもなかった。その二メートル近くある尖った身を回転させることなどなかった。
それもそのはず。その黒槍はジョルトーより北西に位置する機械国家シュヴァルツヴァイの技術力によって産み出された特殊な武器――いや、兵器であった。
〈へリックス〉は大きく右腕を引くと、回転する槍先を迫りくる白の大蛇に向けて繰り出す。
「邪魔だ、おらぁあああッ!!」
白と黒が接触した瞬間、真っ白の閃光が弾け、暴風が吹き荒れる。
そして、〈へリックス〉の黒槍は白の大蛇を弾き返していた。
次いで、〈へリックス〉の右方向――眼帯の死角から迫る黒蛇へと両手で握った黒槍をバットを振る要領で薙ぐ――!
再び、回転する槍身と黒蛇から未知の波動が発せられ、〈へリックス〉の身を支える両脚が床板を割る。
「どぉうらぁあぁあああッ!!」
〈へリックス〉はそのまま黒槍を振り抜き、黒蛇を無理やり横へと押しのける。
二匹の蛇を押し返した〈へリックス〉は前へと体勢を倒し、床を蹴った。
白と黒の蛇を置き去りにして、ぐんぐんと〈へリックス〉と〈ナーガ〉の距離が詰まっていく。
だが、次の瞬間。背後に収束する光に気づき、〈へリックス〉は後ろへ視線をやった。
そこには白と黒の蛇――その口に光球が出現していた。
その光球が肥大化するにつれ、白と黒の蛇が心なしかその身を小さくする。
(なっ――!? 魔法が魔法を産む――だとォ!?)
解き放たれた二つの弾丸が〈へリックス〉の背中へと真っ直ぐ飛来する。
だが――
〈へリックス〉はニィと口を笑みに変え、黒槍のトリガーを人差し指で強く引く。
瞬間。異音をあげて、更なる速度で、槍が回転した。
その周囲の風を、いや空間さえも巻き込みそうな勢いで高速回転する槍の身に、〈へリックス〉の身へと向かった弾丸が、吸い寄せられるようにその槍へと軌道を変える。
そのまま二つの光球は〈へリックス〉の槍の周囲をぐるぐると回転し――〈へリックス〉は〈ナーガ〉に向けて槍を振りかぶる。
「てめぇのペットの涎だッ! てめぇで処理しやがれ、〈ナーガ〉ッ!!」
〈へリックス〉は〈ナーガ〉に向けて槍を振り抜く瞬間にトリガーから指を離した。
すると、黒槍はぴたりと回転を止め、二つの光球が〈ナーガ〉へと飛んでいく。
だが、〈ナーガ〉の前に黄土で構成された大蛇が割って入った。
黄土の大蛇が吼えると、大蛇の前の土が盛り上がり、土の津波となって二つの光球を呑み込み消滅させる。その様はまるで山崩れの土石流だ。それだけでなく、そのまま〈ナーガ〉へと向かう〈へリックス〉さえも呑み込もうと土の津波は迫っていく。
「しゃらくせぇえぇえッ!!」
再び〈へリックス〉がトリガーを引き黒槍の蒸気口からシュゴォオォッと蒸気が噴き出し回転を始める。
そしてあろうことか〈へリックス〉はそのまま土の波の中へと突っ込んでいった。
しかし、さすがの〈へリックス〉でもその土石流の中を突っ切ることは叶わなかったようだ。
土石流は彼を呑み込み、押し流していく。
「〈へリックス〉さん……!!」
〈ステラ〉が〈へリックス〉を助け出そうと、大盾を構え土砂の中に押入っていく――!
「はぁああぁあぁッ!」
〈ステラ〉の大盾が光を放ち、土砂を四方八方へ弾き飛ばした。
まるで雨のように土砂が室内に降り注ぐ。
「大丈夫ですか、〈へリックス〉さん!」
〈ステラ〉がそう彼に声をかけた。
だが、土砂塗れになった広間の床――そこに倒れているはずの〈へリックス〉の姿はなかった。
それは〈ナーガ〉にとっても予想外だった。
(いない――!? どこへ――!?)
そして〈ナーガ〉は眼にした。
〈へリックス〉が土砂に呑まれた位置――その床に穴が開いているのを。
(まさか――!!)
〈ナーガ〉がその可能性に気づいた瞬間。
〈ナーガ〉の背後――その地面、床から回転した黒槍が伸びてくる――!
彼女が考えた通りだった。〈へリックス〉はその黒槍をドリルにして地面の中を進み、彼女の背後へと出たのだった。
槍と一緒に身体ごと下から飛び出してきた〈へリックス〉に、〈ナーガ〉は回避するために横に身を倒す。
だが、〈ナーガ〉の左腕が、黒槍に巻き込まれるように吸い寄せられていき――
ブシュウゥウゥウゥッ!!
〈ナーガ〉の左肩口から噴水のように大量の鮮血が飛び散り、彼女の左腕が宙を舞っていた。
くるくると、頭上で回る――自分の左腕を見て〈ナーガ〉は自分の身に起こったことを理解した。
(う……で――)
自覚した途端、〈ナーガ〉の頭から血の気が引き、強烈な痛みが脳を支配する。
彼女の思考が――止まる。
その隙を逃す〈へリックス〉ではなかった。
〈ナーガ〉の横を通り過ぎた〈へリックス〉は、着地すると振り向きざまに、無表情に、もう一度右腕を前へと振るう。
その黒槍の切っ先は〈ナーガ〉の腹から背中へと突き破っていた。
ぼたり、血を撒き散らして床に落ちた〈ナーガ〉の白い左腕。
その左腕から〈ナーガ〉はゆっくりと自分の腹から伸びる黒槍に眼を落とす。
〈ナーガ〉の瞳から光が消え失せ、口から血が込み上げてきて、吐き出す。
そのような状態で七匹の大蛇を操れるわけもなく、制御を失った七匹の大蛇が断末魔をあげ、光の粒子へと分解されていった。
〈へリックス〉は〈ナーガ〉から槍をずりゅりと抜く。
びくん、と〈ナーガ〉の身体が痛みに震え、ゆっくりと前のめりに倒れていく。
「一人で俺を止められると思ったか? ナメるなよ、〈ナーガ〉……!」
だが、後は倒れるだけのはずの〈ナーガ〉の身体が不意に、止まった。
「…………な、に……?」
〈ナーガ〉の前に出た右足が、倒れることを拒否していた。
左腕を失い腹を貫かれた〈ナーガ〉は覚束ない足で、時折がくりと力が抜け倒れそうになる足で、立っているのもやっとという状態だった。
もしかしたら、もう気を失ったまま立っているのかも知れない。
どちらにしても、再び七匹の大蛇を出現させる集中力をだすこともできないだろう。
もう〈ナーガ〉の運命は決まっている。
「――終わりだ」
静かにそう宣言し、〈へリックス〉は彼女にトドメを刺すために黒槍を持つ右腕を引いた。
その瞬間、〈ナーガ〉がゆっくりと顔をあげた。
そして彼女は最後の力を振り絞って〈へリックス〉へと肉薄する――!
迫ってきた〈ナーガ〉の姿に〈へリックス〉は驚きを隠せなかった。
(魔導士の癖に近接戦闘をやり合うつもりか、この俺と!? その状態で!? 血迷ったか、〈ナーガ〉!!)
〈ナーガ〉が〈へリックス〉へと残った右手を、彼女を表す蛇のブレスレットがついた右手を伸ばす。
だが、その迫る右掌を、赤く光る宝石が埋め込まれた蛇の双眼を見た瞬間。
ぞくり、とおぞましい寒気が〈へリックス〉を襲った。
もはや死に体の〈ナーガ〉の、その眼光が〈へリックス〉の脳裏に呼び起こさせる。
〈ヴァルキュリア〉――絶望的状況から相討ちに持ってきた女と、〈ナーガ〉のその姿が重なる。
その伸びてくる白くしなやかな手の平が、異様に大きく――まるで自分を包み込むほどに大きく――そんな圧迫感を覚える。




