第九話 『ラストダンジョン』
「〈へリックス〉殿! よくぞ参られた! 本題の前にそこの襲撃者共を始末してくれ! 金ならたっぷりはずもう!」
「…………襲撃者、ねぇ」
左眼が黒の眼帯で隠れているため、右眼だけがぎょろりと動き、俺たちへと視線をやる。
……眼帯? 〈へリックス〉は眼帯なんてしてなかったはずだが……。
俺は記憶を遡ってみる。やはりそうだ。俺がCSNゲームからいなくなる前も、チュートリアルドラゴンと戦った時も彼は眼帯などしていなかったはず。誰かから手傷を負ったのか?
「そこのお前。右腕がゴツゴツしてるやつ。名前は……ああ、そうセイギ。セイギだ」
不意に、〈へリックス〉が俺を指さした。
「お前。たしかチュートリアルドラゴンの攻撃を避け、〈エクスカリバー〉のアホと一緒にドラゴンの眼にダメージを与えた無名だな」
どうやらあの時のことを覚えていたらしい。
その言葉に〈ステラ〉も俺を見て、思い出したようだ。
「…………ですね。まさか私が命を賭して守った勇敢な者が、このような悪行をしでかす輩だったなんて……残念です」
ぎりっ、と〈ステラ〉は『騙された』と言わんばかりに奥歯を噛んだ。
ありゃ……〈ステラ〉ちゃんも俺のことを覚えていたらしい。まあこの状況じゃ素直に喜べないが。
俺は黙ったままでいた。こんな惨状を見てから説明したところで納得するとは思えない。
それに〈へリックス〉は――
「だんまりか。まあいいや。仕事は仕事だ。悪いな。どんな事情があったとしても俺たちには関係ねぇ」
まあ、そうなるだろうな。〈へリックス〉は俺らの状況を飲み込んだとしても、金を払う方につく。ただそれだけだ。おそらく素直な〈ステラ〉ちゃんと違って〈へリックス〉はこの襲撃には何らかの裏があると気付いているようだが、奴の行動は変わりゃしない。
〈へリックス〉はニィと不気味に笑むと、背中から渦巻く漆黒の槍を抜いた。同じく、《螺旋の騎士》の傭兵たちも好戦的な表情で得物を抜く。
「これ……。どう考えてもやばいわよ」
ミヤが出入り口と階段の方を交互に見やる。
俺たち五人は完全に囲まれてしまった。
進むべき先には“救済者”の〈サージュ〉と騎士や魔術士たち、そして《バジリスク》メンバー。総勢七〇人ほど。退路には“救援者”の〈エイコオ〉〈シュウソ〉と援軍にきた《正道騎士団》の騎士たちご一行、《スクトゥム》の”盾姫”〈ステラ〉一行、《螺旋の騎士》”螺旋”の〈へリックス〉一行。
はっきり言ってどれだけ人海戦術でこようと俺たち五人ならそこそこ耐えられる自信があった。
だがこの状況はまずい。【二つ名持ち】五人が相手……しかもうち二人はかなりの実力者。
どうする? どうすればいい……!?
〈へリックス〉の相手はできれば俺とトラ、もしくは俺とナーガの二人でしたいところ。しかし、そうなると〈ステラ〉の相手はトラないしナーガ。では〈エイコオ〉、〈シュウソ〉、〈サージュ〉の相手をミヤとミライでできるか? いや、できない……!
もちろん、【二つ名持ち】だけの相手をすればいいわけじゃない。周囲では〈ステラ〉と〈へリックス〉の登場で勢いづいたのか、隙あれば攻撃を仕掛けようと武器を握りしめる《正道騎士団》の騎士たち。
はっきり言おう。
絶体絶命な……絶望的状況だ。
不意に、ナーガが唇に押し当てた親指を離した。そして俺に三つの回復薬を手渡す。
「あなたたちは階段から〈ヘリダム〉の元へ行きなさい。ミライ、ミヤ、トラくんはセイギくんの補助に回って頂戴。セイギくんが敵将に辿り着けることができれば……いえ、最悪この部屋を抜けるだけで充分だわ」
……ナーガ……? 何を……言ってるんだ……!
それって……! お前、まさか――!!
「ちょ、ちょっと待ってよ! ナーガ、あんたはどうするのよ!?」
俺たちの視線を受けながら、彼女は俺たちに背を向けたまま答える。
「――私は……ここで彼らの足止めをするわ」
言って、彼女は俺たちから〈エイコオ〉、〈シュウソ〉、〈ステラ〉、〈へリックス〉のいる一団へと一歩、前に出る。
「正気なの!? 一人であいつら全部を相手できるわけないじゃないッ! そんな無茶をするより五人で階段側を攻めた方が……!」
「そうだよ、ナーガちゃん! そんなことしたらナーガちゃんが……!」
「ダメよ。五人で行ったとしても〈サージュ〉とあの敵の量じゃセイギくんがこの部屋を抜ける前に〈エイコオ〉たちが追いついてくるもの。そうなったらセイギくんがこの部屋を抜けることもできずに全滅するわ。賭けにもならない愚策ね」
つまり、ナーガはこう言っているのだ。
――自分が囮になる、と。
単騎で〈エイコオ〉たちと戦うことで時間を割かせ、その間に俺、ミライ、ミヤ、トラで〈サージュ〉、《バジリスク》陣を抜ける。彼女はこれで初めて賭けが成立すると考えている。
自分が犠牲になる価値のある作戦だと考えているのだ。
確かに双方の戦力を相手にしながらこの部屋を抜けるのはまず無理だ。
だが、半分の戦力を相手に四人で立ち回れば突破するくらいはなんとかなるかも知れない。
いや、なんとかできるだろう。
しかしこの作戦を実行すればナーガは間違いなく――
――死ぬ。間違いなく。
ミヤは静かにため息を吐いた。そして体勢を〈エイコオ〉の方に向ける。
「それなら私が残るわ……! 私ならいざとなったら逃げることができるかも知れないでしょ。ナーガ、あんたをここで失うわけにはいかないわよ……!」
「馬鹿言わないで頂戴。さっきも言ったでしょう。〈サージュ〉との戦いは時間をかけていられないのよ。素早く敵を屠る戦力が必要なのよ。階段側はあなたが最も適任よ、ミヤ。それにあなたじゃあいつの時間稼ぎにもならないわ」
言って、ナーガは〈へリックス〉を見据えた。
「…………ナーガ……。……本気か?」
俺の問いに彼女は静かに返答した。
「――ええ。それだけの価値があると私は思っているのよ。この先にいるのは私たちの怨敵だわ。許しておけるはずがないわね。その怨敵を討てるというのなら……私はここでリタイアするのも厭わないわ。ここを、ここさえ抜ければきっと……あなたは討ってくれるはずだから」
「……っ……ナーガ……! だけどっ……!」
不意に、ナーガが俺の背中にもたれかかった。
「セイギくん。何も今生の別れというわけじゃないわ。学校でだって会えるし、私は一から『ワールドマスター』をやり直せばいい。あなたたちと一緒に行動できなくなるのは……残念だけれど、ね……。……ええ、本当に」
「ナーガちゃん……! それなら一緒に――!」とミライが言葉を発する。
「それでも――!!」
しかし、それを遮って強い口調でナーガは言った。
「その価値があるのよ……! もう次はないの……! 私たち全員が生き残って脱出できたとしても、こんなことをしでかしたら《正道騎士団》は守りを強固にするわ。〈ヘリダム〉を討つチャンスはもうなくなるのよ。だから絶対に今日……〈ヘリダム〉を討って頂戴ッ……!」
彼女の口から出た言葉には熱がこもっていた。
「だめっ! そんな作戦は絶対にだめ! ナーガちゃんを犠牲にするなんてできないよ! 他の方法を探そうよ……!」
「ミライ。私は《ユビキタス》である前にやっぱり《ディカイオシュネ》なのよ。《ディカイオシュネ》の私にとって、《ディカイオシュネ》を潰した奴がいるここが……『ワールドマスター』のラストダンジョンなのよ!」
っ……! ナーガっ……!!
「……ナーガ、ちゃん……」
「大丈夫よ、ミライ。私だって簡単に死ぬつもりはないわ。さっさとあなたたちが〈ヘリダム〉を倒して戻ってきてくれればいいのよ」
「っ……絶対だよ……! 絶対間に合わすからだからそれまで死なないでね……!」
「ええ」
「ナーガ、ここはお前に任せる。ヤツのことはこの俺様にすべて任せておけ。すぐに帰る。貴様は死なさんんッ!」
俺はゆっくりと階段の先を見据えた。
みんなもナーガの強い意志を感じ取ったのだろう。唇を噛みしめて、彼女に背を向け階段の方へと見据える。
音もなく背からナーガの重みが、温かみが離れる。
「それでこそ――……“魔王”。私が好きになった人だわ」
背中でフと笑う声がした。
そしてすぐに彼女の引き締まった声がする。
「〈ヘリダム〉のところまで一気に駆け抜けなさい!」
俺はすっと姿勢を低くし、足に力を込める。
なあ、ナーガ。
本当にお前には感謝をいくら言っても言い足りないくらいだ。
できればこれから先も一緒に行動したかった。
本当に、お前を失いたくはない。
だが、すまない……!
俺はあいつを絶対に倒さないといけないんだ!!
チャンスは一度きり、失敗は許されないッ!!
ナーガの気持ちを……絶対に無駄にはしないッ!!
「さあ、行って! これ以上、援軍が来る前に早くッ!」
いち早くミヤがその脚力を生かした瞬発力で弾かれたように〈サージュ〉がいる階段へと向かっていく。それを援護するようにトラが矢を放ちながら前へ出る。飛来する魔法を防御魔法で防ぎ、トラの後ろをミライが駆ける。
じゃあなッ、ナーガ……!
「いっくぜえええぇぇえええぇッ!!」
俺もミヤを追うようにして階段のその先にある扉へと向かって――走りだした――!
セイギたちが走る音が遠ざかっていく。
色々話したいことはあるが……後だ。
間違いなく自分はここで死ぬだろう。
ここへ彼らが戻ってきたとしても……その頃に自分はもうこの世界にはいないだろう。
だが、彼らと二度と話せなくなるわけじゃない。
仮想世界の死は現実世界の死とは違う。何も怖がることなんてない。
ただ、彼らと一緒に行動できなくなる……ただ、それだけ。
脳裏に彼らとの思い出が蘇り、ナーガは胸に手をあてた。
……惜しい。ここで失うにはあまりに惜しい関係だった。
ここで喪失するものはあまりに自分の多くを占めている。
一人残ったナーガと走っていく四人の背中を見、〈エイコオ〉はニィと笑った。
「おうおう、なるほどねぇ。泣かせる判断だねぇ、ねーちゃん」
残虐な笑みを浮かべたまま彼は大剣の刃をぺろりと舐める。騎士たちが武器を構えナーガを包むように、逃げ場をなくすように、ゆっくりと取り囲んでくる。
「泣かせる判断? あなた、何か勘違いしているわね。私が勝算もなく、こんなことをしていると思っているのかしら」
そう、勝ちだ。勝ちなのだ。
あの人が彼を倒せば……その時間を――私が作ることができれば勝ちだ……!
私の犠牲は――決して無駄なんかじゃない……!
彼はそれを無駄にするような人じゃない……!
彼女が右腕を振るうと蛇を模したブレスレッドの眼――赤い宝石がきらりと煌いた。
刹那。
ナーガの周りでボッと赤い炎の蛇、青い氷の蛇、薄緑の風を伴う蛇、黄土で構成された蛇が出現し、まるで人魂のように揺らめく。自由にナーガの周りをまるで飛龍のように回遊する。
それを見た〈へリックス〉がぽつりと呟く。
「……油断すんな。ありゃ《ディカイオシュネ》の智将、”魔蛇”の〈ナーガ〉だ。お前らのお守りをするつもりはねぇからな」
「マジかよ……。……あの“魔蛇”の〈ナーガ〉かよ……!! なんでこんなとこに……!!」と〈エイコオ〉。
「四つの魔法を同時に操る魔導士か。初めて見るな……」と〈シュウソ〉。
「ええ、私も初めて見ました。流石は一騎当千と言われた《ディカイオシュネ》。相手にとって不足はありません」とこれは〈ステラ〉。
彼女らの台詞にやれやれとばかりに〈へリックス〉は言葉を発した。
「そうか……お前ら知らねぇのか……。あいつの魔法は四つじゃねぇ……。……まあ、《ディカイオシュネ》の〈ナーガ〉の本気なんてそうそう見れるもんじゃねぇからな。知らねぇのも仕方ねぇけどよ」
彼らの会話にナーガはくすりと笑む。
「そう。私の名前はナーガなのよ。ナーガはインド神話に登場する神の名。その頭は――」
瞬間。
さらに毒々しい紫の蛇、神々しい輝きを放つ光の蛇、漆黒の闇で象られた蛇が現れ、ナーガの周りを回遊する。
「――七つあるのよ」
ざわり、と広間で声があがった。
高位の魔導士とされる者でも二つの魔法を操るのが精一杯と言われている。
だというのにナーガの周囲に漂う七匹の蛇。それぞれがまるで独自の意志をもっているかのように自由に宙を泳いでいた。
その光景にその場にいた全員が絶句した。
さしもの〈へリックス〉も螺旋を描く黒槍を握り直し、真剣な顔になる。
「…………七つの魔法を同時に操る魔導士……! なんだ、こいつ……! どんな頭してやがる……!」
「私は《ディカイオシュネ》一二幹部が一人、”魔蛇”の〈ナーガ〉! あなたの体、私の魔術で丸呑みにしてあげるわ……!」
「悪ぃが俺はあの襲撃者とやり合いたくてウズウズしてんだ……!! 邪魔するなら容赦はしねぇぜ、“魔蛇”さんよォ……!!」
〈エイコオ〉が両の大剣を構え、一歩前に踏み出す。
「そう……残念だったわね。彼と戦いたいというあなたの希望は叶えられないわ」
パチンッ、とナーガが指を鳴らした瞬間。
漂っていた七匹の蛇が轟ッと音をたてて肥大化する。
ナーガの蛇の周りに七色の光が渦巻き、天井高くその身が巨大になっていく。
彼女のマントがばさばさと揺らめき、長い黒髪が広がる。
ずきり、とナーガの頭に、その頭蓋骨を砕くような痛みが走り、彼女は片目を閉じた。
じわりと額に大粒の汗が浮かび始める。それでも強固な意志でナーガは七つのソレを練り上げていく。
その膨大な――見たこともない魔力の奔流に、その場の全員が驚きに目を見開く。
それぞれ七属性で形作られていくソレを騎士たちは高く見上げ、驚愕しながら、恐れ戦きながら、一歩また一歩と退いていく。
ズキズキと痛む頭で、不意に、ナーガは思い出していた。
二ヶ月ほど前、現実世界で彼と、黒猪正義と初めて出会ったカフェでの会話を。
その時に、彼は『その台詞はもっとシリアスなシーンのためにとっておけ』なんて言っていた。
まさに今がその時というわけだ。まさか本当に使うことになるなんて思っていなかった。
ナーガは俯きくすりと笑むと、顎から汗が床へ滴り落ちた。そして、ゆっくり顔をあげる。
その瞳には確固たる信念が、その輝きが宿っていた。
「……私がいる限り……ッ!!」
ソレは巨大な七匹の大きな蛇へと変貌していた。天井スレスレまで大きくなった七匹の蛇が、ナーガの頭上から顔を出し、〈へリックス〉たちに向かってビリビリと身体が震えるほどの咆哮をあげた。
そして、彼女はバッと両手を交差させ戦闘態勢をとる。
「――これ以上先へは進ませないわ……!!」




