第一九話 『痕跡』
何か気になることでもあったのかセイギはしゃがみ込んで石畳を見下ろした。
(あの男……一体、何をやってるんだ……?)
フード男は不審に思いながらセイギの様子を観察する。
ミヤが、トラとナーガが、彼が何を見ているのだろうとセイギの視線を追う。
そこにあったのはミヤとフード男が戦闘に入る時、ミヤが踏み足にした石畳のヒビだった。
そしてセイギはそこから視線をあげミヤが『流星蹴り』で開けた石畳の穴へと視線を移す。
さらに三方向に聳え立つ壁――ミヤが壁走りをしたその痕跡へと眼を走らせる。
まるでミヤが走ったのを追うように三方向の壁を順に見回した後、最後にもう一度、右の壁を見やる。
そこにはフード男がミヤに蹴られて顔面から突っ込んだ壁の跡。
そしてセイギはそこから視線を落とし、剣が突き刺さったような石畳の跡へ辿り着く。
「……なるほど、な……。となるとあいつの立ち位置は逆……」
セイギはすくりと立ち上がった。
何が『なるほど』なのかトラとナーガはさっぱり分からず互いに顔を見合わせる。
そんな二人の様子を知ってか知らずか、セイギはフード男が顔面から突っ込んだ壁――その対角線上、反対側の壁へと視線を向けた。
そう、視線を向けたのだ。
――姿が見えないはずのフード男とミヤへと。
真っ直ぐに、ゆっくりと二人へ歩いていくセイギ。
(こっちへ近づいてくる……! ここにいるのがバレた!? そんな馬鹿な……! いや、落ち着け、大丈夫だ……! 姿は見えてない……! 奴に分かるわけがない……!!)
そんなフード男の不安を感じ取ったかのようにセイギの口がにぃっと深く笑みに裂ける。
すぅ、と顔をあげたセイギの双眸――フード男には前髪の向こうで自分を見据える二つの瞳が爛々と輝いているように見えた。
ぞくり、と背筋が凍る。フード男は理解した。
なぜかは分からないが、この男は自分たちの位置を把握しているのだ、と。
(なぜだ……!? この男は俺たちが戦った痕跡を見ていただけ……! それで何が……いや……痕……跡……?)
フード男はセイギが見ていた石畳や壁を順に見直して合点がいく。
(まさか、この男……! この女が蹴り足にした石畳の剥がれた跡や、壁の傷を見て何があったか、どんな戦闘をしたのか予想をし、俺たちがまだここにいると見抜いたというのか――ッ!!)
彼がそう悟った次の瞬間、おもいっきりセイギの振りぬいた拳が透明状態のフード男を吹っ飛ばしていた。
「っがはぁ!!」
攻撃を受けると、フード男の透明状態が解除され、続いて壁に背中をもたれさせたミヤの姿も現れる。
「……セ……イギ……」
「だから言っただろう。相手は対人戦経験者。お前には早いって」
セイギの責めるような言葉にミヤは悔しそうに顔を伏せ唇を噛む。
そんな気落ちしているミヤにため息を吐くと、セイギは彼女の頭に手を伸ばす。
ぶたれるとでも思ったのか、ミヤがびくりと身構える。
だがセイギはミヤの頭に優しく手を添えると、ぐしぐしと撫でた。
「無事で良かった。あんまり心配させるな……」
驚いたようにミヤはセイギへと顔をあげる。
彼は本当に安堵したように優しげな表情をしていた。
「……心配、したの……? あんたが……? 私の?」
「はあ? 何言ってんだ。当たり前だろ。俺たちはこのPTの前衛コンビだからな。これから先、前衛が俺一人ってのは辛すぎるって。まだまだミヤには頑張ってもらわないとな」
セイギは悪戯っぽい顔で笑って、そう軽口をたたいた。
少年のように笑う彼からミヤは視線が反らせなくなり、仄かに頬が赤みを帯びる。
まるで時が止まってしまったかのように、ぼーっとセイギと視線を絡ませていたミヤだったが、やがてはっとなってミヤはふいっと顔を反らした。
「な……なによ、それ。じ、自分が戦いたくないだけでしょ。……って、いつまで人の頭を気軽に触ってんのよっ!」
急に恥ずかしさが込み上げてきたミヤは力任せにセイギの手を叩き払う。
「あたっ!?」
手を引っ込めて痛がるセイギを見て、ミヤはあたふたと慌てはじめた。
「……あ、ご、ごめん! つ、つい……! だ、大丈夫?」
どぎまぎと謝るミヤの態度にセイギは少し訝しげな顔をした。
(…………あ、あれ? ミヤってこんな殊勝に謝るタイプだったっけ? なんかいっつもなら『自業自得よ、フンッ』とか言ってツンツンしてたような気がするんだけど……。……まあ、いっか)
「ミヤはここで休んでな。対人戦のやり方ってもんを見せてやるからさ」
そう言ってミヤにウィンクするとセイギはゆっくりとフード男へと向き直る。
「……セイギ……! あいつの剣、気をつけて……毒の効果が付与された剣みたい……」
その注意にセイギは背後のミヤへ手だけで『大丈夫だ』と応える。
フード男はセイギとミヤがやり取りをしている隙に回復薬を飲んでいたようで、空になった瓶を後ろへ放り投げ、口元を拭う。
白い光がフード男の体を淡く包み、やがて消えていく。
ふぅ、と静かに息を吐くフード男を見るにどうやらHPは完全に回復させたらしい。
「よくもうちの仲間をやってくれたな。選手交代だぜ」
セイギが憤怒の形相でフード男へゆっくりと歩み寄る。
左手に白刃をギラつかせ、右拳を硬く握りしめ、体中から怒りを迸らせて。
それに対してフード男は両手で剣を上段に構え、足幅を広げる。
(さきほど戦った時は右拳を使っていなかったが……こいつのスキル構成……【剣術】だけじゃなく【拳術】もあったか……。斬撃と打撃の二種類を使い分ける相手……か。打撃はもらいたくないな……)
『ワールドマスター』において斬撃と打撃には明確な違いが存在する。斬撃は【裂傷】――傷を負うことによって血が流れ、体力がじわじわと削られていく状態異常がつく場合があり、打撃は【昏倒】――いわゆるスタン効果があり、相手の行動を阻害したり、相手を気絶させる場合があるのだ。
速度と手数を生かして戦うタイプのフード男にとって怖いのは【裂傷】よりも足を止めさせる【昏倒】の方だ。【裂傷】に関しては回復アイテムさせあればどうとでもなるが、【昏倒】は当たり所が悪ければ意識そのものを刈り取られる場合がある。そうなればフード男には成す術が無い。
ゆっくりと歩いてくるセイギに対して、フード男は間合いを探るように円を描くように横へ移動しながら剣を握りしめなおす。
(右拳は要注意だな……。それにこいつ、対人戦もそこそこ慣れている様子……とはいえ先ほどの戦いからはそれほど脅威と感じなかった。一対一ならば臆することの無い相手だが……)
フード男はちらりとセイギの後ろ――逃げ道の方へ見やった。そこにはミヤ、トラ、ナーガの三人の姿。満身創痍のミヤはもう戦闘することは無理だろうが、トラとナーガはじっと事の成り行きを見守っている。どうにかセイギを倒してもまだ二人も敵は残っているのだ。フード男にとって状況はかなり悪い。追い詰められていると言っても過言ではないだろう。だが――
(後ろの二人は加勢するつもりはなさそうだ……。……ならばこの男か、もしくは【襲歩】の女をうまく人質にとれれば……乗り切れる……。…………やるか)
フード男とセイギがいよいよ間合いに入ろうという距離になってきた。
二人から漏れる殺気にミヤは思わずごくりと生唾を飲んだ。
そして、互いが互いの間合いに入った瞬間――
――セイギとフード男は同時に剣を繰りだしていた。
フード男は身を低くして潜り込むように下から、セイギはそれを迎え撃つように上から、その剣を相手目がけて放つ。
金属同士がぶつかり合う甲高い音が、狭い路地に反響する。
だが刃と刃がかち合ったのはその一瞬だけだった。
フード男は低い姿勢のままスライディングの要領でセイギの両足の間を抜ける。
そしてセイギの背後へと抜けたフード男は素早く右手の剣を振り上げ、セイギの背中へと振り下ろした。
だが、セイギはまるで後ろに眼がついているかのようにその斬撃を鉄に包まれた右腕、その肘で防ぎきる。
(止めた!? こいつの右腕……盾の役割も果たしているのか……! ならば……!)
フード男は左手で懐からナイフを取り出し、がら空きになっているセイギの横腹へと突きを繰り出した。
しかし、そのナイフの刃はセイギの右手に掴まれて動きが止まる。
セイギは二段構えの攻撃を右腕一本だけで防ぎきっていた。
フード男は掴まれたナイフを引き抜こうとするが、一体どんな握力をしているのかセイギに掴まれたナイフは壁に突き刺さったかのようにびくとも動かない。
次の瞬間、フード男は上へと引っ張られ浮遊感が襲う。
鉄指でナイフを掴んだセイギが片腕でフード男を宙へ持ち上げたのだ。そしてセイギはふわりと宙に浮いたフード男をそのまま自分の前方、石畳へ背中から叩きつけようとする。
しかしフード男は叩きつけられる前にナイフから手を放し、くるりと中で前転して石畳へと着地した。
その着地したフード男の背中へセイギがナイフをアンダースローで投擲する。
後ろ目にその攻撃を確認したフード男は身を横へ倒し、そのまま転がって回避する。
そんなフード男へセイギは間合いを詰めて加速すると、地面を蹴って宙へ踊る。
セイギはアイススケートのジャンプアクセルのように宙でぐるりと横に二回転して勢いを乗せると、その遠心力をそのままにフード男へ左手の剣を横に薙ぐ。
体勢を整え向き直ったばかりのフード男が慌ててその斬撃を剣で防ぐ。が、勢いが乗った斬撃を防ぎきることはできず剣は弾き飛ばされ、フード男の右手からすっ飛んでいく。
「しまっ――!」
思わず目で飛んで行った剣を見、すぐに視線を前にする。するとそこにはセイギが左手で剣を薙いだ後、もう一回転して右拳を大きく振りかぶっていた。胸を大きく張り、彼の背中の向こうから右拳が、その鉄拳が解き放たれようとしている。
自分へと飛びかかるように、斜め上空から、横に三回転して遠心力の乗った右拳が振り下ろされてくる。
フード男はすぐに顔の横に左腕を立て、左頬を隠して防御の格好をとろうとする。
間一髪で左頬とセイギの右拳の間に腕を滑り込ませ、セイギの右拳がフード男の左腕にめり込む。
その刹那。
めぎぃっ!!
フード男の、両の瞳孔が開いた。
――折れた。
フード男は瞬時に自分の左腕がどうなったかを悟った。
しかもそのままセイギの右腕はフード男の左腕の防御などお構いなしに進んでいき、フード男の左頬を殴り飛ばす。
「――――」
フード男の視界が暗転し、ぷつりと意識が消える。
意識が覚醒したのはフード男がセイギに殴り飛ばされて数メートルほど石畳を転がった後のことだった。
視界に路地裏の壁から覗く空が見え、フード男は身を起こす。
「あっ……ぐ、がぁっ……!」
左腕のひどい痛みに自ずと声が漏れた。なんとか立ち上がろうとするが、フード男はがくりと片膝をついた。見ると両脚がガクガクと笑っているではないか。視界もなんだかぐらぐらと揺れているような気がする。
(たった一撃……。たった一撃をもらっただけでこのダメージ……!! 左腕で防御した上からでも尚、この威力なのか……!!)
フード男はゆっくりと顔をあげ、前方の男を見据える。
セイギは調子を確かめるように右腕をぐるんぐるんと回していた。
(強い……。こいつ、さっき相対した時とまるで手応えが違うじゃないか……!)
最初、路地裏で戦った時、フード男はセイギと一対一ならば勝てる可能性は十二分にあると踏んでいた。だが、今はどうだ。一歩でも奴の間合いに入れば右拳で叩き潰される――それほどの気迫を感じる。
だが対しているセイギの眼はまるで無感情な機械のように何の意志も感じさせない冷徹な瞳をしていた。
ぞくり、と背中につららが突き刺さったような冷たい感覚が走り抜ける。
急にじわりと溢れ出てきた脂汗がぽたりぽたりと石畳へ落ちていく。
(何か……こいつのスイッチを押してしまったらしいな……。それはおそらく――)
フード男はセイギの背後、壁にもたれかかっているミヤをちらりと見やる。
仲間を傷つけたことに対して猛烈に、烈火の如く怒っているのだ。一見するとその怒りは彼の鉄仮面のような表情からは感じられないが、フード男には分かった。
自分の気持ちさえ凌駕し、戦闘へと全神経を研ぎ澄ませているのだと。




