第一八話 『うまくいった』
慌ててフード男は彼女の姿を探してあちこちへ視線を走らせようとする。
(き、消えた――!? いや、違う! 奴の発言からして移動しただけ……! どこへ――!? いや、どこに行ったかなんて探すのは対人戦素人の思考ッ! どこに行ったかなど分からなくても構わない! なぜなら死角から俺へ攻撃しにくるのは分かっているのだから! つまり今すべきは――回避行動だッ――!!)
フード男その場で後ろへと跳び、死角になる背後をとられないように近くの壁へと背中をあわせる。
次の瞬間、フード男の読み通り、真上からミヤの飛び蹴りがフード男の元いた場所へと突き刺さった。
まるで爆発でも起こったかのように石畳が粉砕され、土煙が濛々とあがる。
(今のは……『蹴術』スキル50の技……『流星蹴り』か……! こいつのスキル構成、把握できた。足だ。足に関するスキルを徹底的にあげている……! 単純なスキル構成だが……それ故に厄介ッ……!!)
土煙が晴れ、着地してしゃがんでいたミヤがすくりと立ち上がる。
「――こういう意表を突いた攻撃に繋げることもできるってわけ……。先に言っておくけどこの私の最高速度が乗ってる私の蹴りは……重いわよ」
どうだ、と言わんばかりのミヤの表情にフード男の頬に脂汗が垂れた。
ミヤは自信満々の表情だが内心では焦燥していた。
(……でも、『襲歩』はスタミナ消費が大きいから今のスタミナじゃ一戦闘中に三回が限度なのよね……。今ので決めるつもりだったから最後の『襲歩』使っちゃったっけど……ま、まさか避けられるなんて……。これが対人経験の差ってやつ? ど、どうしよう……)
心の中での迷いを見せないように努力しながらミヤは言葉を続ける。
「こ、これで分かったでしょ。あんたの攻撃は全部、『襲歩』で避ける。こっちからの攻撃は『襲歩』で全部どこからくるか分からない。あんたに勝ち目はないわ。大人しく捕まりなさい」
これで降参してくれれば、とミヤはちらりとフード男を見やる。
だが、フード男はすぅーっと静かに剣を構えた。
そして『フッ』と鋭く息を吐くと一気にミヤへと間合いを詰めてくる。その速度はミヤほどではないにしても通常の【疾走】スキルを上げていないプレイヤーからすればとてつもなく素早い。
(うわっ、きた!)
ミヤの動揺を見てフード男は確信する。
(その表情……やはりトラッシュトークだったか……! そんな大技は何度も連発はできんだろうからな……!)
フード男の繰り出してきた斬撃とミヤの鉄靴の蹴りが交わる。
金属同士の接触点から火花が散り、同時に青と金の波紋が空間に広がる。
二撃、三撃、体勢を入れ替え、薄暗い袋小路で刃と鉄靴を交えると、ミヤは石畳を蹴ってフード男との間合いを離す。
(ふんっ、動きが正直すぎるぞ……! 対人初心者か……!! ならば狩れる……!!)
離れようとしたミヤを追うように、ミヤに考えることや息を吐かせないようにするために、フード男はすぐさま距離を詰めてくる。
(っ、なら仕方ないわね……! こっからは出たとこ勝負よ!)
ミヤも石畳を剥がし蹴って、フード男へと直進して互いに距離を詰めあう。
だがミヤも真っ直ぐぶつかるほど考えなしではない。フード男が剣を振り上げるために剣先がわずかに上段へとあがったのを見るや否や、進路を右横へと変える。
そこには高い壁がそびえたっているが、あろうことか彼女は壁へと足を進めたのだ。そのまま忍者のように壁を疾ってフード男の横を駆け抜ける。ミヤが降ろす足の一歩一歩は壁を割り破片を宙に撒き散らしていた。フード男がミヤを追い、顔を横にやる。
だが『襲歩』など使わなくとも【疾走】スキルの上昇効果があるミヤの速度は常軌を逸していた。ミヤはフード男の周囲を回るように三方向に聳え立つ壁を一回りしてフード男が向いた逆側から――フード男の後頭部へ蹴りを放っていた。
ガゴァッ、と大きな打撃音に黄金の光が薄暗い路地裏に瞬く。
意識外からの攻撃――クリティカルだった。
フード男の頭は蹴られたボールの如く壁に顔面から激突する。
壁に頭の半分は埋め込まれた状態になり、だらりとフード男の両腕が垂れ下がった。
(やりぃ! 今のはHPを半分は削ったでしょ……! 『襲歩』がなくっても地形をうまく利用すれば裏をとれるんだから!)
現実でこんな強撃を受けていれば一発KO――失神もののはずだが、フード男の防御力や物理耐性が『ワールドマスター』内での防護機能を働かせダメージを軽減したらしい。
フード男はゆっくりと壁から頭を離し、コキコキと首を鳴らした。
そして背後にいるミヤへと振り向きざまにいきなり剣を一閃させてくる。
しかしミヤは迫りきた白刃に体を竜巻のように旋回させながら屈んで回避すると、その勢いのままフード男の片足を右足で払う。腰から足が引っこ抜かれるような感覚がフード男を襲い、体勢が前のめりに崩れる。
さらにミヤはもう一度体を回転させるとまたも右足でフード男の前かがみになって落ちてきた顔側面に蹴りを繰りだす。蹴られるのは覚悟の上なのだろう、フード男も返す刃でミヤへ剣を振り下ろした。
が――ミヤの一撃の方がわずかに早かった。
めぎぃ、とフード男の脳内で骨が軋むような音が反響する。
捻じ切れんばかりに首を曲げたフード男は、蹴られた反動で体をぐるぐると宙できりもみ回転させて石畳に音をたてて落ちた。
フード男の右手から離れた洋剣もぎゅるぎゅる回転して、フード男の傍へ突き立つ。
勢い余ってしゃがんだままクルクルと体を回転させていたミヤは、右足を石畳に降ろし、鉄靴と石畳で火花を散らしてその勢いを殺しきった。
フード男は地面に倒れ伏したままぴくりとも動かない。
それを見てほっとしたように彼女は息を吐く。
蹴り飛ばされたのが現実の肉体ではないとはいえ、いくら『ワールドマスター』のスキルでダメージを軽減はされているといっても、ダメージに見合う痛みと衝撃は受ける。
あんなに体が回転するほどの視界を味わえば、しばらく平衡感覚を失って起き上がることもできないはずだ。
(やった、倒せた……! 倒せた……!)
ミヤの心中では自分に対して拍手喝采が巻き起こっていた。
ミヤはフード男が気絶しているか確認しようと立ち上がった。だが自身も回転したせいもあり、くらりと立ちくらみがして背中を壁にやる。
そこでミヤはやっと違和感を覚える。
おかしい。しばらく背中を預けていてもその立ちくらみが治ることはない。
なぜだろう、汗を拭うため額に手をやるとひどく熱かった。
……なんだろう、この熱は……何かが……おかしい、と思ったその瞬間――がくっと足から急に力が抜けた。
ミヤはとっさに両手をついて四つん這いになる。
(な……に……? これ……? 体が……いうことを、きかな……い……?)
視界の隅、腕に切り傷を見つけた。おそらくフード男の振り下ろした剣がかすったのだ。
呼吸がぜぇぜぇと疲れと関係なく乱れる。視界がぼやけ、ぐねぐねと曲がっている。
一体、何が起こったのか分からず、意識をステータスに向ける。すると視界に開いたステータスがはっきり浮き上がってきた。ステータスには見たこともない状態異常【猛毒】の文字が記されていた。
その意味から【毒】の上位効果だと予想はつく。
みるみるうちに自分の体力が奪われていることを自覚し、ミヤの背中にひんやりとした汗が流れる。
まるで四〇度近い熱をだした時のような感覚に似ていた。頭がぼーっとして何も考えられなくなる。体はもう自分のものではないかのように緩慢だ。
ついぞ自分の体さえ支えられなくなり、ミヤは前のめりに石畳に倒れこんでいた。
チャキリ、と音がした。かすかに動く視線をあげると、そこにはフード男が剣を携えて立っていた。その口は『うまくいった』と三日月のように裂けていた。
ぞっとした。考えが甘かったと猛省する。フード男は剣で致命的なダメージを与えようなんてハナから思っていなかったのだ。彼の真意は剣に塗られた【猛毒】を相手に付与することにあった。いくら速さに自信があるミヤでもこうなれば避けることはできない。
まずい。まずすぎる。考えるまでもなく絶体絶命だった。
震える手を愚鈍に動かし立ち上がろうとする。
もし敵わない相手だった場合、最悪は自分の足で逃げればいいと考えていた。だからミヤは多少の余裕を持って戦えていた。だがこの状況、体が動かないというのはまずい。
逃げることができない。
フード男は左手でミヤの首を掴むと軽々と持ち上げ、彼女の背中を壁に叩きつけた。そして右手に持った剣先をミヤの腹に当てる。金属の冷たい感触に、身が凍った。
(嘘でしょ……? こんなことになるなんて……! こ、殺される……!)
死を間近にしてミヤはやっと恐怖というものを感じた。プレイヤーデータ削除が現実味を帯びたことでやっと自分がどれだけ危険なことをしていたのかを理解した。
――死にたくない。終わりたくない。
自分は今までただ速く疾ることだけに人生を捧げてきた。それが自分にとっての生き甲斐であり、信念だった。疾ることしか意識していなかった自分は今まであまり友達付き合いもしてこなかった。だから親友と呼べる者はいなかった。速く疾るという生涯を懸けた目標があったし、それでいいと自身で納得していた。
だけど彼らと出会って『ワールドマスター』で一緒に遊んでいて、気づいてしまった。
彼らと一緒にいる自分は何も気負っていないことに。
もしかしたら自分は気づかぬうちに疾るということに多大なプレッシャーを背負っていたのかも知れなかった。いや、きっとそうだったのだろう。マスコミに注目などされいい気になっている反面、常に良いタイムを出し続けなければいけない人生を背負わされ、重圧を感じていた。
それが彼らと一緒に遊び始めてからなくなっていたことに気付かないふりをしていた。
バカなことを言い合って、クエストに挑んで、笑い合って、楽しくて楽しくて、仕方がなかった。まるでずっと昔からそうだったみたいに、ずっと傍にいたみたいに自然体でいられた。逆に速く疾ることだけを生き甲斐に感じていた自分が遥か昔に感じてしまうほどに。
ミヤにとってそれだけ濃い二カ月間だった。
それが終わる。終わろうとしている。
走馬灯のように二カ月間の思い出が頭をよぎり、ミヤは振り絞った力を四肢に込める。だが駄目だった。体はまったく動いてくれない。
今のデータが削除されてしまえば、一緒にいられなくなってしまう。みんなは進まなければならないから。データが消えてしまったらみんなについていくことはできない。みんなと一緒に冒険ができない。
嫌だ……絶対に嫌だ……!
フード男にやめて、と言おうとしたがもう口も動かなかった。
誰か、助けて……。誰でもいいから……!
その時だった。路地の角を曲がったところから声がした。
「おい、ミヤはどこまで行っちまったんだよ!」
「この先の袋小路よ! そこにあの男を追い詰めているはずだわ!」
「了解だよん! 四人でボッコボコにできるねぇい!」
セイギ、ナーガ、トラの声だった。
ミヤは安堵した。助かったと。
だがミヤが予想していなかった出来事が起きた。
目の前でフード男の姿が徐々に透明化されていくではないか。そして気づく、フード男の手を伝ってミヤ自身の体も透明化されていっていることに。
(なに……これ……魔法、なの……!? このままじゃ……二人とも……姿が消えちゃう……! そうなったら……みんなに気付いてもらえないじゃない……!)
なんとか声をだそうとするもののフード男は手でミヤの口を塞ぎ、それを阻止してきた。
二人の姿が完全に透明化してすぐにセイギ、ナーガ、トラの三人が路地から姿を現す。
そして三人は揃ってはてなという顔をした。
「あれ? いないよん? あのフードとミヤっちはどこに行っちゃったのかに?」
トラの問いにナーガは唇に親指を当てて思案する素振りを見せた。
「……そんな……。もしかしたら地図に載っていない裏道があるというの? ……考えてみれば無い話ではないわね……。だとしたらまずいわ……」
「じゃあミヤはまだ追いかけてるってことか?」とこれはセイギ。
「そうなるわね。別れて探しましょ。ミヤの足ならすでに追いついて戦闘に入っているはずよ。この近くで戦っているはずだわ」
「了解だよーん」
振り返って駆けだす三人の背中にミヤはぼやけた視界の中で、声にならない声で必死に訴える。
(待って……! ここよ……! お願い、気づいて……!! ナーガ! トラ! ……セイギ!!)
だが、そんな彼女の思いも知らず無情にも三人の背中は遠ざかっていく。
その様子を確認したフード男はその刃物のように鋭い視線をミヤへと戻した。
感じたことの無い絶望がミヤの身を包み、眼に涙が滲み始める。
今度こそ間違いなく殺される。助けも去った。
もう誰も助けにくることはない。
フード男にとって状況は完璧。
ミヤが自分はここで死ぬのだと確信したまさにその時だった。
「……ちょっと待った」
その声に、ミヤとフード男は駆け出していた三人の背中の方を向いた。
「待てって何を……急がないとミヤが……!」
「落ち着けよ、ナーガ。……おかしいぞ、この状況」
そう言って立ち止まっている人物がいたのだ。
その背中にミヤは言い知れぬ想いが込み上げてくれる。
絶望から希望を生み出したその背中から視線が離れなくなる。
そして、彼は誰もいないように見えている路地裏へと振り返った。
ミヤの見た彼の双眸は深く何かを思考しているような、すべてを見通しているような瞳をしていた。
その人物は言うまでもなく――
(…………セイギ……!!)




