第一七話 『一之瀬美耶子にしかできない戦い方』
フード男は路地裏を全力疾走していた。
フード男の職業は『暗殺者』だった。【投擲】スキルや【罠】スキル、【毒】スキルなどを用いて、トリッキーな戦い方をするのが得意な職業だ。『暗殺者』は物理防御力が低下するものの、攻撃力と機動力に上昇補正がかかる。まさに相手の背後から一撃で決める暗殺者――PK向きの職業だった。さきほど殺した《スクトゥム》の幹部も彼はその能力を最大限に生かし奇襲を成功させたのだった。
フード男は後ろから誰もついてきていないのを確認しつつ、砂塵が巻き上がるほどのスピードで複雑な道をあちらへ曲がり、こちらへ曲がり、駆け抜けていく。現実世界で例えるならまるで路地裏を疾走するバイクだ。とてもじゃないが普通のプレイヤーが追ってこられる速度ではない。
大通りまで行けば人波に紛れることができる。後はフードと名前不表示の設定を解除して何食わぬ顔で歩いて帰るだけだ。
建物の間から射す眩しい光を見たフード男は、肩から少し緊張を抜く。だが――
大通りから路地裏へと降り注ぐ光を遮る人影が現われる。
人影――ナーガは両手に溢れんばかりの魔力を溜め込んで待っていた。
彼女の長い黒髪が下から風に煽られているかの如くばさばさとなびいている。ぎょっとなったフード男が慌てて急ブレーキをかけた。
こちらは最高速で路地裏を駆け抜けてきたのだ。自分に追いつけるはずがなかった。
だがそんなフード男の戸惑いを読み取ったようにナーガは言う。
「何を驚いているのかしら。曲がりくねった路地裏を大回りで走ってくるより、大通りを一直線に走った方が早いに決まっているでしょう……! ――チェックメイトよ、犯罪者っ! 私たちの疑いを晴らさせてもらうわ!」
建物と建物の隙間を、路地裏を埋めるように満ち満ちた紅蓮の炎がフード男へと解き放たれた。紅蓮の炎はヘビの頭を模してフード男を丸呑みにしようと迫ってくる。フード男は舌打ちすると後ろへ引き返す。そして来た道とは別の方向へ角を曲がって炎をやり過ごした。
そして先に進もうとして前を見、たたらを踏む。
そこにも立ち塞がる人物がいたのだ。
「にひひ。残念でしたー。こっちも行き止まりだよん」
緊迫感の欠片もないひょうひょうとした声を発したのは、誰であろうかなトラだった。
黄色と黒色を基調にした大弓には四本の矢がつがえられている。
「男には興味ないから近寄らないでね、っと!」
吞気な声とは裏腹に、的確に急所へ滑空してくる矢。フード男はブリッジをする要領で背中を反らして回避した。両手を地面についてそのままバク転に繋げると、フード男はもはや一本しか残されていない道へと逃げていく。
この先は果たしてどんな所に繋がっていたか、とフード男が頭を巡らせようとすると、それを遮るように後ろから鋭い声が投げかけらる。
「待ちなさいっ! 私から逃げられるとでも思ってるの!?」
それにフード男は驚きを禁じ得なかった。
――速い。二人の邪魔者に時間をさいたとはいえ、もう自分の足に追いついてくるとは思わなかった。相手も自分と同じく【疾走】スキルを上げているプレイヤーなのだろう。
フード男は追っ手――ミヤから前方へ向き直ると、体勢を低くしてさらにスピードをあげる。だが信じられないことに追っ手との距離は縮まっていくではないか。
にわかに納得することのできない【脚力】だった。まさか自分よりも【疾走】スキルが高いプレイヤーが存在しているとは。このままでは追いつかれるのも時間の問題だろう。
だがフード男に焦りはない。やりようは幾らでもあった。次の別れ道で煙幕を使ってまいてやる、とフード男は口を笑みにした。分かれ道で煙幕を使えばどちらに自分が進んだか分からなくなるはずだ。
が、その口が驚きで半開きになる。
フード男が行き着いた先、そこは前と左右、三方を壁に囲まれた袋小路だったのだ。ブレーキをかけそのあまりに高い壁を見上げていると、
「観念しなさい。もう逃げられないわよ」
背後から静かな声がした。フード男はミヤへと振り返る。そして腰から剣を抜いた。
当然の決断だ。場所は三方向を壁に囲まれて逃げ場も隠れる場所もなし。唯一の来た道はミヤが行く手を阻んでいる。ならば――戦うしかない。
「当然、そうくるわよね。でも残念でした。私は……負けないわよ……。絶対に!」
ミヤは眼を伏せ、カツカツッ、と黄金の鉄靴で石畳を打っていた。
あー、イライラするっ。セイギのせいだ。いっつもへらへらして戦闘も私に任せっきりでフェレアさんやナーガに鼻の下伸ばしてたくせに、まるで私じゃ力不足みたいな言い方してくれて。何様のつもりなのよっ。
だいたいあいつは私を信頼していないふしがあるのだ。もしさっきと同じ状況で戦いに割って入ったのが私じゃなくトラかナーガだったら、あいつは『手を出すな』なんて言わなかっただろうし。
トラやナーガのことは大いに頼りにしてるくせに!
私には任せられないと思っているんだ! あいつの中でトラやナーガは一人前で私はまだまだ半人前という認識なんだろう。あー、もうっ、腹が立つ!
私だって成長してるっての! もっと信じてくれてもいいじゃない!
どうしてここまでモヤモヤするのか分からないけど、尋常じゃなく腹が立つ!
でもここでこいつを捕まえればあいつも驚くはずよ。
ふふふ、今からあいつの驚いた顔が楽しみだわ。
『参りました。あなた様は一人前です』って土下座させてやるんだから!
絶対に認めさせてやるわ!
だから――こんなヤツ一人に遅れをとっていられない!
見せてあげるわ、一之瀬美耶子にしかできない戦い方を……!
大丈夫……私ならできる! なぜなら――
私はっ……“神の足”を持っているんだからッ――!
顔をあげたミヤが石畳を蹴った。
メギィ、と街路にヒビが走り、破片が舞う。
瞬間、フード男の眼には彼女の姿が消えたように見えた。
飛び散った街路の破片だけが中空を舞い、彼女の姿が完全に掻き消えていた。
(消えた!? 【隠密】スキルの『ステルス』か!?)
【隠密】スキル40で習得可能になる技『ステルス』。一定時間、自分の体を透明化することができる技だ。【隠密】スキルが高くなればなるほど透明でいられる時間は伸びる。そういう技だった。
しかしミヤは『ステルス』を使ったわけではない。彼女が消えたように見えたのはフード男の錯覚だ。動いていなかった彼女が急にトップスピードでフード男の視界外へ動いたのでそう感じただけだ。だがその錯覚を引き起こすほどの現象を前にしてもフード男は冷静だった。
すぐに視界外から地を蹴る音がしたことで彼女の存在に気付く。
(『ステルス』じゃない……!? ただ移動しただけだと!?)
自分を追いかけてきた速さは彼女の全力ではなかったことに驚きを隠せない。にわかに信じられない速さで距離を詰めきっていたミヤにフード男は湧きでた動揺を腹の底に押し込め、剣を振り上げる。
だが――遅い。
それも誰でもないミヤにとっては――特に。
「はぁッ!!」
フード男の左脇腹に鈍痛が走る。ミヤの繰り出した中段蹴りがフード男の身をくの字に折曲がらせる。
(っがぁ! 重いッ! こいつの【脚力】スキルは尋常じゃないッ! だが――!!)
ミヤは蹴りを放っている体勢なので大きな隙ができている。どんなに速く動く標的だろうと攻撃してきている時は止まっている。
フード男はそのミヤを縦に斬り伏せようと歯を食いしばり、剣をミヤへと振り下ろした。
しかしその凶刃がミヤの額に触れる直前、ミヤの口がにぃっと笑みに開く。
次の瞬間。
再び――その場からミヤの姿は掻き消えていた。
思わずフード男の眼がぎょっとなる。フード男の斬撃はミヤにかすりもせず、ただ虚空を切り裂く。
一体、どこへと眼を周囲に走らせると、背後からカツッカツッと音がした。
振り向くと、ミヤは黄金の鉄靴――そのつま先で石畳を打っていた。
(馬鹿な……! 斬撃が確実に当たる直前……あの距離から避けたというのか!? 俺の知らない【回避】スキルの技か!?)
「驚いたでしょ。これは『ワールドマスター』プレイヤーの中でまだ私しか習得できていないだろう複合スキル技よ。【疾走】スキルをここまで上げている物好きプレイヤーなんてそうはいないでしょうし」
【疾走】スキルには30から10上がる毎に走ることに関しての技が存在する。
スキル30『常歩』、スキル40『速歩』、スキル50『横足』、スキル60『駈歩』、スキル70『争歩』。ミヤは現在【疾走】スキル73なので覚えている【疾走】スキルの技はここまでだ。
『常歩』は走る際に消費されるスタミナが軽減される技、『速歩』は初速から最大速度へと達する時間を短くする技、『横足』は横へ曲がる時に速度が落ちるのを防ぐ技、『駈歩』は自分の最大速度を1.2倍に上昇させる技、そして『争歩』は【脚力】スキルを一時的に上昇させることにより【蹴術】の攻撃力を上昇させたり、【疾走】の速度そのものを上昇させる技だ。
これらの技すべてを今、ミヤは発動させている。もちろんそれぞれの技に効果時間が設定されており、その長さは【疾走】スキルと【脚力】スキルに依存する。今のミヤ自身の疾走速度、最大速度、脚力はプレイヤーの中でも常軌を逸したものとなっていた。
だがミヤが剣が額に触れる距離から消えた技はこれらのどれとも違う。
――一之瀬美耶子はギリシア神話に登場するアキレスになりたかった。
半人半馬に育てられ誰も追いつくことのない足を持った青年アキレス。その神話に魅せられミヤはまだ幼かった頃にアキレスを育てたケンタウロス――馬という動物の走り方を調べたことがあったのだ。
だからすぐに気が付いた。
【疾走】スキルの技名は常歩、速歩、横足、駈歩――馬の走り方を元に名づけられた技だということが。
ミヤがスキル60の駈歩を習得した時、スキル70はまだ登場していないあの馬の走り方を元にした技だろうと、そう考えていた。
だが実際は違っていてスキル70の技は『争歩』。完全な造語になっていたのだ。
だからミヤは探した。きっとあの走り方を元に名づけられた技がこの世界にもあるはずだ、と。
そして彼女は見つけた。
馬が極限状態でだす最高速度――
それは凶暴な動物たちから逃げる際に使用するという――
「――【疾走】スキル70、【回避】スキル60、【脚力】スキル50、【跳躍】スキル50の四種複合スキル技――」
カツカツ、とミヤは石畳を金色の鉄靴で打った。
「――『襲歩』。止まった状態から自分の最高速度を瞬間的に発揮させる技よ」
(『襲歩』!? スキル配分限界800のうち230も使う技だと!? こんなスキル配分をする奴なんているはずが……! いや、それより疾走スキル70!? 疾走スキルをそこまで……!? まだ始まって二ヶ月だぞ!? こいつ他のスキルには目もくれず【疾走】スキルだけを上げ続けていたのか!? こいつの【疾走】スキルに対する執着……物好きを通り越している……ッ!!)
「この技は本来、敵の攻撃に対して発動し回避行動として使うことを想定されているんだろうけど……使い方次第じゃ……『襲歩』と書いても、襲われた時に使う歩という意味じゃなく――」
ミヤは体勢を前へと倒していき左足を半歩後ろにさげて石畳の地面をぐっと踏み込む。そして両手の指を石畳へと添える。それは彼女が数えきれないほどにしてきた姿勢だ。
刹那。再びミヤの姿はフード男の視界から、完全に掻き消えていた。
ミヤがいた場所にふわりと舞う砂埃だけを残して。
『襲歩』――移動速度0の状態から、【疾走】スキルすべての技の上昇効果が乗った――彼女が出せる最高速度100%へと達したのだ。
まさに消失。
人の眼では追えないほどの速度だった――




