第一二話 『サイバーテロ』
俺の急な話題転換にかぐやたんは大きくため息を吐いた。
「先に断っておくが他言は無用じゃぞ。この話が漏れれば日本全土が混乱に陥るからの」
かぐやたんの表情が固くなった。
空気がしんと静まり返り、館の外でバサバサと鳥が飛び立つ音が聞こえてくる。
何から話そうか考えているのか、彼女はしばらく黙っていたがやがて堅い面持ちで口を開いた。
「一ヶ月半前、『ワールドマスター』が正式オープンしたその夜。交通事故が起こったのは知っておるな?」
「ああ、日本の一七箇所で起きたってやつだろ。ちゃんと仕事してくださいよ、〈黒ウサギ〉さん。正一位の権威が泣いてますよ?」
「うるさいのじゃっ。あれは後先考えてないテロリストどものせいなのじゃっ。人為的に起こされたサイバーハザードだったのじゃっ」
「…………。〈白ウサギ〉がそんなことを口走っていたな」
「シャーリーはお前様に話しておらんのか?」
「……あー、そういえばあの日、電話をかけたら交通事故のことに触れたような気がするな……。あの女の話はどこまで本気なのかよく分からないからなぁー」
俺は一ヶ月半前の記憶を辿るように視線を上にして答えた。
「俺がここに呼び出されたことと、あの晩のサイバーハザードが関係あるのか?」
「もちろんなのじゃ。でなければ性的虐待する痴漢魔の上に儂の下着を盗んだ前科のあるお前様を家にあげたりはせん。儂の操を危険に晒してでもお前を呼ぶ必要があったのじゃ」
……え。……俺ってかぐやたんにそんなに警戒されてたの? うわ、ショック。嫌よ、嫌よもなんとやらというやつだと思っていたのに……。
「サイバーハザードは……ここ『ワールドマスター』の世界をとっかかりにして起こされたのじゃ」
いきなりかぐやはそんなことを言った。
「……『ワールドマスター』が……とっかかり? …………どうやって?」
その問いに〈黒ウサギ〉は苦虫を噛み潰したような、悔しそうな顔になる。
「……通常、CSNゲームは儂の妹君である正二位の〈白ウサギ〉と繋がっておる。じゃが『ワールドマスター』はより高度な処理能力を得るため正一位の儂と繋がっておるのじゃ」
「それがウリだったもんな、『ワールドマスター』は。ゲーム雑誌で読んだよ。処理時間が正二位CSNゲームの一〇〇分の一だとかなんとか……」
「儂の力を持ってすれば当然のことじゃな。『ワールドマスター』程度、儂の能力の一%も割いておらんからの」
自慢げに鼻を鳴らして胸を張る〈黒ウサギ〉ことかぐやたん。
ぶっちゃけ人類の感覚じゃ正二位も正一位も違いは分からないけど……。レベルが上がってもっと高度な動きを要求すると違ってくるんだろうか……。
「……じゃが、今回の件は儂と繋がっていたことが仇になったのじゃ」
かぐやはぽつぽつとその時の状況を話し始めた。
『ワールドマスター』が開始されたあの夜、突如、『ワールドマスター』がクラッキングを受けたのがサイバー戦争の序曲だったらしい。
〈黒ウサギ〉は即座に気づき抗戦したそうだ。
まあ、〈黒ウサギ〉の処理能力を持ってすれば取るに足らない攻撃だったらしい。
だが同時にイメージデータに含蓄されていたであろうウィルスが『ワールドマスター』世界内の各所で高負荷をかけ処理を鈍らせたそうだ。
ウィルスってのは例のあれだ。国家間のサイバー戦争で使用されるイロウシェンウィルスと呼ばれる危険な代物。爆弾を落とされた焦土のようにデータが塗り潰され、そこからどんどんと浸食していきスタックオーバーフローを引き起こさせることから、その名が付けられたらしい。
浸食の影響で潰れいてくデータ、そしてそれを自浄作用で修復しようとする『ワールドマスター』、そしてスタックオーバーフロー。その一瞬にして強烈な高負荷は〈黒ウサギ〉の処理を遅らせるのに十分な効果を得た。それでも全力の〈黒ウサギ〉ならなんとかなったのだろう。
しかし、そもそも『ワールドマスター』に割いていた〈黒ウサギ〉の能力は一%にも満たないのは彼女が先ほどした発言からも分かる。
国家戦争規模のイロウシェンウィルスに対応できる演算能力を『ワールドマスター』では確保していなかった。
それが結果的に見れば勝敗の分かれ目だった。
それからサイバーテロリストと〈黒ウサギ〉は『ワールドマスター』のゲームマスター権限の奪い合いになったそうだ。なぜサイバーテロリストがたかがゲームのゲームマスター権限を欲しがるのか、その時は謎だったが、〈黒ウサギ〉からすればわざわざ渡してやる理由もない。
〈黒ウサギ〉は鈍る処理能力で徹底的に対抗したそうだ。
イロウシェンウィルス蔓延から三〇秒後、この時点で公安のサイバーエージェント《シグナル》や雇われの《ハッカー》が状況収束に動きだす。
敵は『ワールドマスター』の支配が目的だと〈黒ウサギ〉も《シグナル》も、そして《ハッカー》たちも疑っていなかった。それがテロリストたちの大きな花火に繋がる布石だとはこの時点で誰も予想できていなかった。
〈黒ウサギ〉は鈍った演算能力では『ワールドマスター』を奪われると瞬時に判断し、一%未満だった『ワールドマスター』への処理能力を一時的に拡張しクラッカー――テロリストを追い出そうとしたらしい。もちろん、そのためには回線そのものの出力を拡張する必要がある。
より多くの水を流すためにはより大きな水道管が必要であるのと同じ原理だ。
だが回線を拡張した瞬間、それを待っていたかのように日本各所で――各々のインフラを司るサーバでエラーが頻出した。
サイバーテロの第二波である。
そしてその攻撃目標は『ワールドマスター』ではなく――〈黒ウサギ〉だった。
そう、サイバーテロリスト《リベレイター》の目的は『ワールドマスター』なんかじゃなかったのだ。『ワールドマスター』を餌にし、『ワールドマスター』を足掛かりにして最初から〈黒ウサギ〉を奴らは狙っていたんだ。
それが正一位人工知能への、いや日本への本格的なサイバー戦争の開幕だった。
日本各所で発生したエラーは《リベレイター》たちが応戦する間もなく驚くべき速度で〈黒ウサギ〉が保有していた権限を見る見るうちに奪い取っていったらしい。
このあまりにも大きなサイバーテロに果たしてどれだけの人間が関わっているのか想像もつかない。おそらく、《リベレイター》は日本の至る所にいるのだろう。まるで革命でも起きたかのような総攻撃は〈黒ウサギ〉の持ち物をすべて奪い取り、ついには〈黒ウサギ〉本体への攻撃に発展する。
このままでは〈黒ウサギ〉自身が潰されかねないと危惧した零位人工知能〈マザー〉や各国の管理を任されている正一位人工知能は、〈黒ウサギ〉への被害が大きくなる前に彼女のシャットダウンを決定。
その英断で〈黒ウサギ〉本体の消滅は免れたらしい。
詰まる所、〈黒ウサギ〉、《シグナル》、《ハッカー》たちは《リベレイター》に大敗北を決したってことだ。
「……リアルハザードが交通事故だけで済んだことが奇跡みたいな大事件だな」
「テロリストたちは儂が持っていた日本の全権を奪取、掌握、管理したのじゃ。……儂とあろう者が情けない話じゃて。まんまとテロリストたちにしてやられたのじゃ。テロリストたちは最初から儂を狙っておったようじゃ。今、テロリストたちは奪った儂の正一位権限を利用して母上や他国の正一位と交戦しておる」
ん? あれ? ちょ、ちょっと待った……。
俺はこめかみに人差し指をあてて考える。
日本の全権を……奪取され、た……だって?
「…………。…………それってすでに日本は陥落しているって……ことですか?」
おそるおそる、そう尋ねてみる。
「……残念ながら現在、儂と日本は完全に切り離された状態になっておる。日本はもはやテロリストの領土というわけじゃの。儂ら日本の人工知能だけでなく、日本人全員はテロリスト共が作った檻の中におる囚人状態じゃ。今なら指先一つで儂を消去もできるじゃろうて」
そんな窮地に立っているというのに〈黒ウサギ〉は笑っていた。
俺は開いた口が塞がらず、ただ黙っている。
「あれ以来、日本で大きなリアルハザードが起こっておらぬのは、テロリストたちはのちのち日本を他国との交渉材料に使うつもりじゃろ。まあ、小規模なら何度も起こっておるがの」
テロリストたちが〈黒ウサギ〉が管理していた日本の全権を掌握したというのなら、それは電気、水道、交通――日本のありとあらゆるものを掌握したということだ。
《リベレイター》の思惑一つで未曾有の大災害が起きるということでもある。
例えば、車、電車、飛行機事故の誘発、水道、電気の供給ストップ――もしそんなことになれば日本は大混乱に陥ってしまう。
島国である日本全土の機能がストップしてしまったら、各地で水や食糧を巡って暴動は必至。食料店は荒らされ、治安は一気に低下し、政府や警察では止めようがなくなってしまうだろう。
それから先、生きるのに必要なものを手に入れるために、人々がどのような行動に出るかなんて考えたくもない。
…………あー、やばいな、これ。
俺は思わず頭を抱え込んだ。
想像を遙かに超えて大事だった。
日本史上最悪の状態だ。
俺を含め、日本国民たちのこめかみにテロリストの銃口が突きつけられているのと変わらないじゃないか。テロリストたちはいつでも俺たちを血の海に沈めることができる。
「……けどさ、そんなことニュースで――言えるわけないかぁ……」
俺は椅子の背もたれからずるずると脱力していく。
「うむ。『日本はサイバーテロリストに支配されました。善良な市民の皆さんは怯えて暮らしましょう』などとニュースで言えるわけがなかろう。じゃからこれは国家機密じゃぞ。この一ヶ月半の間、色々と事件はあったが揉み消しておるのじゃからな。可能な限り早く日本を取り戻さなくてはならんのじゃ」
まさか……日本がそんなことになっていたなんて……。知らぬはいつも国民だけ、ってか……。くっそ、最悪な状況だ……。あいつもこんなことはぜんぜん教えてくれなかったぞ……。
「状況は理解できたよ。だけど俺がここに呼び出された理由が分からないな。そんなこと今更話されたところで俺が協力できることなんて何もねぇよ。お手上げだ、こりゃ」
「儂も愚妹がお前様に話しさえしなければ教えるつもりはなかったのじゃ、まだな。じゃが、愚妹のせいで触りでも知ってしまった以上、愚妹の雲の上を歩くような話より、目から鱗が落ちるような儂の説明をしておいた方がいいと判断したのじゃ。お前様は儂らが持つ最後の切り札じゃからの」
「いやいや、待って待って。こんな状況で俺が切り札になれるか? 確かに俺は少しやんちゃなクールガイだけど俺が電脳戦に参加したところでこんな絶望的な状況はもう絶対に引っ繰り返らないぞ。全権利盗られてる状態なら電脳戦した瞬間に脳焼かれて終わりだって。ってか、これ無理だ。日本は完全に詰んでるよ」
ぶっちゃけ日本の全権を掌握された今、日本からできることなど何もない。
まな板の上の鯉とはまさに今の日本の状態を指す言葉だ。
せいぜい出来ることと言えば国民にバレないようにして混乱を招かないようにすることぐらいだろう。
「じゃがの、日本を取り返す方法が――ただ一つだけあるのじゃよ」
「…………は?」
俺は驚きのあまり眼を瞠ってしまう。
ある……のか? この状況を覆す方法が……?
少し目線を下げて思考を走らせる。だけど全権利を失ったこの状況だぞ……?
とてもじゃないが日本を取り返すなんてできるはずがない。
「そしてその方法は……他の誰でもない……お前様にしか成せんことじゃ」
〈黒ウサギ〉の真剣なまなざしを受け、背筋がぞくりとなった。
「……俺にしか……できない……?」
俺はごくりと生唾を呑みこむ。
日本を救うのが俺にしかできないだって?
その言葉の意味に背中にずしりと重たいものが乗っかかったような感覚が襲う。
日本国民の命も、人工知能の命も、俺しだいだっていうのか……?
なんだよ、それ……ふざけてる……。
あまりの緊張に耐えきれず、俺は茶化すように言葉を紡いだ。
「か、かぐやたん。冗談はやめようぜ。俺がこの状況で出来ることと言えば『ワールドマスター』の攻略ぐらいだってば」
その俺が放った言葉に彼女は不気味なぐらい口をにぃっと笑みにした。
「言ってしもうたのぅ。では――日本を救ってもらおうか」
一拍置いて、俺は理解する。
「お、おいおいっ……! まさか……日本を取り返す方法って……!」
「その通りじゃ。この世界の戦争を終結させ、『ワールドマスター』を攻略する。それが日本を救うたった一つの方法じゃ」
この世界の戦争を終結させるだって……?
それはフェレアさんの悲願じゃないか……!
それが『ワールドマスター』の攻略に繋がっているのか!?
んでもって『ワールドマスター』の攻略が……日本を取り返す唯一の手段だと!?
「黒猪正義。……お前様が……仮想世界と現実世界、二つの世界の――”英雄”となるのじゃ」




