第一一話 『〈黒ウサギ〉』
『かぐやたんが来たらどう? 今、北東地区だ。懐かしい顔ぶれもいるよ』
俺はちらりとトラとナーガに眼をやる。
『思い出話に花を咲かせている暇などないと言うておろぅに。一〇分以内に来るのじゃ』
その言葉を最後に〈かぐや〉との回線は切れた。同時に俺は立ち上がる。
「すまん。本当に用事が出来た」
姉に怒られたらしい〈白ウサギ〉の頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに眼を細めた。
「ちょっと、あんた、こんな大事な時に一人でどこ行こうっていうのよ! 私たちは追われてる身だってこと分かってるの!? 動き回るのは危険よ!」
「大丈夫、大丈夫。女の子のところに行くだけだから」
俺がウィンクすると「あ、そう。さっさと捕まれ」とミヤはジト眼で呆れていた。
「にひひひ、いってらっしゃーい」とトラはいつも通りの顔で手を振った。
トラのことだ。俺がただ単純に女の子のところに行くわけじゃないということは理解しているだろう。
「セイギくん。何を考えているかは知らないけれど……くれぐれも気をつけて行動して頂戴」
「……ああ、そうする。こんなとこでヘマはしないさ」
「うわーん! わたしというものがありながら、まぁくんが他の女の所にー!」
頭を抱えるミライに背を向けて、俺は指定された場所へと向かった。
【機の月一六日/光の日/一六二三時/始まりの世界/ジョルトー城下町・南東地区】
城下町ジョルトー南東地区は小高い丘になっている。
住宅街から続く石畳の坂をのぼった先、丘の頂点に鎮座する大きな洋館こそが目的地だった。
人気の無い一本道を一人で進んでいると前からがやがやと集団が歩いてきた。
どうやら彼女の館に行っていたらしい。
彼らはすれ違う俺を見とめると声をかけてきた。
「おい、あんた。この先は行っても無駄だぜ」
「なんで?」と俺も足を止めて、問い返した。
「なんでって……。この先はゲームマスター〈黒ウサギ〉の館があるだけだ。俺たちも話ができるかと思って行ってみたんだが掲示板の情報通り〈黒ウサギ〉はプレイヤーの誰とも会わないぜ」
「そーそー。噂どおり〈黒ウサギ〉は人嫌いみたいだ。ねばってみたんだけどねぇ。館の呼び鈴を押しても反応なし。一言挨拶するどころか姿も現さなかったさ。時間の無駄だったよ」
苦笑するプレイヤーたちに俺は肩をすくめて同じように苦笑する。
「まあ、行くだけ行ってみるさ」
俺は集団と別れを告げて、洋館へと歩みを進める。
それは近づけば近づくほど大きな館だった。周りを黒い鉄柵に覆われた黒い館はドラキュラが中にいてもおかしくない見栄えだった。庭は野草が生い茂っていて手入れがされた様子はない。古い館の壁には伸びきった蔦が張っていた。ドラキュラの館とするならば足りていないのはコウモリが飛んでいないことくらいだろうか。
両開きの門についている呼び鈴を鳴らしてみる。澄んだ音が響いた数秒の間の後、キィ、と金属が擦れる音をたてて門が開いた。
俺が敷居をまたぐと、独り手に門が閉まる。
雑草の生えた中庭を横断していき、ノックもせず館の扉を開けたその瞬間だった。
足のスネに鈍痛を感じ「んぎゃあっ!?」と情けない声をあげて俺はうずくまった。
「遅すぎるのじゃっ。儂が来いと言ったらすぐこんかっ、のろまがっ! 先ほど来た別のプレイヤーをお前様と勘違いして出迎えそうになったではないかっ!」
俺の視界に成人式でお姉さん方が履いているような黒い厚底の下駄と白い足袋が見えた。一〇センチはあろうかという底が厚い黒下駄だった。
その黒下駄から生足、白のプリーツスカートを伝って視線をあげていくと、そこには俺がよく知る小柄な少女が立っていた。上半身は黒の振袖を着込み、両腕から膝上まで伸びる黒袖を垂らして仁王立ちしていた。胴に巻かれた赤い帯は背中で蝶々結びになっているらしい。幼い顔立ちに赤い両のお眼め。そして背中にかかる長い黒髪、その黒髪からはこれまた黒いウサギの耳がぴょこんっと立っている。片方はぴんと立っていて、もう片方は半ばから斜め前に折れ曲がっている。
彼女の姿は二年前と何ら変わりがなかった。体つきもまったく成長した様子がない。
「ジョルトーの兵士たちに追われてるんだってば! 回り道しなきゃいけなかったの!」
「なんじゃと? ……まったく、お前様はこの非常事に何を遊んでおるのじゃ。ジョルトー女王の逆鱗にでも触れたのかや?」
見た目はどう見ても小学生だが、年老いた口調で彼女は渋い顔をする。
声は幼い女の子のように高いので、子供が背伸びしているみたいに見えてなんだか微笑ましい。
「……まあ、そんなところかな。冤罪なんだけどねー」
「やれやれじゃの。ほれっ、何をぼさっとウドの大木みたいに突っ立っておるっ、さっさとついてくるのじゃ! 二年振りに戻ってきたかと思えば儂に挨拶しにくる素振りも無いしのぅ! 相変わらず礼節がなっておらぬのじゃ!」
かぐやたんは俺に背を向けると館の中を先導し、螺旋階段を上っていく。
挨拶しにくる素振りも無いって……かぐやたん俺のこと見てたのか……。
俺は彼女が歩を進める度にゆらゆらと揺らめくスカートの中を覗きこみながら後を追った。だがいくら先に階段の上を行っていても彼女の背が低いせいでぜんぜん中が見えない。……残念。
「かぐやたん、〈黒ウサギ〉だって正体を隠してたくせによく言えるよね」
そう、彼女こそが〈黒ウサギ〉だ。『ワールドマスター』の開発者にして日本を管理する正一位人工知能、偉大なる〈黒ウサギ〉とは彼女――〈かぐや〉のことだ。
〈かぐや〉という名は彼女が《ディカイオシュネ》に所属していた時のプレイヤー名だったりする。
表舞台にはまったく姿を現さないと言われている〈黒ウサギ〉だが、彼女に対して一般的な見解は色々と誤解がある。
まず〈黒ウサギ〉は決して人間嫌いなどではない。
なぜなら彼女は人類と交流を持とうと考えているのだから。
その術として彼女が選んだのはCSNゲームだった。
そう、彼女は自分の正体を隠したままCSNゲームを一プレイヤーとして楽しんでいたのだ。
その方がリアルに人間と交流できる、とは彼女の弁だ。
まあ、交流といっても尖った性格をしている彼女だ。《ディカイオシュネ》に加わるまではずっとソロで動いていたみたいだけど……。
ちなみに、俺が〈かぐや〉こそ〈黒ウサギ〉だと気づかされたのは《ディカイオシュネ》解散後、CSNゲームから離れた後のことだったりする。
「ふん。勝手に解散を告げたお前様がよく言えたものじゃな」
むすっとした様子で扉を開け、部屋の中に入っていく彼女の背中はどこか寂しげに見えた。考えればそうだ。俺たちと別れたら彼女は一人になってしまう。
きっとこの二年間、ずっと孤独だったことだろう。
寂しいのなら電話の一つでもしてくりゃあいいのに。
「……何も言わず解散したのは悪かったと思ってるよ。すまなかったな」
俺は彼女――かぐやの頭を撫でた。下駄で底上げしていても背が俺のお腹辺りまでしかないのでとっても撫でやすい。そして彼女の頭はさらさらとした髪質のせいか撫で心地が凄く良い。
「気やすく触るでないわっ!」
顔を真っ赤にして腕で振り払われる。ははは、妹と違って相変わらず照れ屋さんだなぁ。
そんな彼女の様子に俺の悪戯心がむくむくと頭を持ち上げた。
なので俺は寂しさを見せるかぐやたんの背後から両手を前に回してひょいと抱きあげる。
「な、なにをするのじゃっ!?」
「あぁ、かぐやたん可愛いよかぐやたん! くんかくんか! ぺろぺろ!」
俺は彼女をぎゅーっと抱きしめて首筋を舐めてやる。するとかぐやたんは顔を真っ赤にして暴れ始めた。
「や、やめんかーっ! 離さんか、阿呆っ! じゃれている場合ではなかろうがっ! や、やめっ……! ど、どこを触っておるのじゃ~~!」
嫌がるかぐやたんの小柄な体を撫で回したり、長い耳を甘噛みしてたっぷり楽しんだ後、俺は彼女を床に降ろした。
「いやほら、ウサギさんって寂しいと死んじゃうって聞くからさ。寂しそうな背中を見るとつい」
「ぜぇぜぇ……まったく、お前様の変態っぷりは変わらんのぉ。ウサギは構いすぎるとストレスで死ぬのを知らんのか……」
暴れ疲れてぜーぜーと肩で息をするかぐやたんははだけた胸元を直す。
改めて俺は部屋の中を見回した。
そこはなんというか、書物が乱雑に置かれていて足の踏み場もない状態だった。あー、かぐやたんはあんまり整理整頓とかできるタイプじゃなからなぁ。
綺麗好きのヴァルが見たら卒倒しそうな部屋だ。
「かぐやたん。〈セイギ〉が俺だって気づいてたんだね」
「〈セイギ〉がお前様だと気づかないわけがないのじゃ。儂は『ワールドマスター』のゲームマスターだったのじゃからな。開始直後にお前様からアクセスがきた時は驚いたものじゃ。儂がゲームマスターであった以上、一プレイヤーとして活動するお前様と会うのは不公平を招くからのぅ……。できれば避けたかったのじゃが……状況が状況じゃ。そうも言っておれんでな」
〈黒ウサギ〉は俺に噛まれた耳を優しく撫でながらソファに腰かけた。それに倣って彼女と対面するように置かれていたソファへと座る。
「どうしてまたCSNゲームに戻ってくる気になったのじゃ」
「まあ、色々あってさ。こう見えて多忙なんだけどねぇ」
「そんなことは知っておる。危険なことばかりしおってからに。見ているこちらがハラハラするわぃ。お前様は死に急ぐのが趣味なのかや?」
あ、かぐやたん俺の勇姿を見てたんだね。やだ、恥ずかしい。
「まあ、よいわ。おぬしのことじゃ。儂が考えつかぬことを考えておるのじゃろうて」
「そりゃ持ち上げすぎだよ、かぐやたん。俺はごくごく普通の高校生なんだから」
「ためらいもなくホラが吹けるとは良い口を持っておるものじゃの。儂の耳はお前様の嘘を聞き分けるために長くなったのやもな」
やれやれとばかりにかぐやたんは首を横に振った。
その話題を避けるように俺は話を切り替える。
「それで、教えてくれるんだよね。『ワールドマスター』と日本がどうなっているのか」




