第八話 『団地妻が宅配の若者と(ピーー)して(ピーー)する話よ』
【二一五三年/機月一一日/水の日/一七三八時/始まりの世界/ルトワナ丘陵】
それは豚だった。しかし二足歩行する豚だ。背丈は人間の腰あたりまでと小さめだ。
飛べない豚はただの豚だ。飛べる豚は紅の豚だ。人類と同じように歩く豚はどう呼ぶのがいいんだろう。とか俺が考えていると――
「って、あんたもオークと戦いなさいよっ! なんのための剣なのよっ!」
ああ、そっかオークでいいのか。ミヤの鋭い声が後ろから俺の耳に入ってきた。
「フッ……決まってるだろ……。お前を守るための剣さ、ミヤッ!」
俺は白い歯を光らせて彼女へと振り返った。ついでにウィンクすると、ミヤの額に青筋が浮き上がった。あれ、おかしいな。ここはキュンッとなるところだと思うんだけど……。
「セイギくーん!? その剣が豚を焼く支え木に使われてるように見えるけどぉ!?」
トラの言うとおりだった。俺は平らな地面に焚き火をして、倒した豚を剣に突き刺し、火にくべていた。トラ、ミヤ、フェレアさん、ミライが頑張って戦っている中、俺とナーガは焚き火を囲んで腰をおろし、こんがりと焼き目がつきはじめた豚を眺めていたのだ。
前線ではフェレアさん、ミヤ、トラが慣れた連携で体長三メートルはあろうかというでっかい豚さんを相手に死闘を繰り広げていた。
城下町に居つくようになってもう五日が経っていた。
偽“魔王”と出会ったあの日から俺たちは三日かけて城下町の主要な施設を周り終え、ジョルトー城下町の斡旋所でクエストを受けては攻略する日々を送っていた。
ジョルトー城下町から南西へ四時間ほど歩いたところに、ここルトワナ丘陵はある。
なだらかな起伏が続くこの場所はオークたちが頻繁に出没する。おそらく近くに住処でもあるのだ。俺はここからさらに南西にある山脈が怪しいとみている。
まあ、何にしてもルトワナ丘陵に現れるオーク集団を討伐するのが今回のクエストだった。
「もうちょっと火力を強めた方がいいみたいだわ」
ナーガが本に目を落としたまま焚き火に手をかざす。木が爆ぜる音がすると炎が背を伸ばした。
豚肉の焼ける香ばしい匂い。待ちきれないとばかりにお腹が声をあげる。
『ワールドマスター』には【満腹度】と【潤喉度】という面倒臭いシステムが存在する。
十段階ある二つのゲージは、時間経過とともに目減りしていくのだ。六段階目を切るとプレイヤーの動きが鈍くなり始め、二段階目に突入すると這って進むような状態になる。さらにそのまま放ってゲージが空になると死んでしまうそうな。ようするに【飢死】だ。
逆にゲージを最大にしてしまうと吐くらしい。吐くとゲージは一段階目になり、場所によると食事にありつけないまま死ぬようだ。吐いて飢え死になんて泣きっ面に蜂もいいところだ。あまりにも格好が悪いのでできればそんな死に方はしたくない。
そういうわけでプレイヤーは七段階目から九段階目の間を維持しなくてはならない。このゲージの減り具合が実にうまく調整されていて、現実と同じように食事の時間を適度に摂らなければならない。もちろん、食べたり飲んだりしても現実のお腹が膨れるわけじゃない。味はちゃんとするのでどうせ食べるのなら美味な料理を選びたいとは思うけど。
「わぁーんっ! たすけてぇまぁくーんっ!」
声の方を見るとミライは頭を両手で押さえて草原に女の子座りしていた。
彼女の左右にいる棍棒を持ったオークがポカッ、ポカッ、と何度もミライの頭を叩いている。
「ぎゃはははははははははははっ!」
俺はその様子に指をさして爆笑してしまった。
ぶひっぶひっ、と鼻息も荒く棍棒を振り下ろすオークに囲まれたミライはイジめられているようにしか見えない。思わず守ってやりたくなるような男心をくすぐる光景だった。……守らないけど。
それでなくとも、幼馴染を自称するミライだ。俺が可愛がり始めたら際限なく擦り寄ってくるに違いない。いやまあ見た目は凄く可愛いし、なんだかんだ気がつく子だし懐かれるのはもちろん嬉しい。
だがもしミヤにするような応対でミライに接したとすると――
『大丈夫か、ミライ! 俺の胸に飛び込んでおいで!』
『わーん、まぁくーん! 怖かったよー! なぐさめてー!』
『おー、よしよし。お前は可愛いなぁ。ベッドの上で慰めてやろうじゃないか、ぐへへ』
『やーん、まぁくんのえっち! でもそんなところが好きぃー!』
キ、キツ……。吐き気がしてくる。もはやバカップルを超越した何かだ。胃がもたれるなんて状態じゃない。地球に有害だ。やはり突き放すぐらいがちょうどいい距離感なのだろう。
それに彼女は知能、運動、生活能力と軒並みFランクだ。容姿とBQがSランクでもこのまま社会にでれば苦労するに違いない。俺はミライの自立心を促すため心を鬼にしているのだ。決して面白がっているわけではないのである。はい、自己弁論終了。
「いたっ! 笑ってないでたすけてぇーっ! いたっ! まぁくーん! いたっ!」
「ナーガ、その本は何なんだ? 重要なことが書かれたアイテムなのか?」
「無視しないでぇー! いたっ! まぁくんってばー!」
「プレイヤーが書いた短編小説よ。城下町で売っていたのを購入したのよ」
視線を落としたままナーガは答える。……どんな内容かはあえて聞くまい……。
「ちなみに、団地妻が宅配の若者と(ピーー)して(ピーー)する話よ」
さっすがナーガさん! わざわざ触らなかったのに自ら話し始めちゃったよ!
禁止用語に引っかかったらしく機械音がナーガの言葉を掻き消していた。ナーガは自らの言葉が上書きされ、不満そうに眉根をよせる。
「(ピーー)が引っかかるのは百歩譲って分かるのだけれど(ピーー)まで禁止用語にする必要はないと思うわ。だって(ピーー)や(ピーーー)する時に(ピーーーーーー)だわ。情報によれば『ワールドマスター』でも(ピーー)ができるのに(ピーー)を伏せる意図が分からないわね。(ピーー)したい時にどうやって誘うのかしら」
「まったくあなたの伝えたいことが俺の耳に届かないのですがっ!?」
「喋ってないでたすけてぇー! いたっ! 死んじゃうよっ! いたっ!」
そろそろミライが死にそうだった。あー、さすがに死なれるのは困るよなぁ。肉がこんがり焼けたら助けよう、と思いながら俺は枝でマキを崩す。ぱちんっ、と爆ぜる音ともに火花が舞った。もーえろよ、もえろーよー。炎よもーえーろー。
ミライがわんわん泣き叫んでいると、つむじ風とともにミヤが豚を蹴り飛ばした。返す踵でもう一匹も蹴り飛ばす。瞬きの間に繰りだされた蹴りにオークは反応する暇もない。オークは地面を何度かバウンドすると、ぴくりとも動かなくなってしまった。
おおっ、強い強い。一ヶ月半も経つとだいぶミヤも慣れたみたいだ。【疾走】の勢いが攻撃に乗っかって一発KOのダメージを叩きだすとは。あいつ本格的に化け始めてるぞ……。
「わーんっ! ミヤちゃんありがとぉ~! 命の恩人だよ~っ!」
「ミライ……どうして回復魔法を使わないのよ。危なくなったら回復しないと」
本当に涙を流して胸に抱きついてくるミライをミヤが抱きとめてあやす。
「あっ。……ち、ちがうよっ!? 忘れてたわけじゃないよ!? わたし、忘れてない!」
ミライさーん? 『あっ』ってなに、『あっ』って。それ気づいた時に出ちゃう『あっ』じゃないのかね? ……どうやら一ヶ月半経ってもミライはポンコツのままのようだ。
本当にBQ232もあるのか? ヤツはヒーラーのくせに回復魔法縛りでもしているのか? 傷を癒さず俺たちの何を癒すつもりなんだ?
ナーガは彼女らの様子に目を向けることなくずっと小説を読んでいた。
偽“魔王”の〈ジャスティス〉に言われたことを彼女はどう考えているんだろうか。まさか……本当に《ユビキタス》を抜けるつもりじゃないだろうな……。……分からん。こいつの考えている事は昔からよく分からん……。
俺は棒で薪を崩しながら目線をあげてナーガがページをくる姿を盗み見る。
倒れた古木に足を組んで座る彼女はいつも通りの表情だ。特に悩んでいる様子も感じられない。もしかしたら、どうするつもりなのか……もう決めているのかもしれない。
もう決めているとしたら、おそらく――
「どうかしたのかしら、さっきからじろじろと。……視姦するのはやめて頂戴」
ならその短い布から出てる生足をどうにかしろ、という言葉は胸の中に閉まっておこう。
「……あ、いや……」
「…………。……歯切れが悪いわね。言いたいことがあるのなら言ったらどうなのかしら」
「…………。……じゃあお言葉に甘えて。……お前、どうするつもりだ?」
俺の問いに、やっとナーガは俺へと視線を向けた。
「言ったはずよ。……私の目的は”魔王”その人だわ。あの人が私に戻ることを望むのなら、私はそうするだけね。私はあの人の言うことに従うしかないのよ」
自嘲するようにナーガは笑った。
やっぱりか……。何となくそんな気はしていた。
ナーガは――永森郁巳は《ユビキタス》を去るつもりなんだ。
そしてそれは当然のことだとも思えた。彼女が『ワールドマスター』をプレイしているのは“魔王”を探すことにあったのだから。例えあの〈ジャスティス〉が偽者だろうと、今はあいつが“魔王”ってことになってしまっている。ならナーガはあの偽“魔王”に従うだけだろう。
こんな状況でどうして彼女を止められる?
俺は彼女の“魔王”に対する想いを知っているのに。
そんな彼女に“魔王”のところへ行くな、なんて言葉を吐ける訳がない。
でも俺にはどうしても納得ができなかった。
だから視線をあげ、彼女に問いかける。
「なあ、ナーガ。どうしてそこまで”魔王”に入れ込むんだ? だって……”魔王”は……悪い奴なんだろ?」
俺の問いに彼女も小説から視線をあげた。
「…………確かに、あの人の悪い噂は多いわ。事実、あの人は度を越した破天荒だったし、自分のやりたいことに正直な人だったから……四方八方に敵ばかりだったわね。当時の掲示板でも言いたい放題言われていたし。外に敵が多いだけじゃなく、あの人の方針が理解できずセルズメンバー同士で戦ったこともあったわ」
「そんな奴ならどうして――」
「でも」
と、ナーガは強い口調で俺の言葉を遮った。
「でも……あの人が間違ったことは一度もなかった」
「……………………」
「後になってみんな気づかされるのよ、いつも。『ああ、あの人が言っていたのはこういうことだったんだ。だからああいう行動にでたんだ』と。だからこそ、あれだけの人材があの人の元には集まっているのよ。あなたのようなミニマム脳ミソでもあの人としばらく行動を共にすれば分かるはずだわ。あの人がどれだけ多くの事を考えて行動しているか……。独善的に見せながら、その実態は誰のための強行だったのか……」
ナーガは何か思い返すようにふと優しい笑みになる。
「きっと私はそういうところに惹かれたのね。……どんなに他の人が彼を嫌っていても、私から見れば彼は――”英雄”なのよ」
……違う……。買いかぶりにもほどがある……!
”英雄”だなんて……そんな大それたものじゃ、ない……。
何もできなかった。俺は……何もできなかったんだ。
知らず知らず、握った拳に力が入ってしまう。
彼女はなんと言った? 望むならそうするだけ? 従うしかない、だって?
俺には彼女――ナーガが”魔王”という幻想に縛られているように見えた。
”魔王”という鎖に繋がれているせいで彼女の成長が止まってしまっているように思えた。そしておそらく彼女はそれに気づきながらも、それでいいと思っているのだ。
”魔王”と同等……もしくはそれを超える可能性を内に秘めながら、彼女は”魔王”を超えない現状を維持している。
それがなぜか……考えるまでもない。
”魔王”の傍にいるためだ。
”魔王”に付き従うために彼女は自らに枷をしているんだ。
「……っ」
胸が痛んだ。大声でぶちまけたい言葉を俺は必至に呑み込む。
「どうしてあなたがそんな悲壮な顔をするのかしら。これは私の問題だわ。あなたたちはこれまで通りにしていればいいのよ」
言われ、俺は顔を伏せる。
声にはださず、彼女に語りかける。
なあ、ナーガ……。現実で顔を合わせたのはつい最近だけどさ。
俺とお前はもう何年の付き合いになる?
最初は俺が他のセルズに属するお前を引き抜こうとしてさ。
頑固なお前は俺たちの仲間になるのを何度も断って……。
でも、当時はまだ三人だった俺たち《ディカイオシュネ》が『七つの未攻略クエスト』を……その一つ目にいざ挑戦したら、てんでダメで……もう耐えきれないって時にいきなり現れて――
『あなたたち、そんな攻略法でよく『七つの未攻略クエスト』に挑戦しようと思ったものね。それで攻略できるのならもう他のプレイヤーがとっくに攻略しているわよ。まったく……見ていられないわ』
あの時、俺にはお前が”英雄”に見えたよ。
お前は知らないだろうが、俺とお前はCSNゲームの中でどれだけ多くのことに共感し、どれだけ多くの時間を共にしたと思う。
俺が……”魔王”が積み上げた功績にはいつもお前の力があったんだよ。
お前がずっと傍にいてくれたんだよ。
そして俺は顔をあげ、彼女を見据えた。
「…………?」
怪訝そうに彼女は眉をひそめていた。
……渡したくない。
彼女を、ナーガを偽”魔王”の元へは行かせたくない。
これが独占欲だというのなら、そうなのだろう。
どうやってもこれは偽りのない俺の本心だ。
だから俺は思考を始めた。
どうやったらナーガを偽”魔王”に渡さずに済むか。
彼女を《ユビキタス》へ引き止める方法が無いわけじゃない。
あいつが偽者だと教えてやればいい。
だけど……これは……難しい。
まず、そんな言葉を信じる理由、証拠がない。それに“魔王”はともかく、その傍にいる者たち――《ディカイオシュネ》のメンバーは本物のようだ。本物を統べるあの“魔王”だけが偽者などとは誰も思わないだろう。
そう、証拠が必要なんだ。このバカげた状況を覆す証拠が……。
そして、その証拠も……ないわけじゃない。
いや、むしろあの“魔王”が偽者だと証明するのは非常に簡単なことだ。
ただ単純に――
――本物の存在をナーガに見せつければいいのだ。




