第四話 『サルでも分かる鍋の使い方』
「相馬っち。明日野さんを知ってるような口ぶりだけど、知り合い? ならこの子あげるからさっさと連れてってあげて。ほら、はやく! フライアウェイナウ!」
「にひひ、正義くん。フライアウェイじゃ飛んでってることになるよん」
「な、なによぉーっ、まぁくん! わたしが他の男の子のものになってもいいのっ!?」
うーうー唸りながら明日野さんが俺を下から睨みつけてきた。うわー、全然怖くない。
「本郷も黒猪も彼女の噂を聞いてないのか! 彼女は転校時のBQテストで232なんて化物染みた数値を叩きだした紛うことない天の才能を持ったお方だぞっ!」
…………。……なにこのインフレ現象。俺のBQ48ってマジやばくね?
というか……し、信じれない事態なんだけど……。事実だとしたら今世紀最大の驚きかもしれない。
BQ232なんて高数値は世界的に見ても数える程度しかいないんじゃ……。
嘘だと思いたい。だが真面目な相馬がこんな嘘を言うとも思えないし……。
俺と虎雄は想像を絶する展開に彼女――明日野さんを見やる。
彼女は「えっへん」と鼻高々に胸を張っていた。
いや、才能あっても開花させないと意味ないですからっ!
あなたその頭脳をぜんぜん使いきれてませんからっ!
「あ、明日野さん! あなたが城東学園多くのセルズからスカウトされ、その誘いを蹴って蹴って蹴りまくっているのはすでに聞き及んでいます! ですがっ、今もまだ無所属ならっ、どうかっ……! どうか俺のセルズに入ってくれませんかっ! そして未来永劫っ、ずっと俺の傍で支えて――笑っていてください!」
おーい、何をちゃっかりプロポーズしとるんだ、このポニテ男。明日野さんの可愛さと高すぎるBQにビビって何を言ってるか自分でも分かってないテンパり具合ですね。
「ごめんなさい! わたし婚約してる人がいるんです!」
ソッコーで明日野さんは頭を下げた。うーん? へー、婚約してる人がいるんだー。誰のことを言ってるんだろうねぇー。……絶対にツッコんであげないんだからっ!
「は、ははは、そ、そうですよね。まだ出会って時間も浅いですし、お互いをもっとよく知り合ってからの方がいいですよね、はは、はははは」
相馬っち!? それはどっちの言い訳なのかな!?
「そ、それじゃあ、俺はこれで、はははは、はははは」
乾いた笑みを浮かべながら歩き去っていくその背中を俺たちは見送った。
若干、無理やりすぎる話の切り方に思えたが哀愁漂う背中がその心境を物語っていた。
とぼとぼと去っていく相馬の姿が見えなくなってから虎雄が明日野さんへと向き直る。
「BQ232って本当なのかに?」
「うん、そうなんだってー。わたしもその時、初めてBQテスト受けたからびっくりしたよー。先生たちも驚いちゃってねー、再試験したんだけど数値は同じだったんだぁ。あ、ねぇねぇ! 本郷くんも無所属なの? それならわたしたちと一緒に『ワールドマスター』やろうよ! きっと楽しいよっ!」
明日野さんは俺の腕に両腕を回して虎雄を勧誘し始めた。『たち』ってそれ誰を含んでるんですかね。いや、BQ48の俺だって訊かなくても分かるけどさ、ツッコまないよ?
「にひひ、正義くんがやるなら俺もご一緒させてもらおうかにゃー」
「はい、ちょっと待ったー、ストップ入りまーす。俺は『ワールドマスター』やる気ないから。そんなことしてる暇があったら寮に戻って母親が送りつけてきた『サルでも分かる鍋の使い方』を読むから」
「何を隠そうわたしは、入学手続きの時にCSNゲーム同好会を作ったのだよ。会長だよ、会長。ふふんっ、会長閣下と呼んでくれたまえーっ!」
鼻高々にして自分の胸にどんっと手をあてる。ふくよかな胸が揺れたので俺は視線を反らさず、じっと見た。揺れるのがおさまってから俺は視線を彼女の顔へあげる。
「断る。俺はこれから聖なる剣に導かれた仲間たちと共にマナの大木を救いに行かなきゃならんのだ。そう、波乱に満ちた世界の危機が俺を待っているんだ……」
俺はそう言って空を見上げる。そこには鬱蒼と葉をつけたマナの木に、妖精たちが舞い踊っているのが見えた気がした。だがそれを無視して彼女は話を進める。
「これから同好会のメンバーと会う約束してるの! 『ワールドマスター』がどういうゲームか教えてくれるって! はやく、いこっ!」
ぐいぐいと手を引っ張る明日野さん。だが非力な彼女に俺を動かせるはずがない。
「断る。俺はこれから星の生命エネルギーを搾取する悪のカンパニーを爆破しに行かなきゃならんのだ。そう、世界の命運を懸けた長き戦いが俺を待っているんだ……」
俺はそう言って空を見上げる。そこには暗闇の中、スポットライトで浮かび上がる巨大な銀のビルが聳え立っている気がした。
「えっぐ……うわぁーん! まぁくんのいけずー! どうしてそんな意地悪するのぉー! わたしのことも忘れちゃってるしー! わたしが今までどんな想いでまぁくんと離れ離れだったと思ってるのぉー! もうわけわかんないよぉ~~っ! なんなのこれぇ~!」
ざわざわざわ、と通りにいる人たちの視線が俺たちへ吸い寄せられていく。
「あーあ、泣かしちゃったぁ。俺は知らないもんねぇー」
虎雄は両腕を頭の後ろで組み、へたくそな口笛を吹く。この薄情者がっ……!
「あ、あの……明日野さん? 俺はただCSNゲームをやらないと言ってるだけで……」
「うわぁーん! 未来ってよんでぇー!」
「ミ、ミクさん。とりあえず泣くのはやめよう。卑怯だぞ。どれくらい卑怯かと――」
「うわーんっ! 『さん』付けだぁ! ばかー! げどー! へんたいっ! でも好きー! 約束したのに! 結婚しようって夢の中で何度も言ってきたくせにーっ!」
えぇっ!? 夢の中の約束を持ちだされましてもっ!?
騒ぎは大きくなる一方だった。彼女が可愛らしい顔をしているだけに、周りの視線が――男性の視線が――非常に痛い。いっそ俺も泣き喚いて虎雄に収集を任せてみようか。
ぷふっ、二人してビービー泣く俺らに慌てる虎雄を想像すると非常に好奇心が動く、が……。
「っく、み、未来、分かった。話を聞くだけだからな。それで文句ないな?」
この場を納めるため、俺は適当に話だけ聞いて帰ることにした。ここで押し問答していてもラチがあかない。なので彼女に拉致されてみよう。ラチだけにな……ぷふっ。
しっかりと話を聞いて、その上でお断りすればきっとご納得して頂けるだろう。
ぱっ、と未来は泣き止み、太陽のように眩しい笑顔で飛びついてきた。柔らかい感触に包まれ、良い匂いが鼻腔をくすぐる。うぉおおーっ! くんかくんかくんかぁーっ!
フローラルの優しい香りに包まれ俺の頭が一気に熱暴走を始めくんかぁー!
「まぁくんなら分かってくれると思ったよっ! それじゃ、早速いこうっ!」
腰を折り、眩しい笑顔で俺の顔を覗き込むと、俺の手をとり彼女は歩きだした。でかい緑色の化け物が出てくるジブリ映画のオープニングソングを口ずさみそうな勢いだった。
「にひひ。完全に未来っちのペースだぁね、まぁくん」
お気楽な調子でついてくる虎雄に、俺はチッと舌打ちを返すことしかできなかった。
【二一五三年/四月二七日/土曜日/一三五二時/現実/ワルツ城東通り店】
それから少し歩いた俺たちは城東通り沿いにある洒落たカフェテリアへと来ていた。店内に入ると、目的の人物を見つけたらしい未来が奥のテーブルへと歩みを進める。
彼女が目指すテーブルには一人の少女が座っていた。
腰まで伸ばした艶やかな黒髪、憂鬱そうな切れ長の瞳、細く閉じた唇、全体的に線が細い顔立ちをしており、どのパーツも均整がとれて美しい。同時に触れれば壊れてしまいそうな儚い印象を受ける。特筆すべきは左目の泣きボクロ。それが浮世離れしたような、妙に精錬された雰囲気を少女に付与させていた。その様子も落ち着き払っているため年齢よりも彼女を大人に見せている。
彼女は窓から注ぐ陽光の中、じっと文庫本に視線を落としている。
頬にかかる黒髪を指でかきあげる仕草が妙に艶っぽく見え、俺はごくりと生唾を呑んでしまった。
び、美人きたあぁあっ!! こ、これはお近づきになれる良いチャンスじゃないかっ!
「お待たせっ、永森さんっ。ごめんねぇ、遅れちゃって」
「気にしなくていいのよ。『この私を五分も待たせるなんてどうやって虐めてあげようかしら』なんて考えが脳裏をかすめるほどには……待っていないわ」
落ち着いた声色だった。静かに文庫本を閉じる。
ふと彼女が読んでいた文庫本のタイトル――『乱れる肢体と肉欲の蜜窟』――が目に入った。
……どう考えても官能小説だった。
しかもなかなか趣味が合いそうだった。電話番号を忘れずに訊かないと……!
「……あなたたちも『ワールドマスター』の参加者かしら。どうぞ、歓迎するわ」
俺たちは彼女に促されそれぞれ席に着く。永森さんとやらが俺と虎雄を見やった。
「あなたたちと会うのは初めてね。まずは自己紹介をしておきましょうか。円滑な交友関係は好感触な自己紹介から始まると言うもの。私は永森綾乃。綾乃ちゃんと呼んで頂戴」
俺は思った。先ほどの第一声やいきなりちゃん付けにしろと強要してくるあたり彼女も変人で間違いない。しかも『超』がついちゃうほどの。まあ、超変人だろうと美人なのに代わりはない。今、問題にすべきは彼女からどうやって電話番号を訊きだすかだ。
プライベートに関わる繊細な内容なだけにタイミングを誤れば大惨事になる。
俺は話題の流れからさりげなく訊きだす作戦を立てた。
そう、『さりげなく』が大事なのだ。
「綾乃ちゃん。『ワールドマスター』がどんなゲームか教えてくれるんだよな? あ、教えてくれるで思い出したけど、さりげなく電話番号教えて」
話と電話番号をさっさと聞いて帰りたい俺はすぐに彼女に本題を振っていた。
すると綾乃ちゃんはカップを静かに皿に置く。
「残念だったわね。綾乃という名は嘘よ。まんまと信じちゃって可笑しいったらないわね。精子からやり直してきなさい」
「「嘘かよ! なんでわざわざ意味もない嘘をついたの!?」」
訳が分からず俺と虎雄は思わず素で驚いてしまう。
「ちなみに私の電話番号はさりげなくAG5―8783―3629よ」
「よし、分かった。さりげなく登録しておく」
俺は携帯電話に綾乃(偽名)ちゃんの番号を登録した。
「二人ともー、全然さりげなくないよー?」と虎雄が律儀なツッコミを入れる。
「問題ないわ。どちらにしてもその番号はさりげなく嘘だから」
「嘘かよっ! ちくしょうがっ!」
俺は思わずテーブルに携帯電話を叩きつけていた。
「ごめんなさい。私、嘘をついて人を困らせるのが趣味なの。持病みたいなものだから気にしないで頂戴」
綾乃(偽名)ちゃんはすまなそうに眼を伏せた。
「すまなそうな顔しても許容できる範囲を超えてるぞっ! はやく本当の番号っ!」
すると綾乃(偽名)ちゃんは上から見下すような悪どい顔で、口の端を吊り上げる。
「ごめんなさい。私、嘘をついて人を困らせるのが趣味なの。持病みたいなものだから気にしないで頂戴」
今にも鼻で笑いそうな悪女の表情だった。
「馬鹿にしてんのかぁああ!? いい加減にしとけよっ、綾乃(偽名)ちゃん!」
「仕方がないわね。そこまで言うなら教えてあげるわ」
まったく、電話番号くらい最初から素直に教えてくれりゃいいものを……。
「私の名前は郁巳よ」
「今頃かよ! ボクァてっきりもうその話題は終わったものだと思ってましたが!? しかも嘘だった『綾乃』って名前の方が印象深くてそっちの方が記憶に残るぞっ!」
ツッコミ役に回っている自分に思わず頭を抱えてしまう。永森郁巳からイニチアチブを奪い取れ、と使命感に心が叫んでいた。なので俺は反撃を試みてみた。
「よし、これから永森さんのことは綾乃って呼ぶことにしよう」
「そう。それじゃあ私はあなたのことをコシードって呼ぶことにするわ」
「それはいったい俺のどこから飛びだしてきた名前なんですかね!?」
「最近、流行っているスペイン料理なのだけれど……知らないかしら?」
「じゃあ俺、関係ないよね!? それ料理の名前だよね!? 俺って人間だよね!?」
「ねえ、コシード。そんなに毎度全力でツッコミを入れて疲れたりしないのかしら。なんだか心配になってしまうわ」
「ならもうこれ以上ボケないでくれよ、綾乃ぉっ!」
なんかもう俺は泣きだしてしまいそうになっていた。
「ちなみに、今のも嘘よ」
「何が嘘なんだよぉ!? もう何が嘘で何が本当か分からないんですけど!?」
「もちろん。心配になってしまう、という部分が」
「うわぁーん! もうやだっ! なんなんだよ、この人ぉー!」
俺はついに机に突っ伏して大泣きした。




