第七話 『『ワールドマスター』から手を引け』
【二一五三年/四月二七日/土曜日/二二一七時/現実/城東学園・男子寮】
食堂から寮に戻ってすぐ、俺はある問題の早期解決をすべく眉間に皺を寄せていた。
俺の目の前には財布から投げだされた小銭たち。仕送りの日まではまだ十日近くある。どんなに頭を捻ってもこの小銭で生き延びるのは不可能だった。
加えて、『ワールドマスター』を購入するため虎雄に借金まで背負ってしまった。どうやったら踏み倒せるかも考えなければならない。
……うん、良い案を思いついた。虎雄の部屋に隠しカメラを設置して弱みを握ってしまおう。となると、まず隠しカメラを買わなければいけないのか……。
仕方がない。虎雄に借金して隠しカメラを買おう。……あ、待てよ。そうすると隠しカメラの借金を虎雄にどう返済するかが問題だよね……。その借金はどうやって支払おうか……。
「うーん……」と腕を組んだまま頭をひねる。
俺がCSNゲームの中で伝説の“魔王”様なんて呼ばれてようと、現実世界のお金が勝手に増えるわけじゃない。ぶっちゃけCSNゲームのレアアイテムを現実の世界で取引すればそれなりの大金になるんだけど、俺はそういったRMTということをしたことがない。なので現実では現実でお金を得るためにアルバイトなりなんなりとお仕事をしないといけない。
嗚呼、現実ってなんて厳しい世界なんだろう。今まであらゆる攻略法を見出してきたけど現実という世界の攻略法を俺は未だに見つけれていなかった。
なんて現実逃避をしていても何の解決にもならないわけで……。
仕方ない。状況が状況だ。背に腹は変えられない。これだけはしたくなかったが最後の切り札を使うしかなさそうだ。
俺は携帯端末からある人物の登録を呼びだし電話をかける。
ワンコール目で通話回線が開き、
『なんだ、馬鹿息子。生きていたのか。用件はなんだ』
開口一番に母上はそうおっしゃられた。
「単刀直入に言おう。金が無い」
ぷつ、ぷーぷー、と交渉が決裂した哀しい機械音が聞こえてくる。俺はリダイヤルボタンを無言で押した。ネゴシエーションの極意は根気である。諦めたらそこで交渉決裂ですよ。
『なんだ。今は忙しいんだ。手元が狂ったら二万人は死人がでるぞ』
「これには聞くも涙、語るも涙の日本海溝より深い理由があるのだ。この物語を聞いた者たちの涙で日本海はできたと言っても過言ではないくらいだ」
『ほう。どんな理由だ? まさかまた鍋からボヤを出して天井の修繕費を請求されているんじゃないだろうな。む、起爆システムはまだ奥か……。手の込んだウィルスを……』
「いつまでボヤの話を引っ張る気だ。そんな昔のことは忘れろ」
『ほんの一週間ほど前の話だが。おおかた鍋に火をかけたままエロ動画を観てオナ――』
「うるさいぞ、母親っ。勝手に息子様の生活を捏造するなっ」
『きゃんきゃん吼えるな、クソ息子。特区の馬鹿犬の方がまだ可愛げがあるぞ。どうしてこんな男に育ってしまったのだか……。はぁ……まったく……親の顔が見てみたいな』
「お前だっ! お前だよっ! 一応はお前ってことになってんだよっ!」
『おい、犬以下』
「なんだ、メス豚。愛する息子様が心配で仕送りする気になったか。俺様の大空のような寛大な心で受け取ってやるからさっさとよこせ、カミングスーンナウ!」
『今なのか、近々なのかどっちなんだ。貴様の適当英語は相変わらずだな。覚えておけ。ポケットの中にビスケットを入れて、ポケットを叩くと――増える。びっくりだな。日本のズボンはどうなっているんだ? 本当に興味深い国だ』
「昔、ラヴォアジエというおっさんが質量は増えたりしないと――」
『お前、またCSNゲームを始めたのか。二度とやらないとか言ってなかったか?』
俺がとくとくと母親の馬鹿さ加減を教えてやろうとしたのに、腰を折られた。
「おい、勝手に俺のログを閲覧するな」
『お前、また一八禁動画をダウンロードしたのか。おい、なんだこれ、お前、こういうのが好みだったか? なかなかハードな性癖になってきたな』
「おい!! 勝手に俺のログを閲覧するな!!」
『うむ。お前は間違いなくあいつの息子だな』
「んんっ!? どこに親子の絆を感じたの!? いやいい、言うな! 聞きたくない!!」
『前にも言ったと思うが……お前にはサイバーネットワークに関わって欲しくないと私は思っている。というか……色々と面倒なことになるから関わるな。悪いことは言わん。大人しくしていろ』
「それは心得てる。心配するんじゃない。卒業してもお前らみたいになるつもりはないから」
『いや、童貞ははやく卒業しろ』
「あれ!? ボクたち何の話をしてたんだっけ!?」
『お前が始めたゲーム、『ワールドマスター』とかいうやつだろう?』
「唐突に話を戻すんじゃない。俺の頭をパニックにさせたいのか? 発狂させたいのか?」
『お前、災害時の緊急避難袋は用意しているか? 非常食、水、蓄電池、ラジオ。しっかり用意しておけ。日本は地震大国だそうじゃないか。非常時に備えておけよ』
「唐突に話を変えるんじゃないっ! 行ったり来たりするなよっ!」
『……ふん。『ワールドマスター』か……。トラブルを呼び込むのは父親譲りだな』
「いや、あのお方は自分から首を突っ込んでますから」
『はっはっはっはっは! それもそうだな! っくく、はっはっは!』
「大爆笑してるところ悪いんですが、身内としてはわりと笑い事じゃないから!」
『そういえば、あいつ。アメリカに行った時にペットボトルロケットで空を飛んでるのを見かけたぞ。綺麗な虹だと思って見ていたら――あいつだった』
「なにしてんの親父!? てかあの珍獣に会ったの!?」
『ああ。そのままサンフランシスコ湾に落ちていったぞ』
「大丈夫なの、親父!? いや無事かじゃなく……!! 頭が大丈夫なの!?」
『奇跡的に無傷だったらしい。チッ。おしかったな』
「なんの舌打ちぃいい!?」
『ほら、あいつが死ねば生命保険――』
「はい、ストーップ! そういう話はやめよっか、お母様! ねっ!」
『…………。生命保険が入るのにな』
「止めたのに言い切りやがった! 止めたのにっ……!」
『元気でやっているようで何よりだ。だが童貞ははやく卒業しろ』
「切っていいか?」
『親子の縁ならいつでも切ってやるぞ』
「それは卒業してから考えてやろう」
『お前、童貞を卒業できるつもりでいたのか? ……愚かだな』
「あれ!? ボクたち何の話をしてたんだっけ!?」
『お前が道化を演じて普通の人間を装い生きるならそれもいい。普通に、というのは私たちの望みでもあるしな。だがお前は私たち以上に異質だ。どうあがいても普通には暮らせない。……わざわざ首を突っ込んでいては……体が持たないぞ』
「やめろ。俺を大事件に巻き込まれる命運の主人公みたいにしたてあげるな。お前がそういう台詞を言うことによって本当にトラブルに巻き込まれたりするんだぞ」
『…………。……結論を言おう。『ワールドマスター』から手を引け』
ふーん、やっぱり『ワールドマスター』は普通のCSNゲームじゃないってわけだ。
『お前がプレイしていたら私が一番最初に攻略できないだろう』
「あれぇっ!? 一〇〇億円がそんなに欲しかったの!? ボクァてっきり『ワールドマスター』に何か陰謀でもあるのかと思っちゃったんだけど!? そうだよね! たかがゲームに陰謀もクソもないことくらい分かってたわ、ちくしょう!」
『…………。……お前、本当に記憶を失ったのだな……。まあ、あれだけのサイバーハザードだ。記憶が混濁するのも無理はないか。彼女のことも忘れてしまっているようだしな』
急に出てきたシリアスな声に俺は眉根を曲げ、表情を固くした。
「…………おい。待て。聞き捨てならないぞ、母親。というか初耳だ。まさかこの俺は本当に何か記憶を失っているとでも?」
『ああ、その通りだ。実はな、お前には結婚を約束した幼馴染が……ぷふっ、お前はあの戦いで記憶をぷふっ、記憶をっぷははは! この馬鹿、し、信じて……あはははは! 記憶なんて、ははは、失ってるわけ、くくく、な、ないのに……! ぷふっ……!』
笑うのを抑えきれなくなったヤツの声に、俺は化かされたのだと理解する。瞬時に顔へ血が登っていく感覚がした、ちくせう。意味深な発言でからかってくるのは昔からあるヤツの悪癖だった。
「耳が早いな。俺の友人関係を調べるなんて過保護すぎやしませんかね」
まあ……過保護っていうより監視なんだろうけど……。
『面白そうな子だな。土下座すればヤらせてくれるんじゃないか?』
「おかーさん! そういうこと言うのやめてよねっ!」
『……さ、寒気が……お前がおかーさんなんて言うから。うぐっ、き、気持ちが悪い』
「あれっ!? 吐き気をもよおすような言葉だったっけ!?」
『お姉さまにしてくれ』
「うるさい。黙れ、ババア」
『私はまだ二六だ。この見目麗しい美貌を捕まえてババアだと? 今度、BWD被った時は気をつけろよ。最近、怨恨による脳焼き殺人が多いからな。かくいう私の脳もナマってきているようだからな。誰かに電脳戦でもけしかけて錆を落とさないいけないと思っていたところでな』
「すいませんでした、お姉さま」
やばい。マジで脳焼かれる。トレーニングがてらに殺されるなんて冗談じゃないぞ。
『まあ、何にしてもお前は首を突っ込むな。それでなくともお前は私たち以上に異質だ。どうあがいても普通には暮ら――』
「だから迷惑なフラグを建てようとしないで、ママン!」
『フラグをへし折りたいところ残念だったな。……もう遅い。ニュースを見てみろ』
言われるがまま俺はTVの電源を点灯させてみる。
ちょうどニュースが流れていた。
なんでも交通事故が起きたらしい。
……は? 交通事故?
サイバーネットワークで、ひいては正一位人工知能〈黒ウサギ〉によって管理、掌握されている自動車が交通事故を起こすのは実に一年半ぶり、とのことだ。
しかも九人の死者が出てしまったとか……。
どうやら交通事故は一件ではなく、日本の一七箇所で同時に起きたらしい。
このことから同じ原因、サイバーネットワーク上のトラブルと見て間違いないとのこと。事件性があるかどうかは《シグナル》が捜査中だとキャスターが深刻そうな表情で話していた。
何かあったのかな、〈黒ウサギ〉たん。怒り狂ってなきゃいいけど。
「ふーん、交通事故なんて珍しいな。これが『ワールドマスター』と何か関係あるのか?」
『…………お前は、どう思う?』
「………………」
『知ってるか? 『ワールドマスター』プレイヤーの親や同居人から《シグナル》へ『ワールドマスター』からログアウトしてこないという通報が八三件あった。たったこの三時間の間にだ』
「なんだそれ。ログアウトしたくないほど『ワールドマスター』にハマったのか?」
『かもな。救命員が派遣されて強制剥離装置も試したが、今もなお『ワールドマスター』とくっついたままだそうだ』
つまり。その八三人は現在、『ワールドマスター』内でログアウトできずに彷徨っているということか……。歴史も、文化も、食生活も、種族も、もしかしたら言語さえ違うあっちの異世界の中で。
……そりゃとてつもない大冒険の中にいることだろう。
『ログアウトできていないプレイヤーのうち七人は、たまたま『ワールドマスター』をプレイしていた《シグナル》の人間がゲーム内で保護しているらしい。残りの未帰還プレイヤーはまだどこを旅しているかも分からないようだがな』
「《シグナル》はもう原因を特定できてるのか?」
『ああ、そのようだ。運が悪ければ脳をやられて死亡しているところだったな。最も近くにいた三人ばかり脳にかなりダメージを受けたようだが……生命活動に問題はない。いつ目覚めるかは分からんが』
それって……脳死ってこと……だよな……。
「穏やかじゃない話になってきたな。『ワールドマスター』内で何があったんだ?」
『教える気はない。首を突っ込まれても面倒だからな。改めて言おう。『ワールドマスター』から手を引け。お前の友人たちも適当な理由をつけて止めさせた方がいい』
「断る。俺にも俺の目的がある」
『…………。……お前が何を企もうと勝手だが……私たちと敵対関係になるようなことはするな。……お前が私たちを裏切るなら私は迷わずお前を殺すぞ』
「……肝に銘じておこう。…………。……『ワールドマスター』は……いや、サイバーネットワークは今……どうなってるんだ。正常、なのか?」
『言ったろう。教える気はない。お前にこの話をしたのは『ワールドマスター』を止めさせる以外に理由はないからな』
はあ、と俺は深いため息を吐いた。
推測するに『何かしらサイバーネットワークに異変が起きている』と考えるのが妥当だろう。だからこその交通事故だ。報道の通り交通事故の原因はヒューマンエラーなんかじゃない。
きっと――何かが起きているのだ。
だけど分からないな。それがなぜ『ワールドマスター』を止めろという話になるんだ。
まさかサイバーネットワークの異変と『ワールドマスター』に関わりがあるっていうのか?
……いや、考えすぎだな……。漫画じゃあるまいしそんな予測は馬鹿げている。
たしかに『ワールドマスター』は類を見ない独特のゲームだが、たかがゲームが現実の世界に影響を出しているなんて……そんなこと、あるわけがない。
仮想世界と現実世界は飽くまで不干渉。実際、仮想世界で俺の右腕が折れていようと、現実世界じゃ俺の右腕は問題なく動いている。当たり前の話だ。仮想世界と現実世界は別世界なのだから。それと同じように『ワールドマスター』内で何が起ころうと現実の世界には影響は出ないはず。
……やっぱり分からないな。一体、何が起きてるっていうんだ……。
『ところで、青い配線と赤い配線、どっちを切りたい? お前に二万人の命を――』
俺は電話の回線を切った。結局、仕送りの件もうやむやにされてしまった。まあ、ヤツを切り札にしていた俺が大馬鹿だった。お世辞にも母親ができているとは言えないヤツを頼った俺があまりに愚かだったのだ。
深いため息を漏らして時計を見るとそろそろ深夜の一時を回ろうとしていた。
ま、まずい。電脳掲示板で『ワールドマスター』の情報収集をするという話をしていたのに何もできていないじゃないか……。
「さて――と、情報収集するかー」
俺はわざと声に出して部屋に設置されたパソコンの前に座った。
TVではまだ交通事故のニュースが大々的に取り上げられていた。




