第一一話 『“魔王”』
ばちぃんっ、という音とともに閃光が広がった。
堅い鱗が俺の拳を弾き返す。
ドラゴンにとってダメージは無いに等しいだろう。
右拳を振り抜いた格好のまま、ドラゴンと眼があった。
俺が殴ったことに意味があったのかどうかは分からない。
だが、その知性溢れる瞳は紛れも無く俺の姿を捉えていた。
「シャゲゴォオォオォオォオオッ!!」
ドラゴンは大きな怒号を俺に放ちながら今度こそ倒れていく。
俺が立つ逆側――ドラゴンの左側――にいるすべてのプレイヤーに向かって……ん?
……あっ。
気づいた時にはもう遅かった。
「「「んぎゃあああああああっ!!」」」
倒れてくるドラゴンを目玉が飛び出さんばかりに見上げ、蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う『ワールドマスター』全プレイヤーたち。
ズドオォォオォオォオンッ!
けたたましい轟音を響かせてついにドラゴンが、自分の羽根を押し潰すように倒れた。
トランポリンの上にいるみたいに人間の体が飛び跳ねてしまうほどの震動と同時に天高く土煙が巻き上がる。
土煙の中から地面を転がってきたプレイヤー、”螺旋”の〈ヘリックス〉が倒れたまま怒りの形相で俺に向かって拳を振り上げた。
「てんめぇッ! 俺たちを殺す気かっ! 潰されるところだったじゃねーかよっ!」
「プレイヤー全員を敵に回す気ですか!? 被害が出ていないのは奇跡ですよ!?」
”聖職者”の〈ヨハン〉も唾を飛ばさんが勢いで怒鳴っていた。
彼らだけじゃない、あらゆる方向からぶーぶーと文句の声が俺に注がれる。
そんな彼らに俺は胸を張って大笑いした。
「ぎゃーっはっはっは! 俺のおかげで倒れたのだよ! 皆の者、この俺を敬うがいい! 紳士的かつ人類に献身的なこの俺をなっ! ぎゃーっはっはっは!!」
天に向かってげらげらと笑う俺を見て近くにいたプレイヤーがぼやく。
「あの無名の不遜っぷりはなんなんだよっ! まるで“魔王”みたいな奴だな……!」
俺はその言葉に眼を伏せ、フと笑った。
はは、“魔王”みたい、か……。
「セッイギっくーん! 新しい剣だよーん!」
トラが剣を投げてよこす。くるくると宙を回転してきた剣を左手で掴み取り、手の甲を返して剣を一回転させる。そして俺はその切っ先でドラゴンを指し示した。
「さあ、ドラゴンは倒れたぞ、行け行けぇぇええッ!! 決着をつけるぞッ!!」
「「「お前が仕切るなああああっ!!」」」
周りからとんでくる非難の声も気にせず俺はいち早く地を駆けだした。
俺たちは雄叫びをあげて自身を奮い立たせ、ドラゴンの身体を駆け上がっていく。
ドラゴンの顔面へ、その“眼”を攻撃するために、勝ち鬨をあげるために、疾走する!
だがドラゴンは倒れても抵抗の意志をなくしてはいない。
両手を何度も振るい、自分の身体を登ってくるプレイヤーたちを薙ぎ払っていく。
数々の絶叫がこだまする中、俺は足場の悪い鱗の上を走り、ドラゴンの両腕の間をぬう。
頭上をドラゴンの腕が擦れていき、俺の後方にいたプレイヤーを一気に叩き落した。無念の言葉を叫んでプレイヤーたちが光の散りになる。
「ダメだ……! 全員、払い落とされてる……!」
「まだだよん! セイギくんはこれぐらいでくたばるタマじゃあないさっ!」
もちろんだ、とトラに心中で返事する。
もはやドラゴンの身体を駆け上がっているのは俺ともう一人――《七雄剣》セルズリーダー“聖剣”の〈エクスカリバー〉だけだった。
〈エクスカリバー〉は凄まじい反射神経と身のこなしで、ドラゴンの身体を走っていく。
同じ重力がかかっているとは思えぬ軽やかさで、俺を追い抜き――前へ――進む――!
《七雄剣》セルズリーダーの〈エクスカリバー〉とは少なからず因縁がある。
俺がまだCSNゲームをプレイしていた時に幾度となく〈エクスカリバー〉とぶつかっているが、こいつの強さは底が知れないと、毎回毎度、肝を冷やされたものだ。
それほどに彼は――強い。
二年前、俺はそんな彼と同等だった。
それが今はどうだ。肩を競いあい、切磋琢磨した相手から遅れをとっている。
俺はなぜ、こんな“化物”と互角に戦えたんだ――?
二年前、俺はCSNゲームの中でどういう風に戦っていた――?
少しばかり過去を思い返していたところにドラゴンが右腕を振るってきた。
当然のように〈エクスカリバー〉と俺はその右腕を回避する。
が、その右腕と交わるように左腕が間髪入れず襲いかかってきていた……連撃っ……!?
〈エクスカリバー〉が迫り来る左腕を受け止めた。
白刃と黒鱗が擦れ、エフェクトの閃光が波紋のように広がっていく。だがドラゴンの力を抑え込めるわけもなく〈エクスカリバー〉の身体が鱗を滑って押し戻されてきた。
〈エクスカリバー〉に苦悶の表情が滲みでる。どうやら攻撃を受け流そうとしているようだがドラゴンの強すぎる豪力にうまく大剣が滑ってくれないらしい。
「受け流すなっ、〈エクスカリバー〉ッ!!」
俺は雄叫びをあげながら、勢いを殺さず〈エクスカリバー〉の大剣と交差させるように剣を黒い鱗へと叩きつけた。自分以外にまだドラゴンの上にいるプレイヤーがいると思っていなかったのか、驚いた表情で〈エクスカリバー〉は横目を俺に向ける。
「よそ見するなッ!! 俺たちで押し切るんだッ!!」
「――……っ。フッ……お前に、言われるまでも……無いッ!!」
だが二人がかりでもドラゴンの腕の勢いは衰えることすらない。
バヂヂヂヂヂヂッ、と火花と閃光の線を残し、俺と〈エクスカリバー〉は取っかかりの無い鱗の上を滑っていく。俺の方が勢いをつけてぶつけたせいか、それとも大剣ではなく片手剣だったせいか、〈エクスカリバー〉よりも先に俺の剣にヒビが入りだした。
ダメだッ――! とてもじゃないがっ、押さえ切れない――ッ!!
折られる――ッ!
俺の予想に違わず甲高い音とともに俺の剣が折れた――その時、わき腹に鈍痛が走った。
「――なっ!?」
声をあげ、横を見るとあろうことか〈エクスカリバー〉が俺を横に蹴飛ばしていた。
まるでドラゴンの腕から俺を逃がすように。
スローモーションになった視界の中で、傾いていく視界の中で、確かに――見間違いではなく俺を見る〈エクスカリバー〉の口元は笑みに裂けていた。
時が動き始め、俺は背中からドラゴンの上に倒れ込む。
その頭上をドラゴンの豪腕が〈エクスカリバー〉を吹き飛ばさんが勢いで通過していく。
一人になり豪腕を押さえきれなくなった〈エクスカリバー〉は薙ぎ倒されてドラゴンの上を何度もバウンドして転がった。
「〈エクスカリバー〉ああああああぁ――っ!!」
思わず俺は彼の元に駆け寄る。
当然に、彼のHPは空になっているはずだ。前に進むべき場面で後ろへ戻るのは愚行だと理解はしている。だがそれでも俺は奴の元に向かう足を止められなかった。
「お、お前っ……! ふざけるなよっ! 無名の俺なんかを助けてどういうつもりだッ!」
俺は足から光になって消えていく〈エクスカリバー〉の胸ぐらを掴んだ。
そんな俺の胸ぐらを〈エクスカリバー〉は逆に掴み返してきた。
「――人類に勝利を――だ!」
〈エクスカリバー〉が大剣を握った拳を俺の胸へ、強く押し付ける。
傷つき、ヒビが入った自身の大剣を俺へ託してくる。
常に剣と共にあり、剣を畏れ、剣を敬い、剣と生き、剣と死ぬ《七雄剣》――
その剣を託すことがどういう意味を持っているのか――
《七雄剣》の中で自身の剣を預けることがどういう意味を持つか、俺は知っていた。
「さっさと倒してこいッ! ――“魔王”ッ!!」
切羽詰った檄が俺の脳天を貫いた。
“魔王”――CSNゲーム史上最強にして最悪のプレイヤーの二つ名だ。
現在最強といわれる〈エクスカリバー〉でさえ、同等の戦いをしながらも結局“魔王”には一度たりと勝利を掴んでいない。
圧倒的な強さでCSNゲーム界を震撼させていたプレイヤー、それが“魔王”だ。
冷徹にして鬼畜、他を顧みず己の欲望を貪欲に満たしたプレイヤー、それが”魔王”だ。
不敵な笑みを浮かべ、破天荒で大胆なことをしてきたプレイヤー、それが”魔王”だ。
王者である《ディカイオシュネ》――一騎当千の【二つ名持ち】たちが集った日本最強のセルズ、一癖も二癖もある彼らを統率し『七つの未攻略クエスト』を攻略したリーダー、それが“魔王”だ。
”魔王”と対峙した経験のある者は決まって言う。
――まるでアイツに心臓を握られているような圧迫感だった。二度と、アイツの前には立ちたくない、と。
――アイツを同じ人間だと思ってはいけない。あれは正真正銘の化け物だ、と。
それが”魔王”と呼ばれた伝説のプレイヤーだった。
〈エクスカリバー〉は今、確かに俺へ向けて“魔王”とそう言った。
何も知らないはずの彼が、俺の顔を見たこともない彼が、俺を“魔王”と呼んでいた。
かつて“魔王”の宿敵だったこいつは……気づいていやがったんだ……!
俺の絶句している表情を見て、〈エクスカリバー〉はニヤリと嬉しそうに笑った。
「分からないわけがない。俺と肩を並べられるプレイヤーはたった一人だけだからな……。はははっ、このゲーム……!! 楽しくなりそうだっ……! ははっ、ははははっ……!」
安らかな表情で眼を瞑り〈エクスカリバー〉は笑い声をあげる。
俺が〈エクスカリバー〉から大剣を受け取った瞬間――彼の姿は光の粒となって消えていた。
俺はきらきらと輝く粒子に包まれたまま、片膝をついたまま、〈エクスカリバー〉から受け取った大剣を強く握り締める。
無言で立ち上がり、顔を天に向けた。
いつの間にか日が沈みかけ、空を赤く染めていた。
綺麗な夕陽だ。眼に差し込んでくる光に俺は手で影をつくる。
……そうだ。俺は二年前、確かにそう呼ばれていた。
だが俺は《ディカイオシュネ》の……大事な仲間たちをこの手で皆殺しにしたあの日を境にCSNゲームから姿を消した。
俺のちっぽけだった正義は本物の悪の前に完膚なきまでに砕け散った。
俺のやってきたことはすべて無駄だと罵られた。
あの時の身を焼くような感情を忘れた日はこの二年間、一度も無い。
まあ、過去のことはいい。今はただ――
俺はゆっくりとドラゴンへ眼をやった。
「……………………」
瞬間、ドラゴンはぞくぞくと体を震わせて呼吸を止めた。
どうやら立場を理解したようだな。
そうだ。今、お前が眼にしているのは決して捕食対象なんかじゃないぞ。
俺を――俺様をそこらにいる人間と同じだとは思わないことだな。
俺様がなんて呼ばれていたのか、貴様は知らないのか?
「シャゲゴォオォォォオォォォオォオオッ!!」
まるで怯えた獣が威嚇するように、ドラゴンは右腕をたった一人残った俺へ薙ぎ払う。
「ま、まぁくーん!? なにぼーっと突っ立ってるのぉっ、避けてぇっ!」
避けろ、と大勢がそう叫んでいた。
だがその声がやけに遠くに感じる。
なんだか、懐かしい感覚だ。昔の呼び名で呼ばれたせいかも知れない。
あの感覚が、脳に深く刻まれた感覚が戻ってくる。
俺は夕陽にかざした右の手の平をじっと見つめた。
……そうだ。これは俺の意志だ。
手の平を閉じたり、開いたりしてみる。もちろん、俺の思ったとおりに動く。
当然のことだ。これは俺がそうしようと意識したのだから。
ああ……そうか。そうだった……。
どうして忘れていたんだろう。
こうして動かそうと考えているのは俺の脳じゃないか。
他の誰でもない俺の脳じゃないか。
俺自身の脳なのだから――
俺の自由にッ――使えないわけがない――ッ!




