第一〇話 『無駄』
彼女らの会話を静かに聞いていたナーガが【叫び】を通じて指示をだす。
『全員ドラゴンから距離をとって頂戴っ! 【疾走】スキル持ちでドラゴンを撹乱して転倒を狙ってみるわ!! 転倒したら分かってるわね!? すぐに”眼”を攻撃よ!!』
ミヤが左右三本の指を地面に降ろし、腰を少し浮かせた次の瞬間、蹴り足から土煙が巻き上がった――!
その走り方はおよそ陸上選手とは思えなかった。
たぶんミヤが現実の世界で行っている走り方ではないはずだ。
両手を翼のように後ろへと広げ、上半身は地面ギリギリの前傾姿勢だった。
そんな無茶苦茶な走り方だというのに驚くほど軽い足取りでミヤはドラゴンへ肉薄していく。
地を蹴るその一歩一歩はあまりにも優雅、しかし、彼女が突っ走った地面にはトルネードが通った後のように道筋がくっきりと残り、暴風が吹き荒れる――!
「速ぇ――ッ!! あ、あいつ、オープンからずっと村の中を走り回ってた奴だ……!」
「ああ、俺も見たぜ……! 何だか分からないがずっと走ってた奴だ……!」
村の中をずっと走り回っていたせいか、どうやら色んな人に目撃されていたらしい。ミヤがこの世界でも“神の足”と呼ばれる日はそう遠くないんじゃないだろうか。
砂塵を巻き上げ、背後から弧を描くようにドラゴンの右側面を駆け抜け、眼前へ躍り出てきたミヤにドラゴンが気づいた。ネズミを視線で追うネコのようにドラゴンの意識が、眼前を右から左へ疾走する彼女に固定される。
ミヤはそのままドラゴンの側面を駆け抜け、背後へ回ろうとする。
ドラゴンはミヤへ体勢を変えながら、右腕を振るってきた。
途端、ミヤは急ブレーキをかけ、右腕の下を――懐に潜り込むようにドラゴンへと方向転換する。
ドラゴンの爪が地面へ突き刺さり、爆発でもあったかのように土煙が巻き上がった。
ドラゴンは接近するミヤを右足で踏み潰そうと――浮かした! そこだっ、ミヤッ!
「っ、そこぉ――っ!!」
ミヤは自身に迫る巨大な足の裏を見たまま、両足で地面にブレーキ線を残してさらにドラゴンの左へと方向転換する。その姿をドラゴンの右足が追った。しかし、素早い腕でさえ追いつかなかったというのに愚鈍な動きの足ではミヤに追いつくはずもなく、ドラゴンは不安定なかたちで右足を地面へと下ろす。
ドラゴンは右腕を地面に、右足を左足寄りに下ろした格好だ。
右へ重心が傾いたドラゴンは当然――ぐらり――と右側へゆっくりと、ゆっくりと体を傾ぐ。
ミヤは倒れかけているドラゴンから充分に距離をとり両足で勢いを殺した。
そして右のつま先でとんとんっと地面を打つと、片手を腰にあて『ちっちっち』と指を振る。
「私を捕まえたいなら――そんなとろい動きじゃダメよ」
おおおおーーっ、とあちらこちらで歓声があがり、拍手の音がする。
「おぉーっ! ミヤちゃんカッコいいー!」とミライも興奮して飛び跳ねていた。
だが考えが甘かった。
ドラゴンは体勢を立て直すため、再び右足を浮かし足幅を広げようとする。
それを見て俺は――いや俺たちはすぐに行動を起こしていた。
「「「倒れろぉおぉおぉおおおぉおお――ッ!!」」」
俺の右拳が、トラの矢が、ミヤの蹴りが、ナーガの魔術が、〈エクスカリバー〉の斬撃が、〈ヘリックス〉の突きが、〈ヨハン〉の魔法が、〈麗春〉の一閃が――
熟練プレイヤーたちのありとあらゆる攻撃が重なり、ドラゴンの左側面に強烈な一撃を与えていた!
ドラゴンの体躯が震動し、倒れる勢いを増す。
それでもドラゴンは右足をやや無理な体勢で着地させ――た。
重心はまだ右に流れているが……倒れては――いないッ……!
「そんなっ……!! これでも倒れないというのっ……!?」
珍しくナーガが狼狽していた。
やれることはすべてやった……! だがドラゴンは俺たちを上回る執念で耐え切っていた……! これ以上……どうしろってんだよっ……!
「……人数がっ、足りないんだわ……! なんとか増援を――最初に殺された人たちがもうそろそろキャラクターメイキングを終えて戻ってきてもおかしくないはずなのだけれど……!」
そういえばそうだ。ドラゴンの相手をするのに夢中になっていたせいで気づかなかった。
なぜかは分からないが死んだ者たちは一人として戻ってきていなかった。
データ削除されても、説明をスキップすれば二、三分でこの世界に戻ってこれるはず……だが、誰一人として死んだ者は戻ってきていないようだった。
親指で唇を押さえていたナーガの頬に汗が垂れる。
急にその瞳に理解の色が点った。
「……まさかっ……この【チュートリアルの世界】を出る方法はっ――!! だとしたら……増援は期待できないわ……! 少なくなったこの人数で……倒すしかっ……!! でも、そんなことっ……! ダメだわ……! 万策――尽きてるッ……!!」
俺たちの間に絶望の空気が増していく。
考えろ、考えろ、他に策はないのか……!
だが、俺の頭にも何ら方案は浮かんでこない。
くそっ、弱点が分かっててもこれじゃどうしようもない……!
さすがに俺ももうダメかと思ったまさにその時だった。
「「「人類にッ、勝利をッ――!! 突撃ぃいいいいぃーーっ!!」」」
地鳴りのように響く数多の雄叫びに、何事かと俺たちは振り返った。
そこには何百いや何千というプレイヤーがいきなり沸いてでていた。
いや、沸いてでるという表現はふさわしくない。
彼らは――戻ってきたのだ。
ドラゴンに怯え、逃げだしたプレイヤーたちが、戦意喪失し勝てるはずがないと諦めた彼らが――大波となってドラゴンへ果敢に駆けてくる――!
「【二つ名持ち】プレイヤーも熟練プレイヤーも、無名プレイヤーも関係あるかっ! 俺たちだって『ワールドマスター』のプレイヤーなんだよ!」
「お前らの【叫び】を聞いてたらいてもたってもいられなかったよ! 村で戦ってる奴らがいるのに俺は何しにきたんだってな! 俺たちはここへ戦いにきたんだ!!」
「人間様を――なめんなぁあああっ!! 人類にッ勝利をぉおおおっ!!」
後方から来た大援軍に驚いたのは俺だけじゃない。周りにいた熟練プレイヤーたちはみな一様に顔を見合わせ微笑していた。
そして疲労を吹き飛ばすように気合を入れなおした表情でドラゴンを見据えると、足幅を広げ力を溜め込むように己の武器を構える――!
「この人数なら――いけるッ――!! だろッ、ナーガッ!!」
俺の声に首肯し、ナーガは人の波を操るように大きく腕を振るった。
『総員――ッ!! とつげきぃいいぃいぃッ――!!』
ナーガの号令一下、すべてのプレイヤーが大きなうねりとなってドラゴンにぶつかる。
それはまさに人類の総攻撃と呼べるものだった。
眼を焼く無数のエフェクト、何重にもなった攻撃が幾度も、幾度も幾度もドラゴンの巨体を激震する。
さすがのドラゴンも――これには耐えられなかった。
重心が右に傾いたまま、圧倒的な数に左側から押されドラゴンの左足が地面から離れる。
そのまま右側へ倒れるかと思った。しかし人類の予想を超えることが起きていた。
それは人類から消え失せた――尻尾だった。
ドラゴンは右側に巻いていた尻尾を左へと動かし、同時に上半身をエビ反りになるように左へ反らして無理やり重心を左側へ移動させ……たぁ!?
するとドラゴンの体が左へと戻ってきて、大きな地響きをあげて左足は地面に着地した。
「こんなことがっ……! ドラゴンを倒すのは不可能だってのかよっ!?」
「くそっ! やっぱりこんなドラゴンに勝とうなんて考えることが無駄だったんだよ!」
希望を失った声があちこちから漏れる。その言葉に俺はぴくりと耳を跳ねさせた。
「……無駄? 今、お前、無駄って言ったか……?」
いや、まだだ……! まだ終わってない……!
無理をして重心を移動させた反動はドラゴンが思っていたより大きかったのだ。振り子の原理で今度は右足が浮き上がっている。
まだ……終わってないッ!
ドラゴンの体は今までで一番大きく傾むいているじゃないか!
何度も左右に揺らしてきたのは無駄なんかじゃなかったんだ! 諦めずに繰り返したことが実を結ぼうとしているじゃないか……! 何度もドラゴンに攻撃したことで、今まさにあの巨体が……倒れようとしている!
あともう少し――! もう一押しなんだ――!!
だがドラゴンとて諦めていない。今度は尻尾を右へと動かし重心を移動させようとしていた。
これまでの努力をッ、『無駄』にしてたまるかあぁ――っ!!
「俺は無駄だと決め付けられるのが大嫌いだぁああ!!」
「げふぅっ!?」
とりあえず、弱音を吐いていたプレイヤーを殴り飛ばし――
「トラアアァッ――ッ!!」
叫んで、後方に立っているトラへと駆け寄る。
俺のやりたいことを汲み取ったのか、トラは片膝をつくと左手の甲を右手で握り、手の平を前に突きだす。
俺はトラの手に左足を乗せて足場にし、さらに右足でトラの顔を踏んづけた。
顔を踏まれたのは予想外だったのか、「ふんぎゃっ」とトラが気の抜ける声をあげる。だが俺はそれを意にも介さず、力の限り蹴飛ばしてドラゴンへと跳躍した。
俺は放物線を描いてドラゴンの左足の甲を前のめりに飛び越え、ドラゴンの真下に着地し――前転して起き上がる。頭上にはドラゴンの大きな右足の裏……どんぴゃしゃだ!
大きく足幅を広げ、腰を少し落とすと右拳を背中まで振りかぶった。
ぎちぎちと右腕の筋肉が軋む音が鳴る。
ありったけの力をその右拳に込める……!
張り裂けんばかりに喉を鳴らして雄叫びをあげ、右足を地面に踏み込ませ――胸を大きく張った状態から全体重を乗せた右拳をドラゴンの足の裏へ――
――俺は真っ直ぐにその一撃を繰りだした。
「いさぎよく……倒れやがれぇえええええええええッーー!!」




