第二二話 『ミライ』
あっさりと、いけしゃあしゃあと認めたミライにセイギはギリッと奥歯を鳴らした。
「城で爆発した”爆弾”も……お前が俺に渡したものだった。お前は露店を開く《リベレイター》と通じ合っていて”爆弾”を受け取った。そういうことだろう」
「凄い。気付いていたんだ。あんなにタイミングよく起爆するわけないもんね。……あれは失態だったかな。あの時はこの件に関わってもらうのが最善だと思ったんだけど……こうなっちゃったら結果的には失敗だったね」
「ああ。あの辺りからだよ。本気でお前を疑いはじめたのはな。時間による起爆も考えられたが、あの場に《リベレイター》がいて操作したと考えるのが適当だからな。情報生命体の中に《リベレイター》がいるとは考えにくい。そうなると、俺たちの中に《リベレイター》がいるってことになる。俺がよく知るトラは違うだろうし、ナーガもそうだろう。可能性が高いのはミヤとお前。その中でも特区出身のお前は俺から見れば怪しすぎる。だが俺は自分の考えを否定し続けた。そんなことあるわけないってな……! だが、決定的なものを俺は見てしまった……。お前を見た〈ヘリダム〉の反応だ……! 〈ヘリダム〉はお前が知り合いのような口振りをした……!! もう、どうやっても俺はこの考えを否定できなかった……!」
「信じようとしてくれてたんだね。ごめんね、黒猪くん。そうだよ。私が『ワールドマスター』に、《リベレイター》のしていることにあなたたちを巻き込んだの。私はあなたが”魔王”だと知っていてあなたに近づいた。ごめんね。私も持ってるの。《ディカイオシュネ》全員分の個人情報。これ、どういう意味か、分かるよね。キミが”魔王”を名乗るのは……少し早いかな」
すぅっと見たこともないような冷たい瞳をするミライ。
「……っの野郎ッ……!!」
「なんてね。大丈夫。安心して。もう処分したから。私が《ディカイオシュネ》の情報を手にした目的はCSNゲーム最強の”魔王”に協力してもらうためだったし。”魔王”の情報があればと思って《ディカイオシュネ》最後の戦いを調べたら相手が《正道騎士団》の〈ヘリダム〉――《リベレイター》だった。それも”魔王”が自分の仲間を殺すというあまりに不可解な戦いだった。だから彼のPCを覗いてみたら出てきたの。まさかそれが現実世界であなたたちを攻撃するために彼が入手したものだとは思っていなかったけど」
「全部っ……! 全部嘘だったのか、ミライイィッ!!」
「そうだよ。あなたの幼馴染だということも、あなたに近づくための口実。全部嘘だよ。あなたが好きだということも、嘘だよ。可愛いよね。ちょっと言い寄るだけで簡単に信じちゃって」
にこり、と満面の笑みで可愛く首を傾げてみせた彼女にセイギの手がわなわなと震えだす。
「……お前、何が目的だ……! どうして俺たちを巻き込ませたッ!」
「教えてあげないよ。もしそれを話したらあなたは私に敵対するかも知れない」
「今更気にするな……! もうお前は俺の敵以外の何者でもないからな……!」
その言葉にミライは少し眼を伏せた。だが、すぐに顔をあげ、変わらぬ笑みを見せる。
「……そっか。でも私が言えるのは一つだけだよ。黒猪正義くん、あなたのやろうとしていることは間違っている」
「……俺が間違ってるだと? お前が俺の何を知っているってんだ……!」
「全部だよ、黒猪くん。あなたが――零位人工知能〈マザー〉に育てられた二人しかいない人類――”チルドレン”の一人だっていうことも。あなたたち”チルドレン”が高度情報特別区域でどれだけ人を殺してきたかも。あなたたち”チルドレン”が人工知能管理施設を破壊したことも知っているし、それは全部、あなたたちが何も知らず〈マザー〉の傀儡になっていたからだっていうことも――全部」
セイギは眼を見張った。
あまりの衝撃に頭がくらくらしてくる。
それはセイギ――黒猪正義にとって思い出したくもない過去だった。
そしてそれは彼自身が清算しなければならないと考えている罪でもある。
「なんでそんな事を……って顔だね」
それはサイバーネットワークの裏側である部分だ。
現実世界でこの事を知っている人間は一部も一部。関係者しか知らないようなことだ。
そしてミライが明日野未来が話していることは事実だった。
当時、人工知能は人類によって人工知能管理施設で管理されていた。人工知能たちがサイバーネットワークや人類の生活を安定させてはいるが、最終的な決定権を握っているのは人類だったのだ。もし人工知能が間違った判断をすれば人類はそれに手を出すことができた。
あくまで自動処理。それらを制御するのは人間。
いや、それほど生易しい話ではないかも知れない。言い換えれば、人類はその制御装置を利用し、情報生命体たちに永続的な労働を課していた、とも言えるのだから。
事実はどうであれ、今も人類の大半はライフラインを管理しているのは人工知能だが、その人工知能を管理しているのは人類だと思っている。
だがそれは違う。
黒猪正義たち――二人の”チルドレン”が、人工知能たちを管理する施設を破壊したことによって人工知能は自由を手にした。人類の課す強制労働から解き放たれた。
その結果、兼ねてから人類に管理されていることに疑問を持っていた人工知能は人類に対して暴動を起こすに至る。瞬く間に人工知能たちは五つの島から成る高度情報特別区域――その中央島を占拠した。
中央島から一切の人類は排除されたのだ。
そして明日野未来はそこから先の話も知っていた。
それを奪い返すため、各国から精鋭を集めた連合軍を作り上げ、中央島奪還作戦を実行したこと。
その結果は失敗に終わったことも知っていた。
そして生きて帰ってきた軍関係者たちが口々に発する言葉があった。
『あの島では人工知能たちが生きていた』と。
人間と同じように血を出し、人間と同じように感情を露わにして話す新人類。
軍が捕虜にした彼らは自分たちのことを情報生命体だと名乗ったことを。
情報生命体が住まう世界から《ゲート》を通じてこの世界にきた、と喋ったことを。
情報生命体。その言葉はこの世界にきた初日に明日野未来は聞いている。
フェレア=レイアスが自分たちを人工知能などと呼ばないで欲しい、と彼女はそう言った。
私たちは情報生命体だと。
だからこそ、明日野未来は推測――いや、こう確信していた。
現実世界と『ワールドマスター』――情報生命体たちが住む世界は繋がっている――。
情報生命体たちは――様々な世界が混合し発展した技術が、その人類を超過した技術が、ついに、現実世界へと続く扉を開けてしまったのだ。
そして今も尚、人類は中央島には立ち入りできない状態が続いている。
それはつまり、ライフラインやサイバーネットワークを人工知能たち――いや情報生命体たちに握られていた、ということだ。と、いっても情報生命体たちは人類と同じように権利と自由が欲しいだけであって、何も人類を滅ぼそうとしているわけではない。
それ故、各国と〈マザー〉は元の鞘に収まるための交渉を続けていた。
だが再び人類の管理下になるつもりは情報生命体たちには無く、今に至るまで交渉は続いている。
その事実を知り、業を煮やしたのが《リベレイター》たちだ。
言う事を聞かないのであれば排除してしまえばいい、というのが彼らの考え方だった。
彼ら《リベレイター》の最終目標はすべての人工知能の破壊だ。
それをしてしまえば世界各地でどれだけの被害が出るか分かったものではない。
災害などという生易しいレベルではない参事が起こる。もちろん多くの人の命が失われるだろう。
《リベレイター》のやり方はあまりに暴力的すぎるのだ。人工知能に渡してしまうのであれば潰した方がマシだと言わんばかりに人工知能が管理する施設を破壊、中央島から交渉に出てきた情報生命体の暗殺――《リベレイター》のやった事は明らかに人類と情報生命体の不仲に拍車をかける結果となっている。
暴走ともいえる《リベレイター》たちの行動をどうにかして止めなければならない。
各国も《リベレイター》を止めようとするものの、彼らは潜伏して輪を広げていくため後手後手に回ってしまうばかりだった。
そしてついぞ《リベレイター》は『ワールドマスター』を通じて情報生命体たちから日本のライフラインを取り返したのである。さらに自分たちが管理すると言い始めたのだから政府としては参ったものだ。
《リベレイター》が『ワールドマスター』を襲ったその裏には、情報生命体たちの世界を潰す目論見と、現実世界と仮想世界を繋ぐ超過技術を破壊する目論見があったのだ。
何にしても、暴走し続ける《リベレイター》を止めることは最優先と言える案件だった。
普通に暮らしている人々が何も知らないうちに戦争は始まっていた。
そして今も、特区――中央島で人類と情報生命体たちが小競り合いをしていることを人々は知らない。
昔を思い出し、セイギは強く拳を握る。
当時の黒猪正義は、人工知能管理施設を破壊した時の自分は人工知能を解放することが正しいことだと思っていた。
自分が〈マザー〉によって生み出されたデザイナーチャイルド――”チルドレン”だということは分かっていたし、特別な使命を授かった人間なのだと思っていた。
だがそれは思い上がりでしかなかったのだ。
当時、サイバーネットワーク上でしか存在できなかった情報生命体たちを統べる〈マザー〉は現実世界で動かせる手駒が欲しかっただけだった。
元々、〈マザー〉の遺伝子操作によって優れた身体能力と頭脳を授かり産み出された二人だったが、〈マザー〉は手駒を更に優秀にするため、二人の”チルドレン”に様々な教育を施した。
その過酷で熾烈な教育過程で黒猪正義は様々な戦闘能力を叩きこまれ、”先読み”という類稀な能力に目覚めるに至ったのだった。
そのことを彼女――ミライは淡々と話してみせた。
「…………バカな……! なんで……お前は……そんなこと――ッ!!」
「やっぱり覚えてないんだ。私はあなたたちと特区で既に出会っているんだよ。黒猪正義という名前を黒猪正信に授かる前のあなたに、私は会っているの。私もまさか”魔王”と怖れられたプレイヤーが”チルドレン”の生き残りだと思っていなかった。驚いたよ。本当に運命の悪戯にしたって出来過ぎた話だよ。と言っても、まだ私は生き残ったのが、あなたたち二人のうちのどっちなのか、分かってないけど。でもたぶん……あなたの行動や考え方からして私と約束した――」
何か言いかけたミライに対して、我慢できなくなったようにセイギは吼える。
「ふざけたことを言うなッ! 俺たちと出会ってるだと!? 特区にいる時にッ、あの時の俺たちに知り合いなど存在しないッ――!!」
当時のことを思い出し、セイギは眼を伏せる。
国籍も無く、学校教育も受けない。存在しない人間――影や幻の類に近かったセイギにとって、知り合いと言えば共に”チルドレン”として育てられた彼だけだ。人間らしい生活などなく、ただ機械のように感情も無く〈マザー〉の指示を真っ当する毎日。そんな中で知り合いなどできるはずもない。
高度情報特別区域――その中央島にある一つしかない公園。そこで太陽の下、明るく元気に遊ぶ子供たちを眺め、自分たちは『アレ』とは違う存在なのだと理解していた。
だから自分たちは人類と接するのを極力避けてきた。
いや、違う。――いる。
たった一人。闇の世界に住まう自分らの手を引いて、光の世界を見せてくれた少女がいた。
彼女は自身のことを『カコ』と名乗った。
『カコ』は運動神経抜群で、心を見透かしたようによく物事を深く考えていて、欲しい言葉を言ってくれる。公園での彼女は少なからず特区中央島に住んでいた子供たちみんなにとって、姉のような存在だった。みなの憧れのような存在だった。彼女の言う事はいつもとてつもない説得力と正しさを持っていて、大人さえも驚かせ、説き伏せてしまう。
その存在は”チルドレン”の二人にとって衝撃以外の何物でもなかった。
だがその光り輝く存在だった彼女はもうこの世にはいない。
セイギたちが気づかないうちに死んでいた。
自分らが巻き起こした人工知能管理施設の破壊。その施設内になぜ彼女が入れたのか、それは分からないが、彼女はその中にいた。そして施設の崩壊に巻き込まれてしまったのだ。
セイギは見ている。瓦礫に埋まり、呼吸を止めた彼女を。
瓦礫に潰された彼女の左足を見ている。
だがミライ――明日野未来は生きている。自分の足に足をひっかけるほど運動神経も悪いし、まるで体力も無いし、とんちんかんな事を口走るし、左足だってある。
同一人物であるはずがない。
何にしても、今、分かるのは――彼女が《リベレイター》だということだ。
「ミライ……! お前はここでドロップアウトしてもらう!」
足幅を広げ剣を地面と水平に構えるセイギに対し、ミライもゆっくりと足幅を広げた。
「魔導熟練スキル――【チャージ】、【マナリスペクト】、【ファイナルターン】、強化魔法スキル――【オーバーリミット】――」
淡々と呟いていくミライの身を幾重にも強化魔法が覆っていく。様々な色が、重なり合い、七色――いや、もっと多様な色が織りなし、見た事も無いとてつもなく美しい一色へと変えていく。
言うなれば――神聖色。
そのミライの姿は神聖という言葉が、彼女のために作られたのではないか、とそう思ってしまうほどに神々しいものだった。
そしてミライは杖をくるくると身体の前で回して、ゆっくりとセイギへと歩んでくる。
その手さばきから察するに棒術あるいは薙刀術の類だろうか。近接戦闘ができることを彼女は今の今まで隠していたらしい。
「いつでも、どこでも、誰にでも、神は、あまねく存在する」
まるで呪文でも詠唱するかのように、ミライが小さく、言葉を紡ぎ出す。
「オンリースキル――【ユビキタス】」
彼女がそのスキルの名を呟くと――
メギィッ!!
世界が軋む音をあげた。
時間が、空間が、歪み、ありとあらゆる概念が極限までに凝縮される。
そんなコンマ秒とコンマ秒の狭間で、セイギは眼にした。
ミライが分身でもしたかのように彼女の左右に同じミライが一人づつ現れる。増えたミライはまるで本体から色が抜き取られ三等分されたように、一人一人のミライの姿が薄く存在そのものが希薄になっていた。
その分身からまた分身が現れ、ミライの姿がどんどんと増え、同時にまるでこの世界に溶け込んでいくように増えれば増えるほど存在感そのものがなくなっていく。
その時点で、異常を感じ取ったセイギが【オンリースキル】の使用を始める。
時間の切れ目の世界の中で、セイギは分身したミライが少しづつ異なっていることに気づく。
ミライ本体から右に増えていく分身は身長が少し伸びて若い女性へと成長していき、左に伸びた分身は逆に幼くなり身長も短くなっていく。
ネズミ算式に増えるミライという存在はまるで万華鏡から世界を覗いたように、もはやどこを見てもほぼ透明になりかけているミライにセイギは取り囲まれていた。
その時点で、やっとこさセイギの身を無色透明の炎が包み【オンリースキル】が発動される。
だが、その時にはミライの姿は世界に溶け込み完全に消えていた。
その姿はもはや見えず、彼女はどこにもいなくなってしまう。
そしてセイギは気づく。
セイギだけでなく、ここら一帯の周囲を包む存在感。
瞬時にセイギは彼女がどこにもいなくなったわけではないことに気付いた。
いなくなったのではなかった。
――彼女はどこにでもいる。
セイギが悟ったと同時、背後に存在が集約していくのを感知する。
そこから攻撃がくるのを理解し、振り返る。
脳が極限まで活発に動き、体感される時間が遅くなった中で、セイギの眼に飛び込んできたのは神聖な色を放つ杖の先だった。
そんな、ぎゅっと凝縮された時間の中で、かすかにミライの言葉がセイギの耳へ届く。
「――ごめんね」
消え入りそうな哀しい声だった。
セイギは見た。彼女の瞳から流れ出るものを。
瞬間。
視界が眼にしたこともない不思議な色に染まる。
ドゴォォオォォオオオォオンッ!!
館が、その区画一帯が、振動した。
眩い光が、館の天井を突き破り、夜の空へと突き抜けていく。
光は雲を突き抜け、千切り、吹き飛ばしていく。
館から太く長く空へと伸びていた光の柱が、徐々に、細く短くなり、消えていく。
その光が収束する中心にミライは立っていた。
半ばから消し飛んでしまった杖を見て、後ろへ放る。
くらり、と身体が傾ぎ、頭に手をやる。
溜めに溜めこんでいた魔力を、すべてこの一撃に使ったため、身体に反動がきたようだ。
自分が杖を振り下ろした先を見てみると、床を吹き飛ばしクレーターが出来ていた。
その中心から少し離れた位置にセイギが気を失って地に伏しているのが眼に入る。
「…………すごいね、黒猪くんは」
たらり、とミライの口から血が垂れていく。脇腹を押さえると、ひどい鈍痛がしていた。
あの一撃の、ほんの数瞬、その中で、セイギは剣と右腕で杖を横へ受け流して直撃を避けた。
それどころか、こともあろうにこちらへ膝蹴りを入れてきたのだ。
連戦に継ぐ連戦で疲弊しているのに、初見だから予測もできないであろう一撃だったのに、こっちは全部空っぽになる渾身の一撃だったのに、だ。
その類稀な、驚異的とも言える戦闘センスには舌を巻くしかない。
生かしておくわけにはいかない。彼は自分の考えを曲げないだろうし、生かしておけば再び自分の前に立ち塞がるだろう。その時の彼は、このほんの一瞬の間の情報から自分の覚醒能力を考察し、対策を練ってくる。よく見てきたから分かる。彼はそういう人だ。
そうなれば次に会って戦えば結果はどうなるか分からない。
ここで仕留めておくのが得策、最善。
ゆっくりとミライは左足を床に躓づかせながら、クレーターのふちに飛ばされてノビているセイギへと近づいて行く。
途中でセイギの剣を拾い、横に振って血のりを飛ばす。
セイギは仰向けに、背中を床にして倒れていた。
その腹に、跨るようにして座り、両膝で彼の両肩を押さえ目覚めても抵抗されないようにマウントポジションをとる。
だが、ミライは剣を握ったままセイギを見つめるだけだった。
ああ、やっぱり、とミライは思った。
自分にこの人は殺せない。先ほど放った全力の一撃だって戸惑ってしまった。わずかに軌道を反らしてしまった。そのわずかなズレを突いて、完全でないにしろ受け流されたのだ。
たった二カ月近くで、自分はこの人の多くを見た。
黒猪正義が背負うモノ、そして黒猪正義の尊敬にさえ値する考え方。
自分が悪者にされてでも、誤解をされても、正しいものを見つめ続ける強さ。
そしてその正義に向かって努力できる勇気は賞賛するしかない。
誰だって自分が可愛い。逼迫した状況に陥った時、初めて、人はその本性を見せる。
最後には自分を優先してしまうものだ。
それは人である以上、当たり前の行為で、自らを防衛するための本能とも言えるもので、それを御して曲げるのは、ある意味では、生物から反しており、とてつもなく難しい行為だ。
だが、彼は違う。
自分を顧みていない。自分の犠牲を厭わない。
ただただ彼が見つめているのは歪んだ世界を調和させることで、軽い態度の裏では常に冷静に、最大多数の最大幸福を考え、黙って実行している。
その幸せになる対象から自分だけを外して。
彼は――理解しているのだろう。
誰も犠牲にならずに平和を勝ち取れればそれが最善だ。
事実、世の中には《リベレイター》と話し合いで解決しようという人々がいる。
一緒に酒を飲みかわし仲良くなってしまおうと考えている人々がいる。
無血で、話し合いで解決できるのならそれが良いに決まってる。
でもそれは理想論。話し合いの場につかない相手だった場合、どうすることもできない。
『犠牲』なくして『正義』を貫くことは難しい。
だから彼は――セイギくんは自分を犠牲にし続けるつもりなのだ。
他の犠牲を避け、ただ自分だけを犠牲にして世界を変えるつもりなのだ。
それに気づいてはいけなかった。
彼が考えていることを知ってしまったら、もう無理だ。
そんな男の子に好意を抱くな、という方が無理だ。
応援したくなる。彼の中にある正義を。
人々に恨まれながらも、世界を正しく導こうとする――
――”魔王”の正義を。
ミライは剣を優しく撫でて傍に置くと、懐から回復アイテムを取り出し、口に含む。
そして気を失っているセイギに口付けた。
ミライの唇から、セイギの唇へ液体が注ぎ込まれ、セイギの喉が強制的に鳴る。
ゆっくりと唇を離すと、セイギとミライの唇から糸が伸びた。
「あなたは――間違っている」
幸せの枠から自分を除くなんて、そんなのはあまりにも哀しい。
「大丈夫。私が……全部、終わらせるから。もう、一人で頑張らなくてもいいんだよ」
彼女が昔、彼にそうしたように愛おしそうにその頭を優しく撫でる。
「私が全部、背負ってあげるから」
その時だった。謁見の間の窓から人影が中へと入ってくる。
「ミライさん。お迎えにあがりました」
「……うん。……行こうか」
ミライは名残惜しそうにセイギを見つめていたが、やがてすっと顔をあげて立ち上がる。
その顔はいつもぽやぽやしている彼女のものではなかった。
唇を固く結び、きりりとした表情で、凛と歩く背中には集団を纏める者としてのカリスマ性さえ感じる。
ミライはやってきた人影に視線をやることもなく、窓へ向かいながら端的に言う。
「報告して」
「はい。『誕生の島』の鍵――人工知能〈ココロ〉はやはり〈ブレイブ〉というプレイヤーを選んだようです。今も〈ココロ〉を〈ブレイブ〉が守護している、と……」
人影はミライに付き従うように、その背を追って歩く。
「……〈ブレイブ〉。……きかない名前だね。〈ココロ〉ちゃんが選んだ相手ってことは【二つ名持ち】なのかな?」
「いえ、それが……その……彼――〈ブレイブ〉本人が言うには《ディカイオシュネ》の”魔王”、その意志を継ぐ者――”後継者”だと……」
それにミライは大きく眼を見開き、セイギへと視線をやる。
「……そう」
本当に、凄い。
彼――黒猪くんはもし自分が志半ばで倒れてしまったり、何らかの妨害により身動きができなくなった場合のことを考えて、後継者を育てていた、ということだ。
おそらく《ディカイオシュネ》が解散する前に〈ブレイブ〉くんは黒猪くんに内情を聞かされていたのだろう。そして《ディカイオシュネ》が解散し、”魔王”はCSNゲームから身を潜めた。
”魔王”が身を隠したのは〈ブレイブ〉くんへのメッセージでもあったわけだ。
つまりは――
――俺は動けなくなった。お前が代わりに動け、という意味の。
そしてそれに従い、その〈ブレイブ〉という人は『鍵』に辿り着いた――
本当に到達したい目的であればもしもの代案を用意し、慎重になるのは当然のこととはいえ――一体、彼はどこまで”先読み”して行動しているのだろうか。
――本当にやりにくい敵だ。
「どうしますか?」
「……そうだね。〈ココロ〉ちゃんと〈ブレイブ〉くんの事は引き続き足取りを追ってくれるかな。今は付かず離れず、邪魔するだけでいいよ。それより《リベレイター》を止めるのが先だからね。このままじゃ父さんが何をしだすか分かったものじゃないよ」
「ミライさん。もしかしてまだ見てないんですか?」
「見てない……? 何を?」
「それが……《リベレイター》内の通達で今日――始める、そうです」
その言葉でミライの表情から余裕が消え、彼女は怒りに歯を食い縛るしかなかった。




