第二〇話 『ナーガ』
〈ナーガ〉は黙っていた。
内心で、自分の役割は時間を稼ぐことだと、分かっていたのに、このまま言葉のやり取りを続けていればその時間を引き延ばせると分かっていたのに、信用されないだろうことは眼に見えていたのに、頭にきて《リベレイター》のことを口走ってしまった。余計に彼女の怒りを買うと分かっていたのに。
それでも、まだ間に合う。
まだのらりくらりと〈ステラ〉と言葉を交わして時間を稼ぐことはできる。
だが――
〈ナーガ〉の感情に呼応してか、二匹の大蛇が怒りを表すかのように〈ステラ〉に向かって吼える。
「いくらあなたを倒す必要は無いとはいえ……いい加減にしないと――私にも我慢の限界というものがあるのだけれど」
「もう、あなたにどんな理由があっても構いませんッ!! あなたはこれだけの人たちを殺した! どんな理由があろうと殺してはいけないんですッ!」
〈ステラ〉はゆっくりと足幅を広げ、〈ナーガ〉を見据える。
「これだけの人を殺したあなたは――やはり悪ですッ!! 悪は裁かれなければならないんです!! あなたはその罪を認めるべきなんですッ! 私の父が、その罰を受けたように……!! この世界に法が無いというのなら、私が法に代わりあなたを裁きますッ!!」
〈ナーガ〉と〈ステラ〉の視線が真っ向からぶつかる。
「…………。そう、それが……あなたの信じる正義なのね」
純粋だ。彼女はとても純粋な人間だと〈ナーガ〉は思った。
もし違う出会い方なら、こうはなっていなかっただろう、とナーガは思う。だが、ここで出会ってしまった。この状況で出会ってしまった。
ナーガはふぅ、と深いため息を吐いた。
「いいんじゃないかしら。あなたはあなたの正義を信じていれば……。でもね、あなたは自分が矛盾していることに気付いてないわね……! 法の代わりをするですって? 身勝手甚だしいわね……! 理想に向かって進むのはいいのだけれど、そんなものじゃ私たちの正義は崩れないわ……」
口から血を垂れ流し、失った左腕の傷を右手で押さえて、ナーガはにぃと笑う。
「っ……! いい加減にして下さいッ! あなたに……! あなたたちに正義なんてありませんッ!」
「いいえ、あるわ……! 私たちにも――正義がッ!」
「じゃあ、あなたの正義は何だというんですかッ!!」
その問いに、〈ナーガ〉は顔を伏せて口を笑みにする。
「……私が倒れたら……あなたは先へ進むのでしょう?」
「当たり前ですッ!!」
「それなら――すぐに分かるわ」
すぅ、と〈ナーガ〉が右手を〈ステラ〉へ向ける。
その右腕を、全身を、黒色の光が包み込んでいった。
「気が変わったわ。このまま命尽きるまで駄々をこねる子供の相手をしていても良かったのだけれど……。どうやら、あなたはお説教しなくちゃいけないようね……!」
「そんな状態で……私と戦うおつもりですか」
「ええ。これぐらいのハンデがないと、勝負にならないでしょう?」
「~~~~ッ!!」
〈ステラ〉がキッと〈ナーガ〉を睨みつけ、地を蹴る。
〈ナーガ〉が歯を食い縛り、大蛇たちを操る。
〈ナーガ〉が操る二匹の大蛇は、〈ステラ〉を迎え撃つように、〈ステラ〉の行く手を阻むようにして、〈ステラ〉へと飛空する――!
刹那。
〈ステラ〉の身体が、その全身に青白く淡い炎が灯る。
二匹の大蛇が〈ステラ〉へと接触した瞬間、大爆発が起こった。炎が広間へと広がり、天井を嘗め、鋭い氷が床へと降り注がれる。
普通のプレイヤーなら骨も残らないほど強烈な一撃だった。
だが炎と氷で凄まじい量の白い蒸気が立ち込める中から、〈ステラ〉が〈ナーガ〉へと躍り出る。その〈ステラ〉の状態を見て〈ナーガ〉は驚愕した。
無傷だった。
〈ステラ〉には傷一つなく、それどころか、その身に纏う鎧も、細剣も、盾も、まるで炎や氷を浴びたようには見えないほど綺麗に輝いていた。
無論、〈ナーガ〉は予測していた。確実に〈ステラ〉は魔導に対する防御方法を持っていると。なにせ自らを盾とする彼女のことだ。物理耐性だけでなく魔導耐性のスキルを徹底的に上げているに違いない。加えて、盾スキルには魔法を跳ね返したり、防御するスキルが存在する。
だが、〈ステラ〉のそれは〈ナーガ〉が思い描いていたものとは相違する。
防いだ、防御した、というよりも、今のは――魔法そのものを無かったことにした。
そういう表現が一番しっくりとくる現象だった。
あれだけの魔導攻撃を浴びても速度を緩めず、真っ直ぐ走ってくる〈ステラ〉は〈ナーガ〉の懐に素早く潜り込み――
じゅぶっ――!!
〈ナーガ〉の腹を〈ステラ〉の細剣は突き抜けていた。
決定打だった。もはや瀕死の状態の〈ナーガ〉にとって、腹部に突き刺さった細剣は〈ナーガ〉の腹に、二つ目の穴が開き、薄れゆく視界の中で、〈ステラ〉は静かに言った。
「〈ナーガ〉さん、私も【覚醒者】なんです」
血が伝っていく細剣を強く握りしめながら〈ステラ〉は続ける。
「私の【オンリースキル】は【絶対防御】。物理攻撃も、魔導攻撃も――すべて無効化できるんです。正義を守る盾の私には……一切の攻撃が通用しないんですよ……」
あれだけ吐いたというのに、ごぽり、と〈ナーガ〉の口から血が湧き出てくる。もはや、鼻が感じる匂いも、口で感じる味も、血で染められていく。
(物理攻撃も、魔導攻撃も――すべて無効化――? そんなバカげたスキル――存在するはすが……!)
今まで〈ナーガ〉が経験したCSNゲームにおいて、物理攻撃も魔導攻撃もすべて無効化する技や魔法は確かにあった。
だが、そういったものは得てして制限が、弱点がある。
一度防いだら効果が消滅したり、無敵な代わりにその場から動けなくなる、であったりだ。
しかし、〈ステラ〉からそういった様子は感じられない。通常通りに動けているようだし、その効果が一度きりで長いクールタイムに入る、というわけでもないらしい。
(……私が行使する――無尽蔵に溢れる魔力と同じ、異常なほどの力を孕んだスキル……! それが【オンリースキル】と呼ばれるものなのね……!)
〈ステラ〉の身を包む青白い炎。それはもはや強い輝きとなって辺りを照らしだすほどであった。まるでそれは彼女自身の輝き、生命の灯のようだった。
だが、異常なのはその効力だけではない。その炎はいずれ自分が今、味わっているように現実世界の身を焦がすものだろう。仮想世界の無茶が、現実世界の身体に反映されるなんて聞いたことがない。そんなものがゲームのシステムとして組み込まれているとは思えない。そのあまりに強烈な【オンリースキル】への違和感が、不意に、フェレア=レイアスと初めて対面した時に口走っていたことを〈ナーガ〉に想起させていた。
『人間たちに問いましょう。何が目的でこの世界へ来たのですか? あなた方もこの世界にある超過技術を奪いにきたのですか?』
――あなた方も!? ――超過技術!?
彼女――フェレア=レイアスは自分たちが人間だと分かって、そう問うた。
後から『はじまりの世界』は幾つもの世界から幾つもの種族が集まった世界だということを知り、この世界が戦争中だということを知り、超過技術を奪いあっているのは情報生命体同士だと、そう思っていた。だから自分ら人類には何も関係が無いと、関連性が無いことだと決めつけていた。あの問いは『超過技術を奪い合う戦争に今から人間も加わろうというのか』という問いだと、そう解釈していた。
しかし、ここにきて〈ナーガ〉は違う可能性を思いついていた。
――過去に来た人間たちと同じように――あなた方もこの世界にある超過技術を奪いにきたのですか?
(だと……したら――! いつから――!?)
フェレア=レイアスは人類を見るのは初めてだと言っていた。つまり情報としてだけ知っていたということになる。フェレア=レイアスは永世中立を謳うジョルトー国家の皇女だ。様々な国と交流のあるこの国の皇女ならばその情報を知っていてもおかしくはない。だが家出状態だった彼女がそんな重要であろう情報を伝えられていたとは考えにくい。
(フェレアさんが……クノッソの村にいた期間はたしか……三年……! 現実世界と『ワールドマスター』の時間の流れは同じ――なら、少なくとも三年も前から人類はすでに――!)
どんどんと〈ナーガ〉の頭の中でパズルが埋まっていく。『ワールドマスター』という情報生命体が住まう世界、現実世界、仮想世界と現実世界を相互に影響を及ぼし合う【オンリースキル】、超過技術、《リベレイター》。
(違う……! やはりこれは――CSNゲーム『ワールドマスター』に組み込まれた……〈黒ウサギ〉が人類に可視化できるようにした……【スキル】ではないんだわ……!! これは一端……! 本来の使用法はおそらく――!)
ぜぇぜぇ、と息が荒くなる。いよいよ意識もボヤけてきていた。もう少しで何か、決定的な何かが分かりそうな気がする。
だが、頭はモヤがかかったようにその思考を邪魔してくる。腹部の痛みが目の前の敵を止めるのが先決だと知らせている。
(……そう、だったわね……。今はただ――この子を――ッ!!)
〈ナーガ〉はその身に宿るすべてを振り絞り、〈ステラ〉の眼を見据えた。
〈ステラ〉の眼は――そのあまりに真っ直ぐな眼は、純真で、彼女の地はとても優しい性格をしていることが〈ナーガ〉には読み取れた。だが、同時に悪に対するとてつもない、潔癖と言えるほどの憎しみが混在しているのが分かる。
端的に言えば彼女は――〈ステラ〉は迷っているのだ。
何かに迷い続けている。
そして、おそらくその迷いの根底にあるのは――
「……さっき、私の正義が何かって訊いたわね……。その答えを教えてくれる人がこの先にいるわ……。……会ったら彼に訊いてみるといいわ。――真の正義を」
「真の正義を……答えを教えてくれる……人……」
〈ステラ〉は〈ナーガ〉の言葉で咄嗟に父親の姿を思い出した。だが、〈ナーガ〉が言っているのは自分の父親のことではないだろうことは分かる。
おそらく〈ナーガ〉が言っている人は、あの人なのだろう。
この広間の奥へ――〈ヘリダム〉さんの元へ向かったあの人だ。
『ワールドマスター』が開始した初日、チュートリアルドラゴンとの戦いの最中で、果敢に前線へと出てドラゴンに立ち向かっていたあの人だ。
私が盾となり命を救った人だ。
(……あの人、が……?)
彼は、残念だが、信念を貫き尊敬にさえ値する”魔蛇”の〈ナーガ〉がそこまで信頼するような人には見えない。少なくともチュートリアルドラゴンの時はそこまで凄い人だとは感じなかった。だが、確かに先ほど、ここで見た彼の眼は、強い瞳はチュートリアルドラゴンに立ち向かっていた彼と少し――いや、かなり印象が違う。
〈ステラ〉が物思いにふけっていると、ゆっくり〈ナーガ〉の右腕が動いた。
「もっとも……私はあなたの正義が正しいだなんてこれっぽっちも思っちゃいないし――」
〈ナーガ〉が、その蛇のブレスレッドがついた右手で、〈ステラ〉の青白く輝く左手首を掴んだ。
強く、握り締めるように、絶対に離さないように、掴んだ。
「あなたがここを通れたら、の話よ――ッ!」
おどろおどろしいほどの黒いオーラが、〈ナーガ〉を包み込んだ。
彼女自身を燃やし尽くすかのような大きな、大きな黒炎が立ち昇る。
「言ったはずです……!! あなたたちに正義などありませんッ!!」
「言ったはずよ……! あるのよ――! 私の、私たちが信じる――!!」
〈ナーガ〉の黒い光が、まるで爆発したかのように、周囲へ広がっていく――
「”魔王”の正義が――!!」
膨れ上がった〈ナーガ〉の黒いオーラが、〈ステラ〉の左腕にまとわりついていく。
「なッ……!! これは――何をッ!?」
そこで〈ステラ〉は〈へリックス〉の言葉を思い出し、ハッとなった。
『〈ナーガ〉のヤロウ。相討ちに持ち込むつもりなんだよ。近づいたら殺されっぞ』
ぞくり、と〈ステラ〉の背筋が凍る。
味わったことの無い感覚だった。
本能が、叫んでいる。警鐘が脳の中をガンガン鳴り響いている。
このままでは――殺される。
恐怖に〈ステラ〉の顔が凍り付く。
だが、キッと気を引き締めなおした。
(大丈夫……! 私には――【絶対防御】があるんです……!!)
そうだ。〈ステラ〉には物理攻撃も魔導攻撃も通用しない絶対無敵な防御がある。
「私の【絶対防御】の前には――何をしたところで無駄ですッ!!」
青白い輝きと黒い輝きが鬩ぎ合う中、その言葉に〈ナーガ〉はくすりと笑う。
「〈ステラ〉。あなた、今――」
ゆっくりと、〈ナーガ〉の顔が近づいてくる。
ほぼ零距離で〈ステラ〉と〈ナーガ〉の視線がぶつかり合った。
「――無駄って言ったわね……?」
言い知れない不安感が込み上げる瞳だった。
その瞳の眼力に気圧され、〈ステラ〉を恐怖が呑み込んでいく。
「これは――無駄なんかじゃないわ……!!」
ぎりっ、と音が鳴るほど〈ナーガ〉の右手が〈ステラ〉の左手首を強く握る。
しかし――
「ぜ、【絶対防御】……ッ!!」
その言葉が、〈ステラ〉を包む青白い光が〈ナーガ〉の黒いオーラを吹き飛ばしていた。
その黒いオーラが、風に吹かれた火のように、〈ナーガ〉の身から剥がれていった瞬間。
そのすべてを燃やし尽くした〈ナーガ〉はゆっくり背中から床へ倒れていく。
視線が上へと向き、ぼやけた視界の中で天井の明かりが眩しく見えた。
その光に手を伸ばすように、〈ナーガ〉は右手を伸ばす。
――後は任せたわ、セイギくん。
――床へと倒れる前に、〈ナーガ〉の身体は光の粒子となって弾け飛ぶ。
宙に放り出された蛇のブレスレッドが床を跳ね、カランカランと空虚な音を鳴らして転がっていた。
”盾姫”の〈ステラ〉はぜぇぜぇ、と荒い呼吸を落ち着かせようとしていた。
特に激しい運動はしていないが、精神的負担によるものか、〈ステラ〉の頬からは脂汗がじっとりと滲み出ていた。
〈ステラ〉の視線の先には〈ナーガ〉だったもの――彼女が着ていた露出の多い服、そして彼女を表す蛇のブレスレッドが落ちている。
最後のは一体、何をするつもりだったのか、〈ステラ〉は掴まれた左腕を見てみる。
だが、何とも無い。
当然だ。自分には物理攻撃も魔導攻撃も無効化する【絶対防御】があるのだから。
彼女が何を考えていたかは今となっては知りようもないが、どちらにせよ、自分には無意味。
無駄なあがきでしかない。
だが、気になる。
何かされたような気がしてならない。
『これは――無駄じゃないわ!』
そう断言した彼女の顔が、脳裏をかすめていく。
と、その時だった。
「あああああぁあああッ!!」
恐ろしいほどの、ビリビリと身体を強張らせてしまうほどの殺気に、〈ステラ〉は臨戦態勢をとり、そちらへと向く。
そこには階段上で〈サージュ〉と《バジリスク》の暗殺者たちで混戦していたはずのトラが、満身創痍とは思えぬ勢いで飛んできていた。
その顔は仲間がやられたことにより激昂しているのか、鬼の形相を成していた。




