第一話 『骨の髄まで染みこむ』
【二一五三年/四月二七日/土曜日/一三二〇時/現実/セブントゥエルブ城東通り店】
でかでかと躍る文字『人類への挑戦状!』と、挑発的なポーズをとる水着姿のお姉さんの写真。この二つの要素から俺の脳は即座にその雑誌の内容を導きだしていた。
つまり表紙のセクシー美女がかつて人類がお眼にかかったことなどないほどお色気たっぷりな悩殺ポーズをとっており、その神々しいお姿がこの雑誌に封じ込められているということに違いなかった。
財布の中身を確認もせず俺は颯爽とレジへと向かう。
コンビニから出ると早速、雑誌を開いた。
しかし何かがおかしい。雑誌はあるゲームの特集で埋め尽くされているじゃないか。
何でも『ワールドマスター』なるCSNゲーム――仮想現実を舞台とした多人数参加型ゲームの出来が凄いらしい。タイトルは聞いたことがある。何ヶ月も前からクラスメイトたちの話題はこのゲームの噂で染まっていたし、ニュースでこのゲームの先行販売数が桁外れな数字を記録しているとか言っていた記憶がある。
……どうでもいい。凄くどうでもいい。
雑誌の表紙へ戻る。水着美女の上にプリントされた『人類への挑戦状!』の文字。
おかしいのは俺の眼なのか、雑誌なのか、俺の脳なのか、それともなかなか俺に恋人ができないこの世界か? 少なくとも俺の脳と眼はまともなはずだ。つまりそれはこの雑誌がおかしいという結論になってしまうが……出版社に抗議の電話でもするべきだろうか。
わなわなと雑誌を持つ手が意識せず震えていた。
俺はこの雑誌を購入するにあたって雀の涙ほどの仕送りから金を捻りだした。
学校の屋上からノーロープバンジーをするほどの痛みに代わって、水着美女とアバンチュール夢想への旅行券を手にしたはずだったのだ。
だとういのにっなんという惨たらしい仕打ちだ……!
水着美女で真面目な好青年を釣るとはこの世も末期だ。
家に帰ったら母親がメイド服を着て『おう。遅かったな、クソガキ。フフ、どうだ。私もなかなかだろう?』と誇らしげに仁王立ちしていた時以来の虚脱感だ……!
………くそっ……嫌な思い出が蘇ってしまった……。
ふらふらと覚束ない足取りで街路を歩き始める。
通りは俺と同年代の少年少女たちで溢れていた。
それもそのはず。この近くには俺が通う城東大付属高等学園の寮がある。
城東学園は全寮制で、生徒一人一人に個室が与えられている。様々なものが揃う城東通りは休日になると寮から私服で飛びだす学園生の遊び場と化すのだ。
しかも今日から黄金週間である。普段は授業という名の鎖で椅子に縛りつけられている我々だが、鎖が千切れた今は自由を噛み締めていることだろう。
寮へと戻る道すがらCSNショップの店頭にある大きなモニターの前に人だかりができているのが見えた。
通りすがりに横目で内容を確認してみる。モニターには勇壮な音楽と共にCSNゲームのデモムービーが映しだされていた。そこへちょうど快活な音声が加わる。
『今日の午後四時ついに『ワールドマスター』オープン! CSNテレビにて『ワールドマスターのあれこれ』カウントダウン生放送中! 人類の戦いが、幕を開ける――!』
モニターの前できゃいのきゃいの話している女の子たちの声が耳に入ってくる。
「ねえねえ。スキル構成はもう決めた? 何にするの?」
「サイバーセルズの人たちと相談したんだけど、私は後方支援型メイジにしようかなって」
サイバーセルズ、というのだからCSNゲームの話だろう。
サイバーセルズとは仲の良い者同士でつくるネット上で活動する仲間のことをいう。なんだか街行く人が前夜祭みたいに浮き立ってると思ったら噂のCSNゲームのオープンが今日だったんですね。
「凄ぇよな、『ワールドマスター』。『Cosmo Fantasy Online』の《七雄剣》も移住するんだろ? うちなんか無名セルズだからクエスト攻略でも活躍できねぇかもな」
「《螺旋の騎士》や《四天女》も参加表明を出してるし、どうなっちまうんだろうな」
前から歩いてきた二人組みの男がそう会話しながら横切っていく。
さらに眼に入ったオープンカフェで談笑している女の子たちもやはり『ワールドマスター』の話をしていた。
「公式サイトに公開されてる前情報を読むと、難易度高そうだよね。新たな未攻略クエストとして歴史に残っちゃうんじゃないか、ってネットで噂になってるよ」
「全容は〈黒ウサギ〉ちゃんしか知らないんでしょ? スキルの数がどれだけあるか人類の誰も知らないわけだし、隠しスキルとかあるかな? 個人専用スキルとかあったりして」
ハンバーガーショップから出てきた男たちの話題も他と変わらない。
「うちのセルズにこいって。うちの方が大きいんだし」
「誘ってくれるのは嬉しいんだけど、今の仲間を裏切るのは……ちょっとなぁ……」
なんだなんだ。みんなしてCSNゲームの話に没頭しちゃってさ。
俺がいきなりここでズボンを脱ぎだしてももしかして誰も気づかないんじゃないだろうか……。
俺がベルトに手をかけたその時だった。ふとある少女の横顔が眼に入って手が止まる。
少女はブティック店頭のガラスに張り付かんばかりに覗き込んでいた。
どうやらマネキンを見ているらしい。
同年代の少女がごろごろといる城東通りで、なぜか彼女がやけに眼についた。
輝きを放つような絶世の美女というわけでもない。
だがしかしなぜか眼にとまる。気になってしまう。
まあ、遠目に見てもスタイルがいいし可愛い顔をしてるのには違いないんだけど、それだけが理由で惹かれたわけじゃない。俺は彼女から独特の雰囲気を感じ取っていた。
思わずベルトを緩めたままじっとその少女を観察してしまう。
背中まである亜麻色の髪に白いヘアバンド、すっと通る鼻筋、瑞々しい桃色の唇。
好奇心を隠そうとしない大きな瞳はホログラムで次々に服装を変えるマネキンから離れない。
その少し子供っぽい印象にも好感が持てる。
めちゃくちゃタイプなスィートガールだった。ド直球だった。
一日一告白をモットーとする俺としては放っておけるわけがない。
これは早速お知り合いにならなくては……!
どうやら彼女を気にかけているのは俺だけではないらしい。通りのあちらこちらから彼女を見つめる視線はあった。やはり男が惹かれる魔力でも持っているのか、彼女が気になる野獣どもは多いようだ。
……ま、まずいっ、出遅れてなるものか……!
俺はその場で頭をフル回転させた。問題は見知らぬ少女とどうやって知り合うか……!
単純に声をかけてしまってはただのナンパくんと変わらない。お断りされることは間違いないだろう。
ふふっ、こう見えて俺はクールでダンディないぶし銀であって、間抜けな軽薄キャラじゃない。
彼女のような純朴そうな少女とねんごろな関係になるためには偶然に、かつ強烈な印象を残す必要があるとみたね……!
例えば……そうだな、ブティックの屋根から降ってくる、というのはどうだろう。きっとあの少女は『あっ、親方っ! 空から美少年がっ!』と驚いて抱きとめてくれるんじゃないだろうか……!
いや、ダメだ。インパクトはあるが偶然性が乏しい。
そう! 出会いには偶然性が不可欠要素なのだッ……!
そこで俺はハッとなった。……きました。思いついちゃいましたよ。
同時に俺はすぐに行動を起こしていた。
とんっとんっ、とその場で少しジャンプして体の調子を確かめる。
「あーあー」と喉に手をあて声の調子も……チェック完了。
では、参るとしよう! 運命の出会いへ!
俺は街路を蹴って全速力で走りだす。
いきなり俺が走りだすものだから横切った人たちが何事かと振り返っていた。
俺はトップスピードになった勢いのまま、じっとマネキンにご執心なさっている彼女の横腹におもいっきり飛び込んで押し倒した。
「ひぎゃっ!」と女の子の短い悲鳴。
「危ない!! ぶつかるぞ! 避けろッ!!」
悲鳴に遅れて俺の注意を喚起する台詞が後に続いてしまったが、まあいい、ぎりぎりセーフで違和感はないな。偶然ぶつかってしまった少女は「あいたたた」とお尻を撫でている。
俺はすぐに偶然ぶつかってしまった彼女を抱き起こすと、偶然ぶつかってしまった彼女が文句を放つ前に真剣な面持ちで焦燥感をあらわにした。
「大丈夫か!? すまん……敵に追われていてな……!! ちぃッ“奴ら”め……! こんな可愛らしい子を巻き込みやがって……! 外道がっ……許せんッ……!!」
大きな眼をさらに大きくしてぽかんとしている女の子。おぉ、驚いている表情も実に好みだ。街ゆく若者たちが彼女に眼をやるのもよく理解できる。
若干、置いていきぼりな彼女を放って俺は携帯端末を耳に当てた。
「もしもし俺だ……! 厄介なことになったぞ! 民間人が巻き込まれた……! 至急援軍を――なに!? パターン06に変更だと!? そんなこと言っている場合か!! 人命がかかっているんだぞ!! すぐに回せッ、これは命令だ!! 俺はどうするかって? ……フッ、決まってるだろ……。決着を着けるんだよ……!! ――“奴ら”とな……!!」
俺の迫真の演技をただただ呆然と見ているスゥイートハニー。
俺は携帯端末をしまい、
「ったく、これだから情報部は当てにならない! やれやれ……どうやらあいつらの情報より俺の直感が正しかったようだな……。さぁて、今日は楽しい夜になりそうだゼ……!」
ニヒルな笑みを浮かべた辺りで、やっとプリティーな女の子は小さな口を開いた。
「あ、あの……」
だが俺はそれを片手で制し、もう片方の手で前髪を掻きあげる。
「おっと、俺が誰かなんて野暮なことは訊かないでくれよ、お嬢さん。名乗るほどの者じゃあないからね。ちなみに俺は黒猪正義という美少年なので一〇〇回唱えて脳に刻みつけるように。リピートアフタミー、クロイーマサヨシー」
思わず出てしまったネイティブもびっくりな英語に、動きを取り戻しかけていた彼女は再び口をあんぐり開けて固まってしまった。
「あー、俺って国外暮らしが長かったからさー、すぐ出ちゃうんだよねー、英語がさー。もう骨の髄まで染みこんじゃってるからねー。スケルティングしちゃっててさー」
「……ス、スケル……ティング?」
「あー、ごめんごめん。日本語じゃないと分かんないよね。スケルトンの現在進行形なんだ。意味は『骨の髄まで染みこむ』ってことだよ。俺の愛をキミにスケルティング☆」
ぱちり、とウィンクすると俺は銃を模した右手で彼女の胸を指した。
……キマった。怖いほどに。
きっと幼い頃のトラウマよりも俺という存在を印象付けられたはずだ。この強烈な出会いを彼女は未来永劫忘れることはないだろう。そしてこれをきっかけに二人は幸せな家庭を築くのだった――完。
しかし、俺の脳内物語と話は別の方向へ向かおうとしているらしい。
顔を真っ赤にした少女は目を手で隠して何だか慌てている。
「あ、あのっ……ズ、ズボンっ……! ズボンっ……!」
言われて俺は自身の半身を確認した。ベルトを緩めたまま激しい動きをしてしまったせいか、ズボンが足元までずり下がっていた。
つまり、真昼間の街路で俺は惜しげもなく黒いボクサーパンツを晒していた。
さらに詳しく言えば、黒いボクサーパンツを晒した上でウィンクして『俺の愛をキミにスケルティング☆』なんてカッコつけていたらしい。
なにこれ……死にたい。
街行く人々も仰天したように俺を見ていた。
な、なんだよぅ、さっきまで『ワールドマスター』の話に熱中してたくせにっ! み、見るなよぅ!
興奮しちゃうだろぅ!
俺は咳払いを一つしてから、いそいそとズボンをあげ、ベルトをしっかりと締めなおす。
その気配を確認したのか、彼女は指の隙間からやっと俺を見た。
彼女は俺の顔を確認した途端、信じられないものでも現れたかのようにじっと見つめ、か細い声を絞りだした。
「………………。もしかして…………まぁくん……?」
「は? マーク? 参ったな。キミみたいな子にマークされたらおちおち他の女の子に手を出せないじゃないか。いや、もとより俺はキミの虜、他の女の子には――」
「まっ! ま、まぁくんだぁーっ! 本物のまぁくんだー!」
満面の笑みになるや否や、いきなりスウィートハニーは俺の両手を掴んでぶんぶか上下に振り始めた。
さすがの俺もこの展開は予想外だった。
玉手箱から女の子がでてきて浦島太郎と幸せに暮らしました、ぐらいにハッピー方向へ予想外だ。
まぁくんって誰? 俺じゃないのは確かだけど……ま、いいよね! 些細な問題だよね!
「久しぶりだねっ、まぁくん! おっきくなったねっ! 昔はわたしの方が背が高かったのにねー! うんうんっ、幼馴染として嬉しいよっ! 今日中に会いに行って驚かせようと思ったのに、まさかまぁくんからわたしに会いに来てくれるなんて感激だよーっ!」
彼女は誰かと勘違いしているらしい。そのまま『まぁくん』のフリをしているのも面白いので、俺は『まぁくん』とやらになりきることにした。