月探し
これは夢なのだ、と言い聞かせる。私はただ目が覚めるのを待てばいい。
朝になれば忘れてしまう儚い物語。――はじめから、終わりがあるはずの。
「ったく、まだ買うのか?」
「はい、まだまだです」
書き出した物のうちまだ半分も消されていないリストを見せると、ため息をつく。
「そんなに嫌なら宿で待っててもらってもよかったんですよ」
両手に持つ袋を掲げる。そのうちの一つはいっぱいで袋が破れそうだ。
「俺がいて、今でこれだぞ?お前ひとりじゃいつまで経っても帰ってこれないだろ」
「それはその通りなんですけどね…」
なら、もう少し笑顔で着いてきてほしい。とは、私の分まで荷物を持ってくれている彼にはさすがに言いにくい。
荷物持ちを買って出てくれたのは、彼なりの優しさだということも理解している。
「次はあのお店です。早く買い物終わらせちゃいましょう」
少し先にあるお店を指差して微笑めば、ぶつぶつ文句を言い続ける彼の顔も、少しだけ和らいだ。
私は彼のその表情がとても好きだ。
私が彼と旅を始めたのは半年ほど前。
日本という国でごく普通の大学生活を送っていた私はある夜いつも通り眠りにつき、次に目が覚めたときには彼の上にいた。私も彼もお互いを凝視していた。彼の、驚きに見開かれた青い瞳がゆっくりと細められた。
私は異世界へ来てしまったのだと、彼は日本ではありふれた私の長い黒髪を弄びながら言った。イケメンからのスキンシップに内心あたふたしながら、彼の仮説を聞く。この国では何百年に一度、異世界の人間がやって来る。その原因は分からない。何か大きな力が働いているらしい。何かってなんですか、と聞けばそんなの俺も知らんと返された。
そのうちに兵士という人達がやって来て、王様のもとへ二人で連れて行かれた。途中、簡単に事情を聞くと、私が落ちたこの場所は王宮で、彼は王様に仕える魔術師だという。連れて行かれるのは王様が異世界人に興味を持ったからだろう、とか。
その予想は当たっていた。日本では当たり前の黒髪も、この国というか世界では珍しいものらしい。王様は宝石でも見るような目で私を眺めた。隣で小さく舌打ちが聞こえた。
王様は私を大層気に入ったようで、養女にしたいと言い出した。げっと思いながらもお嫁さんとか言われなくてよかったとも考える。ファンタジーな小説でよくいる馬鹿な王様ではなさそうだった。そういう道もありなのかな、と首をかしげた。
「お待ちください」
広い部屋に凛とした声が響いた。腕が、つかまれる。
「この娘は強い魔力を持っています。陛下や、私ですら上回るほどの」
王様とその傍にいた人達がどよめいた。私も驚いた。
「しかし、異世界の者ゆえかその力はひどく不安定。放っておけば暴走することも有り得る。――私に、この娘をお預け下さい」
彼はその後もつらつらと語り続けた。私の力を調べて、異世界人召喚に関わる大きな力の謎を解明できるかも、というのが彼にとって魅力的のようだった。
何を言い出すのか、とは王様よりも私の方が思ったはずだ。それでも彼は余程信頼があるのか話はとんとん拍子に進んだ。この世界に慣れるため、彼の同行のもと旅をすることになる。もしかしたら元の世界に帰る方法が見つかるかもしれない。そう彼に言われて私もようやく乗り気になった。
こうして彼は、私のこの世界での監視役兼世話役になった。
買ってきた物を置いた部屋はとても窮屈に感じた。
あまり眠くなかったのと、狭い部屋に居辛かったのとで部屋を出た。私の足音しか聞こえない静けさは、のみ込まれてしまいそうで少しこわかった。
バルコニーのような建物の少し突き出た部分から月を眺めた。異世界だというのに月も太陽も、私が日本で見ていたものと変わらない。
だから、思うのだ。これは夢なんだと。私が私自身の創造力の及ぶ範囲で作り出したファンタジーな物語。いつも見る夢に比べたら、少し長いだけ。
いつかきっと、目が覚める。
そうしたら、この世界とも彼ともお別れ。
「…また、どっか行きやがって」
低い呟きとともに後ろから抱き寄せられた。
同じ部屋で寝ていた彼を起こさないように慎重に出てきたつもりだったのに、すぐにばれてしまう。
「学習能力つけろよ、いい加減。俺は絶対に気がつくからな」
旅に出て、もう何度もしたやり取り。その後に続く言葉も、もう分かる。
初めて聞いたあのときも月の下にいた。
「お前は俺から離れられない」
言われたことが理解できなかった。抱き締められて、見上げた彼は見たことがない表情をしていた。嘘、一度だけ見ている。はじめて出会った、あのときに見せた表情だった。
「元の世界に帰る方法なんて嘘。異世界人の力に興味があったのは事実だけどな。本当は、慣らすため。お前の持つ魔力をこの世界と――俺に」
旅をしながら、魔術師である彼に魔力について色々と教わった。
魔力には色というか属性がある。魔力は基本的には生まれつき何らかの属性が決まっている。けれど、稀に例外がある。それが私だった。
私の持つ魔力は強大だけれど、何の属性もなかった。属性のない真っ白な魔力は上から色を塗ることが出来る。普通は色づけだけ。でも、彼は国一番の魔術師だった。普通以上のことが出来た。旅をする中でゆっくりと時間をかけて、私の魔力を自分の持つ魔力とそっくりそのまま同じに変えてしまったのだと。
帰るための旅。そう思っていたのは私だけ。
「俺と全く同じ魔力を持つお前は使い魔と変わらない。まあ、別にお前に何かさせるつもりもないが」
使い魔は、主の魔力で作られる。その命は主に握られる。決して逆らえない。――命令なしに離れることは出来ない。
この世界に来て得た知識はお伽噺のようなものばかり。真実味なんてない。でも、私はそのお伽噺をこのひとの傍で、間近で見てきた。
そんな私に分かること。
「かえれ、ない、の…?」
まん丸なお月様を見ると、かぐや姫を思い出す。物語の最後、月へ、あるべき場所へ帰るお姫様。
じゃあ、私のあるべき場所は。
「帰さない。はじめて見たときから欲しかった。何の力が働いたかなんて知るか。俺は俺の力でお前を繋ぎ止める」
これは夢。だから、いつかきっと帰ることが出来る。
馬鹿のひとつ覚えみたいに何度も繰り返す。
彼の腕の中で、思いっきり暴れても、泣いても、まだ夢は覚めなかった。
離れられない、なんて脅迫じみた言葉の割に彼は優しく私に触れる。抱き寄せられた腕も本気で抵抗すれば解けそうだ。
「…なんで、泣いてる?」
涙でぼやけた視界に綺麗な顔が映る。
腕の拘束がきつくなる。
きっと彼は勘違いしている。私が泣いた理由。帰りたいと思っているからだと。
でも、そのことに安心した。
旅の中で彼は私の魔力を自分とつなぐ鎖に変えた。
時間をかけて成されたことはそれだけではなかった。
一緒に時を過ごして、お互いの色々な姿を見て。彼も知らない、私の変化。
彼よりももっと強い力でぎゅっとしがみつく。
しばらく眠気はやって来そうになかった。
…それで、いい。
寝なければ夢を見ることも、その心地よさから覚めるのを恐れることもない。
本当は、この夢に終わりがないことを知っている。
それは神の力でも王の力でも、彼の力でもない。
終わりが来ないことを願ったのは、
――私なのだから。
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