ある魂の軌跡
―――これは、小さな命が辿る小さな軌跡の物語。
ある惑星に生まれた、ある少年の物語。
僕の生まれた惑星は、青くて綺麗だ。
木々は青々と茂り、鳥は歌い、水がさわさわと流れるとっても美しい綺麗な惑星。
最初の僕の家はとても小さいけれど、それでも家族で仲良く暮らしていた。
とても温かな記憶と、土煙に侵されたのどの奥につまるような空気の感覚だけが僕の脳裏に焼き付いている。
・・・いや、この最初の僕の記憶で最も脳裏に焼き付いているのは温かな記憶と共に思い起こされる焼けた木の臭いと、人々が逃げ惑う時に舞った土煙、そして・・・
―――時は、室町時代。僕が愛した最初の父と母が目の前で殺された時代。
そういう、時代だったのだと現代(***)では思うけれど、最初の僕はその時代に果敢にも挑もうとした。
父と母を殺されて、戦争孤児になった僕に住居を与えてくれたのは、孤児を預かる小さな荒れ寺の住職でそこで出会った仲間と共に、僕らは時代に反旗を翻した。
時代に、というよりはそこの領主にだが。
幼い最初の僕にはその土地こそ世界のすべてだったのだから、僕はそのとき、確かに時代に、世界に逆らった。
そして、、
二番目の僕の記憶に飛ぶ。
実際には、その間にたくさんの”僕”がいたのかもしれないが、そこは記憶していないので分からないのでここでは省くことにする。
一番目の僕の結末は、僕には分からない。
二番目の僕なら、知っていたかもしれないけれど、少なくとも僕(五番目)は記憶していないので記すことは不可能だ。
敢えて、最初の僕の真の結末に近いものを記すなら、記憶の最後に断片的に残る、領主がいる城とそこに踏み入ろうとしている僕の光景と黒の装束に身を包んだ青年の姿、そして泣きそうな荒れ寺の住職の顔、ここから導き出される結末だ。
さて、二番目の僕は正確には”わたし”(江戸時代)だった。
二番目の僕(ここからは敢えてわたしとするが)は、とても裕福な家の令嬢であった。
綺麗な着物に身を包んだわたしは、それはそれはしあわせな人生を過ごした。
こどもが出来、夫がいて、父や母も優しくとても幸せな日常。
わたしの人生の幕引きは、いたって平凡なものだ。
流行病に倒れて、死んだ。
それはそれは家族は泣いてくれて、最後の一瞬まで両親は良い医者をと探してくれたし、夫はわたしの看病をしてくれ、こどもは常にわたしの手を握っていてくれた。
だから、とても・・・とても幸せな気持ちだったのを記憶している。
ひとつ、心残りがあったようだが、それも家族がそれ(病)にかからないかという懸念でそしてそれは、死したわたしが訪れた時に解消済みだ。
それが、二番目の僕の一生。
三番目の僕(大正時代)は、とても傲慢なおとこ。
おとこは金貸しで、民衆から金をだまし取るのを商いにするような油ぎった手を持ついやなやつだった。
当然、友もなく親には絶縁され話し相手は商い相手だけという何とも哀しいやつだったようだ。
おとこの晩年は、しかしそれはそれは穏やかなものだった。
大きな屋敷の大きな庭先に設けられた縁側で愛猫をなでながら日がな一日空を眺めているだけ。
しかし、おとこのココロには、その何十年もの歳月で、湯水のように使ってきたお金を使ってしても得られなかった究極のやすらぎをその何もない空間で見出し、おとこは愛猫に見送られながらその一生を閉じた。
おとこは無縁仏として扱われたが、死んでしまった後の末路など死したおとこには何の意味もないことはいうまでもない。
四番目の僕(平成)は、とても臆病な男だった。
臆病もここまでくれば最早賞されるのではというほどに、僕は臆病だった。
恋をした異性がいたとしても、僕なんてふさわしくないという思考より前に僕ごときが恋をする資格はないと考えてしまうほどに卑屈で恋に対して臆病。
人に意見をするなど、言語道断。
右の人がイエスと言えば僕の答えもイエス。
黒は黒、白は白、僕にとってそれが灰色だったとしてもそれは白だと言われれば、白になるぐらい対人関係について臆病だった。
しかし、その臆病さが逆に謙虚だと言われ卑屈な性格を誠実だと評され僕の周りにはいつも人がいた。
しかしながら、僕のココロの奥に住み着くことが出来る人間は現れない。当然だ。僕はその奥にいくための鍵を隠していたのだから。
隠しているのは僕なのに、入ってきてほしいと願う卑怯な僕はその卑屈な性格で僕の性格のためだと嘆き、その臆病な性格の性質を如何なく発揮し周りにいた人間たちをことごとく自分の周りから遠ざけてしまった。
そして、最後に残ったのはむなしい虚無感と喪失感、自己嫌悪だけ。
激しい自己嫌悪の波にのまれたおとこの辿った軌跡・・・それは、――――
「・・・それは、」
僕はそこでペンを止めた。
その結末は、果たして幸せだったのか、それとも不幸せだったのかは、人によって意見が分かれるであろうもので僕自身どう記すべきかを迷っているのだ。
おとこの最後は、僕に記す勇気が出るまで時間がかかりそうだと、僕は座っていた椅子から腰をあげた。
四番目の僕の記憶は、五番目の僕にもっとも近い場所に浮遊しているので僕自身たまに混乱しそうになる。
それを抑えるために、と始めた”僕の軌跡”を記す行為。
だが、古い僕ならまだしも最近の僕の記憶はあまりに鮮明で一言記すたびに止まり筆をとめ、深呼吸し書き始めまた止まり深呼吸するという行為を繰り返しやっと記すことができた。
特に、どの僕の晩年も記すにはあまりにつらかった。
平凡な死だとしても、酷な死だとしても、それは総じて死であり、生物としては最も厭うべきものだ。
それを迎えたときの感覚や感情が僕に流れてきてとても苦しいのである。
しかし、これは五番目の僕がするべき使命のような気もするので苦しくとも筆を進めてきた。
でも、それも限界かもしれない。
僕の軌跡を知る者は、最早僕と神のみだ。
それとも、もっと違う、僕の知らぬ場所にも知る者はいるかもしれないが、とにかくこの地上で生きる生物で僕の軌跡を知る者は僕だけだ。
なぜ、神はこんな面倒なことをするのだろう。たまに、そう思うことがある。
しかし、そんな疑問を抱く時期はとうに過ぎた。
窓の外に広がる世界は、記憶の中の僕らが見ることはなかった青くない我が愛すべき惑星の姿。
ごつごつとした岩と、乾いた大地、ちょろちょろと流れる水、ところどころに咲いた花は絶滅危惧種だ。
「あぁ、それは僕も、か。」
かわり果てた地球という青かった惑星は、黒の惑星と名前を変えて宇宙遺産として全銀河条約により保護されている。
もちろん、ぼくもだ。
僕は、地球の絶滅危惧種として現代(**)を生きている。
過去の僕らが見てきた青々とした木々と、美しいさまざまな風景を記憶している、記録、しているただひとりの(ひとつの)存在だ。
六番目の僕が僕の記憶を引き継ぐのなら、六番目の僕、あなたはぼくをどういうふうに記すのでしょう?
いずれにせよ、僕の軌跡は黒の惑星のこの愛すべき惑星で記されている。(現在進行形)
―――――continue?
yes/no
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