彼女が見た夢
鈴の音が闇夜に響く。静かに、澄み切った音を辺りへ響かせていた。
一定の歩みに伴う旋律がゆるやかに近づくのを感じて彼女は目をひらいた。
障子に背の高い影が映るのが見え、傅くようにしゃがみ込んだ。
「灯里さま、十都です……薬湯をお持ちしました」
「薬……飲みたくない」
幼いいやがる声に、十都は失礼いたします、と声をかけてから両の手で障子に手をかけた。
しかし、ガタンッと音を立てはしたが障子は彼の行く手を阻みつい今朝方も同じ手を喰らったのを思い出した。
「灯里さま。無礼承知で失礼いたします」
微かに怒りを抑えた声に十都は立ち上がると両手で障子の一枚を持ち、はずした。
一瞬の予感で、反対の戸を開けることをやめてよかったと、側に立てかけながら思った。
最初に手をかけた障子の行く手を阻む棒と、どこから持ってきて準備をしたのか水の入った桶が三つ、並んでおいてあった。
「ひどっ! せっかく準備してたのに!」
少女は布団から飛び起きると額に張り付いたままの髪を指先で摘んで避け、何事もなかったように薬湯の乗った盆を部屋の中に運んでいた。
十都も灯里よりほんの少し年上のまだあどけなさを残す青年だった。
「私以外でしたら今頃、病人問わずで納戸に叩き入れられてますよ」
「ぶぅっ……だって、ヒマなんだもん」
今日一日部屋に閉じ込められていたように文句を言う灯里に、十都はその頭に軽く手刀を落とした。
「いったっ! 普通、叩く?! 叩くかなぁ?」
「言っても分からないでしょう。それより飲んでくださいね」
薬の準備をしていると、灯里は咳き込みそれがしばらく止まる様子が見られなかった。
十都は背中をさすり、治まる頃合いを見計らって水を差し出した。
「遊んでいるからですよ。咳止めです」
「けほっけほっ……うぅ、喉いたい」
「そうですね、寒い雨の中“修行だー”と叫んで、ずっと外で遊んでいましたからねぇ」
トゲのある十都の言葉に、灯里はぷくっと頬を膨らませてしぶしぶと薬を口に含んだ。
飲み込もうと上を向いた瞬間に、喉の奥が違和感を覚え異物を押し出そうと咳となって灯里に襲い掛かった。
盛大に粉薬を噴出してしまった。
「きたなっ……、まったく。そんなに飲みたくないんですか?」
「っ……ちが」
げふげふ、と布団の上でひとしきりむせ返ると側においてあったタオルで口元をぬぐって改めて薬を飲んだ。
「だって、明後日……御前試合でしょ。ちゃんと、行きたいよ」
「ならなおの事、きちんと薬を飲んで休んでください。皆さま心配していましたよ」
言いながら彼は新しい掛け布団を押入れから引っ張り出すと、汚れたものと取り替えた。
「……分かってる。母様は特に心配しているだろうね」
少しだけ落ち込んだ様子で呟くと、十都は灯里が仕掛けていた水桶を手前に引き寄せて薬湯と共に持ってきていた手ぬぐいを浸した。
「汗をかいたようですから、早苗を呼んでまいります」
「自分で出来るよ。いつまでも子ども扱いしないでよ」
「……そうですね。子供は雨の中でも元気に遊び回りますね」
にこりと穏やかに笑った十都に灯里はかっと顔に熱が集まったのを感じた。
「十都、私だってもう十二だ。ちゃんと自分で出来る……」
「だとしても、着替えは持ってきていただかないと」
「……自分で持ってくる」
布団から這い出そうとした灯里を見て十都はそっと両肩を押さえて、横たえさせた。
「安静にしていてください、と言うのが分からないんですか……本当に、怒りますよ」
「っ、だ、だって……」
「それに、御前試合は灯里さまはご観覧のはず。剣を嗜むのは止めませんが、それに重きを置いて、本来の習い事を放っておくのは感心いたしません」
十都の諭す言葉は分かってはいるが、それでも彼女は心の中で盛大に反撃の文句を並べていた。
「私は、この家の長子だ……。御前試合、長子がでるのが本来なんだろ? なら……」
「その件に関してはお父上から告げられたはずです……。灯里さまはご観覧していただくと」
優しく顔に張り付いている灯里の髪をよけながら、濡らした手ぬぐいで汗をふき取っていく間近に見える夜色の目を思わず避けるように顔を背けた。
「わ、わかってるっ。さっさと早苗を呼んで来てよ」
気恥ずかしさからか思わず大きな声を上げて、再び咳き込んだ幼い主に十都はふっと息を吐いて立ち上がった。
「後で蜜飴でも持ってきますね」
顔を見なくても分かる、きっと困った笑顔を浮かべているだろう十都の姿を背中越しに感じて灯里は布団を頭からかぶっていた。
……絶対、あれは子ども扱いしてる。
でも、早苗みたいに美人でも胸もおっきいわけじゃないし……
花を生けようと思ってもやっても、怒られるだけだし。
唯一、一緒にできるのは剣術の稽古くらいなんだから……
それくらい、一緒にやっててもいいじゃん……
心の葛藤は堂々巡りとなり、いつしか灯里はうとうとと眠っていた。
御前試合の舞台に立ち、己の勇姿を家族が褒める傍らに彼も大丈夫と励ます笑みを浮かべて立っていた。
家宝の神剣を手にし、厳かな空気に身を引き締め鞘から煌めく刀身を抜き放つ。
感動が身を震わせて刀身を微かに啼かせてしまったが、それでも一糸乱れぬ舞を披露し、体の奥底から熱を作り出しその自身の熱を捧げる供物として、試合に臨む。
最高の一瞬を夢に見ていた。
お読みいただきありがとうございます。
子供の頃、結構雨に打たれるのが面白くてそれでよく風邪を引いてたのを思い出しながら、書き上げたのでややまとまりがありませんが……
こんなことやらなかったですか?(自分だけかもしれないですが)
そんな感じのお話でした。