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今さら泣きついてこないでください  作者: 小林翼


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9

移動販売の初日、フィオナは夜明け前に起きた。


荷馬車に瓶詰めを五十本積み込み、リュシエンヌが手綱を握る。向かう先はルミエール中央の定期市場だ。週に三回開かれるこの市場は、街の住民だけでなく近隣の村からも人が集まる賑やかな場所だった。


市場に着くと、すでに多くの露店が並んでいた。野菜売り、パン屋、肉屋、布地商——色とりどりの品物が朝日を浴びて並び、客の流れが絶え間なく続いている。


フィオナは荷馬車の横に木箱を積み上げて即席の売り台を作り、瓶詰めを丁寧に並べた。琥珀色の林檎の蜜煮が瓶越しに光を受けて輝いている。


「いらっしゃいませ。季節を問わず食べられる、林檎の蜜煮でございます。お味見はいかがですか」


声を張り上げた。前世の営業時代に鍛えた声の通りは健在で、市場のざわめきの中でもよく響いた。


だが、客足は鈍かった。


通りがかった主婦が足を止めるものの、見慣れない商品と見慣れない売り手に警戒心を見せる。


「瓶詰め? 何それ」

「林檎なら市場で生のが買えるじゃないの」

「銅貨二十枚? 高いわねえ」


リュシエンヌが荷馬車の上から苦い顔で見守っている。フィオナは笑顔を崩さなかった。こういうことは、前世でも何百回と経験している。新しい商品は、最初は必ず拒絶される。


「こちら、お味見をどうぞ。小さな器に少しだけご用意しました」


試食用の小皿を差し出すと、恐る恐る口にした女性の表情が変わった。


「あら……美味しい。これ本当に瓶に入ってたの?」


「はい。特殊な方法で密封しておりますので、一ヶ月以上新鮮さが持続します。冬場に果物が手に入らないとき、これがあればいつでも召し上がれますよ」


「へえ……」


その女性が一本購入してくれた。初めての売上だった。


しかし初日の販売数は、わずか七本。五十本のうち四十三本が売れ残った。



翌日も、その翌日も、状況は大きくは変わらなかった。三日間の合計販売数は二十三本。在庫は順調に減ってはいるが、このペースでは新たな仕入れの資金を回収するのに時間がかかりすぎる。


問題は二つあった。


一つは認知度。ルミエールの住民にとって「瓶詰め保存食」はまったく新しい概念であり、信頼を得るまでに時間がかかる。


もう一つはギルドの妨害だった。


三日目の市場で、フィオナの売り台に見知らぬ男が近づいてきた。


「あんた、ギルドの市場利用許可は取ってるのか」


がっちりした体格の男は、胸にギルドの紋章入りの腕章をつけている。市場の監督官だった。


「届出は済ませております」


「届出だけじゃ駄目だ。市場での小売りにはギルドの許可証が必要だ。持ってないなら出てってもらうぜ」


フィオナは知っていた。この「許可証」の発行にはギルド長の承認が必要で、つまりバルトロメが首を縦に振らなければ永遠に発行されない仕組みだ。


「分かりました。本日はこれで引き上げます」


リュシエンヌが剣の柄に手をかけたが、フィオナは首を振ってそれを制した。ここで揉めても得るものはない。



倉庫に戻ったフィオナは、事務室の机に向かって腕を組んだ。


市場が使えないとなると、ルミエール中心部での販売は事実上封じられる。ギルドの影響力は街の商業の隅々にまで及んでおり、既存の店舗も露店もすべてギルドの管轄下にあった。


前世の記憶が蘇る。中堅商社の営業部にいた頃、大手の取引先に門前払いを食らったことがある。既存の商流に入り込めないとき、藤野真奈美はどうしたか。


商流そのものを迂回したのだ。


「マティアスさん、ルミエール周辺の村の市場は、ギルドの管轄ですか」


老経理士は眼鏡を押し上げた。


「いや、ギルドの管轄はルミエール市内に限られる。周辺の村は各村長の裁量だ」


「では、村を回りましょう」


フィオナの目に光が戻った。


「ルミエールの市場がだめなら、周辺の村の定期市に出ればいい。村の人たちは王都の商品が手に入りにくいから、むしろ新しい商品に飢えているはずです。村で評判を作り、口コミでルミエールの住民の耳にも届くようにする」


「遠回りだな」


「けれど確実です。草の根の信頼は、ギルドの妨害では潰せません」


翌朝から、フィオナたちは荷馬車でルミエール周辺の村を巡り始めた。


最初の村は半日の距離にあるプラタン村。人口三百人ほどの農村で、週に一度の小さな市が立つ。村長に事前に手紙を送り、出店の許可をもらっていた。


村の市場は素朴だった。広場に木の台が並び、農家が自家製の野菜やチーズを売っている。そこにフィオナの荷馬車が到着すると、物珍しさから人だかりができた。


「林檎の蜜煮でございます。瓶を開けない限り、一ヶ月以上保存できます」


試食を配ると、反応はルミエールとはまるで違った。


「こりゃあうまい! 冬の間に食えるのか?」

「うちの婆さんにも食べさせてやりたいな」

「三本くれ! いや、五本だ!」


午前中で持参した三十本が完売した。


フィオナは帳簿に売上を記録しながら、小さくガッツポーズをした。前世の癖だった。リュシエンヌが見て噴き出す。


「何だその動き」


「勝利の儀式よ」


翌日はさらに遠い村まで足を延ばし、同じように売り切った。三日目、四日目と村を変えて回るうちに、口コミが広がり始めた。


「ルミエールから来る瓶詰め屋が美味いらしい」


その噂は、やがて風に乗るようにルミエールの街にも届き始める。ギルドの壁を、フィオナは外側から崩しにかかっていた。

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