第17話 さあ、デートへ!
鼓膜が破れるんじゃないかと思うほど盛大なクラクションに、翔太は自分が渡ろうとしていた信号が赤だったことに気づいた。
すでに走り去った自動車の運転手に慌てて頭を下げ、翔太は乱れた呼吸を整える。
「やばい。間に合うよな」
ポケットの中からスマホを取りだし、時刻を確認する。
8時30分。
9時に駅前集合だから、これまでそうしてきたように、走れば充分間に合うだろう。
寝坊したせいでこんなことになっているのではなく、着ていく服を選んでいたら、こんな時間になってしまったのだ。
「……こんなことなら、家族の言うこと、聞いておくべきだった」
上から下まで、全身黒ずくめ。
壊滅的なファッションセンス。
これまで何度も指摘されてきたのに。
それでも、今日はマシなものを選んできたつもりだった。
実験とはいえ、陽菜子とデートできるわけだし、陽菜子にいい思い出として記憶していて欲しいから。
信号が青に変わる。
翔太は走り出した。
「間に、合った……!」
8時45分。
時間を確認したスマホをポケットに戻し、翔太はぐるりと見回すが、駅前に、まだ陽菜子たちの姿はなかった。
翔太は乱れた呼吸を整える意味も込めて、大型商業施設の壁にもたれかかった。
向かいのビルに設置された大型ビジョンがヒットチャートを流している中、視界の端にあったショーウィンドウに意識が向く。
鮮やかなライトアップ。
最新のファッションを纏うマネキンたちの向こう側に、それとは真逆の影がいた。
ガラスに映るその影は、街の華やぎから一人だけ切り離された場違いなノイズのように見えた。
「……これでもマシなのを選んできた、つもりだったんだけどな」
本当になぜ家族が指摘してくれた時に猛省して、服を買わなかったのか。
「……やっぱりあっちの方がよかったか?」
いやでも、と心の中で続けていると、
「翔太先輩……!」
雑踏の中、微かに聞こえてきた声があって、翔太は勢いよく顔を上げた。
「陽菜、子……」
そこにいたのは、いつもの陽菜子ではなかった。
翔太が知っているどの陽菜子よりも、ずっとずっと綺麗で、かわいい陽菜子だった。
出会った時は肩口だったベージュの髪は少しだけ伸びて、初夏の風に遊ばれて広がる。
着ているのは、透けるようなアイボリーのシフォンブラウス。
胸元の大きなリボンが、彼女の可憐さを際立たせていた。
さらに、編み目の粗い、繊細な白のカーディガンを羽織っている。
何より翔太を驚かせたのはその下だった。
ハイウエストで合わせた、鮮やかなサックスブルーのミニスカート。
そこから伸びる脚の白さは瑞々しく、翔太には直視できなかった。
翔太がいつもとあまりに違いすぎる陽菜子に言葉を失っていると、
「何ですか、その顔。……あ、もしかして」
陽菜子がイタズラっぽく微笑み、ベビーピンクに染まった唇に手を当てる。
「今日のわたし、最強すぎて声も出なくなっちゃった、とか?」
スカートの裾を持って、ヒラヒラさせる。
「ちょ、それはやめなさい!」
「え、なんでですかー?」
楽しそうに言いながら、陽菜子はやめない。
まるで翔太を煽るように。
いや、実際、煽っているのだろう。
今の翔太には今日の格好だけでも充分刺激的すぎるというのに。
このままやられっぱなしというのは、ちょっと悔しい。
なので、翔太は一矢報いることにした。
「そうだ」
と告げた声は、裏返ってはいなかったはずだ。
「え?」
と、きょとんとなる陽菜子に、翔太はさらに続けた。
「陽菜子が最強すぎて声が出なかった。すごく、本当に、その、かわいくて、眩しかったから。めちゃくちゃ似合ってる」
それだけを何とかひねり出して告げた後で、もっと気の利いた言葉があったんじゃないかと後悔する。
だが、仕方ないじゃないか。
翔太の語彙力では、これがせいいっぱいだったのだから。
「……そ、そですか。あ、ありがとう、ございます」
さっきまでスカートをヒラヒラさせて翔太を煽っていた陽菜子はどこへ行ったのか。
真っ赤になって俯いてしまった。
それでも、陽菜子には一定以上の効果があった模様で、翔太は陽菜子の思わぬ反応に、
「ど、どういたしまして」
と、翔太自身も真っ赤になって俯いてしまった。
そんなことをやっていると、
「あたしもいるんだけど」
もちろん忘れていない。
陽菜子の隣には、さっきから月花がいた。
二人は揃ってやってきたのだ。
月花は、陽菜子とは真逆のベクトルで『最強』を体現していた。
眩しい太陽をそのまま閉じ込めたような金髪が、彼女の動きに合わせて激しく波打つ。
オフショルセットアップから覗く肩は、健康的な小麦色に焼けていて、鎖骨のラインが驚くほど鮮やかだ。
ゆるく羽織ったデニムシャツの隙間から見えるウエストは、無駄な肉一つなく引き締まっている。
まるで雑誌の表紙から飛び出してきたかのような華やかさ。
「てか、先輩、真っ黒すぎじゃない? 今日、デートするって言ったはずなんだけど」
「実験、な。デートの実験」
翔太の反論に、月花はニンマリ微笑みで応じる。
あと、と翔太は続けた。もういっそ開き直ってしまえと、
「知らないのか? 華を引き立てるには、これぐらい地味の方がちょうどいいんだよ」
「翔太先輩は限度ってものを知らないんですねー」
まだ少しだけ頬に赤みを残した陽菜子が翔太の顔を覗き込む。
少し厚底のストラップサンダルを履いているせいか、いつもよりその距離が近い。
「知ってるからこそ、これだ!」
「自慢げに言うことじゃないですねー」
陽菜子が笑う。楽しそうに、明るく。
それだけで、この格好で来た甲斐がある、と翔太は思うことにした。
前向きでいいじゃないか。
だって、後ろ向きよりずっといい。
総合プロデューサーを自称する月花に導かれ、翔太は陽菜子とともに電車に乗った。
それで翔太は、駅前で何かするわけではないらしいことを知った。
電車の中では、翔太たちが三人で並んで座ると思っていたのだが、
「あたし、調べ物があるんで」
と、月花は隣の車両に移ってしまった。
何をどうすれば、調べ物があるからと車両を移動する必要があるというのか。
車内は疎らで、席はいくらでも空いているというのに。
追及しようにも月花はここにいなくて、翔太は並んで座る陽菜子のぬくもりを感じることにした。
「事情聴取、どうだった?」
「え?」
「昨日、あれからされたんだろ。事情聴取。大丈夫だったか?」
「えっと……まあ、はい。覚悟を決めました」
事情聴取を受けて決める覚悟とは。
何だよそれ、と翔太は軽く笑い、隣から伝わってくる陽菜子の甘いぬくもりを愛おしく思いながら、窓の向こう、流れていく景色をぼんやりと視界に収める。
陽菜子は何も言わない。
翔太も何も言わない。
電車が揺れる音だけが響く。
気まずくはなかった。
むしろ大切で、しあわせな時間だった。
いつまでもこの時間が続いて欲しいと思ってしまうほどに。
車内アナウンスが流れ、電車が駅に着く。
降りる人もいれば、乗り込んでくる人もいる。
月花に動きはなく、目的地はここではないのだろう。
相変わらず疎らな車内を、やはりぼんやりと視界に収めながら、この電車が向かう先を想像する。
この先、デートになりそうな場所ってどこだったか。
何かあったか。
デートなんてものは自分とは縁遠い世界のことで、翔太にはなかなか思いつけなかった。
それでも何かあったような……と、あやふやな記憶を検索していると、
「……あの、翔太先輩?」
陽菜子が翔太の耳元でぽそっと囁いた。
耳だけでなく、心までくすぐったくなる。
「ん?」
「今日のデート、楽しみでしたか?」
「……陽菜子は?」
「質問に質問で返すのはずるいと思います」
確かに、と呟いて、
「……楽しみにしてなかったって言ったら、嘘になるな」
「へ、へぇ、そですか。でも、翔太先輩、わたしの恋を応援してくれるんですよね?」
「…………ああ」
「休日なのに、実験につき合ってくれるほど」
「………………そうだ」
「それって、そんなにわたしとその人に結ばれて欲しいってことですか?」
「…………………………………………………………………………………………………………当たり前だろ」
「今、間がありましたよねっ!?」
なぜかうれしそうな陽菜子である。
「お、陽菜子。窓の外を見てみろよ。今日はいい天気だぞ」
「あからさまに話を誤魔化しましたね!?」
「ぐー」
「寝たふり、下手くそすぎなんですけど!」
陽菜子の楽しげな笑い声が響く。
電車が、ガタンと揺れる。
車内アナウンスが駅名を告げると、隣の車両にいた月花がやってきた。
「ここで降りるよ」
電車が止まり、ドアが開く。
湿り気を帯びた重い潮風が翔太の頬を叩いた。
電車を降りたのは翔太たちだけではなかった。
電車内に残っていた人たちの多くが、ここで降りた。
ホームに立つと、陽光を反射してきらめく水面のような青い看板が、目に痛いほど飛び込んできた。
そこには白いイルカが描かれていて、
「水族館?」
「今日はここで陽菜子と先輩の実験、最高のデートをするから!」
なるほど。確かに水族館はデートにはうってつけだ。
翔太と陽菜子が並んで立ち、その前に、引率するかのように立っていた月花が、翔太を見据える。
「先輩は陽菜子が本命の人とデートする時、失敗しないよう全力で取り組むこと! それこそ陽菜子と本当にデートしているみたいに!」
「つまり、」
「本番みたいに!」
言い切る月花の言葉に、翔太は胸ポケットに持参したお守りに触れる。
だから、月花の言葉に陽菜子が頬を染め、何か決意したみたいな表情を浮かべたことに気づかない。
「むしろ望むところだ」
翔太は実験台。
陽菜子の本当に好きな相手は翔太のクラスの誰か。
なのに、陽菜子と本当にデートしているみたいにしていいなんていうのは、陽菜子のことが好きな翔太にとっては、ご褒美みたいなものだった。
いよいよデートが始まる。
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