腐敗データの再定義(リサイクル・ハック)
夏は、都市の排熱処理を限界まで追い詰めていた。 気温35度。湿気を含んだ南風が、路地に積まれた汚物の山から強烈なアンモニア臭を運び、街全体を腐った卵の中に閉じ込めたようだ。
評議室の窓は閉め切られていたが、それでも臭気は忍び込んでくる。 軍務伯ヴォルフが苛立ちを隠さずに報告書を投げた。 「限界だ。兵舎でも喧嘩が絶えない。この暑さと臭いで、人間のストレス耐性が焼き切れそうだ」
原因は明確だった。掃除屋ギルドのストライキ。 彼らは「夏季特別手当」として、清掃料の三倍増額を要求し、一週間前からゴミの回収を完全に停止していた。
アクスはマスク越しに淡々と告げた。 「掃除屋ギルドの背後にいるのは、裏社会の元締めバルバロですね。……交渉に行きましょう」 「無駄だ」ヴォルフが吐き捨てる。「あいつは欲の皮が突っ張った豚だ。金を払うまで動かんぞ」 「金を払うつもりはありません。……『餌』を変えます」
***
都市の最下層、「澱の地区」。 そこは、物理的なゴミ捨て場であり、社会システムの掃き溜めだった。 蠅が黒い雲のように舞う中、アクスとヴォルフは、ギルドの事務所――というよりは、ゴミ山の上に建てられた砦へと足を踏み入れた。
バルバロは、脂ぎった巨体をソファに沈め、氷水で冷やしたワインを飲んでいた。 「帰んな、お役人様。要求は伝えてあるはずだ。金貨三千枚。それが用意できるまで、この街にはゴミが増え続ける」
バルバロは強気だ。彼は知っている。ゴミ処理というインフラ(ボトルネック)を握っている限り、都市はいずれ根を上げるしかないと。 アクスは、窓の外のゴミ山を指差した。 「バルバロさん。あなたの要求を飲む前に、在庫の確認をさせてください」 「ああん? 在庫だと?」
アクスはゴミ山に近づき、躊躇なくその汚泥の中に手を突っ込んだ。 ヴォルフが顔をしかめる。部下のチンピラたちが「気でも触れたか」と嘲笑する。
[触覚解析]深部温度=70℃。発酵プロセス進行中。 [成分分析]窒素、リン酸、カリウム……そして、厩舎の壁面に白い結晶(硝酸カリウム)を確認。
「……素晴らしい」 アクスは、汚れた手を拭きもせずに言った。 「バルバロさん。提案があります。我々は清掃料の値上げは認めません。ですが、新しい事業を提案します」 アクスは説明した。 「このゴミを発酵させれば、強力な『肥料』になります。さらに、そこの古土から抽出できる『硝石』は、火薬の原料として軍が高値で買い取ります。……どうですか? ゴミを集めるだけで、あなたは今の十倍稼げる」
バルバロは鼻で笑い、ワインを飲み干した。 「……学者先生の夢物語か。肥料だあ? 百姓がそんなもんに金を払うかよ。硝石? そんな面倒な抽出をするより、脅してとる金の方が早くて確実なんだよ」 バルバロは、アクスの目の前に唾を吐いた。 「俺が欲しいのは『可能性』じゃねえ。『現金』だ。……交渉決裂だ。失せろ」
予想通りの反応。 独占企業は、イノベーションを嫌う。現状維持で儲かるなら、リスクを取る必要がないからだ。
アクスは静かに頷いた。 「わかりました。……では、あなたのビジネスモデルごと廃棄します」
***
翌日。市場の広場に、奇妙な看板が立った。
【求む:燃えるゴミ、生ゴミ、厩舎の土】 【買取価格:一袋につき銅貨三枚】 【※持込先:軍用倉庫裏・臨時集積所】
最初は、誰も信じなかった。ゴミを金で買う? 狂ったのか? だが、試しに生ゴミを持ち込んだ浮浪者が、本当に銅貨を受け取ってパンを買った瞬間、情報は爆発的に伝播した。
「おい、ゴミが金になるぞ!」 「路地裏に落ちてるあれもか!?」 「早い者勝ちだ!」
都市全体で、「ゴールドラッシュ」ならぬ「トラッシュラッシュ」が始まった。 貧民街の子供たちが、目の色を変えて路地を走り回る。主婦たちが、家の前の汚物を丁寧に袋詰めする。 これまで「誰かが片付けてくれるのを待つ不快な物体」だったゴミは、アクスによって「道端に落ちている小銭」へと再定義されたのだ。
一方、バルバロの砦。 部下が血相を変えて飛び込んできた。 「お、親分! 大変だ! ゴミがねえ!」 「はあ? 何を言ってやがる」 「街中のゴミが消えたんです! 全部、軍の倉庫に持ち込まれて……俺たちのシマ(縄張り)のゴミまで、ガキどもが盗んでいきやがる!」
バルバロは顔を真っ赤にした。 「ふざけるな! ゴミは俺たちの人質だぞ! ……あいつら、俺たちの商売道具を奪う気か!」 彼は手下を集め、軍用倉庫へと殴り込みに向かった。
だが、倉庫の前には、完全武装したヴォルフの兵士たちが立ちはだかっていた。 そして、その奥では、アクスが集まったゴミの山を前に、集まった農民たちと商談をしていた。
「おい、監査補!」 バルバロが怒鳴り込む。 「これは俺たちのゴミだ! 勝手に商売してんじゃねえ!」
アクスは冷ややかに見下ろした。 「おや? 昨日あなたは『金にならないから回収しない』と言って、ストライキをしていましたね」 「ぐっ……」 「所有権を放棄した(捨てた)ものを、私が拾って買い取った。法的に何の問題もありません」
さらに、アクスはヴォルフを紹介した。 「それに、この事業は『軍事機密』に関わります。ここから抽出される硝石は、ヴォルフ軍務伯の管理下にある戦略物資です。……妨害すれば、軍法会議ものですが?」
ヴォルフが剣の鯉口を切る。 「……バルバロ。俺の『火薬庫』に手を出せば、ただじゃ済まさんぞ」
詰み(チェックメイト)だ。 バルバロは、自分の最大の武器だった「ゴミによる都市封鎖」を、根底から無効化された。 ゴミがなければ、ストライキは成立しない。そして、ゴミはもう、市民の手によって勝手に片付けられている。 掃除屋ギルドは、用済みになったのだ。
「……待て。待ってくれ」 バルバロの額から、脂汗が滝のように流れる。 「わ、わかった。俺たちも協力する。……肥料でも硝石でも作るから、仕事に戻してくれ」
アクスは計算機のような目で、バルバロを値踏みした。 「では、契約変更です」 アクスは新しい契約書を突きつけた。 「市からの清掃委託料は廃止。代わりに、あなた方は集めたゴミを『原料』として、この加工プラントに納入する権利を与えます」 「……金が貰えるどころか、タダ働きかよ!?」 「いいえ。成果報酬です。納入量と、生成された硝石の純度に応じて、軍が代金を支払います。……真面目に働けば、前の倍は稼げる計算ですよ」
バルバロは、震える手で契約書を握りしめた。 拒否権はない。拒否すれば、彼の組織は明日から路頭に迷う。
「……ちくしょう。覚えてやがれ」 バルバロはサインをした。
***
一ヶ月後。 都市の空気は澄み渡っていた。 路地裏からはゴミが一掃され、掃除屋ギルドの男たちは、目の色を変えて「原料」を探し回っている。 そして、郊外に作られた「硝石丘」からは、軍が必要とする黒色火薬の原料が、微量ながら確実に精製され始めていた。
ヴォルフが、出来上がったばかりの火薬の小瓶を振って笑った。 「……糞から火薬を作るとはな。お前のおかげで、輸入に頼らずに済む」 「物質循環です。不要なデータ(ゴミ)など存在しない。あるのは『未定義のリソース』だけです」
アクスは手帳にログを残した。 [システム更新] ガベージコレクション機能、正常化。 および、軍事リソース生成プロセスの確立。 コスト:銅貨数万枚。 リターン:衛生環境の改善、治安維持、戦略物資の自給。
夏の日差しはまだ強い。だが、その熱はもはや腐敗を進めるものではなく、硝石の結晶を育てるエネルギーとして、システムの中に組み込まれていた。




