表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この社会(システム)、バグだらけにつきAIが最適化します  作者: 冷やし中華はじめました
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/39

摩擦係数のコスト(トランザクション・フィー)

 完璧な計算式など存在しない。  特に、割り切れない数字(無理数)を含む現実世界においては。


 正午の広場。「市場の鏡」の前で、怒号が爆発した。 「金が合わねえぞ! どうなってんだ!」  声を上げたのは、穀物問屋の小男だ。彼は二枚の帳簿を突きつけていた。 「見ろ! 俺が今日売った麦の合計と、鏡から支払われた額……銀貨0.1枚分足りねえ! 誰かが抜き取ってやがる!」


 0.1枚。パンの欠片ほどの価値しかない。  だが、「システムが金を抜いている」という疑念は、ペストのように広がった。  人垣の中から、扇動者が声を上げる。 「やっぱりだ! あの監査補、俺たちの金を端数ごまかして懐に入れてやがったんだ!」 「塵も積もれば山となるだ! 街全体で毎日いくら盗んでるんだ!」 「泥棒役人を出せ! 金を返せ!」


 群衆の目が血走る。彼らはアクスへの感謝など忘れている。今、自分の財布から小銭が消えたという「損失」だけが、彼らの理性を焼き尽くしていた。


 アクスとヴォルフが駆けつける。  ヴォルフは抜剣し、怒鳴った。 「下がれ! 騒ぐ奴は反逆罪とみなすぞ!」  いつもなら、これで静まるはずだった。だが、今日は違った。


「見ろ! 剣で脅して口封じだ!」  扇動者が叫ぶ。 「軍隊もグルなんだ! 俺たちから巻き上げた端数で、新しい船を作ってやがる! 殺されるぞ!」  恐怖と怒りが結合し、暴徒と化した市民が石を投げ始めた。  ヴォルフの額に石が当たり、血が流れる。 「くっ……! アクス、斬るしかないぞ!」


「いけません」  アクスはヴォルフの手を制した。 「武力行使は、システムの信頼クレディビリティを物理的に破壊します。……ここは、経済で殴り返します」


 アクスは、群衆の前に進み出た。石が飛んでくるが、避けようともしない。 「静粛に! ……説明します。金は盗んでいません。それは『計算上の誤差(丸め誤差)』です」


「言い訳するな!」 「難しい言葉で誤魔化す気か!」


 アクスは懐から、パンを一つ取り出した。そして、腰のナイフでそのパンの端を、薄く、透けるほど薄く削ぎ落とした。  そのパン屑を、高く掲げる。


「これが、0.1枚です」  アクスは叫んだ。 「あなた方が今日失ったのは、このパン屑一つ分です。……これは事実です」


「だから何だ! 損は損だ!」


「では、比較しましょう」  アクスは、残った大きなパンの塊を、真ん中からバッサリと切り落とした。 「かつて、この『鏡』がなかった頃。あなた方は両替商の手数料で一割、量り売りの不正で一割、そして相場の情報不足による買い叩きで一割……合計でこれだけの『見えない損』をしていましたね?」


 アクスは、パンの半分(旧システムのコスト)と、パン屑(新システムの誤差)を左右の手に持って、天秤のように掲げた。


「私が導入したシステムは、完璧ではありません。異なる計算方式の摩擦により、毎日このパン屑一つ分の『誤差』が出ます。  ……ですが、このシステムを壊せば、あなた方は明日からまた、この『半分のパン』を失う世界に逆戻りです」


 アクスは群衆を睨み据えた。 「選びなさい。  パン屑一つ分の『システム利用料』を払って、快適に商売をするか。  それとも、私を吊るして、明日からまた悪徳両替商に利益の半分を毟り取られるか。  ……損をしたくないのは、どっちですか?」


 ざわめきが止まった。  群衆は、アクスの両手を凝視する。  左手のパン屑。右手のパンの塊。  扇動者が叫ぶ。「だ、騙されるな! 詭弁だ! 誤差ゼロにしろと言ってるんだ!」


 だが、最前列にいた穀物問屋の小男が、バツが悪そうに口を開いた。 「……まあ、待てよ。確かに、鏡ができる前は、両替だけで銀貨十枚は取られてたな……」 「ああ。それに比べりゃ、0.1枚なんてタダみたいなもんだ」 「今の商売を止められる方が、よっぽど大損だぞ」


 そろばんが弾かれた。  感情ではなく、冷徹な「損得勘定」が、怒りを鎮火させていく。  扇動者は孤立した。「おい、お前ら正気か!?」と叫ぶが、もはや誰も耳を貸さない。彼は、システムを停止させようとする「損な奴」として、群衆から白い目で見られ、そそくさと逃げ出した。


 アクスはパンを置いた。 「ご理解いただけたようですね。……では、修正パッチを適用します」


 彼は「市場の鏡」の横に、新しい黒板を設置した。  『システム調整費(誤差)台帳』 「今後、発生した端数はすべてここに記録します。隠しません。これは横領ではなく、この便利なシステムを維持するための『燃料ランニングコスト』です」


 ヴォルフが血を拭いながら、呆れたように笑った。 「……パン屑と半分か。わかりやすい脅しだ」 「脅しではありません。コスト比較(A/Bテスト)です」


 アクスはログを更新した。 [学習]  ユーザーは「正義」では動かない。「損をしたくない」という恐怖で動く。  バグを「仕様コスト」として合意形成することこそが、システム運用の要である。


 市場には再び、取引の音が戻った。  0.1枚の誤差は消えていない。だが、市民たちはそれを「必要経費」として飲み込み、再び金儲けに没頭し始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ