新しい官僚たち(OS書き換え)
処理落ち(The Freeze)
北の工業地帯が稼働し始め、帝国の経済規模が爆発的に膨れ上がった頃。 帝都の中枢、財務省は、静かなる「死」に瀕していた。
深夜になっても明かりが消えない執務室。 山積みになった羊皮紙の前で、世襲貴族の徴税官たちが呆然と立ち尽くしている。
「……無理だ。計算が合わん」 「北部の関税収入だけで、昨年の国家予算を超えているだと? 桁を間違えているんじゃないのか?」
彼らはそろばんを弾き直し、指を折って数えるが、目の前の数字――ベネツィア式複式簿記で記された、複雑怪奇な金の流れ――を処理できない。 彼らの脳(CPU)は、「麦の束を数える」ために最適化された中世のスペックしかない。 そこに、産業革命という名のスーパーコンピュータ級のデータ量が流し込まれたのだ。
結果、行政機能はフリーズした。 港には荷揚げ許可を待つ船が溢れ、国境では関税計算待ちの馬車が数キロの列を作っている。 物理的なインフラは進化したが、それを運用するソフト(人間)が旧式すぎた。
視察に訪れたアクスは、床に散乱した書類と、過労で倒れた老貴族を見て、冷徹に診断を下した。
「宰相閣下。システム障害の原因は明確です。 ハードウェアのスペック不足ではありません。**オペレーターの能力欠落**です」
ヴァレリウスは、頭を抱えていた。 「……分かっている。だが、貴族たちを全員クビにするわけにはいかん。彼らの『家柄』こそが帝国の秩序なのだ」
「秩序を守るために国を止めるのですか? 非効率です」 アクスは即答した。
「新しいOS(基本ソフト)をインストールしましょう。 私に時間をください。……三年です。 北の工場を作ったのと同じ期間で、この国の脳みそも作り変えてみせます」
インストール(Boot Camp)
一ヶ月後。帝都の外れに、周囲を高い壁で囲まれた閉鎖的な施設が建設された。 看板には**『帝国行政大学』**とあるが、その実態は「教育機関」というよりは「人間加工工場」だった。
集められたのは、全国から選抜された1,000人の若者たち。 商家の三男、貧しい村の秀才、没落貴族の息子。 共通点は二つ。「家柄がないこと」と「数字に強いこと」。
入学式の日。アクスは壇上で、分厚い法典と簿記の教科書を積み上げた。
「諸君。これより三年間、君たちからは『感情』と『常識』を削除します」
アクスは宣言した。 「外出は禁止。私語も禁止。 朝6時から夜10時まで、ひたすら『論理』と『法』と『計算』のみを脳に書き込みます。 ついて来られない者は即時退学(廃棄)。……卒業できるのは、半分もいないと思ってください」
地獄の三年が始まった。 詩も、歴史も、神学も教えられない。 教えられるのは、「いかに効率的に税を徴収するか」「いかに法的に正しく特権階級を論破するか」という、実務的なアルゴリズムのみ。
一年目で300人が脱落した。 二年目でさらに200人が精神を病んで去った。 そして三年目の冬。 生き残った450人の若者たちは、もはや「若者」の顔をしていなかった。 その瞳には、人間的な迷いが消え、代わりに冷徹な理性の光――システム管理者の目が宿っていた。
バージョンアップ(System Update)
三年後。 帝国の官庁街に、静かな異変が起きた。
財務省の予算会議。 上席に座る老伯爵(局長)が、いつものように適当な丼勘定で予算を通そうとした時だ。
「……異議あり」
手を挙げたのは、新任の主計官補佐――行政大学を首席で卒業した、元農民の息子だった。 彼は上司である伯爵に対し、分厚い資料を叩きつけた。
「局長。この予算案における『その他雑費』の比率は、過去の統計データから見て異常値を示しています」
「な、なんだと!? 貴様、誰に向かって……わしは伯爵だぞ!」
「行政法第12条に基づき、あなたの決裁権限は**『凍結』**されました。以降の業務は、すべて私の承認が必要となります」
老伯爵は震える手で若者に縋り付いた。 「ま、待ってくれ。わしにも家族がおる。多少の融通は……『温情』というものはないのか?」
若者は、無表情で首を振った。 「温情? 定義されていない用語です。それはシステムにおける『ノイズ』であり、排除対象です」
伯爵は衛兵に引きずり出された。 その光景を見ていた他の職員たちも、恐怖に震え上がった。この新しい官僚たちには、「話」が通じない。賄賂も、泣き落としも、昔ながらの人間関係も、すべて「エラー」として処理されるのだ。
歯車の熱狂と、こぼれ落ちる砂(Fanatics and Rejects)
その年の建国記念日。 帝城の大広間は、かつての優雅な舞踏会ではなく、熱気溢れる「作戦会議室」の様相を呈していた。
黒い詰め襟の制服を着た若き官僚たちが、グラスを片手に議論を戦わせている。 彼らの話題は、女でも芸術でもない。「鉄道網の敷設効率」と「次期主力小銃のコストダウン」についてだ。
「北部の輸送ロスを0.5%削減できたぞ」 「素晴らしい。浮いた予算で、国境要塞の壁をあと2メートル高くできる」 「すべては陛下のために! 帝国のために!」
彼らは熱狂していた。 アクスに教え込まれた「論理」という武器を使って、巨大な国家を自分の手足のように動かせる快感。 家柄のない彼らにとって、帝国というシステムこそが、自己を証明する唯一の神となっていた。
バルコニーの暗がりから、アクスとヴァレリウスがその光景を見下ろしていた。
「……三年か。よくぞここまで育てたものだ」 ヴァレリウスは、眼下の若者たちを、愛おしそうに眺めた。 「彼らには迷いがない。家のしがらみも、古い因習もない。ただひたすらに、国を富ませ、強くすることだけに特化した『純粋な機能』だ」
「はい。システム出力は定格の200%を記録しています」 アクスは淡々と報告した。 「ですが……彼らは少し、過剰適応気味です」
アクスは一枚のレポートをヴァレリウスに渡した。 それは、輝かしい経済成長グラフの裏にある、暗いデータだった。
【帝都精神衛生報告書】
失職者数: 過去最多。旧式の職人、役人が次々と職を失い、再就職できていない。
自殺率: 前年比15%増。
失踪者: 「北へ行く」と言い残して消える者が急増中。
「効率化の速度に、人間がついていけていません。 はじき出された『不適合者』たちが、社会の底に沈殿し始めています」
ヴァレリウスは、レポートを一瞥して鼻で笑った。
「構わん。脱落者は置いていく。 アクスよ、ブレーキなど要らん。彼らが作った道路は軍を運ぶためにあり、彼らが貯めた金は火薬を買うためにある。 ……貴様が三年かけて研ぎ上げたこの『剃刀』たち、私が存分に使わせてもらう」
階下では、誰かの音頭で乾杯が行われていた。 「帝国に栄光あれ(グロリア・インペリウム)!!」
その声は、かつてのような儀礼的なものではない。 論理で武装した狂信者たちの、腹の底からの咆哮だった。
アクスは無言でグラスを傾けた。 ふと、窓の外を見る。 帝都の路地裏には、職を失い、新しいシステムの言葉を話せない老人たちが、寒さに震えてうずくまっていた。 その一人が、北の空を見上げ、何やら祈りの言葉を呟いているのが見えた。
――神よ。我らを救い給え。
効率化された世界からこぼれ落ちた者たちがすがる先は、もはやこの国にはない。 その祈りは、遠く北の地にある「聖主国」へと向かっていた。
夜明け前。 眠ることを忘れた官庁街の窓には、青白いガス灯が灯り続けている。 それは理性の光であり、同時に、人間を「機能」としてしか見ない時代の、冷酷な監視の目でもあった。




