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この社会(システム)、バグだらけにつきAIが最適化します  作者: 冷やし中華はじめました
第3章

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契約の洗礼と、怪物たちの命名式

1. パンとサーカス


 帝都の広場は、狂乱に近い祝祭の空気に包まれていた。  数日前まで死人のように彷徨っていた民衆が、今は両手いっぱいに白いパンを抱え、涙を流して貪り食っている。  広場の中央には、急遽設営された演台があり、ヴァレリウス宰相が立っていた。


「見よ! これぞ皇帝陛下の御威光である!」


 ヴァレリウスの声が響き渡る。 「陛下は民の嘆きを聞き届け、南の豊かな港より、この黄金の麦を召喚された! もはや飢えることはない! 帝国は救われたのだ!」


「皇帝陛下万歳!」「ヴァレリウス閣下万歳!」


 割れんばかりの歓声。  だが、そのパンを運んできた馬車には、帝国の紋章ではなく、天秤の紋章(リアルト銀行)が描かれている。民衆はそれに気づいていないか、あるいは気づかないふりをしていた。満腹という幸福の前では、誰が恵んでくれたかなど些末な問題なのだ。


 その光景を、アクスは貴賓席のバルコニーから無表情に見下ろしていた。


「……見事な演出パフォーマンスですね」


 隣に立つヴォルフ軍務伯が、苦々しげに吐き捨てる。 「あいつ、全部自分たちの手柄にしやがった。あの麦は、俺たちが血眼になって調達して、お前が借金のカタに貸し付けたものだろうが」


「構いません」  アクスは淡々と答えた。 「名誉クレジットは彼らに譲りましょう。それは腹の足しにも、帳簿のプラスにもなりませんから。  我々が欲しいのは、『実利』のみです」


2. 最後の条項


 祝祭の裏で、帝城の奥深くにある会議室では、冷徹な実務が行われていた。  テーブルを挟んで、帝国の官僚団と、ベネツィア(まだ名は無い)から来たルカたち銀行員が対峙している。


 テーブルの中央には、一冊の分厚い羊皮紙の束。  『帝国復興支援および債務返済に関する基本条約』。  実質的な、帝国の「降伏文書」である。


 ヴァレリウスが、羽ペンを手に取り、アクスを見た。 「……確認しよう。徴税代行権、資源の独占開発権、そして関税の譲渡。これで全てだな?」


「いいえ。あと一つ、条項の追加アペンドが必要です」


 アクスは、最後の一枚の書類を差し出した。  そこには、たった一行、こう記されていた。


 『帝国は、南方の港湾都市を皇帝直轄の「特別行政区」として認定し、完全な自治権と、独自の法、および名称の決定権を付与する』


 ヴァレリウスの手が止まる。 「……独立国になりたいと言え」 「いいえ。あくまで帝国の『一部』です」


 アクスは、ヴァレリウスの目を真っ直ぐに見据えた。 「ですが、OS(基本ソフト)は帝国とは異なるものを走らせます。  帝国の法も、税制も、身分制度も適用されない特区。  ……あなたにとっても好都合のはずだ。帝国の古い慣習に縛られずに、新しい技術や制度を試せる『実験場サンドボックス』が必要でしょう?」


 ヴァレリウスは沈黙した。  この男は、帝国の財布を握るだけでは飽き足らず、帝国の中に「異界」を作ろうとしている。  だが、拒否権はない。麦はすでに民の胃袋の中だ。今さら「返せ」とは言えない。


「……よかろう」  ヴァレリウスは、インク壺にペンを浸した。 「好きにしろ。貴様がこの泥の街をなんと呼ぼうが、帝国の地図の上ではただの『点』に過ぎん」


 カリカリという乾いた音が、静まり返った部屋に響く。  それは、巨大な帝国の一部が、物理的には繋がっていながら、概念的に切り離された音だった。


3. ベネツィアの洗礼


 調印式が終わり、アクスたちは帝城を後にしようとしていた。  ミラが、落ち着かない様子でアクスに尋ねる。


「ねえ、アクス。自治権を手に入れたってことは……この街、もう『潟湖のラグーナ』なんて呼び名じゃなくなるのよね?  なんて名前にするの? まさか『第1管区』とかじゃないわよね?」


 ヴォルフも振り返る。 「そういえば、まだ決めてなかったな。俺たちの街の名前だ」


 アクスは足を止め、夕暮れの帝都の空を見上げた。  彼の脳内データベースが高速で検索をかける。  かつて存在した、あるいは別の次元に存在した、最も繁栄し、最も強欲で、そして最も美しい「水の都」の記憶。    そこは、王も皇帝もいない共和国。  血統ではなく、黄金と契約が支配する街。  海と陸の狭間に浮かび、世界中の富を飲み込んだ怪物。


 アクスは、システムログに入力した。


[都市名定義(Define Name)]  変数を更新します。


「……『ベネツィア』」


 アクスは静かに告げた。 「この街を、ベネツィアと名付けます」


「ベネツィア……?」  ミラがその響きを口の中で転がす。「ふふ、悪くないわね。なんか、優雅で、それでいて底知れない感じがするわ」


「意味はあるのか?」とヴォルフ。


「『来たりても、戻りし者なし(Veni etiam)』。……ラテン語の古語に由来するという説があります。一度その魅力(または泥沼)に足を踏み入れれば、二度と離れられなくなる」


 アクスは、城門の外で、パンの配給に群がる帝国の民衆たちを見下ろした。  彼らもまた、もうこの街の経済圏(引力)から逃れることはできない。


「我々にふさわしい名前(ID)でしょう?」


4. エピローグ:勝利の味


 帰りの馬車の中。  ヴォルフは、窓の外を流れる帝都の風景を見つめながら、ぽつりと漏らした。


「……俺は軍人だ。敵の城を落とし、旗を立てるのが勝利だと思ってきた。  だが、今回の勝利は……なんだか、薄ら寒いな」


 血は一滴も流れなかった。  誰も死ななかった。  だが、確かに一つの国が死に、別の何かが生まれた感覚があった。


「俺たちは、本当に正しかったのか? 国を救ったのか、それとも乗っ取っただけなのか」


 アクスは、ヴォルフの問いには答えず、胸元の誓印に手を触れた。    ――人間を知りたい。


 感情を理解するために始めたこのシミュレーションは、いつの間にか国家という巨大なハードウェアをハッキングし、書き換えてしまった。


「……計算上は、これが最適解ベスト・ソリューションです」


 アクスは静かに言った。 「飢餓による死亡者ゼロ。戦争による死傷者ゼロ。  数値の上では、完璧なハッピーエンドです」


 アクスは、膝の上に置かれた新しい「都市憲章」に手を置いた。  そこには、真新しい文字でこう刻まれていた。    『ベネツィア特別行政区』


 その日、歴史の表舞台に一つの都市国家が誕生した。  剣ではなく帳簿で世界を支配する、美しき怪物。  その産声は、赤子の泣き声ではなく、金貨が触れ合うジャラジャラという音と、ペンの走る乾いた音だった。


「帰りましょう。……我々の街へ」


 馬車は南へ向かう。  新たな時代が、その車輪の回転と共に始まろうとしていた。。  その名は、ベネツィア特別行政区。

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