職人の死と、治具(ジグ)の独裁
1. 測定の敗北(Human Error)
造船所は、沈黙というよりは、お通夜のような空気に包まれていた。 目の前には、切り出されたばかりの船材の山。 アクスは、その山を無表情に見下ろし、冷徹な判定を下した。
「……全品、廃棄です」
老船匠グイドが、顔を真っ赤にして食ってかかった。 「ふざけるな! 徹夜で切ったんだぞ! お前が配った『真鍮の定規』通りにな!」
「いいえ、通りではありません」 アクスは、二枚の板を重ねて見せた。 「見てください。Aの板とBの板。同じ『1メートル』のはずなのに、あなたの小指の爪一枚分、ズレている」
グイドが叫ぶ。 「当たり前だ! 木には目(木目)があるんだ! 鋸を入れる時に、堅い節を避ければ、そりゃあ少しはズレる。それを現場でカンナ掛けて合わせるのが『職人の腕』だろうが!」
「それがボトルネックなのです」 アクスは切り捨てた。 「その『合わせる時間』が、建造期間の80%を占めています。それに、あなたがカンナを掛けて合わせた部品は、隣の船には使えない。……これでは、ただのオーダーメイドの集合体です」
アクスは、積み上げられたゴミの山(失敗した部品)を見た。 人間というハードウェアは、不安定すぎる。 「1ミリ」と定義しても、線を引く手が震えればズレる。線の上を鋸で切る時に、視線が歪めばズレる。 教育で補正するには、10年の歳月がかかる。だが、納期は一ヶ月だ。
[結論] 人間を信用してはならない。 人間に「測らせる」こと自体が、システム上のバグである。
2. 思考の剥奪(The Jig)
翌日。 アクスは、鉄工所で作らせた奇妙な物体を大量に持ち込んだ。 それは、鋼鉄で作られた頑丈な「枠」だった。
「なんだこりゃ。拷問道具か?」 「**『治具』**です」
アクスは、新しく雇った難民の男を呼んだ。船作りなどしたことのない素人だ。 「いいですか。この『枠』の中に、木材をガチャンとはめ込んでください」 「は、はい」 「次に、この枠の『スリット(溝)』に鋸を入れて、鉄の底に当たる音がするまで挽いてください」
男はおっかなびっくり鋸を動かした。 キコ、キコ……ガチン。 刃が鉄枠のストッパーに当たり、それ以上進まなくなる。
「終わりです。次」
男は、何も考えずに次々と木材を枠にはめ、鋸を動かし続けた。 測らない。線を引かない。目で確認しない。 ただ、鉄の枠が許す範囲だけを切り取る。
出来上がった部材を、アクスはグイドに渡した。 「……測ってみてください」
グイドは疑わしげに定規を当てた。そして、息を呑んだ。 「……おい。寸分違わねえぞ。……コンマ1ミリもズレてねえ」
「当然です。鋸の軌道は鋼鉄で固定されていますから」 アクスは淡々と告げた。 「人間が『どこを切ろうか』と考えるからズレるのです。 思考を物理的に遮断し、ただの動力として動かせば、誤差は消滅します」
3. マザーマシンの誕生
グイドは、プライドを粉々にされた顔で、その「治具」を睨みつけた。 「……認めねえ。こんな、猿でもできる仕事……職人の仕事じゃねえ!」
「ええ。これは職人の仕事ではありません」 アクスは、工房の奥にある、布をかけた一台の機械を指差した。 「あなたの仕事は、こっちです」
覆いが外される。 そこに鎮座していたのは、アクスが自身の高精度センサーを駆使して調整し、鉄工所の親父と組み上げた、この時代には存在しないはずの機械。 巨大な螺旋の親ネジを持つ、**「ねじ切り旋盤」**だった。
「これは……なんだ?」 「**『マザーマシン(母なる機械)』**です」 アクスは説明した。 「あの治具を作るためには、極めて精度の高い『ネジ』と『金型』が必要です。それは、素人には作れません」
アクスはグイドの目を見据えた。 「グイド。あなたの神業のような技術は、船を作るために使ってはいけない。 『誰が作っても100点になる道具』を作るために、その腕を使いなさい」
グイドの手が震える。 自分が船を作るのではない。 「船を作るシステム」を作る側に回れと言うのか。
「……俺は、もうノミを振るえねえのか」 「その代わり、あなたの作った治具が、五千人の労働者の手を動かします。……あなたが造船所の『基準』になるのです」
長い沈黙の後。 グイドは、旋盤のハンドルに手を触れた。冷たい鉄の感触。 「……いけ好かねえ野郎だ。だが、この機械……とんでもねえ精度だなおい」
4. 悪魔の証明
一ヶ月後。 アルセナーレのドックには、異様な光景が広がっていた。
カンナ屑も、職人の怒号もない。 響くのは、ガチャン、ガチャンという、部品をはめ込む音と、ハンマーで叩き込む音だけ。 調整ゼロ。 Aチームが作った船首と、Bチームが作った船尾が出会う。 職人の勘なら「合い口が悪い」と削り合わせるところだ。だが、ここでは――
パチン!!
吸い付くように嵌まった。 それは、木工というよりは、巨大なパズルを組み立てているようだった。
視察に来たヴァレリウス宰相と、帝国海軍の提督は、並べられた五十隻のガレー船を見て絶句した。 「……たった一ヶ月で、五十隻だと?」
提督が疑わしげに船体を叩く。 「粗製乱造だろう。早く作るために、見えないところを手抜きしているに違いない。海に出ればバラバラになるぞ」
「証明しましょう」 アクスは、並んだ船の中から無作為に二隻を選んだ。 「一番艦と、十番艦。……それぞれの『舵』を取り外してください」
工員たちが舵を外す。 「では、入れ替えて取り付けてください」
提督が笑った。 「馬鹿な。舵というのは、その船の癖に合わせて削り合わせるものだ。他人の足を移植するようなものだぞ、付くわけが……」
ガコン。
提督の言葉が止まった。 一番艦の舵が、十番艦の軸受けに、ぬるりと収まったのだ。 ガタつきも、引っかかりもない。完璧なフィット。
「……な、なぜだ!?」
「**『互換性』**です」 アクスは宣言した。 「この艦隊は、すべての部品が同じ治具から作られています。 つまり、戦場で舵が壊れても、沈んだ友軍の船から剥ぎ取って付け替えれば、即座に戦線復帰できるということです」
ヴァレリウスの目の色が変わった。 彼は、目の前の船を見ているのではない。その背後にある「兵站の革命」を見抜いたのだ。 修理のために港へ戻る必要がない艦隊。それは、不死身の軍団に等しい。
「……アクスよ。貴様は商人の顔をして、とんでもない怪物を産み落としたな」
5. エピローグ
その夜。 静まり返った工場で、グイドは完成した治具を酒の肴にしていた。 鋼鉄の枠。そこには、職人の「揺らぎ」が一切ない、冷徹な直線がある。
「……完璧だ。俺の手よりも正確だ」 グイドは自嘲気味に笑い、酒を煽った。 「だが、ここにはもう『俺』の匂いはしねえな」
職人は死んだ。 代わりに、システムが生まれた。
アクスは、時計塔の上から、規格化された工場を見下ろしてログを記録した。
[学習完了] 精度の担保は、人間の努力ではなく、物理的な拘束によって行われるべきである。 個性を殺すことで、全体は不死となる。
干潟の街の夜明け。 工場の鐘が、新しい時代の――「大量生産」の幕開けを告げていた。、職人の街から、工廠を持つ帝国の軍事下請け都市へと変貌を遂げていた。




