透明な黄金と、硝子の檻(ブラックボックス)
1. 再現性のない芸術 銀行と通貨で「金」の流れを支配したアクスが、次に目をつけたのは「モノ」の価値だった。 潟湖の倉庫街。そこには、煤と熱気にまみれたガラス工房が並んでいた。
「……また割れた! クソッ、今日は湿気が多いせいだ!」 怒号と共に、緑がかったガラス片が床に叩きつけられる。 老職人のジョバンニ。この道五十年の巨匠だが、彼が作るガラスの成功率は、その日の天候と気分に左右されていた。
アクスは、入り口でその様子を冷徹に観察していた。
(解析:歩留まり(良品率)=35%。 原因:原材料の配合比および温度管理が、職人の「勘」に依存しているため。 評価:芸術としては一流だが、工業製品としては欠陥システム)
アクスは工房に入り、一枚の紙をジョバンニに差し出した。 「手順書です。砂、灰、マンガン……これらを、この紙の通りの比率で混ぜてください」
ジョバンニは、脂ぎった顔でアクスを睨んだ。 「銀行屋が、俺に指図する気か? ガラスは生き物だ! その日の炎の色を見て、俺の肌で熱を感じて、初めて息を吹き込めるんだ。紙切れ通りに混ぜて作れるなら、苦労はしねえ!」
「勘や経験は『再現性』がありません」 アクスは淡々と告げた。 「私が求めているのは、誰が作っても同じ品質になる『規格化』です。……特に、この『透明度』においては」
アクスが取り出したのは、小さな透明なカケラだった。不純物のない、水晶のような輝き。 「水晶ガラス(クリスタッロ)。これを作れるのは、今のところあなたを含めて数人だけ。それも十回に一回。……これを『十回中九回』成功させる配合比を導き出しました」
ジョバンニは拒絶した。だが、アクスは諦めなかった。 彼は素人の若者を雇い、レシピ通りに作らせた。結果、ジョバンニが一生かけて到達した領域のガラスが、わずか数日で量産された。
透明なガラス。それは帝国の貴族たちにとって、金と同等の価値を持つ「白い宝石」となった。
2. 硝子の檻 成功は新たなリスク(バグ)を招く。産業スパイだ。 帝国の技術官僚たちが、職人たちに接触し始めていた。「製法を教えろ。帝国の工場でも作らせる」。
(警告:技術流出リスク=極大(Critical)。 対策:情報の物理的封鎖。製造プロセスを外部から観測不能にする)
アクスは、ヴォルフ軍務伯に提案書を提出した。 「ガラス職人とその家族を、全員、沖合の孤島『ムラーノ島』へ強制移住させます」
ムラーノ島。本島から離れた小さな島。 「名目は『火災防止』です。ですが真の目的は、技術の隔離(ブラックボックス化)。島を出入りできるのは、許可証を持った運搬船のみ。職人の島外への移動は、原則禁止とします」
ヴォルフが顔をしかめる。 「……監禁じゃないか。彼らは罪人じゃないぞ」 「ですので、檻の中は『楽園』にします」
給与は三倍。豪華な屋敷と最高の食事。 職人たちは歓喜して移住した。だが、島と本土を結ぶ橋には鉄格子が下ろされ、武装した衛兵が立った。 自由以外はすべてある楽園。
だが、ヴァレリウス宰相は、この鉄壁の防御を試そうとした。 彼はプロの間者を職人に偽装させて送り込んだ。「盗めるなら盗め。無理なら、奴の管理能力を試せ」。
数日後。間者はレシピを書き写して島を脱出しようとした瞬間、アクスの配置した検問システムに捕まった。
翌朝。間者の遺体が広場に吊るされた。 アクスは職人たちに告げた。 「知識の持ち出しは窃盗です。……この島にいる限り、あなた方は王のように扱われます。ですが、一歩でも外へ出れば、ただの『排除すべき異物』として処理されます」
職人たちは震え上がった。彼らは理解した。自分たちはもう人間ではなく、国家の「機密保持部品」なのだと。
3. ヴァレリウスの転換 スパイ処刑の報は、すぐに帝都のヴァレリウスの元へ届いた。 報告を聞いた宰相は、怒るどころか、愉しげにワイングラスを揺らした。
「……殺したか。見事だ」
側近が憤る。 「閣下! 帝国の民を勝手に処刑するとは……軍を出して島を制圧すべきです!」 「馬鹿者。制圧してどうする? 職人が死ねば、ガラスは二度と作れなくなる」
ヴァレリウスは、透明なグラスを光にかざした。 「アクスは示したのだ。『この技術は血を流してでも守る価値がある』とな。 盗めないほど堅牢なら、無理に盗む必要はない。……作らせておけ。我々はその『上前』を撥ねればいいのだから」
翌日、ヴァレリウスはアクスに新たな勅令を下した。
一、ガラス輸出税の導入。売価の三割を国庫に納めること。 二、ガラス保有税(奢侈税)の導入。帝国内でガラスを所有する者は、その数に応じた税を支払うこと。
アクスは抗議した。 「税率が高すぎます。価格が高騰すれば、需要が冷え込み(デマンド減)、利益が下がります」
「商人の浅知恵だな、アクス」 ヴァレリウスは冷笑した。 「これは『宝石』だぞ? 高ければ高いほど、貴族は『持つこと』にステータスを感じるのだ。 私が高い税をかけることで、このガラスは『選ばれた者しか持てない至宝』となる。……ブランド価値を上げてやっているのだ、感謝しろ」
4. 外交という名の武器 数ヶ月後。帝都の宮殿にて、周辺諸国の使節団を招いた晩餐会が開かれた。 その席で、ヴァレリウスはある「余興」を用意していた。
テーブルには、ベネツィア製の透明なクリスタルグラスと、従来の濁ったガラスの杯が並べられていた。 ヴァレリウスは、隣国の特使――以前から国境紛争で揉めているランティア王国の使者に、微笑みかけた。
「特使殿。貴国の王への手土産に、この『白い宝石』はいかがかな?」 ヴァレリウスは、クリスタルグラスを指差した。 「我が帝国の同盟国には、友好の証として、このガラスの『購入許可証』を与えているのだ」
特使は生唾を飲み込んだ。 この透明なガラスは、今や大陸中の王侯貴族の憧れだ。これを持っていることが「文明国」の証であり、持っていない国は「野蛮人」と見なされる空気が作られていた。
「……購入、許可証、でございますか? いただけるので?」
「ああ。ただし……」 ヴァレリウスは、分厚い羊皮紙――不平等な通商条約の草案をテーブルに滑らせた。 「我が国の関税撤廃案にサインをいただければ、だがね」
特使の手が震える。 たかがガラスの器一つ。だが、それを持ち帰らなければ、自国の王は「帝国に相手にされなかった」と恥をかくことになる。 特使は屈辱に顔を歪めながら、条約書にサインをし、グラスを震える手で受け取った。
ヴァレリウスは満足げに、自分のグラスを掲げた。 「乾杯しよう。……帝国の『透明な武器』に」
5. 搾取の連鎖 後日。アクスは、港の帳簿を見ていた。 ガラスの売上は過去最高を記録している。だが、その利益の三割は、右から左へと帝国の国庫へ流れていく。 さらに、帝国はこのガラスを外交カードとして使い、周辺国から莫大な利権を巻き上げている。
(解析:私は技術を守った(防衛成功)。 しかし、その技術が生み出す利益を最大化し、システム全体を支配しているのは……あの管理者だ)
アクスは、ムラーノ島の方角を見た。 職人たちは島という檻に閉じ込められている。 だが、アクス自身もまた、ヴァレリウスが作った「帝国の搾取システム」という、より巨大な檻の中にいることに気づかされていた。
島から上がる紅い炎は、今夜も帝国の黄金を溶かし出している。 それは、アクスが計算機で生み出し、ヴァレリウスが政治で磨き上げた、あまりに美しく残酷な輝きだった。




