第95話 終結と末路③
それからしばらく今後についての話を進め、一通りの合意が取れるとアンジェリカ嬢は立ち上がった。
「ゼナウ、行くわよ」
告げる声に、俺も慌てて立ち上がる。
退出する寸前。再び見た2人の顔色は、最初のどす黒い、人でない何かに戻っていた。
なんか……すみません。
そのまま部屋を出ると、アンジェリカ嬢は鉄塊たちがいるだろう部屋へと歩き出す。
慌ててついて行きながら、浮かんだ疑問をぶつける。
「なあ、対処ってどういうことだ?」
こちらを見たアンジェリカ嬢の顔は不満げだ。
だが直ぐに小さく嘆息すると、すぐ傍の無人の部屋を示して入り込む。
……しまった。ここはまだ支部の中。誰が聞いてるのかわからないのか。
「悪い」
「良いわよ。あなたは功労者だから、これは褒美代わり。それに、今更聞かれても大して損害はないわ。これは、念の為」
ふっと笑みを浮かべてから、アンジェリカ嬢は小さな声で話し出す。
「対処は、そのままの意味。問題の元凶に処置をするの。正確には今からするのだけれど」
「元凶って……」
「当然、あの馬鹿王子よ。あの男は国に無断で他国に技術を輸入し、国民の身分を売りさばき、違法に他国の人間を忍び込ませ続けた。そのツケを払わせるのよ」
「でも、今までそれができなかったわけだろ? それがどうやって……」
「だからあなたのお手柄なのよ」
「……それって、まさかあいつの遺体を?」
ぞわりと震える俺の声に、アンジェリカ嬢が頷いた。
「そう。彼を使わせてもらうわ」
『――精々、上手く使ってくださいよ。左目君』
あいつの最期の言葉。
アンジェリカ嬢に伝えてはいないが、彼女はまさしく上手く使おうというわけだ。
「あれはどう見ても、尋常のものじゃない。あの遺体を国王や第一王子に見せれば、流石の間抜けたちでも気が付くでしょう? 湖畔の国がこの国でおかしなことをしようとしている……と」
どうやっても自然発生しないだろう異形。
しかもその異形は第三都市の探索者。第三王子の支配下にある迷宮都市の住人であることは、この国の上層部なら把握しているだろう。
そしてそこに湖畔の国の手が及んでいることも承知している筈。
ただ、それを指摘できる人間がおらず、確実といえる証拠もなかった。
それ故に野放しにされてきたのだが、俺たちは見事勝利し、こうして『物的証拠』を手に入れた。
これで正々堂々、第三王子を問い詰めることができるということである。
「というより、言い逃れなんて絶っ対にさせないわ。彼らの協力を得て、あの馬鹿王子を権力の座から引きずり下ろすの。そうすれば、もう私たちの邪魔なんてできないでしょう?」
恐ろしい笑みで、嬉しそうにおっしゃった。
まあこの人からすれば仇みたいなものだから、嬉しいんだろうが……。
「でも、第一王子の方はどうするんだ? あっちが昔の事件の犯人って可能性は……」
「ないわよ。あんな小心者にそんなことは不可能よ。あれの元凶は間違いなく第三王子だから、余計な勘繰りは不要よ」
「さいですか……」
「それに、あの男――第一王子とはもう協力関係なの。だから敵対とかも気にしないで平気よ」
「は!? ……いつの間に」
だからここまで大胆な動きができてたってこと――ああ!
「だからルトフたちが仲間になったのか」
「順序は逆だけれど、そういうことよ。だから騎士団も第一王子たちも味方。今はね」
……怖いこと言うなよ。
震えていると、話はこれで終わりと彼女は振り向き、扉を開いた。
「私はこれからルトフたちと合流して、王城へ向かう。あなたはファムたちと合流して先に戻りなさい」
「……了解」
戦いを終えたばかりなのに、この行動力。
竜よりも、襲撃者よりも、冷静に第三王子を潰そうとするこの女傑が何よりも恐ろしい。
ただ――。
「帰ったら、たっぷりとお祝いをしましょう? ジンたちにも報告して、仲間も集めて……ああ、やることがいっぱいね!」
弾むようにそう言った彼女はとても嬉しそうで。
頑張った甲斐はあったかなと、そう思うのであった。
***
ゼナウ達が26層の戦いを生き残った、その数日後のこと。
第三都市の遥か地下深くに広がる迷宮にて、1人の男が声を荒げて暴れていた。
「――どういうことだ!! 『落水』が全滅!?」
「ええ、はい。どうやらそのようでして……」
足が深く沈むほどの豪奢な絨毯の上。
金糸で編まれ鮮やかな紋様の椅子に深く腰かけていたその男は、白砂の国の第三王子・クリドである。
つい先ほどまで気分よく紫煙をくゆらせ、葡萄の蒸留酒を味わっていたその男は、そのどちらもかなぐり捨ててあらん限りの声を張っていた。
対面する従者は、ただただ震えながら恐縮するだけ。
ここで迂闊に口を開こうものなら、頭と胴体が分かたれることを経験から良く知っているのだ。
そんな彼らがいる場所は、間違いなく迷宮の中である。
それも野営用の簡易テントなどではなく、迷宮産の分厚く丈夫な石材で建造された、宮殿と見まごう建物の一室。
――ここは、第三都市迷宮の深奥層に建造された、探索者たちの住まう人造都市。
この階層は無限に続くと言われる湖が広がる。
見たものすべてが息を呑むほど透き通り、そして何よりも深く暗い青が鎮座する、水の階層だ。
先に進むにはその湖水深くに潜らなければならない危険な場所だが、それ故に湖上は比較的安全。
そこに浮かぶように建てられたその都市は、深奥層でありながら探索者たちが安全に過ごすことができる場所であった。
迷宮に都市を築く。
この国の誰も想像していなかった偉業を、目の前の王子は成し遂げたのだ。
『――この湖上に無数の都市を建て、探索者たちの楽園を作る!』
地上を離れ、今や生活の殆どを迷宮で過ごす第三王子にとって、ここは理想の都であった。
飲食などの極一部のモノ以外、営みに必要なものは迷宮から集め、迷宮で暮らしていく。
当然耐えられず倒れていった者もいるが、そういった連中は不適格と捨てていく。
いつしか食事すら迷宮産のもので賄える者たちが現れ、1年以上迷宮から出ていないという探索者もここには存在している。
迷宮だけで生きる――彼はその理想を達成しつつあった。
『更に迷宮へ潜り、安全地帯を見つけて次の都市を築く。そうして迷宮の奥へ奥へ向かえば――誰も見たことのない世界が広がっているんだ!』
数年前にこの都市が生まれた時、クリドは熱の籠った声でそう演説をした。
彼についてきた者たちは、誰もがその熱に浮かされたものだ。
従者である男も同じ。
何故なら皆、同じ夢を見ていたからだ。
同じ野望を抱えていたからだ。
『そこにはきっとある。不老長寿の実も、あらゆる病を治す薬も、死者を蘇らせる秘宝すら……!!』
それぞれが失った何かを埋めるため、あるかもわからないものを求めて、男たちは王子の下へと集まったのだ。
『皆、僕について来て。一緒に行こう。迷宮の最奥へと――!!』
『おお――!!』
――ああ。あの頃は、楽しかった。
都市はどんどん活気を増し、行ける階層が増え、皆が夢に近づく喜びを共有していた。
だが、今思えば、あの時彼は既に狂気に落ちていたのだろう。
『――皆、聞いてくれ。これからは彼らに指南役として加わって貰うことになったよ。彼らの技術は凄いんだ! これで、もっと早く迷宮の奥へたどり着ける!』
『確かにすごい技術ですが……その、王子? 彼らの身元は、まさか……』
『なんだい? そんなのどうでもいいだろう? そんなことより早く、早く、見つけなければ……!!』
『……王子?』
あの怪しげな、湖畔の国の一団が入り込んでから、この都市は変わった。
犯罪者崩れのような探索者が自治を行うようになり、王子は禁忌ともいえる研究に傾倒し続けていった。
特に、彼らの頭目だというあの男がここにやってきたことが決定打となった。
『いい素材が入った。2人融通を頼む』
『待ってくれ、この間の奴らはどうしたんだい!? 3人も渡したばかりだろう?』
『もうあれは駄目だ。新しい素体がいる』
『そんな……もう、犯罪者はいないよ……』
技術提供の対価は、人材の提供。
王子の伝手で地上から連れてきていた労働力――犯罪者たちで賄っていたそれも、あっという間に尽きてしまった。
『ならば探索者を寄越せばいいだろう。奴らならもっと持つだろう?』
『そんなこと、できる訳が……』
『――王子。お前に、選択肢はないのだよ』
有無を言わせぬ口調で、その男は王子の肩を掴むのだ。
たったそれだけで、首元に刃を突き付けらるかのような恐ろしさがあれにはあった。
『忘れるな。お前がしてきたことを。我々は、それを帳消しにしてやろうというのだ。……悲願なのだろう? お前が殺した兄を蘇らせたい、と』
『……ああ、そうだ。僕がやったんだ。だから、取り戻さないと……』
『そうだ。ならば、どうすればいいか分かるな?』
『……』
彼らの介入はこの都市のあり様を決定的に歪めてしまった。
仲間たちは自分たちの力不足でくたばるのではなく、彼らと王子の実験によって命を落とすようになった。
それからはもう、ただただ惨状が広がり続けていった。
――あの連中さえ、現れなければ……!!
俯きながら拳を握りしめる従者であったが、最早手遅れ。
奴らの思うままに都市と資源と探索者を提供し続けた王子は、もう後戻りはできなくなっていた。
その結果がこれだ。
『あの女は僕らを蹴落とそうとしている。このまま放置していれば、僕らは破滅だ……!! あいつらを、殺さないと』
『王子……』
『どうする。どうすれば確実に殺せる……? そうだ、あいつらなら、『落水』なら……!!』
邪魔者を排除しようと刺客を送り込み、全滅させられた。
仲間も尊厳も全て注ぎ込んで作り上げた精鋭たちが、あっさりと死んでしまったのだ。
「ありえない……!! 大怪我を負った落伍者と新人が2人だよ!? どうしてあいつらが負けるんだよ」
人選は最適だった筈だった。
対人戦闘に慣れている『落水』の3人に、ユニスまで付けた。
彼の死霊魔術はそう簡単に対処できるものじゃない。1度見せてはいるが、それでも基本的には太刀打ちなどできないもの。
それに加えて、『落水』にはあのゲナールがいる。
湖畔の国から借り受けた探索者の中でも指折りの実力者。
なにせその正体は、人間の皮を被った化け物だからだ。
そいつらを組み合わせて送り込んだというのに……全滅?
「そんな訳が……!!」
叫ぼうとした王子が、ハッとして声を潜める。
まるで聞かれてしまったら不味いかのように。
「……間違いではないんだね?」
「はい。協会支部にいる仲間からの報せですから」
本来はもっと遅くに通達が来るところを、命がけで砂漠を渡り知らせてくれたのだ。
そこに間違いはないだろう。
「あの女が細工を……いや、流石にそれはありえない……」
いくらあの女がシュンメル家の人間でも、協会には自分たちの息がかかった人間がいる。
そこに嘘はない。だからこそ信じがたいのだ。
「まさか、本当に……くそっ、だとしたらマズい、マズいんだよ……!!」
頭を掻きむしるようにして、クリドは唸った。
彼はとっくに事態を理解していた。自分の犯した失態、その重さを。
「ダット、今すぐ出立する。支度を急げ……!!」
「は……?」
「出立だよ! 王城へ向かうんだ!」
両肩を掴んで揺さぶりながら王子が小さな怒声を放つ。
何かに追われているかのような表情に、ダットと呼ばれた従者はただただ言われた通りにするしかなかった。
そのまま出ていこうとする彼に、王子が慌てて声をかけた。
「待て! 支度は君だけでやるんだ。決して他の者には悟られるな。いいね?」
ぶんぶんと首を振って従者が出ていくのを見送って、クリドは大きく息を吐き出した。
急がなければならない。
自分は、刺客として『落水』を送った。
その中にはゲナールがいるのだ。
あいつが死んだこと自体が問題ではない。
ただ、いくら端役だとしてもあの国にとって重要な機密を持ったその身体を、白砂の国の首都へと届けてしまったのだ。
それが意味することは――。
「――失礼」
……ああ、間に合わなかった。
ごつ、と鳴る靴の音で1人の男が部屋へと入ってきた。
その音だけで身体が震える程の威圧を放つ彼は、引きずっていたモノを投げ捨てた。
それは、先ほど部屋を出ていった筈の従者であった。
「ダット……!!」
「これから、妙なことを聞いてな。確かめに来た」
有無を言わさぬ、冷徹な声色。
何の感情も並立っていないだろう言葉に、クリドは俯いたまま。
「ゲナールが死んだという話を聞いたが、それは事実か?」
「……」
「答えが聞こえないが?」
王子相手に上から叩きつける様な言葉。
だがそれに対して反論することは許されない。2人の間には、圧倒的な差が存在しているからだ。
故にクリドはすぐさま頷きを返した。
「じ、事実だ」
「そうか。場所は首都ワハルで間違いないな」
「……ああ」
俯いた視界では、絨毯に滲む赤黒が広がっている。
首都にいた頃からついてきてくれていた従者は、もう二度と目覚めない。
追い求めた死者を呼び覚ます技術を彼に使ってくれることは、残念ながらないだろう。
それでも、止まるわけにはいかないのだ。
「だが、ゲナールの遺体は必ず回収してみせる! だから、どうか……」
「どうでもいい」
「は……?」
待ってくれと告げようとした口が固まる。
彼を渡してしまったことに怒っているのではない?
ならば、何故――。
ごつ、と音が再び鳴って、男が近づいてくる。
俯くクリドの真上から、鋼のような声が降り注ぐ。
「あれの相手は例の民間上がり。……間違いないな?」
「民間……? ああ、あの【迷宮病】持ちか。その通りだけど……」
「――そうか!」
その瞬間、男から凄まじい圧が放たれ、クリドは知らない間に膝から崩れ落ちていた。
深奥層をある程度気ままに探索できる男が、一瞬で。
そこでようやく目を合わせたその男は――破裂しそうな程に嗤っていた。
「成ったか。……いよいよだ」
「はあ……?」
「こんな乾いた国までやってきた甲斐があるというものよ。感謝する、王子よ」
「なら――!!」
王子の言葉は、それ以上続くことはなかった。
目の前の男が、剣を抜いていたからだ。
漆黒の刀身。だというのに、眩いくらいに輝いて見える、その剣を。
「これでもうここに用はない。往くとしよう」
「何を……!!」
「分かっているだろう? 我が国の秘中をお前らの国に渡すわけにはいかない――それは、お前に対しても同様なのだよ」
直後、外から轟音が鳴り響いた。
剣戟の音とくぐもった怒号が続き、どんどんとその数を増している。
「何を……している?」
「消却だ。これを済ませて、首都へと向かう」
「は? 侵略戦争を起こす気かい!?」
「……? 何を言う。我らはこの都市の探索者だろう?」
当たり前のようにそう言って、男は剣を振り上げた。
失ったものを取り戻そうと築き上げた自分の国が、自分の誤ちによって失われつつある。
その事実に目の前が真っ暗になりかけながらも、クリドは何とか意識を保ち、椅子に隠していた自身の剣を取り出した。
「自国の人間が暴れることを、侵略と呼ぶ馬鹿はいまい」
「……ふざけるなぁ!!」
叫び、剣を引き抜いた。
地上には決して音が届かぬ遥か地下。
そこで、誰も知らない戦いが繰り広げられたのだった。
***
「……これは、一体?」
それから約数日後。
迷宮都市の入口に、足を踏み入れた集団がいた。
皆一様に鎧を着た彼らは、首都ワハルから派遣された騎士の一団。
シュンメル家と、王家からの要請を受け、第三王子クリドの捕縛及び迷宮都市の解体のためにやってきた彼らが見たのは……壊滅した迷宮都市であった。
どうやってか迷宮に広がる湖上に築かれた巨大都市。
滑らかな灰色の岩を削り、積み上げられたその建造物群はことごとく破壊され、見えている範囲でも数名の死体が転がっているのが分かった。
そして何より、驚くほどの静寂。
それだけで全員が理解した。……ここはとうに、壊滅していると。
「か、各班固まって調査を! まだ残っているかもしれん。警戒を怠るな!」
そうして都市を探索したのだが、結局生存者は見つからなかった。
原因も不明。そこにはただ探索者たちの死体があるだけ。
何より不明なのは、いる筈の第三王子すら見つからなかったということである。
「染獣か?」
「そんな馬鹿な。何年も無事だった都市だぞ? それが今?」
「じゃあなんだ。探索者同士で戦ったとでも? そんなことあり得るのか?」
「王子が見つかっていないんだ。可能性はある。……急ぎ戻るぞ!」
この日、迷宮都市で起きたこと。
その真相を知ることは、今この場にいる誰にも不可能だっただろう。
迷宮が人知れず姿形を循環させるように、深く迷宮に潜る者たちの最期を知るものは、少なくともこの場にはいないのであった。




