第93話 終結と末路①
生温い湯の中にいる様な気怠さが全身を包んでいた。
「――ナウ」
くぐもった音に呼び起され、閉じていた世界が開かれる。
その瞬間、急激に意識が浮上していった。
「――ゼナウ!」
「……あ?」
パッと目を開いた先、こちらを覗き込むカトルがいた。
どうやら気絶してしまっていたらしい。
「……俺は……」
「あっ、起きた! ゼナウ、私のこと分かる?」
「ああ……大丈夫だよ」
ひらひらと眼前に振られる手に頷く。
今は……カトルの膝を借りて眠っていたようだ。
彼女の顔の向こうには変わらない青空が広がっている。
流れる風と焼けた草と鉄の匂いが、未だここが迷宮の中だと教えてくれる。
どうやら、俺は何とか生き残ったらしい。
「ありがとな。……カトル、無事だったか」
「うん。皆無事だよ」
「そうか。それはなによりだ」
「重症具合で言えば、あなたが一番危なかったわよ?」
声の方に顔を向ければ、石に腰かけ足を組むアンジェリカ嬢がいた。
解いた髪を風に靡かせる彼女の装備には欠けたり焼けた部分こそあるが、怪我もなく元気そうだ。
そして、そんな彼女の目の前に何故か縛られた状態の軍曹が座らされている。
「えぇ……」
何故こんなことに?
向こうで一体何があった?
「あー、そいつ、何かしたのか?」
「ええと……助けてもらったよ?」
申し訳なさそうな笑みで、カトルがそう言った。
……なら何故? ますます分からん。
未だぼやけた頭で、経緯を思い出す。
確か……軍曹はカイたちと一緒に、シュクガル老の手引きで迷宮に潜入。
俺らが道中狩っていた竜を使って骨染獣を作り、死霊魔術士ユニスを殺すのが軍曹の狙いだった。
カイはカイで、元『落水』の中から湖畔の国に詳しそうな奴を適当に捕まえて、情報を聞き出したい。
そのための場を俺が用意するというのが、奴らの協力条件であった。
故に俺は単独で行動して敵を二手に分かれさせ、そこを軍曹たちと倒すことを考えた。
襲い来る敵を迎撃しつつ、奴らの望みも叶える。
それが俺が秘密裏に準備していた作戦だったのだ。
シュクガル老に関しては、俺が彼の調査に『目』として同行することを条件に引っ張り込んだ。
落ち着いたら10日程連れまわされることだろう。安全なとこだと良いんだが。
まあともかく、作戦は見事成功。
結果的に俺とカイでナスル達3人を受け持ち、軍曹はユニスたちと戦うアンジェリカ嬢の方へと向かい、共闘した――筈だったんだが、ああして縛られて座らされている。
その張本人であるアンジェリカお嬢様は、ふん、と息を吐きながら腕を組む。
「助けては貰ったけれど、この男が違法でここにいるのは変わりないわ。だから念のためよ」
「私は構いませんから、お気になさらず」
何故か軍曹自身も笑顔だし……。
ちなみにその奥では襲撃してきた連中が並べられ、鉄塊がしっかりと監視している。
その数は4人。
カイは無事に目的を達成したようだ。
「その顔、やっぱりもう1人が見つからないのは、あなたの仕業ね?」
「……あ」
「はぁ……、後でたっぷり聞かせてもらうから」
「了解……」
しまった、油断した。
後がトンでもなく怖いが、今は目標の達成を喜ぼう。
しかし、それを言えばシュクガル老はどうやって軍曹たちをここまで運んだのやら。
彼にしかできない芸当だから大丈夫だと言っていたが、そっちもバレたら流石にマズい。気付かれないことを祈ろう……。
「もう、アンジェ! その前にゼナウは休まないと。傷だらけだったんだから」
「分かってるわよ。というより、私たちももう限界。そもそも、今はゼナウの回復待ちだったんだけれど?」
「……それは悪かったな。よっと」
勢いをつけて起き上がる。
応急処置だけは済ませてくれた様だが、やはり未だ全身が痛むな。
これはしばらく休養だな。そんな暇があるなら、だけど。
「大丈夫なの?」
「ああ。とりあえず動く分には問題なさそうだ」
「……ここは平気?」
アンジェリカ嬢自身のがこめかみを突いて聞いてくるが、それにも頷きを返す。
「むしろ何もなくて驚いてる。倒れたのも、多分体力が尽きたからみたいだし」
「そう。なら良いのだけれど。……」
「……? なんだ? 何かあったのか?」
彼女の表情が不意に歪んだので、思わず尋ねる。
自然と左目に手が伸びるが、特に変わった様子はなかった。
それを見たアンジェリカ嬢が、ふっと表情を崩す。
「あなたじゃないわよ。……問題は、あっち」
そう言って彼女は鉄塊の下へと――より正確にはその傍に並べられた襲撃者の所へと向かった。
横並びで寝かされている彼らは、一切の拘束がされていなかった。
てっきり腕や脚を封じられているのかと思っていたが……。
「こいつら、全員死んでるのか?」
「ええ。……まあ、1人は元から死んでいたみたいなものだけれど」
「は?」
訳の分からない言葉に首を傾げると、並ぶ死体の1つに指をさす。
これは……ジュドとかいう大男? なんか全身がバキバキに折れてるが……。
鉄塊がその身体を裏返すと、そこには背から飛び出た無数の骨の触手が生えていた。
「うおっ、なんだこれ!?」
「身体の中に死霊魔術士の骨が大量に仕込まれていたみたいよ。人間に見えたけれど、その中身は骨染獣と何ら変わらなかったわ」
「すげえことするなあ……あ? でもあいつ、普通に動いてなかったか?」
俺は大した時間対峙しなかったが、意志はあった様に見えたが。
アンジェリカ嬢はそれに答えず、視線を俺の背後へと向ける。
「骨男」
「……簡単な会話くらいは覚えさせることはできますねえ。後は近くにいれば、操って自分の思い通りに話させることも可能です。様は、お人形遊び、ですね」
「へえ……」
そう言えば、軍曹が言っていたか。
本来迷宮内でないと維持ができない骨染獣を地上でも持ち運ぶ方法、それは――生体の中に封じめることだと。
例えば術者本人の体内に埋め込むことで、魔術を刻み込んだ骨を持ち運ぶ秘術があるらしい。
こいつはそれを、別の人間の身体で行ったということだ。それもただの武器庫だけでなく、会話相手――相棒としての役割まで持たせて。
「……正気なんてとっくに失ってたって訳か」
「恐らくわね。そして、そんな男を送り込んできたあのクソ王子もまた、常軌を逸してるってこと」
確かに。旧『落水』はともかく、この死霊魔術士の方は刺客として大分不適格だし、不正確な奴な気がする。
厄介払いか? そんな馬鹿なことをするとも思えないが……どちらにせよ気分のいいものじゃないな。
「しかもこの上に赤竜までいたんだろ? よく倒せたな」
「……正直、3人じゃ厳しかったわね。最後の奇襲を防げたのも、骨男のおかげよ」
どうやら、褒美を尋ねたところでユニスの仕込みを教えてくれたらしい。
そのおかげでジュドを損害なく倒せたとのことで、尚更なんで縛られているのか謎が深まる。
今の話で思い出したのか、アンジェリカ嬢が首を傾げて尋ねる。
「それで? 実際の褒美はなんなの?」
「はぁい。そこの死霊魔術士の、肋骨と右手首を貰えれば」
「は? 骨? ……そんなので良いの?」
相当物騒な話ではあるが、金などではなく死体の骨が欲しいとは。
死霊魔術士らしいと言えばらしい……のか?
「それが欲しいのです。他には何もいりません」
「……そう。なら好きにしなさい。ファム、見ておいて」
「ああ」
「ゼナウ、あなたはこっち」
拘束を解かれ作業を始める軍曹たちを横目に、アンジェリカ嬢が再び手招きする。
「なんだ、まだなんかあんのか」
「ええ。というか、あなたにはこっちの方が余程重要よ」
「……?」
アンジェリカ嬢が、端に置かれた死体に手を触れる。
それは、ゲナールの死体であった。
何故か彼だけはうつ伏せの状態で寝かされていたのが、アンジェリカ嬢によってひっくり返され、その身体を露わにした。
そこにあったのは――。
「……なんだこれ」
「毛むくじゃら……この人、『獣憑き』?」
いつの間にか寄ってきていたカトルが首を傾げてそう言った。
仰向けになったゲナールの胴体は装備が外されており、肌が露わになっている。
なんで脱がしてんだ? と思ったのも一瞬。息を呑んだ。
何故ならゲナールの胴体は長い青い毛に覆われた、明らかに人間のものではない何かに変貌していたからだ。
「……」
開いた口がふさがらない。
俺は今、一体何を見ているんだ?
奴の腹部を覆う、獣のような長い体毛。
太く長く伸びた毛は、どう見ても元からこうだったとしか思えない。
しかも、その毛の中心は……俺が破壊した染獣核があった場所だ。
「ゼナウ、これは、元から?」
「違う……違う! 俺がこいつを倒す時、こんなものはなかった」
俺は装備の上から核を貫いただけだが、その際壊れた装備から見えた奴の腹や胸は普通の人間だった筈。
だって今、左目に映る体毛は濃密な光を放っている。
これがあの時生えていたなら、潜った視界でも輝いていたことだろう。そんなものは見えなかった。
「つまり、後からこうなった、と」
「そうとしか考えられない」
「なら、その原因は? 心当たりは……あるようね」
「……」
再び、俺は左目に手を触れた。
やけに速い拍動が手のひらから伝わる。
その感触はいつも通りだ。今は、まだ。
少しだけ深呼吸を繰り返してから、俺はこいつ自身から聞いた言葉を口にする。
「……こいつは、体内に核が2つあった。自前のもんと、後から埋め込まれた染獣の核」
「……!! それはつまり、あなたと同じ……?」
「ああ。こいつは俺らみたいな奴のことを、染人と呼んでいた」
そしてこうも言っていたか。
『あなたに1つだけお教えします。染獣の一部を埋め込まれた、哀れな染人――その末路を』
……それが、これか?
「染人……ね。残念ながら、一切聞いたことがない。この骨人間といい、色々と調べなきゃいけないことは多そうね」
大きく息を吐き出して、アンジェリカ嬢が髪をかき上げた。
やることは山積み。そのどれもが、第三王子に湖畔の国と、面倒な方向へと繋がっていく。
だが、そこを調べることは今や俺の急務になってしまった。
俺もいつか、こうなるのか……?
この目の危険度は覚悟していたが、これはちょっと、想像外だ。
「……ゼナウ」
カトルが服の裾を握ってきた。
彼女もまた、この毛の意味に気が付いたらしい。
鉄塊やアンジェリカ嬢、何故か軍曹まで。視線が集中している。
やめてくれよ。今から死ぬみたいじゃねえか。
せっかく生き残ったんだ。今は勝利を喜ぶべきだろう。
ふう、と息を吐き出してカトルへと笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。俺はこうはならねえよ」
自分への決意も込めて。
……少なくとも今はまだ、こうなるわけにはいかない。
ありがとうよ、ゲナール。
お前のおかげで、俺はより正しくこの目について知ることができたよ。
「――よし、帰るわよ!」
手を叩き、アンジェリカ嬢が告げる。
これで今日の目的は全て達成した。
俺たちは勝って――生き残った。
今はそれで十分だろう。
こうして、俺たちは地上へと戻っていく――。
と、進む前に浮かんだ疑問が1つ。
「……そういえばこいつら、どう運ぶんだ?」
「それは勿論、真っすぐ、正面からよ」
「いいのか?」
他の都市とはいえ探索者の死体だろ。
そんなもん堂々と持って帰れば、自分たちがやりましたといってるようなものな気がするが。
「帰ったら犯罪者扱いで捕縛とか、そんなのはごめんだぞ?」
ああでも、ルセラさんたちは知ってるから今更なのか?
駄目だ、今は疲労で頭が全く回らない……。
「安心なさい。今回は事情が違うの。我々は大手を振って戻ればいいのよ。というか、ゼナウ、あなたのおかげよ」
「……俺?」
「ええ、そう。何の憂いもない。堂々と、胸を張って――帰りましょう」
アンジェリカ嬢は、そう言って微笑むのであった。




