第91話 白砂の迷宮第26層/竜鳴峠⑦
一方、西側で戦いを繰り広げているのはアンジェリカ達。
こちらはアズファムこと鉄塊がジュドを受け持ち、アンジェリカとカトルが死霊魔術士ユニス操る赤竜との戦いを続けていた。
『――――』
物言わぬ屍となった6本腕の竜は、炎を纏った拳を叩きつける。
狙いは前に出ているアンジェリカ。
攻撃に特化した彼女に防御手段は乏しく、凶悪なその斧撃でも6つの腕は対応しきれない。
ならばどうするか。
――半分だけ、吹っ飛ばす!!
防御を無視して右側へと飛び出す。
斧を振り上げ、迫る拳へと叩き込む。
1つは外れ、2つは斧をぶつけて止めた。
ただ威力が乗り切らず、浅く腕を斬っただけに留まった。
そのがら空きの背中に迫った残りの拳は――。
「えいっ!!」
カトルの氷壁が防ぐ。
脆い氷は直ぐに殴り壊される。だがその隙を縫ってアンジェリカは赤竜へと走っていた。
全力の振り下ろしを放った竜の胴はがら空き。
そこへアンジェリカが身体を回転させながら飛び込み、今度こそ勢いを乗せた1撃を振り放つ。
それは防がれることなく生気を失った竜の腹を深く切り裂いた。
だが――。
「それじゃダメー」
赤竜は何の影響も受けていないかのように身体を回転させ、3本の右腕が襲い来た。
「……っ!!」
「あはははっ!!」
今度は避けられず、斧で直撃だけ防いで吹き飛ばされる。
凄まじい熱だが、幸い染痕の腕は何も感じない。手袋自体も耐熱性は抜群なので問題はないだろう。
ただ、竜もまた痛みに苦悶することもなく、動きを止めることすらしなかった。
やはりあれは骨染獣。痛みなどとは無縁の操り人形なのだ。
――斬っても怯まないとか、なんて厄介な……!!
草原に轍を残しながらアンジェリカは着地する。
大した負傷もなく、身体は問題なく動く。
だがアンジェリカがいなくなると途端にカトルが危機に晒される。
「カトル……!!」
「平気っ!!」
迫る竜の連撃を、カトルは飛び込むように掻い潜る。
転がり起き上がった瞬間に、氷玉を叩きつけ地面から隆起する氷槍を放った。
「うわっ、冷たっ!? ……もう!」
咄嗟に放ったので威力は低く、大した傷はつけられなかった。
その上、合わせて放った本命の凍結魔法は跳んで避けられた。
やはり氷魔法は遅い。単独で竜を相手取るのは厳しいか。
ただ動きは止められた。その間にカトルは駆けて距離をとって難を逃れる。
アンジェリカも素早く立ち上がり、竜の下へと走り出す。
……上のユニスは何もしてこないのね。
実際には彼があの赤竜を操作しているので何もしていないわけではないのだが、他の魔法を撃ってこないだけ気分的に楽になる。
加速したアンジェリカは担いだ斧に勢いを乗せ、竜へと突貫。
「――速っ!?」
振り下ろす斧撃は、即座に6つ腕が閉じられ防がれる。
重なる6本腕は流石に分厚く、手前の2本を斬り落とすにとどまった。
だが、斬った。
「後4本……!!」
「わはっ、強いねえ……!!」
何故か喜ぶ上の声を聞きながら、アンジェリカは再び斧を振り上げる。
腕を全部斬り落とせば、竜だろうと敵ではない。
さっさと倒して、アズファムの所へと救援へ――!!
だが、鳥の巣頭の笑みは崩れない。
「でも駄目ー」
ユニスが指を弾くと、赤竜が大きく飛び退いた。
アンジェリカの斧の範囲から外れたその身体に、ふわりと浮き上がり追随するものが2つ。
それは、斬り落とした筈の腕だった。
「なっ……!?」
「これ、骨染獣だよ? 無駄無駄ー」
断面はそのままに、切れた筈の腕がつながった。
真っ赤な断面から白い骨が覗いているが、指先まで自由に動き出す。……そんなのあり!?
「面倒な……!!」
「はははっ!!」
すぐさま竜が突っ込んできて、繋がったばかりの右腕による突きが放たれる。
迫りくる拳に斧を叩き込むも、骨まで縦に切り裂いたが――それまで。
切り開かれた腕は止まることなくそのまま押し切られ、アンジェリカは再び吹き飛ばされた。
「まだまだあ!!」
そのまま巨体が跳び込んできたのは、カトルの氷壁が何とか止めてくれた。
更に上空から氷槍が幾重も降り注ぎ――竜ではなくユニスを狙い撃つ。
「わわっ!?」
慌てて竜が飛び退いている間に、走り込んできたカトルがアンジェリカを抱き起す。
「アンジェ、無事!?」
「ええ、大丈夫。竜を2人では、ちょっと大変ね……」
ゼナウから核を破壊しない限りは倒せないと聞いてはいたが、まさかここまでの再生力だとは。
彼がいない今、核の場所は分からない。
そして回復され続けるとなると、アンジェリカの力ではそう簡単には核まで届かない。
あの猛攻を掻い潜り、あらゆる骨を破壊する――命を捨てた突貫をする必要があるだろう。
核の場所さえ分かれば……。
アンジェリカは、血がにじむ程に拳を握りしめる。
こんなところで終わる訳にはいかない。
また、あのクソ野郎どもの、自分の手すら汚さない横槍で、皆の命を失えというのか?
……そんなことは、許されない。
――全力で突っ込み、核も残らないくらいぶっ壊す。
例え自分がどうなろうとも、他を、皆を生かす。
それが皆をここまで連れてきたものの使命なのだから。
「……ふぅ」
呼吸を整え、覚悟を決める。
「アンジェ……?」
「大丈夫、私に任せて」
背後で不安げに首を傾げているカトルに微笑み、飛び出そうとしたその瞬間。
地面に巨大な影が落ちた。
「――お待たせしました」
「……え?」
直後、空から飛び降りてきたもう1つの巨影が赤竜へと突撃をした。
巨大な肉の激突音が響き、襲い来る風圧に煽られる。
「何……!?」
吹き飛ぶ草の欠片に目を瞑り、開いたその先。
そこにいたのは――黒竜であった。
「はぁ!? なんで黒竜が……!?」
驚くのも一瞬。
アンジェリカは、その背に人が乗っていることに気が付いた。
目に残る鮮やかな赤い装束を身に纏ったその男は、ここにいる筈のない人物。
監獄から飛び出してきた、もう1人の犯罪者。
――あれを迷宮に入れるとか、何やってるのあの馬鹿は……!!
その男――軍曹は、歓喜の声を張り上げた。
「やっと会えましたね、スリェド!」
「……!! お前……ヒズミ!? なんで――」
驚き目を見開く鳥の巣頭。
別の名で呼ばれた彼に、軍曹は千切れるかと思う程に破顔する。
それに呼応するように、黒竜の咥内に雷光が膨れ上がった。
「やべ――っ」
「そいつの核は……そこですねぇ!」
軍曹が二本指を示した先――ユニスが乗る左肩へと、黒竜の雷熱線が放たれた。
今度は熱風が襲い来る。
「わ……っ!?」
「なんなの、もう……!!」
理解しがたい展開だが、とにかく分かることが1つ。
今が、好機――!!
「カトル、援護を」
「うん……!!」
噴煙舞う場所へとアンジェリカは斧を担いで走り出す。
そこでは未だ2体の竜が向かい合っている。
先ほどまで猛威を振るっていた赤竜は肩に大穴を空け、溶けた皮膚や肉が煙を上げている。
それでも倒れることなく、目の前に着地した黒竜とにらみ合っている。
「……おや、避けましたか」
「ぐ……あ゛……なんで、お前が……」
「何故? 愚問ですねぇ。裏切者の末路は1つですよぉ」
雷撃の余波を受け、ユニスが煙を上げながら苦しんでいる。
流石の彼も、同じ骨染獣の急襲は予想外だったと見える。
ますます好機。
アンジェリカは飛び上がって黒竜の尾に足をかけ、そのままその背を駆け上がる。
なにやら口論を続ける軍曹を飛び越し、赤竜の頭に斧を叩き込んだ。
鋭い1撃が長い竜の顔を真っ二つに叩き斬る。
「……っ!?」
「おや、せっかちですねぇ」
ぐらりと赤竜が揺らぎ、そのまま着地したアンジェリカが横薙ぎに振った1撃で、太い右肢を叩き斬った。
いくら骨が繋がるといっても、斬った瞬間は不可能だ。
支えを失い姿勢を崩した赤竜が、ぐらりと揺らいだ。
「っ、それ、ダメ……!!」
「まあ、丁度いいですねえ」
素早く黒竜が反応し、左回りの尾撃が崩れた竜の頬を殴打。
勢いよく吹き飛んで、赤竜は地面に倒れ伏した。
その瞬間発せられたカトルの氷が、赤竜を地面に縫い付けた。
「――そいつの核は左肩ですよ。穴の中を探してください」
風圧にたじろいだアンジェリカの耳に、落ち着いた声が響く。
振り向けば、黒竜の背に乗った軍曹が2本指で示している。
「直ぐに起き上がりますから、お急ぎを」
「――後で覚えてなさい!」
「はぁい」
胡散臭い笑顔から視点を切り替え、倒れた赤竜へと走る。
ユニスは吹き飛ばされた様で竜はピクリとも動かない。
がら空きとなったその身体へと駆け寄り、未だ熱の残る大穴を見つめる。
こちらに露わとなっている肩の骨。そこに覆われた核を見つけ、斧を振り上げた。
「これで、終わり――!!」
『――――』
骨ごと核を叩き割ったその瞬間、竜は力を失い、骨がばらばらに崩れていった。
途端に静寂が広がり、周囲には風の流れる音だけが響いている。
「……死んだの?」
「元から死んでますよぉ。まあ、もう動かないのは確かですねぇ」
「……そう」
準備がいるとはいえ、26層の染獣を、しかもあの竜をこうも自在に操るとは……死霊魔術というのは、こうも恐ろしいものなのか。
忌避されているのも納得の凶悪さである。
……支部としてこれの対策は考えておかないとね。
厄介ごとは増えたが、将来のことを考える余裕もある。それは間違いなく喜ばしいことだろう。
重い息を吐き出して、アンジェリカは背後の黒竜とそれに乗る男を睨んだ。
「――あなたのそれも、解除しなさい」
「もちろんですよぉ」
恐らくゼナウの手引きによってこの階層までやってきた骨男。
晴れて2人目の違法探索者となった彼は、笑顔を浮かべて両手を上げた。
途端に黒竜は動きを止めて、物言わぬ屍へと変わる。
……恐らくは、道中で自分たちが狩った個体だろう。
よく見れば腹や胸に大きな傷跡がある。
それをこいつは回収して骨染獣へ改造したのだ。
黒竜の核は破壊した筈だが……何かしらの手を使ったのだろう。
助けてもらった身ではあるが、戻ったらこいつの処罰も考えなければならない。
ゼナウと違ってこいつは完璧な犯罪者。シュンメル家の人間として見逃すわけにはいかないのだから。
恐らくそれを理解した上で、奴は笑みのまま口を開いた。
「でも、その前にあれに対処した方がいいですよ?」
「……分かっているわ。来なさい」
ともかく竜から軍曹を下ろし、赤竜の向こうへと進む。
そこには尻もちをついて必死に後ずさる、鳥の巣頭がいた。
雷撃の余波はようやくとれたのか、必死な声で叫び声を上げている。
「……くそっ! くそっ! なんでお前がいるんだよぉ!! 卑怯じゃん!!」
「……知り合いなのね?」
「はぁい。言ったでしょう? ご同胞なんですよ」
確かにそんなことを言っていた。
てっきり同じ流派の魔術を習得しているだけかと思っていたら、まさか面識まであったとは。
それもこの感じは、ただの知り合いというわけではないらしい。
軍曹がユニスを見る目が、明らかに尋常ではない。
そこに宿る感情を、アンジェリカは良く知っている。自分に宿っているものと変わらない。燃え滾るような、復讐の怒りだ。
……そう、そういうこと。
どうやらこの男は信用して大丈夫そうだ。
小さく息を吐き、アンジェリカは男に問いかける。
「助けてくれたお礼に、これ、あなたに預けてもいいわよ? どうする?」
「では、1つだけお願いが。――」
「――え?」
こそりと耳打ちされた言葉に驚くも、頷いて了承する。
ならばもう待つこともない。
斧を担いで、ユニスへと近づいていく。
「……っ、こんなんで殺されてたまるかよ! ジュド!」
未だ身体の痺れは残っているのか、立ち上がることもできない彼は、必死に声を張り上げ続ける。
相棒の男を呼ぶ声に、しかし応える者はいない。
……そういえば、先ほどから随分と静かだ。鉄塊たちが戦っている筈では――。
「ジュド! 何故来ない……!! 僕の命令が……!!」
「――ジュドとは、こいつのことか?」
叫ぶ声に応えたのは、別の声。
視界の端から現れたその姿は――鎧姿の獅子頭。
兜が破壊されたのか、脱いだのか。
傷だらけになりながらもしっかりと立つのは、アズファムであった。
「ファム!」
「……これは一体何が……? まあいい、ほら」
倒れる2体の竜に、何故かいる軍曹の姿に驚きながらも、彼が放り投げたのは禿頭の大男――ジュド。
旋棍は失われ、明らかに身体がボロボロに折れ、鎧も砕けている。相当な激闘があったのだろう。
だが、彼は勝った。その結果が今だ。
「ジュド? ジュド……!!」
呆然としていたユニスが、慌てて倒れた相棒へと四つん這いのまま近づき覆いかぶさる。
悲痛なその声は、何も知らなければ仲間の死を悼んでいるように聞こえるが……それを聞く4人の顔には何の変化もなかった。
この男にそんな感傷が存在しないだろうことはとっくに理解ができている。
その上で、前に進み出たアズファムが問いかける。
「頼みの相棒も倒れたぞ。さあ、どうする?」
「ふざけるなよ。この僕が……僕が……」
カトルも合流し、これで4対1。
立場が完全に逆転したユニスの顔は、恐怖に震えていた。
青い顔をして、縋るようにジュドの身体を抱きかかえて――ふと、その顔が笑みに変わった。
「――負ける訳ないだろぉ!!!!」
瞬間、奴の身体から魔力が膨れ上がり、ジュドの身体から無数の骨が飛び出した。
鋭い棘や、剣のような骨が触手のように背中をぶち破り、意志を持っているかの様に動き出す。
しかもその全てが黒く染まり、金属のような装甲がついており、ただの骨でないことが見て取れる。
だが――。
「僕のジュドで、お前ら全員ぶっ殺して――」
「――残念」
その言葉を言い切る前に、アンジェリカがその眼前まで飛び込んでいた。
全力を込めた斧が既に振り上げられており。
「あ――」
そのまま解き放たれた斧による1撃が、飛び出した骨ごと、ユニスを袈裟に叩き斬った。
「……なんで……」
「あなたと同じ死霊魔術士がいるのよ? 奥の手なんてバレバレよ」
「……はっ。そりゃ、そうか」
ふっと笑みを浮かべて、ユニスはそのまま倒れていった。
ジュドから生えていた骨も力を失い、今度こそ動きを止めたのだった。
「……はぁ。終わった」
それを見て、アンジェリカは膝から崩れ落ちる。
緊張が解けたのか、一気に疲れが押し寄せてきた。
……踏み鳴らしの時より疲れた気がする。
「アンジェ! 大丈夫!?」
「ええ。平気よ。……皆、無事ね?」
「うん。……でも、どうして今のわかったの?」
「あの骨男が教えてくれたのよ」
『――あのお仲間の男、骨が仕込まれています。お気をつけくださいねぇ』
褒美を聞いたあの瞬間、この骨男はそう告げてきた。
だから武器を構えて警戒していたが、その通りになったというわけだ。
1度ならず2度も助けられた形になる。
……この胡散臭い男に借りを作りたくはなかったが、仕方ない。
ともかく、この危機を退けることができた。
今はそれで十分だ。
全員の――1人異物が混じっているが、顔を見てアンジェリカは笑みを浮かべた。
後はゼナウだが……きっと大丈夫だろう。
「少しだけ休んで、東へ向かうわよ」
こうして、もう1つの戦いも終焉を迎えるのであった。




