第87話 白砂の迷宮第26層/竜鳴峠③
俺たちは26層の竜の巣を先へと進み、次なる獲物を探し求めた。
求めるは竜たちとの力試し。
この後やって来る本命を前に、果たして俺たちが幻想の住人相手に問題なく戦えるのかを調べるためだ。
既に1体は屠った。
残るは3種。次はどいつを狙うか――。
「急ぐわよ。連中が来るまで、時間がない」
「ああ……。大丈夫、見えてる。追えるぞ」
照る光は温かく、吹き抜ける風は心地よい草原地帯を走り抜けていく。
25層までの大穴とは違い、この竜の巣は広大だ。
なにせ空を自在に舞う竜たちの住処。
小さな俺たちが1日で移動できる距離などたかが知れている。
それ故に、竜との遭遇率は実はそう多くない。
こちらが探しても見つからず、油断したところを向こうに襲われる。
しかも奴らは多くが飛行種。
これまでの索敵方法の多くが通用しないのだ。
そういった理由から、この階層では我ら探索者は狩られる側に変貌する。
ここは竜の巣。探索者が我が物顔で歩くことは許さない、竜が君臨する世界――そういう階層なのだ。
まあ、俺らの場合は少し事情は異なるが。
「こっちだ」
左目に映る、地面に残った巨大な痕跡。それを追って、俺らは視界の向こうに見える岩山へと進む。
空飛ぶ竜の痕跡なんて早々追えない筈なんだが……例外が1種存在している。
この階層の住人である四色竜。その内半分が飛竜。残りの半分が翼を持たない地竜と、両方の特性を持った特殊例。
今俺が追っているのは、後者側の1体――地竜だ。
翼を持たない奴なら俺の目で追えるだろうと思っていたが……期待通りだ。
間隔の広い林を抜け、岩だらけの小山へと入る。
傾斜のつき始めた坂道を登っていくと、視界に映る痕跡がその強さを増し始めた。
「近いぞ」
間違いなくこの辺りにいる。
だが、隆起の激しい地形のせいか目的の竜は見当たらない。
頂上まではまだ半ば。迷宮側に潜れば見つかるかもしれないが……この時点での消耗は避けたい。
「見えねえな……もう少し進むぞ」
「いや、時間がもったいない。呼ぶぞ」
歩き出そうとした俺の背後から、鉄塊の低い声が響いた。
その意味を理解するのにほんの僅かな間をおいて、慌てて背後を振り向いた。
「あ? ……おまっ、マジか!!」
「マジだ。皆、耳を塞いでいろ」
慌てて全員で耳を塞ぐ。
そのまま、鉄塊が大きく息を吸い込んだかと思うと。
「オオ――――!!」
耳を塞いでいても分かる程の大声を響かせた。
音量と気迫で敵の注意を引き付ける盾役に相応しいその技に大気が揺れ、砂塵が舞う。
塞いだ耳の上から鼓膜が揺さぶられる。人が出していい音量じゃねえ。
だが、俺らにも被害を出した代わりに、その技は確かに機能したらしい。
『――――』
再び足元が揺れるが、これは鉄塊の技ではない。
……来やがった。
咄嗟に振った視界に、光の塊が映る。
右手後方、1つ向こうのこぶの上。
こちらを睨みつけるその巨体は――青色の竜。
翼はなく、代わりに太い四肢を持つ。
黒竜の滑らかな殻に対して、岩のようにごつごつと硬い鱗に覆われた分厚い巨躯。
色や名前とは相反してとにかくゴツいその竜の名は蒼竜。
四色竜の1体にして、最硬の地竜だ。
『■■■■――!!』
鉄塊のそれを遥かに超える咆哮を上げ、蒼竜がその短い首を振り回す。
その直後――奴の身体から青い光が迸った。
眩い光が視界を白く染め上げる。
「……っ!!」
第2の四色竜、蒼竜の特徴は2つ。
1つは今見た通り、奴は雷撃を操る。
分厚い鱗に覆われた背には天を突くように伸びる棘が幾つも生えている。
そこから迸る雷撃は、直撃すれば一切の身動きが取れなくなる凶悪な威力を有する。
それだけならばまだいいのだが……問題はもう1つの方。
奴はその雷撃を纏ったまま、回転しながら突っ込んでくるのだ。
『■■■■――!!』
咆哮を上げ、短い首をすっぽりと納めて蒼竜が身体を丸めた。
分厚く巨大な車輪のような姿になった竜が、弾帯獣のように飛び込んでくる。
だが、鋭い棘に雷撃まで加わったその威力は、弾帯獣の比などではなく――。
「避けろ……!!」
散開した俺らの立っていた場所を、巨大な雷弾とでも言うべき巨塊が駆け抜けた。
硬い筈の岩の地面は搔きむしるように抉られ、周囲に青白い雷撃が迸る。
想像以上の速度に雷撃までは避けきれずにその先端が背中に触れた。
「……っ!!」
全身が震え、視界が白んだ。
血管を引っ掻かれたような痛みが背中から全身を駆け抜け、すぐに元に戻る。
痛ってえな、この野郎……!!
だが振り向いた時には奴の姿は隣の小山にあった。
そう、奴は飛べないが、跳べる。その跳躍は上空を飛ぶ黒竜を撃ち落とすそうだ。
とんだ怪物である。
「ゼナウ、無事!?」
「大丈夫だ! ……想像以上に厄介だな、あの雷」
弾帯獣みたいなただの突撃ならギリギリを見極めて避けるなり受け止めればいい。
だがあの雷撃が、至近距離での回避を許さない。
今の装備なら多少は耐えられるから、無理やり突破する手もあるが……求めているのはそんな辛勝ではなく、完勝だ。
というわけで、対蒼竜作戦。
俺は蒼竜に背を向けると、腰を落とし力を貯める。
「カトル、任せた」
「うん……!! ファム兄さん、またお願い」
カトルの言葉に頷いた鉄塊が再び咆哮を上げる。
それを合図に、俺は全力疾走を始めた。
『■■■■――!!』
背後から震える咆哮が響き、足元が揺れた。
奴の跳躍が再びやってきたのだろう。
だがそれとほぼ同時に、強烈な冷気が迸る。
「えい――っ!!」
奴の移動先に、カトルが氷の槍を敷き詰める。
硬い上に回転する奴に対して大した損傷は与えられないが、雷は霧散させていく。
そして速度も落ち――。
「はあっ――!!」
「ふん――!!」
斧と盾の2撃が、僅かに速度が緩んだ蒼竜に叩き込まれ、その身体が上へと浮き上がった。
雷も大半を放出し、ひゅるると音でも鳴っていそうな動きで空を跳ぶ蒼竜の着地点は、俺のすぐ目の前だ。
雷撃と回転が厄介なら、何とか弱めてどちらも止まった瞬間に攻撃を仕掛ける――それが手っ取り早い蒼竜の討伐方法である。
俺は奴の棘に蔦を絡め、一気に接近。
アンジェリカ嬢の斧撃で剥げていた鱗の隙間に、強化毒撃ちを叩き込んだ。
『■■■■――!?』
巨体が跳ね、俺の身体は弾き飛ばされる。
だがまだ蔦は絡んだまま。
もう一度巻き取り距離を縮めると――今度は毒に苦しみ喘ぐ奴の咥内へと、カトル特製の氷玉を放り込んだ。
「カトル!」
「うん――!!」
必死に走って追いついたカトルの魔力が氷玉に触れ、そこに溜め込んだ氷魔法を一気に解放した。
庭1つ凍りつかせる凶悪な魔法が体内で解き放たれ……硬い筈の竜は、声も出せずに絶命したのだった。
これで、2つ目の竜も撃破した。
「次! 急ぐわよ!」
「おう!」
そして更なる獲物を求めて、岩山を駆け上っていくのだった。
***
ゼナウ達が竜を撃破する、その少し前。
26層の昇降機がゆっくりと開き、5人の探索者が姿を現した。
協会での手続きを終え、26層へとやってきた『落水』の面々である。
「んんー! 乗り心地一緒! 王都の迷宮ならさー、絨毯とか敷けばいいのにね?」
「……汚れる」
「えー、洗えばいいじゃん。座り心地とかのが大事じゃない?」
うんと伸びをしてそう言うのは鳥の巣頭の死霊術士・ユニス。
背後に大男ジュドを従え、風にたなびく草原地帯に足を踏み入れた。
「さてさて、あの人たちの仕込みは万全かなーっと。良い骨、あるかなあ」
「……きっと、ある」
「あの人たち優秀みたいだし、その辺は期待だねー。最低でも竜が2体は欲しいんだけど。そしたらさー! あれとあれを組み合わせてさ――」
「……」
明るい声でこれから作ろうとしている骨染獣の構想を語る鳥の巣頭を、昇降機の隅で震えながら見つめる男が3人。
哀れにも作戦に使われた『黄石剣』の面々である。
――どうして、こうなったんだ……?
皆それなりの家の出だったが探索者家業が上手くいかず、家に戻る回数はどんどんと減っていく。
とっくに家からの支援は打ち切られ、いつの間にか借金が膨らんでいた。
迷宮で鍛えた身体で用心棒でもやろうと思ったが、似たような連中はそれなりに多く、その中でも大した成功はできなかった。
毎日の酒の金すら満足に稼げない日々に辟易としていた、そんな夜。
彼らは1人の男に声をかけられたのだ。
『――『黄石剣』の皆さんですね。あなた方に依頼があります』
細目の優男といういかにも胡散臭い風貌の男からの依頼は、普通なら即座に断る類のもの。
なにせ一時的に自分たちの身分を渡し、別の探索者として迷宮に潜るというものだ。
明らかな身分偽装。バレれば一発で探索者としての身分をはく奪される。
『黄石剣』は腐っても探索者。そもそも本来は上流階級の生まれ。
探索者としての身分だけが、彼らの自意識を保っていたのだ。
それを手放すことは、いくら落ちぶれた彼らでも躊躇した。
『報酬は……そうですね。これくらいはいかがですか? そして、あなたたちが良ければ、第三都市での探索者としての身分を差し上げます。あちらで一からやり直してはいかがでしょう』
だが、提示された報酬がその判断を狂わせた。
そして、証として見せられた第三王子からの任命書も。
なまじ探索者になれる程の身分の出。王族からの正式の書類の判別はできる。できてしまう。
『第三都市は常に探索者を欲しているのです。何より、今回の作戦は第三王子の悲願なのです。それを手伝ってくれたあなた方を決して無碍にはしません』
別の都市でなら、やり直せるかもしれない。
それにやることは身分を一時的に貸すだけ。何も怖いことなどない。
何より気前よく宛がわれた、久方振りに飲む高級酒の酔いに思考は溶かされ。
そんな甘い誘惑に、まんまと乗ってしまったのだ。
そして翌朝。
この訳の分からない2人組と行動を共にしている。
とっくに酔いは醒め、明らかに普通ではないこの2人を見て彼らはようやく気付く。
自分たちは、騙されていたのでは、と。
「あ、あの……俺たちはこれで……?」
「帰っても、良いんですかね……?」
「ねえ……?」
「んー?」
恐る恐る尋ねたその問いに振り向いたユニスは、その子供のような表情に満面の笑みを咲かせた。
「だーめ」
「……へ?」
「ジュド」
間抜けな声を漏らした3人に影が落ちる。
いつの間にか入ってきていた大男が、3人の首根っこを掴んで、昇降機の外へと投げ捨てた。
「ぐへっ」
「ぶへっ」
「ごふぇっ」
それなりの体格を持つ男たちが、まるで布でも放ったように軽々と吹き飛んで、綺麗に積み重なる。
三者三様に蛙のような声を出して押しつぶされた三人に近づいて、ユニスが屈みこむ。
「ねえ、知ってる? 人の骨って迷宮じゃ最弱なんだけどさー、それでも使い道はあるんだよね」
「……え?」
「死霊魔術は大昔から構想だけがあった机上の魔術。それをー、迷宮の化け物たちの力が実現しちゃったの。迷宮って凄いよねえ……でもさ、実はその最初の成功例は――人骨なんだよね」
「な、何を……?」
「なんでも、死んだ仲間の骨を使ったら成功したらしいよ。凄いことするよねえ……」
訳の分からない、けれど悍ましい講義を聞かされ、『黄石剣』の面々は身体を震わせる。
何とかして逃げ出したいが、積み重なった上からジュドが踏みつけ抑えているために、身体は決して動かない。
3人の震えが伝播し、経験したことがない揺れへと変わっていく。
その反応すら楽しんでいるかのように、ユニスが微笑む。
「人の魔法に一番相性が良いのが人の骨……ってこと。骨自体は脆いけど、その分は他で補えばいい。探索者の骨なら耐久性もそれなりだしね。ちょーっと、細いんだけどね。……まあ、つまり」
その細い指が、頭に触れた。
「いい骨染獣を作るのに、人骨は必要ってこと。一気に3人分も手に入るなんて、助かるよー」
「え、それって……」
「じゃあ説明終わり。ジュド、お願い。いつも通り首でよろしく」
「……ああ」
「待って! なんで――!!」
鈍い音が3つ響いて、言葉は途切れた。
その瞬間、震えも声も止まり、風の流れる音だけが残る。
事切れた3人の前に跪いて、その頭をユニスがゆっくりと撫でた。
「ありがたくいただくね。……さ、ジュド、運んで」
「……ああ」
「どこがいいかなー。この階層、水場とかないよね? てか、あの3人は?」
「……来たぞ」
「おおーい、博士! ……って、もうやったのかよ。手が早えな!」
3人分の遺体を丸ごと抱えたジュドたちの所に、ベッグがやって来る。
その瞬間、3人のことなどあっさりと忘れたように、笑みを咲かせて手を振るユニス。
「お、来た来た! そっちはどう? 骨は!?」
「とりあえず1体仕留めたぜ。案内するが……それはいいのか?」
「ああ、これ? 一緒に処理するから平気。てか、それより竜のが大事! ジュド、行くよー」
「……ああ」
歩き出したベッグの後を、飛び跳ねるようにしてユニスが追っていく。
奇妙な組み合わせの探索者たちは、草原の奥へと進んでいくのだった。




