第86話 白砂の迷宮第26層/竜鳴峠②
26層に広がる竜の巣地帯、そこに済む四竜の1つ――黒竜。
鋭い外殻と、蕩ける高熱の火線が特徴的なその飛竜は、早速その本領を発揮した。
『――――!!』
開いた顎から凄まじい熱気と赤光が漏れる。
それは渦巻くように力を蓄えており、一気に膨れ上がった。
火線が来る――!!
「火線!!」
「――えいっ!!」
俺が警告するまでもなく、カトルの魔法が迸る。
凍える冷気が周囲の熱気を吹き飛ばし、構えた鉄塊の盾を巨大な氷で覆う。
この一瞬でできる限り分厚く、硬く。
視界を氷が覆い隠したのと同時。
俺は左目に意識を集中させ、迷宮側へと潜る。
氷と盾の向こう側。
破裂しそうな程に膨れた赤い光が――瞬いた。
「来るぞ!」
「おお――!!」
『――――!!』
鉄塊が全身に力を籠め、放たれた火線を氷盾で受け止めた。
視界が赤い光に染まり、カトルの氷でも冷やし切れない熱風が盾の背後に吹き荒れる。
「わわっ……!?」
「……っ、相変わらず熱っついわね! ――ゼナウ!」
「まだだ。まだだぞ……!!」
合図を求めるアンジェリカ嬢を手で留めながら、視線は外さない。
眼球がちりちりと焼ける恐怖に襲われながらも、決して目を閉じずに前を見続けた。
左目が透かす、盾の向こう側。
凶悪に光り続けた赤光が――消えた。
「今だ!」
素早く彼女の肩を叩くと、俺とアンジェリカ嬢は同時に盾の外へと走り出す。
鉄塊の前に分厚く鎮座していた氷は大半が溶け、僅かな形だけを残すのみ。
残り火は消え失せ、もはや焼け焦げた荒地と化した草原を駆け抜け、放射を終えた黒竜へと迫る。
『――――!!』
始末した筈の敵が迫り、黒竜は咆哮を上げて尻尾を振り上げる。
四竜――その見た目から四色竜とも呼ばれる内の1体、黒竜。
こいつの攻撃手段は至極単純。火線か、尾撃か、飛行からの爪撃か。大体その3択。後は精々体格を生かした突撃くらいだ。
幻想の住人なんて大層な呼び名がついている黒竜だが、知能はたいして高くはない。
特徴的な火線を除けば、後は巨体を生かした大振りの攻撃ばかり。
まあ、そのただの大振りの攻撃が、トンでもなく強力なんだが……。
ともかく、他の四色竜とは違って変なことはしてこない。竜どもの巣の外縁に住まう、いわば先兵だ。
こいつに勝てない限りはこの先の探索も許されない。
故に――最初の慣らしには最適だ。
『――――!!』
前へと進む俺へ向かって、尾が振りぬかれる。
巨体を振り回し襲い来る黒い尾は、分厚く鋭い棘で武装済み。
新調した深奥層産防具でも、急所に直撃なら死へと一直線だ。
竜の圧倒的膂力で振り放たれたその先端は、凄まじい速度で掻き消える。
だが――。
「――見える」
迫る尾の軌道を見つめ、その下を滑り込んで潜り抜ける。
下へと伸びた棘が左肩を掠めて装甲が甲高い音を立てるが、構わずに左腕の狙いを定め――蔦撃ちを放った。
それは奴の尾の根元に絡み付き、止まることなく一気に巻き取る。
振りぬかれた尾の勢いも乗って飛び出した俺が狙うは脚の付け根。その内側だ。
排泄器官や内蔵の集まる下腹部は、分厚い殻に覆われた奴の身体で数少ない柔らかな急所。
そこへと狙いを定め、右腕の毒撃ちを起爆させる。
竜の息吹に勝るとも劣らない轟音が鳴り響き、杭がぶち込まれる。
『ギィッ――!?』
「――っ、痛ってえ!!」
代わりに、俺の右腕には壊滅的な痛みが走った。
今、俺の右腕に装着された毒撃ちは、これまでのものとは違っている。
装置は1回りデカくなり、杭も太く硬く改良された。
そのせいで持ち運びの点で不便のため、基本は背負い、必要に応じて装着する形式へと変更した。
より正確には、旧毒撃ちの上に拡張装備として接続する――そんな具合だ。
『赤鎚』という仲間を得たニーナ女史の発想力が大爆発し、深奥層の素材を大量に使い作られたこの新・毒撃ち。
更に硬く凶悪になった杭が強化された爆薬によって射出され、比較的柔らかいとはいえ竜の腹をあっさりと貫き、中にある毒をぶちまけた。
『――――!!?』
黒竜の響き渡る悲鳴が轟く。
弾かれるように首が持ち上がり、すぐさま巨体が翻った。
浮き上がった竜の、分厚い爪を持つ脚が足元にいる筈の俺に襲い掛かる。
だがその爪撃を、迎え撃つ影が1つ。
「よくやったわ、ゼナウ!」
俺と同時に走り込んできていたアンジェリカ嬢が、背負っていた斧を振り上げる。
俺の毒撃ちと同じく、彼女の装備もまた強化されている。
超特急で作られたそれは、『踏み鳴らし』の特殊合金――黒踏鋼(命名:アミカ)で作られた漆黒の大斧。
どういう原理か掘られた溝に赤い光が走るそれは、25層の搦羅蜘蛛を1振りで潰した実績持ち。
弱いとはいえ主の突撃を叩き潰した斧撃だ。
咄嗟に放った黒竜の一撃を軽く上回り、その指を2本、叩き斬った。
『ギャッ――――!!?』
腹部と足に重傷を負った黒竜は、残った翼で空へと逃れようとする。
まだ奴には火線もある。逃げてもいいし、外からの狙撃でも良いだろう。
だが――。
「任せて!」
背後から声と冷気が届くと同時。
俺とアンジェリカ嬢の間を、巨大な氷塊が通り抜けた。
カトルの氷槍。
それはこちらへと背を向けた竜の左翼膜に激突。
広がる霜が一気に左の翼を凍り付かせ、制御を失った竜が地上へと再び落ちてくる。
ずん、と足元が揺れる。
『…………!!?』
巨体がばたばたと暴れているが、その足は殆ど動いていない。先ほど撃った毒が回り始めているのだ。
これでもう逃げられない。黒竜へと向かって、俺は全力で走りぬく。
毒撃ちを外し、腰の短剣を引き抜いた。
こちらも黒踏鋼で仕立て上げられた新装備。
重く鋭くなったその短剣で、藻掻く黒竜の脆い場所――首元を狙う。
『――――!!』
だが俺が近づいたその瞬間。
奴の咥内で熱と光が膨れ上がる。
「ゼナウ!?」
「見えてるよ」
だが残念。お見通しだ。
吐くより先に、体内の核が光ってたからな。
奴の開かれた顎を避ける様に駆け抜けた俺は、真横を火線が通り過ぎる中、倒れたままの奴の首元へと短剣を突き立てた。
それは締まった肉の奥に埋もれ光る、奴の核を正確に貫いて破壊した。
『――……』
その瞬間、黒竜の巨体は震え火線は掻き消えた。
同時に力を失い、竜はようやく倒れるのだった。
「……はぁ、終わった」
僅かな揺れに耐えてから、動きを止めた竜の殻に触れた。
火線の影響かかなり熱い。2秒でも触っていたらでろでろに火傷するだろう。
残った熱でこれなのだ。火線が直撃していたらどうなっていたか……。
これが最弱の竜ってんだから恐ろしい。
「お疲れ様。これなら問題なさそうね」
「ああ。まだ1体目でこれだから、後が怖いけどな……」
特殊なことはしてこないが、単純に速くて強い。
深奥層に住む上位種族ってのは恐ろしい。この先に進めば進むほど、どんどん染獣たちは化け物だらけになっていくのだろう。
「その分私たちも強くなってるよね!」
「そうね。怪我らしい怪我もないし、さっさと進みましょう。……ファム!」
「……大丈夫だ。すぐに行ける」
今日は解体は無し。負傷や装備の故障がなければ、問題点は火線対策に毎回鉄塊が濡れてしまうくらい。
そのふき取りもすぐに終わらせ、俺たちは次なる獲物を探し始める。
「奴らが来る前に後2回くらいは戦っておきたいわね。できれば別の竜」
「……ああ、そうだな」
竜との連戦……あまりにも重い。
だが、やるしかない。
周囲を見つめながら、俺は地図の通り、次の階層への大穴に向けて進んでいくのだった。
***
「おいおい、話が違うぞ……」
そんなゼナウ達から離れた場所の森の中。
木々の合間に隠れるようにして、覗き込んでいた人影が3つ。
そのうちの1人――『落水』の頭目・ナスルは、遠見鏡を外しながら思わず呟いた。
たった今覗いていた光景では、黒竜が力なく倒れていた。
最弱とはいえ竜。しかも奴らはこの階層に初めて潜った筈。
だってのに、ほとんど攻撃も受けることなくあっさりと倒し切っていた。
――大怪我で引退した2人と能力持ちの新人。強行軍で限界寸前での踏破……って聞いてた筈だが?
最弱とはいえ黒竜をあっさり殺した今の戦い方は、とてもじゃないがそうは見えない。
全くもって話が違う。
竜相手に苦戦している所を襲うつもりだったが……あれでは簡単にはいかないだろう。
「適当な情報寄越しやがって……この国の王子だろ、あいつ。どんな情報収集してんだよ」
「王子っても、迷宮に籠ってる変わり者だろお? 元から信用しちゃいねえよ」
「……腐っても王族なんですから、情報収集くらいまともにしてほしいですがね」
他2人も同意見らしい。
……仕方ない。
「作戦変更だな。面倒だが、あの狂人博士の案で行くぞ」
「駄目か。さっさと帰りたかったんだがなあ」
うだつが上がらない3人組の探索者を探し出し、身分を買い取って奴らより先に潜り込む。
あえて死霊術士たちを奴らの後に行かせて、油断したところを3人で襲撃し仕留める。
そうでなくても1~2人削れればそれだけでほぼ壊滅。そんな筋書きを考えていたんだが……。
――あの戦闘能力じゃ、3人で挑むのは確実じゃねえな。
少しでも分が悪いなら、挑むべきじゃない。これは仕事なのだから。
ナスルはそう判断し、ベッグとゲナールも同意見。
ならば作戦は中止だ。
そもそもこの案も、自分たち3人の独断である。
あの王子様ご指名の2人も加えた、本来の作戦は別にある。
今からはそちらに移行する。
……ああ、面倒だ。さっさと終わらせたかったってのに。
「じゃあ俺とゲナールで迎えに行ってくるわ。引き続き追跡頼む」
「おう。竜にやられんなよ」
「誰に言ってんだよ。行くぞ、ゲナール」
「はい。……あ、その前に。ナスルさん」
「あん? なんだよ」
「あの目、気を付けた方がいいですよ。多分、あなたでも見つかる」
だから誰に言ってんだ――とはならない。
なにせその発言者がゲナールだからだ。
それを聞いたナスルの目がすっと細まる。
「……それほどか」
「ええ。流石にここからだと詳細は分かりませんが」
「そうかい。なら、ますます気張らないとな。下手打って化け物起こしたくはねえな」
「勝手に仕掛けんじゃねえぞー」
「やんねえよ。……奴らが隙晒したら別だけどな。じゃな」
溜息とともに立ち上がると、ナスルが後ろ手に手を振りながら、森の向こうへと消えていった。
その瞬間にするりと気配が消える。
相変わらずの離れ業に驚きながらも、残った2名もすぐさま行動を開始した。
こうして、26層でのもう1つの戦いが静かに始まるのであった。




