第85話 白砂の迷宮第26層/竜鳴峠①
そして長い夜が明け、俺たちはその日を迎えた。
「……皆さま、ようこそいらっしゃいました」
「ええ。来たわよ」
緊張した面持ちのルセラさんに出迎えられ、俺たちはいつも通り、潜る階層の申告を行う。
朝の賑わう支部の中、手続きを行いながら彼女が小さな声で呟く。
「先ほど来られました。今は支部長の所に」
「そう。なら、先に潜れるかしらね」
予定通りにやってきた、第三都市の探索者たち。
彼女の様子から、人数も人員も変化はないのだろう。
しかも先に潜れるとは僥倖だ。もし奴らが先だったなら、待ち伏せの可能性が跳ね上がる。
早めに来た甲斐があったというものだ。
「じゃあ行ってくるわね」
「はい。……ご武運を」
ルセラさんに手を振りながら、俺たちは昇降機へと向かった。
がこん、と大きな音を立てて降り始めた箱の中で、ふとカトルが口を開いた。
「そういえば、26層からの話ってあんまりしてないよね」
「ああ、そうだな。その手前の対策ばっかりだったからな」
ワハルの迷宮、その26層から広がるのは一見すると何でもない山岳地帯。
20層までの渓谷とは異なり、平地があって森があって、それらを突き抜けて聳える山脈が連なる――よくある景色が広がっている。
これまでの奇怪な階層とは違って、地上に似た地形が広がる場所。
だから何も知らないと平和な階層に思えるが、当然の如く、そこには危険が広がっている。
「そもそも大した対策はできない階層なのよ。あそこは竜の巣。倒せるか倒せないか……それだけよ」
何が問題かいえば……単純に、染獣が強いのだ。
竜と呼ばれる、幻想の中にだけ存在した凶悪な獣たち。
その実在が迷宮にて証明された時、世界中が驚きと興奮に包まれたと聞いている。
かの英雄譚に綴られた物事は、ひょっとして迷宮内での出来事を描いていたのか。
そんな夢を見て迷宮へと潜り、散っていったものが多く存在する程には騒がれていたらしい。
「不思議だよね。地上にはいない生物や地形が、迷宮の中には沢山存在する。そして、何故だかそのお話が地上に残ってる。……タハムさんたちが知りたくなるのも分かるなあ」
「そういや、迷書殿での修業はどうなんだ? あの後行ったんだろ?」
シュクガル老たちの勧誘を受け、カトルは彼らの技を学び始めていた。
まだこの準備期間のうちの数日しか通っていないが、それでも自主的に外に出て人との交流を持ち始めたのは喜ぶべきことだろう。
「色々と教えてもらったんだけど、やっぱり私の魔力だと、上手く魔法が使えなくて。代わりに道具を使った方法を試してるんだ。1つは教えたでしょ?」
「ああ、アレな。早速使うことになりそうだよ」
彼らの技術の有用性は知っている。
既にシュクガル老に手伝ってもらって、カイと軍曹を合わせるなんてこともできているわけだし。
特にシュクガル老の本気の隠遁は、俺の左目をもってしても見抜けなかった。
俺の目も完璧ではないと分かっただけでもあの出会いは有用だった。
「あら、私を置いて悪だくみ?」
1人頷いていると、アンジェリカ嬢が笑みを浮かべてそう言ってきた。
すっかりいつもの調子を取り戻したその瞳は、妖艶な光を宿してこちらを見つめる。
まるで、こちらの考えが透けて見えているみたいに。
「何言ってんだ。作戦はもう伝えただろ」
「ふふっ、分かってるわよ。言ってみただけ」
……彼女には、俺の企みなんてとっくにバレている気がしないでもないが、今のところ指摘も探りもされていない。
泳がされているのか、信頼されている証なのか。
昨晩の出来事から、後者であることを信じたい。
俺らがしようとしていることは、決して仲間を傷つけない。それだけは確定事項だ。
「まあともかく、ここから先は2つの敵を相手しないといけないわ。私たちは竜や他の染獣を討伐しながらひたすら前へと突き進む。その中できっと――奴らは追いついて仕掛けてくるでしょう。勝負はその時。私たちは勝って30層の砂漠地帯へとたどり着く」
「うん!」
……それにしても、少しだけ違和感がある。
奴らは俺らの後に迷宮に入ろうとしている。前の襲撃の時とは順序が逆なのだ。
骨染獣での襲撃が目的なら、後から入るのは悪手な気がするんだが……単純に間に合わなかった、とは思えない。
何か狙いがあるのだろうか。
そのことを考えている間に、昇降機は止まった。
「……着いたね」
「ええ。邪魔するものは全部ブッ飛ばす――さあ、行くわよ!」
アンジェリカ嬢の号令とともに、俺たちは飛び出した。
視界の先に広がるのは、風になびく草原。
青々としたその大地を踏みしめ先を見つめると――聞いていた通りの景色が映る。
「……本当に、何というか、普通だね」
「そうだな」
視界に映るのは緑の深い森林。そしてそれを突き破る様にして伸びる、灰色の岩の山脈。
岩山こそ鋭く険しいが、それ以外は普通の――この国じゃ珍しいが、どこにもある景色だ。
たった今降りてきた昇降機がなきゃ、地上の、どこかの地方の風景だと言われても信じられる。
昨日まで大穴の壁面に生えた森を真っ逆さまに落ちてたってのに、違いすぎて訳が分からん。
ただ、当然ながらただの長閑な場所ではない。眼帯を外した俺の目には、周囲の至る所が光って見える。
それほどに、深く迷宮に染まっているという証だろう。
「どう、ゼナウ」
「……静かだな。異変も今のところは見えないぜ」
昇降機付近に染獣はいない。
そして今は、それ以外も見当たらない。
「ならここは安全ね。まずは、最初の休憩場所まで駆け抜けるわよ。その間に、ここの染獣にも慣れておきましょう。……下手すると、三つ巴にもなるから」
竜と奴らが同時に襲ってきたら。
その時はもう戦略とかどうとか言ってられない、泥沼の戦いが幕を開けるだろう。
「おっかねえ……。まあ、了解。今のうちに最短で進むぞ」
そうなった時に備え、今のうちに先行してこの階層に慣れておかなきゃいけない。
26層からの階層は、一見するとなんてことはない普通の風景が広がっている。
そのせいで油断――なんてことをする阿呆はこの段階ではいないが、他と比べて準備の量が少ないことはある。
だがそういった連中は、残らず敗退していくことになる。
何故ならこの階層は、風景も地形も普通な分、染獣たちが異常なのである。
「――来たぞ、上空」
しばらく進んだ先。俺の視界に、動く光が飛び込んでくる。
それは、これまで見てきたどの染獣よりも――あるいは主よりも濃い輝きを放つそれが、こちらへと一気に降下を始めた。
「避けろ!!」
叫び、すぐ横のカトルを掴んで横へと跳んだ。
直後、俺らが立っていた場所を、巨体が滑り落ちて轟音を響かせた。
「危ねえ……」
「ゼナウ、平気?」
「ああ。少し土がかかっただけだ」
すぐさま起き上がった先、巨大な爪痕を残した巨躯がそこにはいた。
その姿は漆黒。
てらてらと光沢を持ち、触れただけで腕が取れそうな程に鋭く尖った蛇腹の外殻を纏う、二本足の巨大な翼竜。
蜥蜴を思わせるその頭にある、赤く輝く瞳がこちらを見据える。
獲物を見つけ、喜び開いた顎から火が漏れた。
それだけで離れた俺たちの所に熱気が襲う。
「――熱い……!!」
「直撃したらほぼ即死だ。奴の射線上には立つなよ」
物語の中の住人、竜種。
迷宮内に実在したその化け物は、超高温の熱線を放つことで有名だ。
「黒竜だ。……いきなり来たか」
30層までに出現する竜は4種。こいつはその中でも火力に特化した尖兵だ。
ああ見えてそこまで硬くはない。俺の装備でも場所を選べば問題なく倒せる相手。
特に毒が有効だ。隙を見てぶち込めば、いける。
やるかやられるか。単純明快な染獣でもある。
「本番前の腕試しには丁度いいじゃない。やるわよ。カトル、あなたの氷が頼りよ。ファムの盾を全力で固めて!」
「うん……任せて!!」
「熱線を放つときは俺の背後に。ゼナウ、合図は任せたぞ」
「おう」
『――――!!』
深紅の炎とともに、黒竜が咆哮を上げた。
こうして、26層の戦いが始まった。
***
「ねえ、手続きお願い」
「――あ、はいっ。ただいま!」
支部の受付にて作業をしていたルセラは、聞き覚えのある声に顔を上げた。
そこには前に来た時と同じ、特徴的な鳥の巣頭の小柄な男が受付の手続きを行っていた。
その後ろには前回と同じ禿頭の大男と、探索者が3人。
申告通りの組み合わせだ。
――来た!
ハッと固まってしまうのを必死に堪えながら、ルセラは耳に意識を集中させる。
「はい、完了しましたっ!」
「ありがと。じゃあね、お姉さん。ほら行くよ」
「お、おう……」
「……?」
だが、その一瞬のやり取りに、ルセラはふと違和感を覚えた。
背後の3人組の反応が何かおかしい。そんな、勘のようなものだったけれど。
ただ、だからどうだというわけではない。
一先ず状況を確認しようと、支部長室へと向かおうとした、その時。
「うーん」
応対を終えた受付嬢の声を聞いて、足を止めた。
そのまま隣の受付担当と始めた会話に、ルセラは耳をそばだてる。
「どうしたの? 今のが噂の第三都市の探索者でしょ? やっぱり怖かった?」
「え? ううん、全然。どんな人が来るのかと思ったけど、優しそうな人だったし。……ただ」
首を傾げながら、その女性――リュンは呟いた。
「あの3人、どっかで見た気がするのよねえ……」
「ええ? 第三都市の探索者でしょ? あんたマイヤの支部に行ったことあったっけ?」
「ううん。ここだけだよ。だから気のせいだと思うんだけど……」
「……見覚えがある?」
そのやり取りを聞いていたルセラは、思わずそう呟いていた。
自身も感じた奇妙な違和感。
何故だか、それを見逃してはいけないと、そんな使命に駆られた。
だからだろうか。気付けばその2人に話しかけてしまっていた。
「ねえ、ちょっといい?」
「あっ、ルセラさん。どうされました?」
「今の話なんだけど……さっきの3人、どこで見たかどうにか思い出せないかな」
「どうしたんですか? いきなり……」
もう1人の受付嬢・シリンが訝しげに聞いてくるが、今は構っていられない。
ただ真っすぐにリュンを見つめ、強く頼み込むだけだ。
「ごめん。大事なことなの。リュン、お願い」
「……わかりました。そういうことなら」
受付を行った彼女――リュンは、しばらく考え込んでから、あっ、と声を上げた。
「そうだ……下級の探索者の方にそっくりだったんです」
「はあ? リュン、それってただの見間違いってこと?」
「う、うん。だから気のせいだと思うんだけど……」
「気のせいでもいいわ。それ、誰だったか思い出せる?」
「えっと、6層辺りを探索してたんですけど、上手くいかなくてここしばらく支部にも来てなかった人たちです。パーティー名は確か……そう、『黄石剣』!」
「……『黄石剣』?」
何とか記憶から絞り出したリュンの声に、別の受付嬢が反応を示した。
「アビー? どうしたの?」
「『黄石剣』なら、今日来ましたよ? アタシが対応しました」
「あなたは今日……深夜番だったわね」
「ええ、そうですが……」
深夜から朝にかけての、来客のほとんどいない時間帯を担当していた彼女は、ルセラの問いに頷いた。
「本当に、そのパーティーが来たのね?」
「はい。申請は……あった。6層になっていますね」
「元のパーティーの実績通り……でも、彼らはしばらく潜ってなかったのよね、リュン?」
発端となった受付嬢へと視線を戻すと、すごい勢いで頷き始めた。
ここにきて、この場にいた全員が気付き始めていた。
何かおかしなことが起きている、と。
「そうですね。間違いありません。それに、彼らの活動時間帯はそんな深夜ではありませんでした」
「……おかしい」
おかしな偶然が重なっている。そしてそれは、きっと偶然などではない。
しばらく姿を見せていなかったパーティーが突然迷宮に潜り出し、その本人たちが第三都市の探索者と一緒に潜っていった?
それらの意味するところは――。
「――――あ」
「あの、ルセラさん? 結局なんなんですか?」
「ごめん、後で説明する! ちょっとここをお願いね!」
「ええ!? ちょっと!?」
だからだろうか。
電撃的な閃きに突き動かされ、ルセラは支部長の部屋へと飛び込んだ。
「ディルム支部長!」
「ああ、ルセラ君。その様子だと、彼らは受付に来たようだね。いよいよ――」
「今来た5人! あれ、本当に『落水』でしたか?」
「……? どういうことだ?」
「――『落水』の3人が、別の探索者に入れ替わっていた可能性が、あります」
「……何?」
もしかすると、恐ろしい事態が進んでいるかもしれない。
その恐怖に駆られながら、ルセラは今自分にできることを、必死で考えていくのであった。




