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第84話 前夜②




 その後作戦会議も終わって解散し、夜も深い時間。

 俺は1人談話室に残って資料に目を通していた。

 軍曹が纏めた骨染獣の候補はかなり詳細で、基本的な『型』に基づいた分類をしてくれている。


 型なんて言えば武術みたいだが、魔術には詠唱式やら陣式の型がちゃんと存在しているらしい。

 かなりの数を網羅しており、注釈も細かい。

 流派とか言っていたが、もしかしてあいつ、それなりに凄い奴だったのかもしれん。


「んん……」


 そして何故かカトルは俺の肩に頭を預けて寝ている。

 さっきまでは頑張って起きて氷玉の仕込みをしてたんだが、限界だったらしい。

 少し待ってみたが、起きる気配はなさそうだ。

 ……そろそろ使用人を呼ぶか。

 そう思って顔を上げると、そこには意外な顔があった。 

 

「……アンジェリカ嬢? まだ起きていたのか?」

「ええ、いいかしら?」


 滑らかな生地の寝衣(ナイトガウン)に、いつも通りの長手袋(イブニンググローブ)姿。珍しく寝る直前の姿の彼女が、俺の対面に腰を下ろした。

 ……まだ返事してないんだが。まあいいが。


「で、どうした?」

「……」


 わざわざこうして来たんだから、何か用があるのだろう。

 問いかけにアンジェリカ嬢はすぐに返事をしてこなかった。

 濡れた瞳がつい、と周囲を泳いで、ゆっくりとこちらを向いた。


「……?」

「――目は平気?」


 少しの間をおいて投げかけられたのは、まさかの心配の言葉だった。

 今までだったら椅子から転げ落ちるくらい驚いていただろうが、20層の探索を終えてから、すっかり俺と彼女との関係は変化した。


 口調も畏まった場以外ではくだけたものになることが許され、遂にはこうして心配すらされるようになった。

 どうやら鉄塊が言っていた通り、俺はもう、彼女にとってただの駒ではなくなったらしい。


「ああ、問題ない。25層で使っても何も変化はなかったよ」

「そう。それはなにより。……あの連中は、一体どんな能力を使ってくるのかしらね」

「あんたの調査ではわからなかったのか?」


 このご令嬢の情報網は広く、湖畔の国(ラクトリア)にまで伸びている。

 なにかしらの情報はつかめそうなものだが……彼女は首を横に振った。


「あの王子様の都市は完璧な独裁体制。それ故に間者を送り込む隙は無いのよ。なんなら、無関係の探索者が定期的に見せしめになっているというし」

「深奥層にあるんだろ? 探索者も貴重だろうに……」

「それがどういうわけか、探索者が尽きないのよ。不思議ね?」


 ……湖畔の国(ラクトリア)かね。

 俺にやったように、ただの一般人を()()する技術はいくつかありそうだ。

 にしても使い潰すのは分からんが。

 人間を栽培でもしてたら可能かもな。ははっ……。

 ……笑えねえな。あり得るのが恐ろしい。


「そういうわけで、何もわからないのよ。ただ、選ばれて送り込まれてきたのがあの5人ということは、奴らには私たちを殺しきる自信があるということ」

「やな自信だなぁ……」

「ふふっ。あのクソ王子ご自慢の殺し屋よ。一体、どんな怪物なのかしら。主よりも強い?」

「知らねえよ。ただ、あの蜘蛛よりは強えだろ」


 アンジェリカ嬢の言う通り、わざわざ送り込んできたってことはそういうことだろ。

 殺せるだけの力量がある人間を投入してきたってわけだ……嫌だなあ。

 壁に貼られたままの第三都市の連中を眺めていると、ふとアンジェリカ嬢が立ち上がり、眠るカトルの長い白髪に触れた。


「ねえ、ゼナウ。万が一の時はカトルをお願い」

「はあ? 何だ急に。万が一ってなんだよ」

「……もしも私たちが壊滅するようなことがあった時。その時は、あなたがこの子を逃がして欲しいの」

「……はい?」


 この戦闘大好きお嬢様からは到底出てこない言葉が飛び出してきた。

 私が()るから先に行きなさい……とかではなく? 逃げろって言ったのか?


「ほら、私たちの中でこの子だけは違うでしょう? 復讐なんてものじゃなく、もっと純粋なものを求めてこの子は迷宮に潜ってる。探索者同士の殺し合いなんて、巻き込みたくはなかったのだけど……やっぱり難しかった。だからせめて、もしもの時はこの子だけでも助けたくてね」


 ふにゃふにゃな寝顔のカトルを見て、そんなことを言っている。

 ……万が一って、そういうことね。

 随分とお優しいことだが、急にどういうつもりなのか。 


「――前に35層に潜った時」

「あん?」

「襲撃を受けて、私たちパーティーは壊滅した。ルシド様は戻らず、私は腕を、ファムは腹を失って……残り2人も復帰不能の大怪我を負った」

「ああ……行方も分からないって鉄塊が言ってた元お仲間か」 


 監獄島に行っている間に行方不明になったと聞いたが。

 だが、俺の言葉はあっさりと否定された。 


「分かってるわよ、行先」

「え? ……そうなのか」

「ええ。2人ともどこに行って何をしてるのか、ちゃんと分かってる。会えたのは片方だけだけどね」


 会ってもいるのか……。流石は広い情報網をお持ちで。

 ……え? てか、会ったのか。自分たちの夢が原因で死ぬ寸前の大怪我を負って、引退まで追い込んだ相手に?

 それはまた、凄いことをしたもんだ。


「その……大丈夫だったのか?」

「ええ。1人は魔術師の女の子でね。【迷素遺伝】で高い魔力量を持っていて、学園でも飛びぬけて優秀だったの。まあ、この子程じゃないけど」


 そりゃそうだ。

 こんなのが他にもいてたまるか。


「身体も心も壊して療養していたけれど、ついこの間、ようやくまた働きだしたのよ。今は幼児向けの魔法教員をしているわ」

「そりゃ、良かった。……もう1人は?」

「……後1人は、ファムと同じ盾役。ファムと彼が前衛で、私とルシド様が遊撃。そしてさっきの子が後衛というパーティーだったのよ。その彼は、今――」


 少しだけ言葉が途切れる。

 ワハルを離れたとか鉄塊は言っていたが、その行方は。


「第三都市にいる」

「……それって」


 思わず漏れた声に、アンジェリカ嬢は首を横に振った。


「残念ながらそこから先は分からなかったわ。でも、わからないからわかることはある」

「あんたの情報網に引っかからない……ってことは、か」


 こくり、と頷きが返ってくる。

 嫌な話だ。

 これがただの移住ならいいが、きっとそんなことはないのだろう。

 嫌な可能性はいくつか浮かぶ。攫われたか、脅されたのか。あるいは元々そっちの人間だったのか。

 どちらにせよ、想像はろくでもない結末へたどり着く。


「ただ行先はどうあれ、彼も生死をさ迷う大怪我を負ったのは確かよ。あの2人は、ただ私とルシド様についてきただけ。『大海の染獣』で国を救うなんてことに、関係はなかったのよ。それが、命を失う寸前まで追い詰められた。……その原因は、私たちにある」

「……」

「彼女も復帰できたから良かったけれど、あとちょっとでも怪我が深かったらどうなっていたかはわからない。ただ、私たちを手伝ってくれただけでよ? カトルも同じ。もし明日、カトルがそんなことになったら……」


 両手を重ねる様に握って、彼女は震えた声で言った。

 

「ねえ、ゼナウ。私はもう2度と失わないと誓ったわ。でも、それが綺麗ごとなのは分かってるつもり。だから私は、この道の先で自分がどうなろうと構わない。ファムも、あなただってそうでしょう?」

「いや、良くないが……」


 勝手に人の命を捨てないでくれるかな!?

 俺には生きて果たさなきゃいけない目的があるんですけど。


「覚悟の話よ。覚悟の。私もあなたも、自分の目的に命を賭けている。でも、この子は違う。私たちを手伝ってくれているだけ。だから、この子だけは……」

「……はあ」


 なるほどね。そういう話か。

 確かに、状況は似てる。俺たちは目的まであと少し。

 そしてそこに横やりが入ろうとしている。


 不安……とは少し違う。

 俺もアンジェリカ嬢も怯えてはいない。

 ただ、少しだけ怖いのだ。今のこの関係が、崩れてしまうことに。


 俺たちは不思議な共犯関係だ。

 目的を果たせばそれで終わり。何か1つ躓いたら、俺やアンジェリカ嬢の命は王子様たちの手で簡単に消えるだろう。

 それでも、同じ目的のために突っ走っている今は、不思議と居心地が良いんだ。

 それを壊すのは、怖いよな。

 気持ちは分かる。痛いほど。


 ――だが、それは過保護が過ぎるってもんだろう。


「カトルがそう望んだのか?」

「いえ、そういうわけじゃないけど……」

「ならそれは余計なお世話って奴だろ。こいつは自分の意志でここにいるんだ。俺やあんたと同じ様に。なら、あんたはいつも通り、一言『ぶっ殺す』って言えばいいんだよ。俺らはそれに従う」

「……」

「なあ、アンジェリカ嬢」


 気づけば長い付き合いになった。

 最初に監獄島で雇われた時はあっさりと終わるか、使い潰されて終わると思ってたのにな。

 それがこんな場所に来て、王子様の手下と戦うってんだから、不思議だよなあ。

 本当に、いつの間にかこんなことになるなんて……王子様に睨まれて犯罪者寸前……? どうしてこんなことに……。


 思考が駄目な方向に行きそうなのをなんとか堪えて、アンジェリカ嬢へと視線を向けた。

 不安げに揺れるその目に、笑いかけてやる。


「あんたが選んだ俺たちは、強いぞ? 25層までこの速度で駆け抜けるなんて、監獄島にいたころは信じられなかったんだからな」

「……そうね。正直、私の想定していた速さを大きく上回っているわ。そもそもあなたとカトルが10層を突破したのも、予定よりずっと早かったのよ?」

「は? あんたが設定した期日通りだっただろうが!」

「それは……目標は高い方がいいでしょう?」


 そう言って笑いやがった。

 やっぱりとんでもない無茶ぶりをしてやがったんだなこの女。

 だがすぐに表情は弱々しいものになって、緩く組んだ両手に視線を落とす。


「あなたとカトルは、私の想像を大きく飛び越えて見せた。そして、私とファムの手を引いて、あっという間にここに連れてきてくれた。……本当に、感謝しているわ」

「……」

「……だからかしらね。少しだけ、心の準備ができてなかったのかも」


 ふっと、そう微笑んで。

 アンジェリカ嬢は暗い窓の外を見た。


「あなたのその目が、ここまで大きく命を削るほどのものだとは思わなかった。しかも明日の戦いでは、きっと酷使する事態になるでしょう。カトルもそう。この子の力は凄まじい。迷宮に潜る以外にもきっと、もっと大きなことができる。……その可能性を無視して、私は迷宮に連れ出した。私は、それが心苦しいの」

「国を救うんだろ? それよりデカいことなんて早々ねえよ」


 目のことは覚悟の上。カトルも鉄塊も、自らの意志でついてきている。

 そこを一番上がビビっていられたら、ここまで来た意味がない。


「いいから言えって。『黙ってついて来い』って。あんた以外は、全員やる気だよ。あの鉄塊もな」

「……ゼナウ。でも、私は……」


 それでもためらうアンジェリカお嬢様。

 明日が本番だってのに。

 さて、どうしたものか。

 そんなことを考えていると、俺でもアンジェリカ嬢でもない、もう一つの声が部屋に響いた。


「――私も、そうだよ」

「カトル? 起きてたの?」


 いつの間にか起きていたらしいカトルが、アンジェリカ嬢の手を取った。

 柔らかなその手袋を撫でながら、柔らかな笑みを浮かべる。


「アンジェに助けてもらったから私がここにいる。それは、なによりも強い私の意志だよ。ただの手伝いじゃない。私だって、命を賭けてる」

「カトル……」


 それにね、と優しい声色でカトルは続ける。


「ゼナウの言う通り、この国を救うこと以上に大きなことなんてないでしょ? 考えてみてよ。お父様に『外に出したら国が亡びる』なんて言われた私が、国を救うかもしれないんだよ? それは、とっても凄いことだと私は思う。私が、この途轍もない力――家族みんなに怖がられた力を持って生まれた意味は、きっとアンジェを助けるためだったんだよ」


 立ち上がり、アンジェリカ嬢を優しく抱き留めて、カトルは言った。


「だから、あなたの夢はもう、私の夢なの。ついて行くよ、最後まで――ね?」

「……怖がってるのは私だけってことね」


 大きく息を吐き出して、アンジェリカ嬢は自身の頬を叩いた。


「ごめんなさい、今のは忘れて頂戴。……明日はやって来る奴らは全員ぶっ倒して、私たちは堂々と35層へと向かう。そして『大海の染獣』を手に入れてやる……そうよね?」

「ああ」

「うん!」

「……ありがとう。これで気持ちよく寝れそうよ。ほら、カトルも寝るわよ。あなたは、程々にね」

「はーい。……ゼナウ、お休み」


 2人を見送ると、静寂が部屋を包み込んだ。

 砂漠の中にあるこの国の夜は、とても静かだ。

 

「――さて、もう少し頑張りますか」


 俺も、やる気が出てきた。

 再び軍曹の資料へと取り掛かる。

 残りは後数時間。

 間違いなく勝つために、できる限りのことをしておこう。



***



 同時刻。ワハルの高級宿にある特別客室(ペントハウス)に、第三都市の探索者たちが到着していた。

 1晩で市民がひと月は優に暮らせる額の利用料が発生するその部屋には、無数の紙片が広がっている。

 その中心に埋もれる鳥の巣頭の男が、はしゃいだように声を上げる。


「どの骨にしようかなー。これかな? あれかな? ねえジュド、今度はどの虫を作ろうか」

「……おい、潜るのは26層だからな? 虫はいねえからな?」

「分かってるよー。作るのはどれにしようかって話。ねえ、どう思う、ジュド」

「そいつ、喋んの? 道中喋ってなかっただろ」

「……蟷螂は?」

「あー。前に作ったからなあ……」


 ――喋んのかよ……あの禿げ野郎、俺の話全部無視してたな……。


 その横で腕を組んだまま突っ立っている禿頭の男の挙動に苛立ちながら、橙色の頭髪をした剣士――『落水』の頭目・ナスルは必要装備の入った鞄を肩に掛けた。

 この豪華な宿は既に死霊魔術士・ユニスのものになりつつある。そこで仲良く寝るのなんて死んでも御免だ。


「……じゃあ、オレらは先に向かってるから、朝、準備できたら支部に来てくれ」

「はーい。夜通し大変だねえ……。頑張ってねー」

「……締まらねえなあ。行くぞ、お前ら」


 仲間のベッグとゲナールを伴って、ナスルは夜の街へ飛び出した。

 高級宿があるのはワハルでも賑わう繫華街の一角。

 夜も更けてなお灯りの尽きない大通りを歩きながら、仲間の1人である猿顔の大男――ベッグが不満げに口を開く。


「……ナスル。あの2人組、本当に信用できるのか?」

「あー?」


 振り向いた先には、苛立っているベッグの顔がある。

 撫でつけた黒髪から覗くはずの左耳が大きな刀傷で削げており、骨ばった顔も相まって近寄りがたい印象を周囲に振りまいている。

 現に、先ほどから前にいる人々が遠回りをしているのを確認している。

 あまり目立つべきではないが、今はただ歩いているだけなので問題ないだろう。ちゃんとこれにも使い道はあるしな。


 ちなみに耳を治療しなかったのは、どうせ染痕になれば聴力がなくなるので邪魔だから。

 その性格と外見そのままなしゃがれた大声に、ナスルは呆れた様に両手を上げた。 


「信用ってのは無理だろ。ありゃ狂人の類だ。お前も聞いてるだろ? 王子様付きの連中の話はさ」

「ですよねえ。正直、王子様の命令じゃなきゃ関わりたくない部類の相手です」


 彼らの中で一番の若手であるゲナールが嘆息してそう返す。

 ベッグと違って細身で顔も整っている。ただ、蛇か狐を想起させる細い目が不気味さを一気に増している。

 ベッグと並ぶと怪しさ抜群。その前を歩く自分は、一体どう見えているのやら。

 そんなおかしさも相まって、「だよなあ」と笑いながら、ナスルは腰の剣を叩いた。


「王子様があいつ等だけじゃなくてオレらも派遣したってことは、あの狂人骨博士じゃ不足の相手ってことだ。いるんだろ? 例の奴」

「……ええ」


 ゲナールが頷き、左目の上を撫でる様な仕草をする。


「左目の【迷宮病】。……果たして、我らと同じものなのかどうか……是非とも確かめてみたいですね」

「それはお前の興味? それとも、お前の上の指示?」

「どちらもです。もし予想通りなら、首を持って来いって言われてますよ」

「……そっちのも、おっかないねえ。まあ了解。ちゃんと仕事はするさ」


 肩を竦めて、ナスルは笑う。


「まずは情報収集と、仕込みからだな。いつも通り、手早くやるぞ」 

「おう。じゃあ俺は例の奴ら探してくるわ」

「頼む。ゲナールは道具の調達頼む」

「お任せください」

「1時間後に支部に集合。捕まんなよー。じゃ、解散」


 そのまま3人は別れ、夜の街に消えていくのであった。

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