第80話 骨と鉄③
場所を移して、『赤鎚』工房の裏手。
相変わらず多数の素材が積まれた広場にて、俺と鉄塊は相対した。
……最近、こんなのばっかりだよ。
俺も装備は持ってきていなかったので、ウルファに短剣を借りた。
一方の鉄塊は手ぶらのまま。
まさかそのまま素手で戦うってのか? いきなりやってきたこと含めて、意図が全くわからん。
「一応、この後予定あるんだからな?」
「安心しろ。すぐに済む」
「はあ……」
直ぐに済む戦いってなんだよ。
相変わらず言葉が足りない奴だ。
そんな彼は外套を脱いでいる。
その下には肌に密着した衣服を身に着けており、筋骨隆々の身体が見える。
軽鎧くらいは身に着けてると思ったんだが……本当に何の装備もしていない。
屋敷でも基本身体を覆い隠す彼にしては珍しい。
「で? 模擬戦をすればいいのか?」
「いや、そこまでする必要はない。……1撃だ」
「あん?」
指を1本立てて、彼は告げた。
「今から全力でお前に攻撃する。防いでみろ」
「1撃だけ……?」
それなら確かに直ぐに済むが……まあ、ただの1撃じゃないんだろうな。
そもそも奴の腕は俺の倍以上は太く、浅層なら装備すら不要で染獣と殴り合える凶悪な身体能力の持ち主。俺なら軽く殴り殺せるだろう。
しかし、改めて見るとすげえ身体だ。
ぎちぎちに詰まった筋肉は、締まりすぎて自分の骨すら折ってしまいそうだ。
短く硬そうな体毛に覆われたその黒い腕を掲げて、奴は俺を指さした。
「眼帯の」
「あ?」
「見ろ」
「……?」
見てるが? と思ったのも一瞬。俺相手にはその言葉は別の意味を持つことを思い出す。
あまり乱用はしたくないんだが……鉄塊の頼みなら仕方ない。
迷宮側に潜ると、俺の目は異なるものを映し出した。
「……お前、その腹……」
「お前のとは違うが、俺も埋め込まれた側でな」
ふっ、と微笑むように自身の腹を擦った。
服の下、鉄塊の身体には濃く光る何かが埋まっていたのだ。
腹の左側から背中側に螺旋を描くような奇妙な光が疼いている。
「それは、例の35層の襲撃で?」
「……ああ。アンジェは腕を失い、俺は腹に穴が開いた。その時奴の『断片』が残っていたらしい。それを残したまま再生してしまった」
「じゃあお前も……【迷宮病】を?」
近くにウルファたちはいないが、自然と声を抑えて尋ねていた。
俺の身体についての可能性はアンジェリカ嬢には伝えている。
そこから鉄塊にまで共有され、だから明かしたのだと思ったが……彼は首を横に振った。
「いや、それはなかった。どうも、俺のは少なかったらしい。どうせならあれば役に立ったのだがな」
「……そうか」
驚いた。まさかこいつも【迷宮病】持ちかと……いや、別に持ってたところで何かあるわけじゃねえし、あったなら今まで使ってろよって話なんだが。
鉄塊は肩を竦めながら、話を続ける。
「その代わりに、少しだけ俺は強くなった。今から、それをお前に見せる。……構えろ、眼帯の」
「……!!」
「これが、探索者の最上位の、一端だ」
鉄塊の身体が僅かに屈みこんだ、その瞬間。
全身からどす黒いオーラのようなものが現れ、奴の姿が掻き消えた。
「――――!?」
一瞬で見失った巨体。
だが、瞬きのような影が左側に映ったような、気がした。
その微かな可能性に賭け、右斜め前へと飛び込んだ。
それが幸いした。
俺がたった今まで立っていた場所に、鉄塊がその鋭く尖った右腕を叩き込んでいた。
轟音が鳴り響き、地面に凄まじい深さの爪痕ができている。
嘘だろ? 今の、たった一振りで?
「なんだなんだぁ!?」
「2人とも、無事ぃ!?」
窓から顔を出したウルファたちの声が響く中、驚き固まっていると鉄塊はそのまま膝から崩れ落ちた。
「……っ」
「おい!」
慌てて近づいて身体を起こしてやると、じっとりと汗に濡れた彼は息を荒げている。
今の一瞬で体力を使い果たしたらしい。
「……見えたか?」
「あ、ああ……なんか、どす黒いオーラみたいなものが……」
「それだ。俺が見せたかったのは」
「わかったから、とにかく一旦休むぞ」
壁際まで移動して、椅子代わりの資材に腰かける。
ウルファたちには手を挙げて問題ないことを伝えて戻ってもらった。
……結構な穴が開いちゃってるのは、後で何とかしよう、うん。
「で? なんだよ、今のは」
「……より深く迷宮に潜り、その身を迷宮に染めた探索者は、魔力だけじゃなくこの力を操る。そうだな、染力とでも言えばいいのか……」
染力ねえ……あんまりいい響きはしねえが。
「それがさっきの1撃の正体か」
「ああ。体系化されているわけではない。ただ、本能的に強い一撃を放つ際に、身体の奥から溢れ出る」
「そんなもんがあるのか……」
確かにとんでもない威力だった。
素手の一撃で、地上に大穴が空いてるんだからな。
こんなものを、最上位――特選級やそれに近い連中は使えると……?
「身体の多くが迷宮に染まってしまった探索者だけが手に入れる、切り札のようなものだ。見ての通り、著しく体力を使うから乱用はできない。戦闘中には使えても1度きり。……ただ、今回やって来るような連中は、間違いなく使えると思った方がいい」
「……これは、確かに知らないと対処できないな」
魔法や【迷素遺伝】とも違う。
いきなり人間があんな威力の一撃を放ってくるのは流石に想像できない。
今回は素手だったが、あれがアンジェリカ嬢の斧とかだったらどれだけの威力になるんだ……?
「……あ? でも、お前らが使ったところは見たことないぞ?」
あれがあったら15層の戦いとかもう少し早く終われたと思うが。
だが、鉄塊は首を横に振る。
「アンジェは腕を失ってから使えなくなった。魔法が使えないのと同じように。そして俺は、こうして腹に穴が開いてから使えるようになったんだ。彼らと違って、当時の俺はただの上級だったからな」
「……なるほどね」
魔法は基本、掌から放たれる。そこが染痕になったアンジェリカ嬢には魔法が使えない。そして、その染力とやらも同様らしい。
彼女は腕の感覚と同じくらいに探索者として重要な物を失っていたようだ。
それでも十分強いんだがな……。
「だから、ゼナウ。……俺がこの技を使った時は、限界の時だと、そう思ってくれ」
「……怖いこと言うな」
まるで使うことが確定しているみたいじゃねえか。
自然と歪む顔に、鉄塊がふっと笑みを浮かべた。
「なに、悪いことばかりじゃない。逆に相手がこれを使った時は、追い詰められているということだ。それさえ防げば、後は勝てる」
「防ぐって……無理だろ。俺は盾役じゃないんだが」
それこそお前の役割だろうが。
「何も身をもって防げとは言っていない。お前の目があれば、発動する瞬間が分かる筈だ」
「……あの、黒いオーラみたいなものか」
「ああ。あれは他の人間には見えない。発動者自身にもな」
「はあ? じゃあ、お前が見ろって言ってたのは……?」
問いかけには、ただただ笑みが返ってきた。
「お前に何かが見えて良かったよ」
「……見えなかったらどうするつもりだったんだよ」
「さあな。俺は、見える方に賭けていたからな」
「……」
急に喋るようになったと思ったら、大分憎たらしい野郎だな、おい。
だが鉄塊は俺の睨みつけには構わず、俺の胸を拳で叩いた。
「お前が頼りだ。……お前だけが、あれの発動の瞬間を見極められるんだ。もし奴らが発動させようとしたら、その前に止める。俺たち全員でな」
「……責任重大だな、おい」
発動から攻撃するまでほとんど一瞬だったじゃねえか。それを止めるとか、どうやれってんだ。
てかそもそも、一定以上潜るとできる技って……なんだそりゃ。わけがわからん。
しかし、人類踏破限界って、マジで限界だったんだな……。そこを超えたら、あんな真似ができる化け物の領域に入り込んでるってわけかよ。
……俺もその内できるようになるのか? まあ、目に関してはもうとっくに化け物の仲間入りなんだが……。
それはさておき。
「そんな役割、俺に託すなよ。俺は余所者だぞ」
「何を今更。お前はもう仲間だ。全員、安心してお前に命を預けてるさ」
「……」
「特に俺は、この目で見ているからな。……お前という人間の、全てを」
「……監獄島か」
こいつは、俺があの狂った環境で生き延びている間、ずっと同じ場所にいたのだ。
1つはこいつ自身の訓練のため、そしてもう1つが、俺を始めとする探索者たちの監視のために。
「ああ。俺は、あの孤島の迷宮からずっとお前を見てきた」
「アンジェリカ嬢に頼まれて、だろ?」
「勿論最初は仕事だった。だが、すぐに個人的にも興味が湧いたんだ。お前はあの場で誰よりも異質で、孤独で――必死だった」
「ま、目が特殊なだけの小僧だったからな。生き残るのに必死だったよ」
記憶を失って目覚めて、あの野郎を殺すと決めてからとにかく自己流で鍛えて罠の勉強をして――見た目に気を遣う暇なんてなかったから薄汚れた線の細い男だっただろう。
特異な眼帯だけが、俺をあの監獄島に馴染ませていた。
あれがなければとっくに食い物にされていたかもしれない。
「その左目も、結局俺の力とは言い難い。俺は埋め込まれただけの普通の人間だよ」
「だが、お前はその力を全力で利用してみせた。命を失う危険すらあるその力を、目的のために使いこなしてみせたんだ。俺もアンジェも、お前のその気概に惚れ込んだんだよ」
「……」
面と向かってそう言われると、奇妙な気分になる。
この目は借り物――いや、無理やり埋め込まれたものでしかない。
だが、この目こそが俺をここに連れてきた。ここまで来られたのは、俺の意志と努力があってこそだ。そこに疑いはない。
鉄塊とアンジェリカ嬢……そしてカトルも、そこをはっきりと認識して俺に命を預けてくれるという。……畜生、ますます責任重大じゃねえか。
「まあ、お前の目の力は実際とんでもないんだがな。……お前だけだ。俺の鎧の中身に気が付いたのは」
覚えてるか?と鉄塊は笑う。
「俺は万が一正体が気付かれないようにと必要以上の交流を避けるようにしていたが、それが原因で因縁をつけられることが多くてな」
「……無口だったもんな、お前」
結果元から口数が少なかっただけだったんだがな。
今日はやけに喋るが。
「ああ。だがお前は俺と喋っていた時、鎧の隙間を見て納得した顔をしたんだ。それから、お前は俺が喋れない前提で話を始めた。その怖さが分かるか? たった一瞬身体の一部を見ただけで、お前はそれを見抜いてみせたんだ」
そういえばそうだったなあ。
鎧の隙間、喉元が光って見えるから大怪我でも負ってんだろ、と思ったんだが、蓋を開けりゃ全身がそうだった。
たまたま見えた部分が喉元だっただけだ。
「それだけじゃない。お前はじっと地面を見つめただけで染獣を追跡し、その全てが逸れ個体だった。あらゆる待ち伏せも見破り、まるで未来でも見ているかのように罠を的確に仕掛ける。……すべて、迷宮由来の何かを見ていたからできていることだと、それに気が付いた時に俺は震えたよ。そして確信した。お前の目は、本物だとな」
「だから色々気にかけてくれたのか?」
「そうだ……お前が新しい階層に挑む時、ひっそりとついて行っていたりもしていたぞ?」
「あ!? ……嘘だろ、全っ然気付かなかった……」
細心の注意を払ってたってのに……。
下級連中の尾行は気付いて返り討ちとかしてたが、その更に向こうにこいつがいたのか。
あのガシャガシャなる鎧姿のこいつに気付かなかったってのか、俺は?
頭を抱える俺に、鉄塊の笑い声が響く。
「大怪我を負ったとはいえ、これでも深奥層まで行った元上級だ。当時のお前相手なら気付かれないさ。……今なら無理だろうが、な」
「情けねえなあ……って、待て。そしたらお前が俺から素材を買ってたのも……」
「どうせ俺にはあそこの稼ぎは不要だからな。お前に渡していただけだ」
「そこもお守りされてたってわけかよ……ますます情けない……」
てか、あの辺の金ってどうなったんだ?
全部丸っとアンジェリカ嬢の懐行きか? まあ、世話になってるから別にいいんだが、何もかも、あのお嬢様に握られてたってわけか。
しかし、鉄塊に軍曹までやってきて、ここ数日はまるで監獄島に戻った気分だ。
あそこにいたのもまだ数ヶ月前ってんだから不思議なもんだ。
……ん?
「何の話をしてたんだっけか」
「俺もアンジェもカトルも、お前を信頼してるという話だ」
そう言って、鉄塊が再び真っすぐ俺を見つめた。
「任せたぞ、ゼナウ。お前が頼りだ」
「……まるでこれから死ぬ奴みたいな言い方だな」
「死なないさ。最後まで見届けると、あいつに誓ったからな」
「あいつ……ルシド王子か」
鉄塊が頷く。
「あの日、俺たちは染獣と敵の襲撃を受けた。5人いた仲間のうち、消耗の酷かった1人を応援を呼びに先んじて離脱させ、残った4人で何とか戦ったが……駄目だった」
「5人……? そういや、他の仲間のことは初めて聞いたな」
よく考えればたった3人で深奥層を攻略したわけがないもんな。
他にも仲間がいて当然だろう。
「1人は怪我が原因で引退した。もう1人は王都を離れたと聞くが、どこにいるかはわからない。なにせ、俺らはこの国を離れていたからな」
「ああ、そうか……」
しかし、35層に到達した探索者も、1度の命の危機で引退するのか。
……それほどの衝撃だったということなんだろう。
仲間を、しかもこの国の王子を失い、自分自身も死にかけた。
そしてその実行犯は正体不明の襲撃者。なら、次に潜れば今度こそ殺される……なんて恐怖に一生囚われることになっただろう。
そこを乗り越えて迷宮に潜れる人間は、そうはいない。
皆が皆、アンジェリカ嬢のように強いわけじゃないんだ。
むしろ彼女のような燃え滾る復讐心がなければ、再び立ち上がることは不可能だ。
……なら、こいつは?
そんな悲劇を乗り越え、こいつが再び立ち上がった理由は何なんだ?
「――アンジェが痛みで気絶した後、俺はあいつに、ルシドに頼まれたんだ。『アンジェを頼む』と」
鉄塊が無骨な両手を握りしめた。
みしり、とこちらにも音が響いてきている程に力を込めているらしい。
それは、深い後悔の表れか、あるいは怒りか。
「アンジェにとって最愛の人だったルシドは、俺にとっても唯一無二の友だった。この身体の俺を、あいつは受け入れてくれた。アンジェも、他の仲間もな……だから、俺はあいつらを守ると誓った。だが、俺はその友を守り切ることができなかったんだよ」
「……」
「あれからずっと、俺の心は迷宮の奥深くに囚われたままだ。身体は蝕まれ、全力の活動できる時間は激減した。盾役としては、不適格な程にな」
「あの強さでか? そうは見えないがな」
俺たちの命が未だあるのは、間違いなくこいつのおかげだ。
主の絶望的な一撃を、こいつはことごとく防いで見せている。
そんな芸当、他の誰にもできない。
だが鉄塊はふっと笑って首を横に振る。
「今までの階層なら何とかなる。だが、ここから先はそうもいかない。……だから、俺も進化が必要なんだ」
「……?」
「ここに来たのはお前に話があったからだが、もう1つ。『赤鎚』にも用があったんだ。あいつらの絡繰りは、俺にとって有用だ」
自身の胸をどん、と叩いた。
「俺は強くなるぞ、ゼナウ。だから、もう二度と取りこぼさない。あいつの最後の望み、そして大切な妹分の望みは、俺が叶える。そのためだけに生きてきた。……そして、今、その機会がやってきた」
アンジェリカ嬢だけじゃなく、この鉄塊もまた復讐者だったらしい。
鋭い歯の並ぶ口をぐわりと開けて、鉄塊が嗤った。
「いいか? これは死のうとしている者の最後の頼みじゃない。勝つために必要な、戦争準備だ」
だから、と彼が告げる。
「お前の目が頼りなんだ。見極めてくれるだけでいい。そうしたら後は――俺がやる」
「お、おう……」
……怖えよ。
そういうのだけはアンジェリカ嬢だけにしてくれ……。
だが、死ぬつもりがないならそれで充分。
「……あー。わかったよ。やるだけやってやる」
もう話は終わりだろう。
俺は立ち上がってうん、と伸びをした。
1撃避けるのよりも、この会話の方がずっと疲れた気がするよ……。
「すまないな」
「無茶ぶりは今更だろ? ……それに、お前の言う通りだしな」
「……?」
「そろそろ良いだろ。散々好き勝手こっちを襲ってきたんだ。こっちがやり返す番だ」
そう言って、俺は立ち去った。
そうして向かう先は――例の地下倉庫。
「――悪い、待たせたな」
「お待ちしておりましたよお。お客さんもお待ちかねでした」
そこにはいつも通り軍曹と、そして、客が2人。
「全く、爺をこき使いおって。儂は便利屋じゃないんじゃがのう……」
「悪い悪い。その分、頼みはちゃんとやるから。……お前も、待たせて悪かったな」
「――いえ」
迷書殿のシュクガル老に頼んで、ある人物をここに連れてきてもらったのだ。
それは、黒赤い髪が特徴的な、1人の青年。
「呼ばれたということは、お話してくれる気になったということでしょう?」
「ああ。……お前の友を見つけられるかはわからんが、その根元を捉えに行く」
鉄塊にアンジェリカ嬢、そして、軍曹。
奇しくも揃った監獄島の連中で、第三王子と湖畔の国の鼻を明かしてやろうぜ。




