第79話 骨と鉄②
騎士団との訓練を終えた翌日。
俺はアンジェリカ嬢に連れられ、囲いの中の迷宮区画へとやってきていた。
調薬クランに迷書殿、『赤鎚』の工房など最近は知っている場所も増えてきたこの区画だが、馬車が入っていったのは全く知らない場所であった。
南方に位置するその一帯は倉庫街らしく、ひっきりなしに馬車の出入りが行われている。
その内の1つに入り込むと、大量に積まれた荷の横を通り過ぎ、そのまま止まることなく坂道を下り始めた。
「ここは?」
「一部の染獣素材は地下に保存してるの。危険なのと、盗難防止ね。だから警備は厳重よ? 今回はそれが役に立つのだけれど。……さあ、行くわよ」
馬車が止まり、降りたアンジェリカ嬢についていく。
今日は俺と彼女だけ。一応御者である使用人がいるがその程度のお忍びだ。
屋敷にも目的地は協会支部だと告げられていた。
ごく一部の人間にのみ知らせた極秘行動。その目的は――。
「来たわよ、骨男」
「――お待ちしてましたよぉ、アンジェリカ様。ご機嫌麗しゅう」
地下倉庫の一角。急造らしい小屋の中には、小柄な男が待っていた。
赤いローブ姿に灰色の髪は無造作に長い。
骨ばった顔に特徴的な鷲鼻。眼鏡の奥から覗く目は細長く鋭い。
『魔術師』という市井の抱く恐怖の印象をそのまま具現化したような胡散臭い外見のその男は、俺と同じ監獄島の中級探索者、『軍曹』と呼ばれていた男である。
俺や鉄塊と同じく監獄島にいたこの男を、アンジェリカ嬢に頼んで連れてきて貰ったのだ。
その目的もまた、第三王子の対策のため。
「……あなた、その服やめなさいって言ったでしょ? 目立つのよ」
「ここに籠ってるだけなので大丈夫ですよおぉ。それに、これは私の正装ですよ?」
「……仕事しなかったら、すぐに戻すからね」
「はぁい」
胡散臭い笑みで頷く軍曹。……そうだった。こんな奴だったなあ。
何故こんな男を呼んだのかといえば、こいつも死霊魔術を操る探索者だから。
あの15層で襲ってきた骨染獣、その調査を彼に依頼しているのだ。
本当ならすぐさま調べたかったんだが、そもそもあの骨を迷宮から持ち出すこと自体が危険な行為だった。
故に極秘裏に運び出し、調べる必要があった。
死霊魔術使いは貴重で、第三王子――この国の王族に察知されずに調査を依頼できる相手は限られている。
そこで思い出したのが、こいつだ。
監獄島の人間だから完全にアンジェリカ嬢側。輸送に気付かなければ調査もバレない。例の骨染獣の調査をするのには最適だったのだ。
しかし、改めてみても不気味な男だ。
ふと、その猛禽類のような目がこちらを向いた。
「『眼帯』さんもお久しぶりですねぇ。てっきりアンジェリカ様に使い捨てられて死んだのだと皆で噂してましたのに。あ、次は私が噂されている番ですねぇ!」
「……久しぶりだな」
にっこりと、その顔が微笑む。
「ええ、本当に。まさかご無事だとは。あなたの骨ならぜひ欲しいと、しばらく迷宮内を探し回ったんですからねえ?」
「……」
「まあ深層産の骨を調べるだけで報酬までいただけるんですから、ありがたいことですねえ」
こんなでも、出自的には最高なんだよ。とんでもなく胡散臭いけどな……。
ともかく、彼は昨晩ここに運び込まれて、先に骨の調査を行ってもらっていた。
今日はその所感を聞きに来たのだ。第三王子の手の内、その1つでも知っておくために。
「それでどうなの?」
「……ああ、そのことですがねぇ……」
陽気だった甲高い声が、不意に低くなる。
その視線が、直ぐ横にある机へと向けられた。
部屋の半分を占める大机には15層から回収した骨染獣の一部が置かれており、それを撫でながら、軍曹は腹の底からの声を響かせた。
「おふたりも御存知でしょうが、これは骨染獣です。私はこの元になった染獣は知りませんがぁ、蜘蛛の骨染獣だったのでしょう?」
「ええ。あれは蜘蛛の姿だった」
「そうでしょうそうでしょう。ただ、これは蜘蛛ではありません」
「……? どういうこと?」
戦ったあの骨は、全身こそ見ていないものの蜘蛛だった。
それは俺もアンジェリカ嬢も確認している。
だが、それを否定するように軍曹は首を横に振る。
「これは、色んな染獣の骨を組み合わせて作っていますねぇ。前脚の一部の様ですが……ここ、よぅく見ると接合されてます。要は、これは元々蜘蛛の染獣だったわけではなく、色んな染獣の骨や殻で蜘蛛のようなものを作った、ということです」
「組み合わせる……死霊魔術ってのはただ死体を操るだけじゃないのか?」
「それは三流の術師の仕事ですよお。骨にも色々な種類があるでしょう? その良い所を組み合わせて理想の骨染獣を作り出す……それが死霊魔術の本懐なんですよぉ」
「……へえ」
なるほど、どおりでやたら硬かったわけだ。
いくらより深い層の染獣の素材とはいえ、蜘蛛の骨――殻って言った方がいいか? ともかくそれがあんなに硬いわけがないからな。
「……そして、それなりの歴史の中で、幾つか流派というものもできたんですねぇ……。どうやらこれは、ご同胞の様です」
「同胞……? 同じ流派ってことか?」
「はぁい。……まさか、こんなところにいるとはねぇ」
「……?」
なにやら呟いた言葉に首を傾げていると、軍曹がにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「私、とぉってもやる気出てきました。眼帯の――ああ、ここではゼナウさんですねぇ。ここの迷宮で手に入る染獣について教えてください。できる限り詳しく」
「……相手は第三都市の探索者よ。向こうの迷宮の知識も必要かしら?」
「いえ、それはいりませんねぇ」
アンジェリカ嬢の問いに、きっぱりとそう言い放った。
「……どうして?」
「我らの術式はそう長持ちするものではありません。特に、迷宮の外では一瞬で消滅してしまうでしょう。……一応、方法はなくはないのですが、それは秘技中の秘技。使うなら最後の最後、奥の手としてでしょう……まあ間違いなく、雑兵は現地調達ですよぉ」
まあ確かに、前回は現地調達だったようだし。
今回も恐らくは同様なのだろう。
「……わかったわ。ゼナウ、お願い」
「わかりました。……15層以降でいいか?」
「全部です」
「……了解」
今日はこれで潰れそうだな……。
まあ、これも勝つためだ。諦めて記憶の中を探っていくのであった。
***
そうして、そこからは慌ただしい日々が続いた。
朝から対人戦の訓練。
相手は鉄塊やレウさん、『赤鎚』に木人君も借りてやってみたりもした。
短期間だがかなり身体の動かし方は分かった気がする。
昼からは21層攻略用の準備を進める。
25層までに広がる、ひたすらに落ち続ける森は虫たちの楽園だ。
今までみたいなのんびり――は、してないが、旅なんて生易しい物じゃなくなるらしい。
凄まじい速度での滑落に戦闘の連続。
それは一種の快楽を覚える程で、上級探索者は攻略後に二度と訪れない者と、この階層ばかりを探索する者で極端に分かれるという。
上級は免除してもいいのでは、とそんな議論が行われるほどには厄介な階層らしい。
そして夜は軍曹と骨染獣対策。
……敵の探索者は他にもいるだろうが、そっちの情報収集や対策はアンジェリカ嬢たちにお任せだ。
最後に帰ったら個人的な準備や自主訓練を限界までやって、疲れ果てたらぶっ倒れる。
そんな生活をしているせいか、滅茶苦茶食べる量が増えた。
ミンナには「調理場が常時稼働しています……。昨晩、オーブンから火が出ました……」と申し訳なさそうに市販の林檎パイを差し出された。
これ食わせときゃいいだろと思われている気がしないでもないが、消費量も凄まじいのでありがたくいただいた。
そのせいか何もしてない時も口の中が甘い気がする……。
間違いなく身体には悪いだろうが、顔を蝕む奴よりはましだろう、多分。
そんなこんなで5日が経過し、残り4日。
今日は『赤鎚』の工房で秘密兵器の準備を進めている。
「――――ぅおお!?」
少し整理されて広めの空間ができた工房内に、轟音が鳴り響いた。
直後、俺の全身に凄まじい衝撃が走り、地面に倒れ伏す。
揺れる頭の向こうから、ウルファの元気な声が聞こえる。
「ゼナウ、どうだぁ!?」
「……すげえな」
全身は痛えし、ひっくり返ってはいるが……その効果は抜群だった。
物は試しと彼らを頼ってみたが、想像以上の成果だ。
「これが絡繰りか……」
「凄いでしょー? 主の素材でお金も入ったし、耐久性も格段に上がったよ」
「ああ。これ……使えるな」
流石にこれは、第三王子たちも想定外だろう。
奴らの鼻を明かすには、十分だ。
「人数分頼めるか?」
「何とかするよ。他ならぬあんたとアンジェリカ様の頼みだからね」
「助かる」
これがあるだけで格段に作戦成功率が上がるだろう。
生き残るため、勝つために。できることは全てやらねばならない。
ようやく眩暈も収まって、身体を起こした俺に飲み物を差し出しながら、ウルファが訊ねてくる。
「で、どうなんだよ。そっちの調子は」
「……何とかって感じだな。とにかく時間がないが、間に合わせるさ」
『赤鎚』たちに全ての事情を話しているわけではないが、彼らも薄っすらとは理解しているようだ。
これがただの染獣用じゃないってのも、俺らが21層以外も見据えてることも。
だから、こんな無茶も聞いてくれている。
自分たちも主の素材で色々作りたいだろうに……。
「まっ、オレらはもうアンジェリカ様のお抱え職人だ。好きに使ってくれよ」
「……悪いな」
そう言うと、3人とも笑顔で指を立ててきた。
いい奴らだな。
騎士団派閥を抜けても先輩たちが守ろうとしたのが良くわかる。
「どれくらいでできる?」
「4人分だよな? なら3日だな」
「3日で行けるのか? 随分と早いな」
「時間がないんだろ? 任せとけ! なあ!」
「「おう、任せとけぃ!!」」
「……すまない、助かる」
……何とか間に合いそうだ。
後は、明日から21層に挑んで、いつも通り最速で25層まで攻略するだけだ。
そのままウルファと詳細を詰めていって、しばらくが経った頃。
「――あれ? どうしたんです?」
不意に、イマの驚いた声が響いてきた。
丁度話がひと段落していた俺たちが顔を上げると、困惑した表情の彼女がこちらへ歩いてきていた。
その背後には、大きな人影が1つ。
「ゼナウ、あんたに客……というか……」
「俺に? ……って、鉄塊じゃないか」
そこには鉄塊が立っていた。
鎧ではなく普段着のローブ姿。装備も身に着けていない手ぶらの状態だ。
何か装備でも作るのか? ただこいつの装備は基本ニーナが作っていた筈。
てか今、『俺に客』って言ったよな?
わざわざ俺を探しに来たってことか?
「どうした?」
問いかけると、獅子の顔が真っすぐこちらを見つめてきた。
「今から少し時間はあるか」
「あ、ああ。丁度終わったところだから余裕はあるが……」
一応この後やることはあるが、急ぎではない。
少しの時間なら問題はないだろう。
そう告げる俺に、彼は大きな口角を上げ、並ぶ鋭い歯を見せた。
「ならいい。……俺と戦え、眼帯の」
「は? ……どういうつもりだ?」
わざわざ前の名前で呼んで、アンジェリカ嬢のいないここで戦いを挑んできた。
その真意は、一体……。
「お前に教えておかねばならない。より深くに潜る、探索者の力というものを」




