第77話 迷書殿の学徒たち②
それを使い続ければ破滅が待っている。
そう、俺の左目を指さし告げたシュクガル老だったが、すぐに肩を竦めて首を横に振る。
「――と、これは生き残ってしまった老人の戯言。お前はお前の好きに生きればいい。使わずに生きながらえるのも、使って行き急ぐのもお前次第。好きにするといい」
「……」
「今儂が言えるのはそれだけじゃ。期待外れだったかもしれんの」
「……いえ、はっきりとわかって良かったです。この目を使いすぎてはいけない……それが分かれば十分です」
「ふむ。ならばよいのじゃが」
元々、ある程度予想はできていた。それが確定しただけだ。
……うん、これ以上の酷使は辞めておこう――なんて、そうできたらいいんだが、早速数日後に使うことになるだろう。
染獣ではなく人との戦い。それだけで恐ろしいってのに、こっちは爆弾持ちときた。
しかも今度は恐らく多対多の団体戦。何が起きるか、正直全く予想がつかない。
迷宮攻略と違って事前の対策が不可能なのも恐ろしい。
その辺りはアンジェリカ嬢に期待するしかないが……まあ、やるだけやるしかない。
とにかく、目の使い過ぎだけは気を付けておこう。
何やら思案気に髭をもしゃる老人へと、改めて頭を下げた。
「ありがとうございました。シュクガル老。いきなり尋ねた俺の問いに答えていただき……おかげで、すっきりしました」
「なんの。スイレン嬢ちゃんには世話になっとるし、お前には探し物をしてもらうからの。むしろただ質問に答えただけでここまでしてもらうのが申し訳ないくらいじゃわい」
ほっほっほっ、と笑ってやがる。
絶対にんなお優しいことは考えていないだろ。
案の定、その目が鋭くこちらを見つめた。
「それで……腹は決まったか?」
「……ええ。お世話になりました」
『どうせ何を言っても使う気なんだろ?』と老人の笑みがそう言っている。
流石は迷宮の生き字引。
俺の考えなんてはなから理解していて、その上で欲しい情報を正確に引き出してくれた。
紹介してくれたスイレンにも感謝しないと。
……そういえば、あいつらも待たせているんだった。
さっさと合流して戻るとしよう。
「では、俺はこれで……」
「――ああ、少し待て。もうちっとだけ、話をしてくれんかの?」
歩き出した背に、言葉が投げかけられる。
なんだ、まだ他にお使いでも頼む気か――?
そんなことを思いながら振り返った先。
爺さんが笑みを浮かべたまま、ふと指を鳴らした。
途端に周囲を光の膜が包み込み――周囲の一切の音が遮断された。
「……あ?」
「のう、お前」
おかしくなった空間の中、爺さんの目が、俺を鋭く捉えた。
「その目……どうやって手に入れた?」
「……!!」
その言葉を告げた瞬間、その小さな身体から凄まじい重圧が放たれた。
目の前にいるのは、先ほどまでと同じ爺さんの筈。
だがまるで主と相対するかのような、恐ろしい存在感が全身に纏わりついて身動きが取れない。
なんだこれ。魔法か何かか……?
僅かに屈んだ姿勢のまま固まる俺に爺さんが本の山から下りて近づいてくる。
固まる俺の左目を覗き込みながら、しわがれた声が響く。
「おかしいんじゃよ。お前、民間上がりじゃろ? 民間人が、そんな特異な目を持つ【迷宮病】になるなど……どう考えてもありえん」
「……」
「考えられる手段は2つ。この国に、そんなものを生み出す愚かな施設が秘密裏に作られた」
「……もう1つは?」
震える口をなんとか開いてそう言うと、にぃ、と嫌な笑みが返ってくる。
「他国の探索者を紛れ込ませた。……その目で探し物を見つけるために」
「他国?」
「ああ。例えば――湖畔の国とかの」
「……んなこと、どうやって? 【迷宮規則】があるでしょう」
「そんなもんどうとでもできるじゃろ。現にお主がここにおる」
頭をこんこんと叩かれる。
動けないからって好き勝手しやがって……。
しかし、問答無用で捕縛……ってわけではなさそうだ。
「さて、そう簡単に話すとも思えんし……どうやって聞き出そうかの」
「……」
「なあに。手段は幾つもある。黙っておっても無駄じゃよ、無駄」
この爺さんが迷宮学徒ってんなら、騎士団でも協会派閥でもないだろう。
一応王様の盟友って可能性は残っているが、もしそうならこんなことは聞いてこない筈。つまりは、この爺さんはどの所属でもない個人で――ああ、もう、面倒だ。
「――どっちも外れだクソジジイ」
「ほ?」
まあ、湖畔の国の方はほぼ当たってるようなもんだが……その辺はどうでもいい。
俺はこんな駆け引きをしにここに来たわけじゃねえんだ。
この爺さんなら話していいだろ。
駄目だったらその時はその時。俺の考えることじゃねえ。
「全部話すから、これ外してくれ。気持ち悪くてかなわん」
「……ま、ええじゃろ」
爺が指を振るうと、身体が途端に動き出した。
一体どんな魔法なのか……まあいい。
腰を下ろして、息を吐き出す。
「周りのこれ、音は漏れないんだな?」
「ん? そうじゃの。大声出しても構わんよ」
「出さねえよ。まあ、ならいい。いいか? 1度しか言わねえからな」
説明は苦手なんだが……まあ我慢してもらおう。
俺はこれまでの経緯と、わかっているこの目のことについて話していくのだった。
***
ゼナウが説明を始めたその頃。
彼を待つ間に迷書殿の一角にある談話エリアで休んでいたカトルは、お茶も飲み終え周囲を眺め歩いていた。
見上げる程の本棚に、詰め込まれた書籍。
彼らが迷宮を観察して書き記した記録の数々に、探索に必要な技術や魔法についてのものも多いと聞いた。
他にも、彼らが集めただろう様々な物品が硝子の容れ物に納められ管理されているようだ。
染獣らしきものの骨や液体に漬かった肉体の一部。
後は……石? 何やら紋様らしきものがあるような、ないような……。
――文明の跡って本当にあるのかな?
先ほどタハムから聞いた、彼らの目的。
迷宮に文明がないかを調べるなんて、とても無謀なことだとカトルでも思う。
だってそんなこと聞いたことも見たこともない。
迷宮の最深部を誰も知らないとは言っても、既に何十層も潜っていて、それで見つかっていないのだ。これから先も、見つかる希望は薄いのだろう。
だが、例えそれが存在していないのだとしても、追うこと自体がとても素敵で楽しいのだ。
それは、もはや趣味を超えた夢の領域。
命を賭けた、壮大で危険な趣味だけれど……。
何故だか、カトルはその気持ちが理解できた。
だってそれは、自分が絵を描く理由と、きっと同じで――。
「……あ」
ふと、その足が止まる。
その理由は、壁に飾られた1枚の絵。
最初に目に留まったのは深い青色だった。
それは浅層にある水洞窟を描いた様に思えるが、よく見ると色々と異なる。
岩は黒く、水も輝きは少なく深い青を映している。
そう描いている――と思うのは簡単だが、カトルが見て、そして描いた景色とは随分と異なる印象があった。
「これ……どこの景色だろ」
「おや、その絵に興味が?」
思わず零れた声を、タハムが聞いていたらしい。
横へやってきた彼に頷きを返すと、穏やかな声で話し始めた。
「これは第二都市の深層の風景を描いたものです。あそこは更に深く広い水洞窟が広がる不思議な迷宮で、水中活動が得意な探索者が育つという独自の文化ができているんです」
「……凄いです」
まだ見たこともない別の迷宮。
そこには当然ながら、全く違う景色が広がっているのだ。
「しかし、珍しいですね。本でも標本でもなく、絵に見とれるとは」
「……? 絵を見るのは、普通では……?」
「一般の方はそうでしょうが、ここに来る方の大半は探索者。そうなるとどうも、ね」
「そ、そうなんですね……」
確かに、探索者なら染獣の素材とかに興味があるのだろう。
カトル自身、自分が探索者として特殊であることはよく理解している。
なにせ未だに素材の見分けがついていない。ゼナウに言ったら半目で睨まれるので、最近は積極的に解体に参加して覚えている最中だ。
だが、この中で何に注目するかといえば、やはり絵だ。
「……私、絵を描くんです。今までは外の、地上のものばかりでしたが……迷宮の絵を描き始めたんです」
「ほう、それはそれは……」
興味深げに呟くと、タハムの眼鏡がきらりと光った。
「カトルさん、でしたね。あなたには、迷宮学徒が向いているかもしれませんね」
「え? 私が、ですか?」
まさかの勧誘にカトルが慌てふためく。
だがタハムは淡々と、そして力強く言葉を続ける。
なんならずいと近づいてきている気さえする。
「はい。迷宮に富や力ではなく、別のものを求める。……そんな方は迷宮学徒に向いているのですよ」
「でも、私は迷宮の文明とかはあまり……」
「おや、別に文明の調査は我らの作業の1つでしかありませんよ」
「……そうなんですか?」
てっきり全員共通の目的かと思ったが。
でも確かに、もしそうならここに絵や標本が飾ってあるのもおかしい。
そのことを肯定するように、タハムが笑顔で頷いた。
「皆、自分の目的のために好きに迷宮に潜っているに過ぎません。我らはあくまでそのために助け合っているだけですよ。……そして、あなたにとって、我々の技術はとても役に立つと思いますよ?」
「……? 技術、ですか?」
「ええ。例えば、染獣に見つからずに迷宮内で過ごすことができる技があります。これを使えば、迷宮に長期滞在することが可能なんです」
そんな技があるとは、とカトルは驚く。
だが、シュクガル老が先ほど隠れていた時、カトルは全く気付かなった。
あれを更に極めていけば、染獣にすら見つからないことも可能なのかもしれない。
ただ、それがカトルにとって何の役に立つというのか。
「それを使えば、迷宮で絵を描く――なんてこともできるのですよ」
「……!! 迷宮の中で、絵を……」
「ええ。実際、我らもそうやって迷宮内で調査を行うのです。真横を染獣が通り過ぎるあの感覚は、えもいわれぬものがありますよ……」
なにやら身体をかき抱いて震えだすタハム。
年かさの男のその振る舞いは恐ろしいものがあるが、カトルはそれに見向きもせずに、深い思考の中にいた。
迷宮の中で、絵を描く。
それは……とっても魅力的な提案だった。
今、カトルは自分の意志で迷宮へと潜っている。
だがそれはアンジェリカがいて、ゼナウがいて……カトルはそのお手伝いでしかない。
勿論ゼナウのことは守るし、彼の願いの最後まで共にいる。
それはカトルにとって決定事項だ。
ただ、それよりずっと先の、遠い将来。
皆がそれぞれの目的を果たした後、カトル自身は一体何をするのか――そのことを深く考えた事はなかった。
自分の足で迷宮の景色を見て、絵を、証を残す。
もしそれを記憶を頼りに地上で描くのではなく、迷宮の中で描けたなら。
「誰も潜れない迷宮を、私の絵で残せる。私だけが描ける……」
それは、とても魅力的だと。そう思った。
自然と口角が上がったカトルを見て、タハムが穏やかに笑う。
「ええ。もしご興味があれば、またここに来てください。我らは来るもの拒まず。こんなに深く、未だに果てすら見えない研究題材、他にはないですよ?」
「……はい。迷宮探索の合間になると思いますが……また来ます。必ず」
アンジェリカやゼナウの手伝いではない、自分のためだけの目的。
それがようやく見つかったのかもしれないと、高鳴る胸をカトルは抑えるのだった。
***
「……ふむ。なるほどのう。しばらく籠っておる内に、そんなことになっておったか」
俺の話を聞き終えたシュクガル老は、髭をもしゃりながらそう呟いた。
話の途中から彼も本の玉座に戻っていたから、すっかり警戒は解けたらしい。
正直上手く説明できた自信はなかったが、通じてくれて何よりだ。
「しかし、お前……とんでもない身の上じゃのお……」
「……自分でもなんで今ここにいるのか、よくわかってねえよ」
改めて言われるとわけわからん。
なんで俺はこんな所にいるんだ?
「まあ、だが、よおくわかった。お前らはこれから第三王子と湖畔の国とやり合うことになると。そういうことじゃな」
「ああ。そこはもう確定事項だ」
「まさしく命がけじゃの。そりゃあ、その左目を使わずにいるのは無理じゃなあ。ほっほっほっ」
「……笑い事じゃないんだがな」
「そうじゃのお。ほっほっほっ」
そのまましばらく笑っていた爺さんが、本の玉座から飛び降りる。
周囲を覆っていた膜も剥がれ、途端にざわめきが戻ってくる。
……どうやら俺は合格だったらしい。
座り込んだ俺の肩を、爺さんの手が叩いた。
「まっ、頑張るといい。儂らは国がどうなろうとどうでもいいが、お前ら――特に雇い主の嬢ちゃんにとっては大問題じゃろうからな」
「あの王子様は、本気で国を盗るつもりなのかね」
格上の他国の力を借りて玉座を奪うつもりなら、その後に待っているのは碌なことにはならないと思うが……。
最悪、湖畔の国にそのまま国を滅ぼされて終わりだろ。
「あの小僧は迷宮に固執しておるからのう。地上なぞ、どうでもよいのかもしれんな」
「……? どういうことだ?」
地上を失ったら、自分の居場所すらなくなるだろ?
「おや、知らんのか。あの小僧は名目上は第三都市の管理者じゃが、その住処は地下――迷宮じゃ」
「は?」
「あ奴らの本拠地は第三都市の迷宮深層。……迷宮内に都市を築いているのじゃよ」
迷宮に……住むだって?
それも、深層――俺らがつい先日攻略したばかりの階層に?
「そんなことが……できるのか」
「実際できておる。迷宮は短い期間で再生を繰り返すが、人間が持ち込んだものはその対象には入らんらしい。まあ、そうじゃなきゃ長期間迷宮に潜っておる儂らは迷宮に消化されて死んでおるしの!」
ほっほっほっ、と笑っている。
……笑い事じゃないが?
「迷宮に住むねえ……正気じゃねえな」
「ほほ、だから言ったじゃろ? 王族だというのに、あの小僧は地上などどうでもよいのよ。……そんな小僧が心酔する湖畔の国には、どんな凄いことが行われておるんじゃろうな」
「……考えたくもないね」
「思い出したら教えておくれ。……さあ、皆を待たせすぎじゃな。降りるとしよう」
疑問を解きに来たってのに、もっと重たい話を渡された気がする……。
ただ、やることはやはり明確だ。
これから来る連中をブッ飛ばせばいいだけ。単純明快。
「……ああ、そうじゃ。もう1つだけ、お前に助言をしておこう」
そして再び、爺が口を開く。
首を傾げる俺に、その指が向けられた。
「お前、できる限り仲間を作っておいた方がよいぞ。シュンメル家の嬢ちゃんに頼らない、お前だけの人脈を」
「俺だけの……」
それは、カトルや鉄塊――アンジェリカ嬢が用意したのとは別の、ということだろう。
「そりゃまたなんでだ? アンジェリカ嬢が敵になるとでも?」
「いや、そう思わん。ただお前と嬢ちゃんは結局のところ別の目的を持っているだろう」
「……そりゃ、そうだな」
俺らは一蓮托生。そこは揺るがないだろうが、確かに爺さんの言う通り、厳密には俺らの目的は異なる。
俺の目的は、アンジェリカ嬢の夢の先にある。
その道が分かれることは、決してありえないことではない。
「この先、もしかすれば道を違うことになるやもしれん。あるいは逆に、嬢ちゃんの危機を救うことになるやもしれん」
「……」
「未来は誰にも分らんが、お前はこの国では孤独な存在じゃ。だから、全てに備えろ。お前が考え得る限りの全ての可能性に……これが、長く生き残った老人からの忠告じゃ」
「……そうするよ」
これから戦いは激化し、きっと『大海の染獣』まで一気に突き進むことになるだろう。
その結果どうなるか、誰にも分らないのだ。
だから備える。……後僅か数日だが、できる限りやってみるか。
「当てはあるかの?」
「ああ。いくつかあるよ。……できれば、頼りたくはないがな」
思い浮かぶのは大体恐ろしい連中ばかり。
だが、どれも左目に比べりゃ、安全だろ。知らねえけどな。
そのままカトルたちが案内されたという談話スペースまで向かうと、何やら本を広げて談笑している3人がいた。
どうやらイラン君にスイレンが指導をしているようで、それをカトルが眺めているらしい。
会話こそ少ないが、すっかり2人にも慣れた様だ。……いい傾向だな。
その顔が、俺を見つけてパッと笑顔に変わった。
「ゼナウ。終わったの?」
「ああ。帰るか。スイレンたちも待たせて悪かったな」
「い、いえ、ついでに次の注文も貰えたので……丁度良かったです」
「なら良かった。じゃあ爺さん、世話になった」
「うむ。また来い」
そのまま外へと出て、スイレンたちとも別れて帰路についた。
「今日は色々とあったな……疲れた」
「朝から試合だったもんね。お疲れ様」
「カトルも疲れたろ? あれだけ人に会ったんだから」
「うん。だいぶましになったんだけどね……あっ、でも、いいことがあったんだよ!」
カトルが弾けたように笑みを浮かべる。
そこまで明るい表情は珍しい。本当にうれしいことがあったらしい。
「……いいこと?」
「うん。私、やりたいことができたの」
「おっ、いいじゃないか。……俺も、できた所だよ」
「そうなの? じゃあ、お揃いだね」
「だな。……で? 何をするんだ?」
「えっとね――」
カトルの新たな夢を聞きながら、その日は帰っていくのだった。
第三都市の奴らが来るまで、残り9日。
明日から、忙しくなりそうだ。




