第76話 迷書殿の学徒たち①
スイレンに連れられ、4人で向かった先は探索者用区画の反対側――西の壁際。
当然支部からは遠く離れた位置にある。
……段々わかってきたんだよな。
探索者支部からの距離と、そいつらのヤバさは比例してるって。
「……こ、ここです」
スイレンが示した先には、塔――にしては少し背の低い建物があった。
推定3階建ての太めの塔もどき。
その中へ入ると、むせ返るような紙の匂いに出迎えられた。
「ここが……」
「迷書殿、です。迷宮に関する様々な資料の蒐集、編纂を行っている迷宮学徒の方々が集まっています」
塔の中身は吹き抜けになっていて、中心には上層へと繋がる螺旋階段が見える。
細い石柱に支えられただけのその階段は、まるで糸で吊り下げられたような不思議なつくり。
そこから放射状に本棚や文机などが配置されており、外周に当たる壁には上層階まで書棚が嵌めこまれているらしい。
視界の殆どが本に埋め尽くされた、まさしく書の御殿である。
そして、その間を数人のローブ姿の男女が本を抱えながら行き交うのが見えた。
流石に子供はいないが、学生くらいの若者から老人まで年齢の幅は広い……が、その数は恐らく10に満たない。
この広さの割に、詰めている人の数はかなり少ない。
ただ、ここが迷宮学徒の拠点だというのなら仕方ないのだろう。
――迷宮学徒。それは、迷宮の謎を解明するためだけに迷宮へと潜る自称学者の総称である。
迷宮は御存知の通り染獣だらけの危険地域。本来長居が許されるような場所ではない。
だからそんな中を『研究や調査のために』居座る命知らずなんて存在しない――というのが一般常識である。
だが、迷宮の最奥を目指す夢想家たちがいる様に、『迷宮の謎を解き明かしたい』なんてより酔狂なことを考える連中も、当然の如く存在しているのだ。
金銭や名声という報酬が全くないというのに、ただ知識を、正解を求めて迷宮奥深くへと潜っていく狂気の連中。
それが俺の知っている迷宮学徒と呼ばれる人種である。
そして、今から会いに行くのがそいつらの長にして、動乱の迷宮初期を生き抜いた古豪。
最も長く迷宮に潜ったとされる探索者にして学徒――シュクガル老である。
「おや、スイレンさん?」
「あ、た、タハムさん」
そう声をかけてきたのは、白い髪を撫でつけた、眼鏡姿の老紳士。
緩やかなローブ姿の彼は、狂気とは最もかけ離れた、穏やかな笑みを浮かべてお辞儀をする。
「ようこそいらっしゃいました。本日はどのようなご用件で?」
「突然すみません……。じ、実はシュクガル老に用がありまして」
「おや。シュクガル様ですか……」
周囲へと視線を向けてから、困ったように笑みを浮かべる。
「先ほどまでいた筈なんですが……どうやら、逃げられてしまったようです」
「そうですか……」
「……逃げる?」
凡そ想像できない単語が聞こえてきて、カトルたちと一緒に首を傾げる。
それに、タハムは苦笑いで頷いた。……残念ながら聞き間違いではないらしい。
「そうなんです。我らが長は面倒ごとの気配を察知すると逃げてしまうのです」
「……面倒ごと……まあ、そうか」
いきなりこの人数での来訪なんだから、そう思われても仕方ない。
しかし堂々と言い放つ辺り、このおっさんも中々強か。
どこかの老執事のような風格だが、事務員などではなく、彼も迷宮学徒の――狂気を孕んだ連中の一員なんだろう。
「それで、どのようなご用件でしょう?」
「あ、はい。【迷宮病】について相談をしたくて……」
「ほう、【迷宮病】。となると……」
彼の視線が俺の方を向く。
まあ、わかるか。
俺は眼帯を外して左目を見せた。
「これについて、聞きたいことがありましてね」
「ほうほう! やはりあなたが噂の新人さんでしたか」
「知ってたんですか?」
まさかここでも知られているとは思わなかったが。
「あなたの想像以上に、あなたは有名なんですよ、ゼナウさん。……確か、その目の能力は……ふむ」
ふと、言葉を止めたタハムが、俺に近づいて耳打ちをしてきた。
「その目に、不自然な塊は見えますかな? 1mくらいの、こんな形の」
緩やかなアーチを描く手つきをされた。
……塊?
顔を上げて周囲を眺めると……いたわ。
本棚の隙間から、こっちを覗き込んでる塊がある。
なんだありゃ。
「います?」
引き続きこそっと尋ねられるので、頷きだけを返した。
「ではそこを指さしてください。スイレンさん」
「あ、わかりました」
「……?」
よくわからんが、言われた通りに塊を指さした。
瞬間、視界の端、スイレンの身体がブレて――。
「ぃぎゃあ!!」
塊に彼女の鞭が炸裂。
すんごい悲鳴を上げて、棚の隙間から転がり出てきた。
途端に右目の方にもその姿が映り、ローブと髭に包まれた丸っこい身体が現れた。
……なんだ、ありゃ。
「たたた……殺す気か!? この老体に鞭打つとは何を考えとる!」
がばっと顔を上げたのは、くすんだ白髪の髪と髭に埋もれた老人。
少し弛んだ瞼に殆ど隠れていた目がぐわっと開かれ、唾を飛ばしながら叫んでいる。
スイレンの鞭に打たれた割には元気そうだ。
骨の数本は折れてそうな一撃だったが……流石は探索者、見た目以上に頑丈なのだろう。
そして周りも慣れているのか、周囲の学徒たちが駆け寄ってくる様子もない。
唯一、タハムがその横に立つと、むんずと掴んで小柄な身体を無理やり立たせた。
「なら逃げないでください。支部の方々ならともかく、スイレンさんですよ? お世話になっているではないですか」
「だってこの嬢ちゃん、こわいんじゃもん。今のも浅層の奴なら死ぬぞ」
「そっ、そんなことないですよ……手加減しましたよ、ね?」
「そうです。この迷書殿の本が無事なのも彼女のおかげなんですからね」
「……そうなの?」
横で黙っていたイラン君に聞くと、頷きが返ってきた。
「紙を喰いに来る虫を殺す薬を卸してるんです。ここは古い本が多いので、虫害が酷いそうですね」
「なるほど」
毒と薬を作る調薬クランだが、彼らは毒の方の顧客らしい。
つまりはこのスイレンの客ってわけだ。……怖いと思うのは、よくわかるよ。
うんうん頷いていると、スイレンの視線が飛んできたので慌てて視線を逸らした。
ちなみにカトルは俺の服の裾を掴みながら縮こまっている。
ただ、視線は興味深そうに周囲を彷徨わせてる。
一方、立たされた爺さんはまだ納得してないのかぶすっと口を歪ませる。
「でものぉ」
「でも、じゃありません。爺の甘えた仕草は見苦しいですよ」
「けっ、生意気に育ったもんじゃわい」
「師の教えが良かったんでしょう」
笑顔でそう告げるタハムさん。
この人、いい性格してるなあ……。
それでようやく諦めたのか、爺さんは息を吐いてこちらを――俺を見た。
「……まあいい。お前ついて来い。他の者はここで待っておれ」
「……俺?」
「お前が聞きに来たんだろう。いいから来い」
そのままのっそのっそと歩いていった。
「あれ、大丈夫なのか……?」
眼帯をつけなおしながら独り言つと、聞かれていたらしくタハムさんが肩に手を置いてきた。
「……一見、頼りなさげに見えますが、あの方は未だに単独で迷宮に潜られているんですよ。昨日までは、20層に」
「はい?」
それって、俺たちがいた時ってことか?
あんな塊がいたら流石に気付くと思うが……。
タハムさんがふっと微笑む。
「我らの隠遁術は、それなりに優秀ということです。そして、あなたはあなたが思っているより、有名なんですよ」
「……」
「さ、他の方々はこちらに。お茶をお出ししましょう」
そう言ってタハムはカトルたちを連れ歩いて行ってしまった。
有名、ねえ……。
全然意味合いの変わるその言葉に寒気を覚えながら、俺は1人シュクガル老へとついていくのだった。
入口の反対側にある最奥へと向かうと、そこだけは本棚が存在せず、金の装飾美しい壁掛けが掛けられている。
代わりにその手前には立派な執務机があり――極一部を除いて本が堆く積まれている。
まるで小山だ。
その僅かな隙間にシュクガル老が腰かけた。というかすっぽりと収まった。
そこが彼の定位置らしく、その様はまるで本の玉座である。
「――さて」
長い髭をもしゃもしゃと撫でながら、爺さんが口を開いた。
「要件は聞いておった。【迷宮病】の進化……随分と興味深い話をするのう」
現れ方は最悪だったが、どうもその印象通りの愉快な老人ではなさそうだ。
得体が知れないが……こうして話を聞いてくれるのなら聞かねばならない。
腰を折りながら、ここに来た目的である質問を告げた。
「シュクガル老……あなたは何か知りませんか? 昔にそんなことがあった探索者がいた、とか」
「どうじゃったかのう……」
だが、いかにも知ってますって様子の爺さんは首を傾げてそう言った。
なんだよ、拍子抜けか?
そう思って爺さんを見ると、こちらへとチラチラ視線を向けては、再び首を傾げる。
「うーむ。あと少しで思い出せそうなんじゃがのう……」
「……」
……この爺、強請ってんのか。
まあ流石にタダで教えてもらおうとは思わないが……タハムさんといい強かな爺さんだ。
だが、こんな態度をとるってことは何か知ってるってことだ。
なら無駄な駆け引きはしない方がいいだろう。
「……何をすればいい?」
溜息とともにそう言うと、爺の顔がにんまりと変わった。
「なんじゃ、手を貸してくれるのか? そうしたら、どうするかのお……おお」
ぽん、と手を叩いて、老人は笑った。
決まってるだろうに。いちいち演技が鬱陶しい爺さんだ。
「お主の目を使って調べて貰いたいことがあるんじゃよ」
「はあ……」
「ほれ」
シュクガル老が手を叩くと、若手の学徒たちがあるものを運んできた。
移動式の台に乗せられたそれは、幾つかの硝子の瓶。
その1つを手に取ると、こちらへと手渡してきた。
「これは?」
「よくわからん。我らが迷宮の調査をしている際に時折見つかるものじゃ」
「……?」
手のひら大の大きさの瓶の中には、赤い宝石のような結晶が1つ入っている。
ただの石のように見えるが……。これが一体何なんだ?
「我らは単独、あるいは少数で迷宮へと潜り、そこにある痕跡を調査する」
「痕跡……? 染獣の?」
「違う。文明の、じゃ」
「はあ?」
文明? 迷宮に?
確かに彼らは迷宮の調査を行うと知ってはいたが……考古学者みたいなことをしてるってのか? 迷宮で?
「儂は、迷宮各層にはかつて我らと同じ文明があったのではないかと考えておる」
「そりゃまた、凄いことを考えるな。何か見つかったのか?」
「いんや、何も。浅層の水洞窟の水底とか、水没都市とかありそうな気もしたんじゃがのう……」
「潜ったのかよ……」
いくら浅層でも、水の中は鱗魚鬼の領域。
今の俺らが潜っても死ぬ危険の方が高い気がするんだが。
流石単身で迷宮に引き籠るような連中だ。何か生存術でもあるんだろう。
「ただ、その中でこいつらが見つかっての。これは、迷宮のどの階層でも稀に落ちておる。これが何か鍵を握ってる気がするんじゃがなあ……どうやってこれが落ちるのかはわかっておらんのじゃよ」
他の小瓶を見ても、同じようなモノが入っている。
あらゆる階層で見つかり、形状も一緒。……確かに気になる。
「外してみてみろ」
「……」
言われた通り眼帯を外して見れば……なるほどね。
「それをお前に探してもらおうと思っての。お前の目なら、見分けはつくじゃろ」
「ああ……見ればわかるから、探索の途中で見つけたら拾って、どこで見つけたか教えればいいのか?」
「うむ。十分じゃ。……しかし、断言するとは。明らかにこれは他とは違うか?」
「違うね。まるで違う」
赤く透き通った、八面体に近い構造物。
たまにこんな感じの宝石が出てくることがあるが、どうもそれとも違う。
何故なら、ちょっと眩しいくらいに光を放っている。
「これがあったら覚えてる……筈だ」
「ふむ。やはり普通の場所にはないのかのう。まあ、探してみておくれ。見つけたら、どこで、どのようにして見つけたのか……纏めて報告を頼む」
「それくらいなら、まあ……」
案外簡単なお願いだった。
といっても見たことも聞いたこともない代物だが……。
「さて。次は儂の番じゃな」
彼が手を振るうと、積まれた本の幾つかが浮かび上がって、彼の目の前で滞空し始めた。
それらは触れてもいないのに開き、彼にその内容を開示する。
あれも魔法の1種なのか。とんでもなく器用なことをしている。
それらは装丁も碌にされていないボロボロで、随分と古い――いや、使い古された様に見える。
それを眺めながら、彼はしわがれた声で話し始める。
「【迷宮病】の進化。その現象は極僅かじゃが観測されておる」
「……!! 本当か」
「まあー正確には進化というか、変化というべきか……」
「?」
本を浮かせたまま腕を組むという器用なことをしながら、彼は続ける。
数十年前に見つかった迷宮の動乱期を生き抜いた生き字引とも言うべき彼は、一体何を語るのか。
「迷宮が見つかり、その探索を始めた過去の時代では、今よりも迷宮病となるものが多かったんじゃ」
「そうなのか?」
「ああ。なにせバンバン人が死んだ時代じゃ。欠損再生による染痕持ちなぞ大量にいたわ」
恐らく【迷宮病】の発生率は変わっていない。
ただ、数が極端に多かった、ということなのだろう。
今と違って装備も整わず、回復薬や魔法といった治療の整備もされていない時代。
……想像すらしたくない、悲惨な状況が広がっていたんだろう。
「そして、その中には【迷宮病】が凶悪になるものが極僅かにいた。お前らの言う進化とは、そのことじゃろう」
「……」
能力が強化されたことでスイレンは進化と名付けたが、正直その表現には違和感がある。
何故なら俺には実感がある。
――この身体を、喰われていると。
それは、どう考えても進化とは違うだろ。
そしてそれを肯定するように、シュクガル老は告げる。
「そいつらの共通点はただ1つじゃ。更なる欠損によって、染痕が広がった者たち――要は、より身体が化け物に近づいた連中じゃな」
「……」
「お前の【迷宮病】が進化したというのなら、そういうことじゃないかと儂は思うが、心当たりは?」
「……ある」
それはもう、嫌という程味わった。
何なら意識も失ってるし、夢にまで――俺の意識にまで浸食している。
進化。それは俺じゃなくて、この左目のナニカの進化を指すのなら、最適な言葉なのかもしれない。
俺の返答に、爺さんは当然というように頷いた。
「じゃ、そういうことじゃろ」
「……そいつらの、その後は?」
「大抵はその後の戦いの中で倒れていったわ。例外がいるとすれば……2人。戦いの中で染痕が急激に広がり、全身が呑まれた者たちがおったと聞く――が」
問いには、嘆息とともに首を横に振った。
ああ、やっぱり。
「討伐された。仲間たちによっての」
「……そういうことか」
浸食される違和感と、能力が増えた瞬間に奴の記憶が流れ込んできた時にその予感はあった。
つまりは。
この目を使いすぎれば、俺は染獣へとなり果てる。
そして、そんなヤバい代物を湖畔の国は生み出している。
……そういうことなのだろう。
「気をつけろよ、その力は便利かもしれんが、使い過ぎはお前に最悪の未来をもたらすじゃろう」
俺の左目を指さし、彼はそう告げるのだった。




