第75話 その後と準備③
一方、彼らのリーダーであるルトフは王宮の中にいた。
鉄靴が沈み込むほどの分厚い敷物は柔らかで細かな装飾が美しい。
視界を埋め尽くす調度品は、それ1つで新人騎士の年俸が賄える高級品。
昨日まで岩と怪物だらけの迷宮にいたのだから、あまりの格差に眩暈を覚える。
それでも笑みを絶やさないルトフの前には、柔らかな長椅子に腰かける、長い黒髪の美丈夫が1人。
なみなみ注いだ葡萄酒片手に暗い顔をしたその男は、この国の第一王子であり、騎士団をまとめる将軍――バクシムであった。
「……自分が何故呼ばれたか、理解しているな? ルトフ」
「ええ、勿論です。昨日までの迷宮探索の件でしょう?」
あっさりと、笑みでそう言い放つルトフに、バクシムは大きく息を吐き出した。
「なら、少しは申し訳なさそうにしたらどうだ?」
「……はて。そんなことをする理由はなかったと思いますけれど」
団長であるサーディックに報告をしたのが昨日の夜。
そして今朝、王宮からの使者の来訪で目を覚ましたのだ。
予定通りではあるが、想定よりも大分早い反応であった。
余程焦っているらしい、とルトフは目の前の王子を見つめる。
「……シュンメル家の女と20層に挑み、その手助けをしただろう」
……弟の妻になる筈だった女性の、名すら呼ばない、か。
そこに色んな感情が含まれていることを感じ取りながら、ルトフは頷いた。
「ええ。最短での攻略を目指した結果、利害が一致したので一緒に討伐しました。いやあ、まさか3日で『踏み鳴らし』を攻略するとは。流石に堪えましたよ」
はっはっはっ、とルトフは笑うが、返ってはこない。
代わりに来たのは、底から響くような言葉と睨みであった。
「……そんな戯言が通じると本気で思っているのか?」
「というと?」
「あの反逆者の手助けをするなど……一体何を考えている。まさか、お前もこの国を転覆させるつもりなのか? そのつもりなら――」
周囲から気配が漏れる。
迂闊な返答をすれば、即座に捕縛するつもりだろうか。
悟られる時点でかなりの間抜けだが……まあ、流石にわざと漏らしたのだろう。
「……ふっ」
程度の低い脅しだと、ルトフは笑う。
「何がおかしい?」
「いやあ、どうにもおかしいですよ。だって僕らはあなたの命令通りに迷宮攻略を急いだだけなんですから」
「……」
「彼女に先を越されたら困るのでしょう? だが、現時点で我ら騎士団は20層を超えた深奥層の探索には乗り出していない。『あれより先は、物好きな命知らずが進む道』……は、あなたの言葉でしたよね?」
以前は騎士たちも自身で深奥層の探索をしていたという。
だが被害者が続出したために、『騎士の本分は探索にあらず』と騎士による迷宮探索は禁止された。
騎士団が探索者を迎え入れる様になったのはそれからだとも。
だから、ルトフが駆り出されたのは本当に非常事態なのだ。
「探索者ではなく僕ら騎士を送り出した時点で、20層の主討伐が必須なのはご存知の筈。となるとおかしいですね。最速で深奥層に辿り着くなら、彼女とともに主に挑むしかない。……違いますか?」
「それは……」
――次の主を待てばいい、なんて言ってくれるなよ?
鋭く見つめるルトフの期待を裏切ることなく、第一王子はかぶりを振った。
「……何故探索者は、例の染獣を見つけられないのだ? 本当に、実在しているのか?」
おっと、別の弱音が飛び出してきた。
まあ実際、それはルトフとしても疑問であった。
『大海の染獣』。
あれから色々と調べてはみたが、碌な情報が出てこなかったのだ。
そもそも第二王子が見つけたという過去の資料すらルトフには見つけられなかった。
恐らくは、個人の調査資料から見つけたのだろう。世界には個人で迷宮に潜って調査を行う狂気の物好きたちがいると聞く。名は確か……『迷宮学徒』。
情報源が彼らの資料だったなら当然複製はないだろう。
その情報を持っているのは消えたルシドと、その仲間だけ。
……アンジェリカ嬢ならば、その在処を知っているのかもしれないな。
「実在はしているのでしょう? ルシド王子様を信じるのなら、ですが」
「……ルシド」
第二王子の名前を聞いて、ふとバクシムが顔を上げた。
定まらない瞳孔。唇は震えていて、いつもの覇気に満ちた王子の姿はそこにない。
まるで感情の消え去った、その虚ろな表情に、ルトフも思わず目を見開いて驚いた。
「ああ、すまない。ルシド。お前の言葉を疑うつもりなんてない。お前は、傑物だった。我らと比べて、余程……。だから、あいつもあんなことを――」
そこで言葉を区切り、片手の葡萄酒のことを思い出したように、一息に飲み干した。
むせ返る酒の匂いが部屋に満ちている。
ルトフが来る前から、浴びる程に酒を飲んでいるのだろう。
だが王族の身体はそうやわじゃない。いくら飲もうとも意識は明確で、身体がふらつくことすらないそうだ。
故に彼ら王族は、酒で我を忘れることが許されない。
湧きあがる感情も、圧し掛かる責任も。
王族の責務は決して酒精に溶けず、四六時中向き合わなければならないのだ。
それでも縋る様に酒を飲み干した王子は、空になった杯を眺め呟く。
「どうして死んでしまったんだ。お前が、お前さえ生きていれば、俺は……」
――ああ、やはり、あなたはそういうお方なのですね。
騎士団に入るまでは、目の前の男はルトフにとって憧れの人だった。
まさか、こんなに心の弱い人だとは。
外から見ているだけではわからないものである。
……入団前に模擬戦でもしてればなあ。そうしたら身の振り方は変わっていただろう。
やっぱり、人となりを知るには戦うのが一番だ。
失望と、少しの憐れみを抱きながら、ルトフは用意された筋書き通りの言葉を口にすることを決めた。
「……そうすれば、あなたは最後まで将軍でいられたでしょう。それは、とても気楽なことだったでしょうね」
「……何?」
周囲の殺気が増した。
彼らの主を貶したのだ。当然と言えば当然だが……。
それでもルトフは構わずに虚ろな目を見つめる。
「あなたには野心がない。この国の玉座になど興味はないのでしょう? だから、何の成果にもならない『穴掘り』なんて続けている」
このバクシムの命令の下、この都市に常駐する騎士は周囲の荒地に穴を掘らされている。
地下に眠る水源が見つかると信じて。
「皆気付いていますよ。あの作業には何の意味もないと。あなたがただ『何かをしている』という建前のための作業だと」
「……そんな、ことは……」
「いいのです取り繕う必要はありません。……ここには、僕とあなたしかいないのですから」
右手を上げて、指を振るう。
途端に周囲の気配が音もなく消えた。
忍び込ませていた部下たちが、王子の護衛を昏倒させたのだ。
目の前の王子に悟られぬ様、遮音の魔法はほんの一瞬。
そのわずかな合間なら、例え王子相手だろうと気づかせない自信がルトフにはあった。
それでもこの国の王子たちはれっきとした探索者。その実力は本物だ。
戦えば、ルトフでさえ勝てるかはわからない。やったらどっちが勝つんだろうか……ああ、戦いたいなあ。
――っと、今は我慢我慢。
手に力が籠るのを咄嗟に抑える。
悟られる可能性を潰すためにも、そのまま上げた右手を王子の肩へと置いた。
ハッと上がった視線を合わせ、微笑む。
「あなたはこの国の第一王子に相応しいお方だ。ただ……少し、臆病なだけ。このまま、何か奇跡が起きて水源が元通りになる、なんて甘いことを信じてもいないし、第三王子の怪しい動きにもお気付きなのでしょう?」
声色を優しく変えて、囁くようにそう告げると、彼は大きく息を吐き出す。
「……湖畔の国と手を組むなど、愚かなことだ。我が国のあらゆる迷宮資源全てが吸い上げられて、衰退するだろう」
「なら何故、何もしないのです?」
「そんなことをすればどうなる!? 内乱だ。……他国の侵略の危険性がある今この時に? それこそ愚かなことだろう……」
――へえ。結構、ちゃんと考えてるんだ。
アンジェリカ嬢は『愚かで愚鈍』とまあ散々な評価であったが、案外そうでもなさそうだ。
――それでこそ、やりやすい。
ルトフはにぃ、と笑みを深めると、項垂れる王子の耳元に近づく。
「……そんな王子に、提案があります」
「……なんだ? ただの騎士が、俺に何の提案をすると?」
「正確には僕ではなく、件のご令嬢からですよ。『あなたがもし現状を憂いているのなら、私たちは協力できる、と』」
「……見せてみろ」
アンジェリカ嬢から託された手紙を渡すと、すぐに広げて目を通し始める。
「……!!」
直ぐにその目がぐわりと広げられ、こちらを睨んだのも一瞬、すぐに視線は書類へと戻された。
破り捨てられなくて一安心。一先ず、最初の難関を突破したらしい。
――僕の仕事は終わったよ。後は任せたよ……アンジェリカ嬢。
バレないように息を吐き出してから、ルトフは心からの笑みを浮かべたのだった。
***
「……ううーん」
薄暗い部屋の中、1点の強烈な光に晒されている。
左目だけの黒い視界に、こちらを覗き込む姿が1つ。
「……どうだ?」
「と、特別何か変化があるわけでは、なさそうです」
悩まし気な声でそう告げるのは、毒の魔女スイレン。
予定通り、彼女に左目を診て貰っているのだが……特に変化は起きていないらしい。
「染痕が広がったり、模様が変わったりしてるもんかと思ったが……」
「変化はありませんね……」
「うん、私から見ても特に変わってないと思う」
「そうですね……」
そして何故かカトルにイラン君まで一緒になって覗き込んでいる。
見世物じゃないんだが……。
だが、そうか。変化は何もないか。
「……むう」
思えば目覚めてから今までは何の変化も違和感もない。
すっかり大人しくなってしまった左目に触れるが、当然何の反応もない。
試しに潜ってもみたが、変化は起きなかった。
ちなみに目は光ったらしい。
カトル曰く『金色に、火でもついてるみたいで……』とのことらしい。
バケモンじゃねえか。
……いや、実際化け物なんだろう。なにせ染獣の目を埋め込んでいるかもしれないんだから。
とはいえ確証があるわけではなく、埋め込まれたのはこの国じゃなくて湖畔の国なので、このことは誰にも言うわけにもいかなかった。
例えスイレンがそういうこととは無縁に見えても……黙っておくのが良いだろう。
今はただ、何の変化もないことに安心しておこう。
「し、しかし、【迷宮病】の進化、ですか。それはとても興味深い……」
「進化なのかは知らないが……お前の知ってる、他の迷宮病持ちにそういったことはなかったのか?」
問いかけには、首を横に振った。
「ありませんでした。そんな事例、文献でも読んだことは……あっ」
ふと声を上げると、スイレンはばたばたと走って部屋を出て行ってしまった。
「なんだ……?」
「多分、自室に調べものに行ったんでしょう。しばらくしたら戻ってきますよ」
イラン君がそう言うので、起き上がって施術台から降りた。
あの様子じゃどれくらいかかるのやら……まあ丁度いい。
もう一つの用事を済ませよう。
「イラン君、ちょっといいか?」
「はい? なんでしょうか」
「ウィックたちとこいつを……カトルを引き合わせたいんだが、時間あるかな」
「カトルさんを、ですか? それはまたどうして……」
事情を――カトルが絶賛人見知り克服中であることを告げると、カトルからは「ちょっと!」と睨まれた。
だって、他にどう説明しろと……。正直に言った方がいいだろ、多分。
そして当のイラン君は「はあ?」と呆れ顔。
「ウィックたちの面倒を見させられた上に、人見知りの解消? ……僕、便利屋じゃないんですけど……」
不満げにこう言っているが、彼がいない時にスイレンから、「ウィックたちとの探索を楽しみにしている」と聞いている。
つまりこれは照れ隠しなのだろう。実に微笑ましい。
が、うっかり口角を上げたら睨まれたので、慌てて表情を抑える。
「そこをなんとか、頼むよ」
「あの……よろしくお願いします!」
カトルが勢いよく頭を下げると、今度は驚いた様に目を見開いて、何故か俺を見た。
「……ゼナウさん。これがあのカトルさんなんですか?」
「あの、の意味は分からんが、そうだな」
「……人は、見かけによらないんですね……アイリスさんもそうですが」
「あー」
あいつも細いのに化け物みたいな脚力持ってるからなあ。
ジンは風で騎獣に追いついたが、あいつは魔法の補助すら不要だろう。
カトルやアンジェリカ嬢といい、【迷素遺伝】持ちは見た目じゃ判別がつかないから恐ろしい。
……今度やって来る第三王子の配下たちもそうだろう。
これからは近づいてくる探索者は全て警戒する必要がある。そういう意味でも、俺はこの目を完璧に使いこなせるようになっておかなきゃならない。
頭を下げ続けているカトルを見て、イラン君は小さく息を吐き出した。
「……わかりました。明日、皆で訓練予定なので、そこで紹介しますか?」
「あ、ありがとう!」
「……いえ、ゼナウさんにはお世話になってますから。それに……クトゥがあなたの大ファンなんですよ。会いたがっていたので、丁度いいです」
「え? そ、そうなの……? えへへ……ど、どうしよう、ゼナウ。ファンだって……」
途端に気持ち悪い笑みを浮かべだした。
カイといい、美人の引き攣り笑いって、なんか、凄いな……。
「……本当に、見かけによらないんですね」
「そうだね……」
クトゥ君の幻想を打ち壊さないように、後で表情の特訓しような。
「――それで、そっちの探索は順調か?」
「はい。明日から4層に挑みます。僕も初めての階層ですから、緊張しますよ。……あ、でも」
「ん?」
「1人仲間が増えたんですよ。おかげで5層までは問題なく進みそうです」
「へえ……」
傭兵でも入れたのか? まあ浅層ならまだパーティーを組んでない単独探索者もそれなりにいるだろうから、相性が良い相手でもいたのだろう。
彼らも順調に成長中らしい。いいことだ。
「それってどんな――」
「――ゼナウさん」
ふと、部屋に走り込んできたスイレンが声をかけてきた。
思ったより早めに戻ってきたな。
「なんだ?」
「そ、その――【迷宮病】の進化ですが、もしかしたら詳しい人が、いるかもしれません」
「へえ?」
それは嬉しい報告だ。
一体どんな人物なのだろう。
「それは誰なんだ?」
「迷宮学徒の方なら、あるいは……」
「……迷宮学徒?」
聞き覚えのない言葉に首を傾げる。
聞いたことがあるような、ないような……。
「はい。単独や、少人数で迷宮に潜り……迷宮の謎を、解明しようとする方々です。そ、その長であるシュクガル老様は迷宮の歴史とともに生きられた方です。あのお方なら、きっと……」
どうやらまた、不思議な人間と邂逅することになるらしい。
今度の出会いは、一体何をもたらすことになるのやら。




