第74話 その後と準備②
そして遅めの朝食を終えた俺は、武装した状態で中庭に立たされていた。
目の前では、カイ君が準備運動をしていて、周囲にはアンジェリカ嬢をはじめ、屋敷の面々が歓談している。
……なんで?
「なんで俺が、あんたと模擬戦をするんだ……?」
「俺がお願いしたんです。ゼナウさんと戦いたいって」
とんとんと、真っ直ぐ飛び跳ねながらカイが言った。
何その動き。
「……それ、準備運動?」
「ええ。気分を落ち着かせるのにいいんです」
「はあ……」
なに勝手に気分を落ち着かせてんの?
こっちは乱されまくってるんですけど?
「で? なんでいきなり試合を?」
睨みつけた問いになんにも表情も変えず、奴は口を開く。
「……俺、強いんです」
「はあ?」
いきなり自慢が始まった。
何を言い出すんだこの青年騎士は。
「だから騎士団で相手になる人が殆どいなくて。ずっと訓練相手を探してるんです。迷宮探索に志願したのもそのためでした」
「はあ……」
「だから――」
すっと、透き通る黒赤の瞳が俺を見据えた。
「ルトフさんが認めたゼナウさんなら、いけるかなって」
「……お前、自由な奴ってよく言われるだろ」
「ええ。先輩騎士たちに散々言われました」
「……だよな。はあ……」
いや、確かにこいつはほとんど共闘してない俺でも分かるくらい強かった。
その上俺らのパーティーで一番の若手だったとも聞く。
故に血気盛んなのかもしれないが……。
「事情はわかった。だがなんで今日来るんだよ。主討伐の翌日だぞ。せめてもう少し休ませろよ」
「でも、アンジェリカ様が今日なら良いって……」
「ああ?」
「――明日からは忙しいから、やるなら今日……とは言ったわ」
いつの間にか傍までやってきていたアンジェリカ嬢がそう言った。
だからって試合していいわけじゃねえだろうが……。
睨んでいると、耳元で何やら囁いてくる。
「放っておいたらルトフがジンとやることになってたのよ。上手く後回しにしたつもりだったんだけど……まさか本当に来るとはね。だから、我慢して」
「……そういうことかよ」
結局戦ってないもんな、あの2人……。
ジンはジンで好戦的だしな。ほっといたら勝手に戦ってそうだ。
俺はアンジェリカ嬢に体のいい囮にされたわけだ。
「……埋め合わせはしろよ」
「わかってるわよ。期待しておきなさい」
よし、言質は取れた。
ならちょっとだけ頑張りますか。
一応、左目の調子も調べたいしな。……本当に、一応だがな!
「1回やったら帰れよ」
「わかってます。でも良かったら、またお願いしたいんですけど」
「……忙しくなかったらな」
上から目線なのが腹が立つ。ただ実際強いんだろうな……。
それに悔しいが、俺も対人戦の経験は積んでおきたい。
特に、これから上級探索者との戦いが待っているかもしれない、今この時は。
深呼吸をしながら、眼帯を外した。
途端に、彼の鎧と剣に光が浮かび上がる。
……目は問題なく機能してそうだ。痛みも、おかしなところもない。
短剣を引き抜いた俺に、カイが頷いた。
「じゃあ、いきますよ」
「ああ――来い!」
叫んだその直後。
カイが踏み込みと同時に、凄まじい速度の剣撃を放ってきた。
「……っ!!」
短剣でそれを受け流しつつ、横へと流れる。
その勢いで切りつけようとするも、鎧であっさりと防がれてしまった。
ルトフの時と同じ。威力が足りていない。
――俺の装備は、基本的に染獣用だ。
毒撃ちと蔦撃ち。この2つは威力が必要以上に高く動きも大味で、人間みたいな小さい相手には小回りが利かない。
そうなるとこの肉薄した距離で使えるのは短剣に投げナイフだけ。途端に凡庸な装備になっちまう。
それでも極めれば戦えるんだろうが……残念ながら、俺の技はその域には達していない。ならどうするか。
現状使える手段は1つ――この左目だ。
岩山地帯で身に着けた道標を見る力を駆使すれば、それなり以上に戦えるだろう。
だが、それをこんな模擬戦で使うわけにはいかない。
今は素の状態で戦うしかない。
そのまましばらく撃ち合う。
奴の攻撃は嵐みたいな連撃。全部が速く、全部が重い。
ルトフに比べると粗さを感じるが、それでもとんでもなく強い。
「……っ!!」
重い剣戟をなんとか逸らして首元を狙うが、寸でで回避される。
「……速い」
「お前がな!」
……思ったより戦えている。
20層を経て身体が成長したのか、前のルトフ戦より身体が動く。
奴の力は強いが、剣を弾かれるほど力負けしちゃいない。
そして目も問題なく機能する。
変な気分だ。
昨日まで主討伐をしてたってのに身体が軽い。
思った通りに身体が動くんだ。
疲れがないってだけじゃない。思考した通り――想像の最適解を身体が実施してくれるみたいな……。
ともかく、こんなことは初めてだ。
その奇妙な高揚感のただなかにいると、ふとカイの呟きが聞こえてきた。
「……やっぱり」
「……?」
そう呟いたのと同時。
素早く飛び退いた彼の右手に、強い光が現れた。
「火よ――」
「ちっ……!!」
慌てて投げナイフを投擲するが、左手の剣で全て撃ち落とされる。
その間に詠唱は完成し――俺らを包むように火の壁が立ち上がった。
「なっ……!!」
「ちょっと、火はやめなさい!! 燃え移ったらどうするつもり!?」
外からアンジェリカ嬢の怒声が聞こえてくるが、当のカイは変わらず無表情のまま。
あれを無視できるとか、すげえ胆力だな……。
そのまま続けるのかと思ったが、彼は何故か剣を下すと、俺の傍に近づいてきた。
流石に効いたか?
「……ああ言ってるが?」
「すぐに止めますよ。それより……」
ほんの一瞬言葉を区切って。
カイははっきりと告げた。
「あなた……何者なんですか?」
「は?」
……何を言ってるんだ?
いきなり人を「何者か?」なんて……さっきまでゼナウさんって呼んでただろ。
突然乗り込んできたり、奇妙な体操始めたり……なんなんだこいつは! 自由人すぎる……!!
天才児ってのは頭の中まで理解不能なのか? そんなのに付き合わされるこっちの身にも――。
「――あ」
いや、待て。1つだけ、可能性がある。
すっかり忘れてたが、俺は、正確にはゼナウじゃない。
この名前は借り物で、ゼナウ君は別に実在していた。
もしかして、そのことか?
――ゼナウ君の知り合い、考えれば実在している筈だ。
こいつがその1人だって可能性は……十分にある。
「俺は、ゼナウだが……知ってるだろ?」
震えを何とか抑えての問いかけには、彼はあっさりと首を横に振った。
「ああ、違います。ゼナウさんには聞いていません」
「は? ……じゃあ、誰に?」
……違ったらしい。
一安心だが、じゃあ一体こいつは何を言ってるんだ?
困惑する俺を無表情に見つめるカイの指が――俺の顔を指さした。
……いや、違う。これは、俺の左目を指さしている?
「……お前……」
「俺、人より感覚が鋭いんです。五感もそうですけど……魔力とかにも敏感なんです。そのおかげで染獣の気配を他の人より早く探知できるんですよ。……それで」
俺の左目をじっと見つめて、彼は言う。
「あなたのその目から、ずっとその気配がするんです。……それ、何なんですか?」
「……そういうことか」
どうりで無理して試合を申し込んできたわけだ。
しかし、感覚が鋭いってだけで分かるもんなのか?
こいつもなんかの【迷素遺伝】持ちだったりするのかね……。
だがおかげで、20層で得たもやもやにハッキリとした答えを得た気がする。
つまり……俺のこの目は、染獣の目を埋め込まれたってことだ。
『迷宮での欠損を再生する際に、何か別のモノが混じって再生してしまった。【迷宮病】とは、そういうものだと私は思います』
……スイレンのあの言葉。
もしその仮説が正しいなら、人体に染獣の一部を埋め込んで再生すれば……人工的に迷宮病を作れるようになる――。なんて、そんなことを考える輩がいてもおかしくはないだろう。
その『実験』の産物が、あの病院であり、俺なのだろうか。
左目を覆うように触れて、薄い瞼の拍動を感じる。
まるでそこに小さな生命があるような錯覚を覚えながら、思う。
……お前は、一体誰なんだ?
まあ、思っても言葉が通じる訳もなく。
俺は小さく息を吐き出して、返答を待つカイへと視線を向けた。
「俺も今、それを調べてるところだ」
「へえ……わかったことは?」
「……なんでそれをお前に教えなきゃならない?」
仮説は立ったが、それをこいつに話す義理はない。
てかさらっと話をしているが、こいつはなんなんだ?
ずかずかとここまで来て、試合までさせられて……何の狙いがあるのか。
だが次の瞬間にカイの姿が掻き消えて、俺の背後に立って、切っ先を突き付けてきた。
「……っ!!」
「地上に染獣を連れてくる……そんな大罪、騎士の俺が見逃すとでも?」
ぞっとする声で彼はそう告げた。
咄嗟に飛び退いて短剣を構えるが、向こうは追ってくることなく両手を開いて肩を竦めた。
「……というのは冗談です」
「……」
「そんな驚いた顔しなくても……くくっ……平気ですよ……ふっふっふっ……」
笑い方、こわぁ……。
口元を抑えながら、身体を屈めて笑う様は不気味である。
「……ふう、少し笑いすぎました」
「少し……? まあいい。んで、お前結局何しに来たんだ?」
「ああ、それなんですけど」
本人は至極真面目に、剣を鞘に納め、腕を組んで喋り始めた。
……最早訓練という体すら放棄し始めやがったこいつ。
「実は、俺の知り合いにゼナウさんと同じ人がいるんです」
「……何?」
だが打ち明けてきた内容は、それに値する位には重要な物であった。
目の横をとんとんと叩きながら、彼は言う。
「その人は探索者で、今のゼナウさんと同じくらいの、上級になったばかりという人でした。ただ、ある時から急に人が変わったみたいになって、姿すら見せなくなって……今は消息不明です」
「死んだってことか?」
困惑しながらも訊ねると、首を横に振る。
「それもわかりません。……ただ、失踪前に1度だけ、顔を見れたんです。……その時、彼の周辺からあなたと同じ気配がしました」
「……」
「その時はすぐに逃げられてしまって。以来会えていません。だから、あなたに聞けば分かるかと、そう思いました」
「……なるほどね」
思い当たる節はある。
アンジェリカ嬢が言っていた、第三王子による身分の買取だろう。
だがそいつが俺と同じとなるとまた話は変わる。
……もしかして、第三王子の配下にも人造【迷宮病】持ちがいるってのか?
これから来るという配下にも……。
いかん、俺が気軽に喋っていい領域をとっくに超えている。
いくらこいつが個人で動いてると言っても、結局は騎士団所属。
なら、尚更話せる情報は少ない。ってか、ない。
それにもし第三王子について教えたら、そこから辿られて俺の正体に気づかれる可能性もある。
ここまで来て犯罪者認定なんて御免だ。
だから、あくまでゼナウ個人として答えるしかないだろう。
「悪いがさっき言った様に、俺も今調べているところだ。……これが、一体何なのかは」
「……そうですか。残念です」
「わかったら教えてやるよ。……教えて良いことだったら、だけどな」
今言えるのはこれだけだ。
てか、結局ルトフたちとの関係ってどうなったんだ?
その辺もわからん……あらゆる意味で、今日やるべきじゃなかっただろ、この試合……いや、だから今日なのか?
俺が迂闊に喋らないように……。
っと、周囲の炎が揺らぎ始めた。間もなく壁が途切れるだろう。
「そろそろ時間切れだ。続けるか?」
問いかけに、彼は頷いた。
「勿論。この話を抜きにしても、あなたと戦ってみたかったですから」
「戦闘狂め……」
「不思議と、それもよく言われます。そっちは俺じゃないんですけどね……火を消すと同時に行きますよ」
「おう」
結局、そのまま試合を続けることになった。
当然ながら俺は負けたが、左目は問題なく機能したし、前のルトフ戦よりは善戦できただろう。
カイも満足したのか「また来ます」と無表情のまま帰っていった。
「何だったんだ……」
「……炎の中で何を話してたの、ゼナウ?」
疲れ果てて座り込んでいたら、アンジェリカ嬢がそう聞いてきた。
そう言えば、アンジェリカ嬢にも色々と伝えておかないとな。
「目について聞かれたよ。どうも、この目は染獣の肉体を埋め込んで作られたらしい。あいつは、染獣の気配に敏感なんだと」
「……」
「……ひょっとして知ってたか?」
やけに反応が薄いので聞いてみると、首を横に振った。
「いえ、もしかしたら……とは思っていたけれどね。それで? まさか正義感のために来たわけじゃないでしょう?」
「ああ。あいつの知り合い……ありゃ恩人かな。そいつが俺と同じ気配をさせてたんだと。多分、第三王子の身分偽装の被害者だな」
「……そう。やはり、来るのは普通の探索者じゃ、なさそうね」
そういうことらしい。
全くもって嫌になる。
「この後スイレンの所に行って、所感を聞いてくるよ。ついでに、対人装備についてもな」
「……そうね。備えは必要でしょう。ニーナにも声をかけておくから」
「よろしく頼む」
いきなり厄介ごとから始まった準備期間。
残り9日で、主討伐も探索者対策もしなきゃならないってんだから……忙しくなりそうである。
***
それからしばらく後。金蹄騎士団宿舎にて。
外出したカイの帰りを、馬に乗ったクリムが出迎えた。
「おかえりなさい、カイ」
「はい。ただいま戻りました」
「どうだった? 彼との試合は」
クリムとしても気になっていた、この国初の民間上がりの探索者。
だというのにもう20層の攻略パーティーにいるという、前代未聞の怪物だ。
何よりあのルトフが一度戦って認めているというのが、金蹄騎士団としては驚くべき事実である。
クリムの問いに、カイはぼおっと空を見た。
「不思議な感覚でした。動きを見透かされていたような……」
「へえ、普段は君が見透かす側なのにねえ」
彼の超人的感覚のことは、クリムたちはよく知っている。
「はい。とっても不思議な体験でした。……いい話も聞けましたし」
「へえ? どんな?」
「秘密です。俺と彼の……くくっ……ふっふっふっ」
「……君、その笑い方外でしちゃだめだよ? 結構人気者なんだからさ……」
天才剣士の数少ない欠点に溜息を吐きながら、クリムは手を差し伸べた。
「ほら、さっさと行くわよ。ルトフさんが待ってる」
「はい」
カイを騎馬――地上の、普通の馬の後ろに乗せてから、馬を走らせる。
目指すはこの王都の中心部――王城だ。
――しかしこの作戦、本当に大丈夫なのかなあ。
先にそこにいるだろう我らがリーダーであるルトフのことを思い、クリムは重たい息を吐き出すのだった。




