第7話 白砂の国②
それから数日後。
俺は、白砂の国の首都ワハル――から2日程離れた場所にあるテスナという街にいた。
目が焼けそうになるほどの日差しが照りつける中、黄ばんだ石造りの建物の中で俺は……罠を作っていた。
「おうい、括り罠はできたか!?」
「――できてるよ! 棚に置いてあるから持ってけ!」
工房に顔を覗かせた髭面の男に叫ぶように返してから団扇で顔をあおぐ。
暑い。街の工房なんて場所に気の利いた冷房なんてないから定期的に水を被って暑さをしのぐ。
魔法で冷水を生み出す壺が置いてあるのが唯一の救いだ。
俺がいるのは主に森や河川で使う狩猟罠を作る工房。
そこで俺は狩人や漁師のための罠を必死こいて作り続けている。
……なんでだ? どうしてこうなった?
思い出すのは数日前のアンジェリカ嬢の笑み。
自身の執務室に呼びつけた彼女はこう言い放ったのだ。
『選抜試験の合格者はその身分、仕事、過去の家庭環境まで可能な限り調査がされるわ。過去に関しては私の方でやっておくからいいけど、それ以外はあなた自身が証明しなきゃダメ』
つまりは――
『選抜試験までの1月、あなたには白砂の国の人間と暮らしてもらう必要があるの。勿論その間に文化や言語のお勉強は継続ね?』
これも身分偽装の一環ということである。
『働く場所はテスナという街にある罠工房よ。あなたの実力なら即戦力でしょう。それにそこの店主とウチは懇意にさせてもらってるの。だから、心配しなくていいわ』
そう告げられた2日後には俺はこの街に連れてこられていた。
ちゃんと住居も用意され、工房主であるおやっさん始め、従業員からはまるで数年前から働いていたかのような親しみのある扱いを受けている。
どうも俺は数年前に不慮の事故で顔に大怪我を負い、以降長年入院していた奴という設定らしい。
10名に満たない従業員の内、前の『ゼナウ君』を知っている古参はおやっさんと女将さん、後は一番古株の職人であるダンさんの3人だけ。
彼らに歓迎された俺は見事『長い治療から生還したゼナウ君』となったのである。
今日なんか近所の知らねえおっちゃんに「生きてて良かったなあ!」って泣きながら肩叩かれたんだぞ。
……怖えよ、アンジェリカ嬢。アンタ本当に何者だよ……。
「ゼナウちゃん、これ差し入れ! あんたが好きな揚げ団子作っといたよ!」
「おっ、女将さん助かるよ! うめえんだよなあ……女将さんのお菓子」
「嬉しいこと言ってくれんねえ! あんた仕事速いから、助かってんのはこっちだよ。これはそのお礼さ。その調子でよろしくねー!」
まあ、そういう事情なので眼帯も外して、工房の一番外れの場所で作業をさせてもらっている。
元々罠づくりは迷宮でもやっていたから仕事はすぐに覚えた。
ベテランのダンさんが歓迎してくれているのは俺の作った罠を見てからだから、俺の腕も悪いもんじゃねえんだろう。
それにダンさんに教わって使える罠の種類が増えたから、俺としても悪いことばかりじゃない。
重労働なのは確かだが、久しぶりのまともな生活を楽しんでいる部分もあった。
「――ゼナウ、仕事だ。来てくれ」
「……はいよ」
ダンさんに呼ばれて工房の奥――地下へと向かう。
そこは一般向けの罠ではなく、迷宮向けの罠を作るもう1つの工房。
壁や作業机には迷宮から回収されてきた石やら牙やらの素材が沢山並べられている。
そう、アンジェリカ嬢が懇意にしているといったのはこちらの方の工房だ。
迷宮産の素材を使った、染獣用の罠づくり。
ここでは店主と古参のダンさんだけが作業を許されていたが、そこに俺も加わった。
「ダンさん、何をすれば?」
「感圧の貫き罠を作る。対象は猪、素材は牙か角だな。いいのを見繕ってくれ」
「猪……浅層だな? 上側だけ皮が硬いやつ。腹は柔らかいんだよな。そしたらそいつの牙で十分だろうから……こいつとかどうだ?」
対象が迷宮産の素材なら俺の目が役に立つ。
ダンさんはベテランの職人だが、迷宮に潜ったことはない。
だから知識も見識も俺の方が圧倒的に上なのだ。
「おう、助かるよ」
「いいって。俺も世話になってるからな」
「ああ。……なあゼナウ」
「ん? どうしたダンさん」
「……お前のその目は、事故か?」
不意にダンさんが訪ねてきたので、笑みを浮かべて首を横に振る。
だがそれ以上は何も言わない。
あんまり事情を話すと万が一俺が失敗した時にこの人たちを巻き込むことになる。
もしバレて捕まれば、どうやって俺が潜り込んだか徹底的に調べられるだろう。その時に彼らに迷惑はかけたくない。
世話になってるんだから、それくらいはしなきゃならない。
「……そうか。いや、すまん。立ち入ったことを聞いた」
「いや、俺の方こそすまない。……作業、戻るよ」
いい人たちなんだよなあ。
この人たちのためにもバレちゃいけない。……でも、バレなかったら俺はこの国で大犯罪を起こすことになる。
俺に出来るのは、例の染獣を横取りしたとしても、この国に大した影響がないことを祈るだけだ。
それを知るのはアンジェリカ嬢だけである。
「――上がります。お疲れ様でした!」
「おう、ゼナウ。明日もよろしくな!」
そうして仕事を終え、与えられた家へと戻る。
どこから見つけてきたのか、アンジェリカ嬢が用意したのは狭いが中庭まである一軒家。
しかも街の端の方、路地の奥にひっそりとある人目に付きにくい物件だ。
犯罪者の隠れ家にはぴったりだろう。
橙に揺らめく灯りの吊り下がった玄関を通ると、明るくいい匂いの漂う部屋に出迎えられる。
そして、奥から顔を覗かせる影が1つ。
「おかえりなさいませ、ゼナウ様」
「……ただいま、ミンナさん」
「本日もお勤めご苦労様でした。荷物、預かりますね」
そこには部屋着姿のミンナさんが待っていた。
そう、当然俺の1人暮らしなんてものは許される筈もなく、ここではミンナさんと共同生活をしている。
彼女と俺は兄妹で孤児、俺は工房、彼女はシュンメル家の家令として働き兄妹2人で生きている――という設定だ。
俺は選抜試験が行われる1月後までここで過ごし、民間から選ばれる最初の探索者となる。
「今日のお仕事はいかがでしたか? ご飯はできておりますからいつでも。お湯も用意していますから湯浴みも可能です。……お背中、お拭きいたしますよ?」
「……ご飯の用意だけ頼むよ。俺は庭で訓練してくる」
「あっ……いってらっしゃいませ!」
――それまでに彼女に篭絡されないように、気をつけなければならないのが面倒だが。
彼女が夜這いとかをしてくるとは思えないが、後ろにいるのがあの悪女だからなあ……。
これなら監獄島の方がよっぽど楽だった。早く迷宮に潜らせてくれ……。
「……よし、やるか」
気を取り直して、中庭に出て鍛錬を始める。
行うのは自重を利用した筋力トレーニングと後は短剣の素振り。
移動する船の中でレウさんに徹底的に叩き込まれた。
毎朝甲板で木剣を使った訓練で叩きのめされ、それから基礎的な型を教わったのだ。
元々リハビリ中に剣術は習っていたのだが、それでもボコボコにされるくらい彼女は強かった。
今のところアンジェリカ嬢に次いで恐ろしい女傑である。
ただ、彼女の教えは的確で、確実に成長している実感がある。
なので今もこうして毎日それを反芻している。
深層の染獣相手にこれが何の役に立つかは知らないが、俺にとっちゃありがたい。
なにせ俺の目的は染獣を狩った先――そいつらの装備で身を固めた人間を殺すことだ。
人を殺す技術を学べるのは実にラッキーだ。
それに、短剣を振ってる間は雑事を忘れられる。
『――逃げて!』
集中して視界が狭まった先。
そこに、いつもの幻影が現れる。
真っ黒に染まった剣を持って俺の家族を殺して回ったあいつの姿だ。
正直、あいつが何者なのかはわからない。
目をやられて穴埋めされた際に記憶が吹き飛んだのか、細かいことは思い出せないのだ。
覚えているのは奴が光を帯びた、けれど光を呑み込みそうな程に真っ黒な剣を持っていることと、爛々と輝くあの瞳だけだ。
そして、俺の頭はその僅かな記憶を決して忘れないためか、何度も何度もこの幻覚を見せてくる。
父が、母が、そして妹が。
剣に貫かれて殺されるのだ。
そして最後に俺の方へと振り向いて、その剣は俺の視界を塗りつぶす。
――お前は、どんな顔をしてるんだ?
その一撃を受け止め、そいつの顔を覗きこんでやろうと短剣を眼前に構えるが、所詮は幻覚。短剣を通り抜けて霧散してしまう。
この記憶をどうにかして取り戻さないと、あいつが誰かは思い出せないだろう。
それに例え幻影じゃなくても、今の俺の短剣では受け止めることすらできずに叩ききられるのがオチだ。
壊れない武器に、その上でそんな深層の装備を持っている手練れを殺せる技術が俺には要る。
……お前が誰かは知らないが、必ず見つけて殺してやる。
状況はどんどん理解不能な事態に進んでいる気がするが、俺のやることは変わらない。
1月後の探索者選抜試験に受かって、この国の探索者となる。
そして、目的の染獣を狩って、深層の装備とコネクションを手に入れるのだ。
「……ゼナウ様。そろそろお戻りください。ご飯が冷めてしまいますよ」
「ああ、すまない。……すぐに行くよ」
そのためにはおやっさんたちも、このミンナも、そしてあのアンジェリカ嬢までも利用して行かなきゃならない。
「あっ、そうだ。ご所望の図録が届いてましたので部屋に置いておきました。後で見ておいてくださいね?」
「ありがとう。いつもすまないな」
「いえ。あなたはこの国を救うお方になるのですから」
「……」
例え、その結果この国の人々に不幸が訪れるのだとしても。
俺はやり遂げなければならないのだ。