第62話 白砂の迷宮第19層/踏岩山③
それからは再び岩山地帯の旅を進めていき、19層へと到達した。
やはり敵が強くなっているせいで進行はゆっくりになったが、大きく停滞することはなかった。
それはアンジェリカ嬢の狙い通り、ジンは俺たちのパーティーにぴったりと嵌まったことがかなり大きい。
「蹴角羊が3体! もう捕捉されてるからすぐに来る! 奥には礫蜥蜴に墜公佗児もいる。羊との戦闘音で気づかれるぞ」
「じゃあその前に羊を仕留める……それでいい?」
「ああ。鉄塊、引き付け頼む。カトルは止まった先から魔法で縫い付けろ。あとは俺らでやる」
「うん!」
「師匠、1体受け持つよ!」
「任せた」
具体的には、今まで鉄塊だけができていた前衛――敵の引き受け役ができる。
それも、素早く動く染獣相手が抜群に上手いから、一度に相手できる染獣の数が増えたのだ。
「オオ――!!」
咆哮を上げた鉄塊めがけて、巨大な羊が1体突貫してきた。
蹴角羊は体長2mを優に超す羊の染獣。
ぐるりとねじ曲がった硬質な角が特徴的な染獣で、その頭突きは帯獣を打ち砕く威力がある。
だが奴の本領は別にある。
「はっ!!」
カトルの氷を素早くステップで躱した羊へと、アンジェリカ嬢が鎚の振り上げを放つ。
だがそれは、奴の素早い後ろ蹴りで弾かれた。
「――っち!」
まるで脛当てでもつけているかのようなその四肢は、分厚く鋭い棘のような構造物が後ろへと伸びた、悍ましい外見をしている。
そしてその見た目通りに、奴らの蹴りは凄まじい威力を発揮する。
奴らの蹄が着弾する瞬間に、打撃面から凶悪な衝撃が放たれるのだ。
装備に身を固めた探索者も、硬い外殻の染獣もそれで外から踏み砕く。
この階層では数少ない能動的に襲ってくる狩人だ。
「また避けられた! もう……!!」
当然の如く、その動きは素早くカトルの氷をあっさりと避けてくる。
特に最初やってきた、爆発するように飛び出してくるその跳躍は、瞬間的な速度と威力は狐のそれを軽く上回る。
今も1体を巨大盾で受け止めた鉄塊と横を回る様に移動していた俺たちへ、他2体の跳躍が行われようとしたところで。
「――こっちだよ!」
ジンが飛び込み、そのうちの1体へと風纏いの棒撃を打ち込んだ。
そのまま吹き飛んだもう1体を追って、ジンは単独で追いかけていく。
残ったもう1体は、突然の反撃に逡巡し、ほんの僅かな間動きを止めた。
――好機!
そこへ、狐を飛び込ませる。
「カトル、手綱! あと氷!」
「あっ、うん!」
『――――!!』
鋭い呼気とともに熱爪を振るった狐の1撃を奴は分厚い頭角で受け止めた。
金属がぶつかり合うような硬質な音が響き渡る。
奴の角に焼けた跡が走るが、あれを攻撃しても中身は骨。大して意味はない。
だが、僅かにだが怯ませた。
「……はぁっ!!」
そこへカトルが氷玉を投げつけ、奴の周囲一帯に氷塊を生み出した。
直接狙って避けられるなら、周囲を封じる。
視界を塞ぐ氷に、流石の染獣も動きを止めた。
その無防備な角に、俺は空中から蔦撃ちを絡めた。
狐が熱爪を放つその寸前に、先に飛び上がっていたのだ。
氷の壁で周囲を塞いでも、真上はがら空き。そのまま奴の背中に飛び乗って、首筋に杭を打ち込んだ。
こいつの外皮は硬くない。
あっさりと体内深くへ杭は穿たれ、奴の命を刈り取った。
『――――……』
力を失っていく羊を置いて、氷に蔦を搦めて外へと戻った。
「ゼナウ!」
狐に乗って走ってきたカトルの手を掴んで、再び騎乗する。
「いい氷だった!」
「直接当てたいのに! でも役に立ったならいい!」
「さて――」
視線を振って状況を確認。
アンジェリカ嬢は鉄塊と協力して羊の頸をぶった切り、ジンも連れて行った羊を打ち倒している。
……終わってるな。わかってはいたが、3人とも強ええな……。
「……っと、まだ礫蜥蜴がいる」
幸い鳥はまだこちらへ来ていない。敵の数が多いから見逃したのだろう。僥倖だ。
あとは残った蜥蜴だが――。
「今度こそ、私が! 狐ちゃん、行って!」
『――――!!』
手綱を操り、狐が走り出す。
同時にカトルが掲げた右腕の先、巨大な青い光玉が現れた。
真後ろに座る俺が震える程の、凄まじい冷気が迸っている。
「おまっ、それ――」
「ゼナウ、手綱!」
「あ? お、おう!」
両脇から手を伸ばして手綱を握る。
前が良く見えねえが、カトルが落ちないようにぐっとその身体を受け止める。
カトルも俺に背を預け切って、右腕を真横に振るった。
腕の軌跡が青く瞬く光を放ち――隠れてこちらを狙っていた蜥蜴ごと、岩の壁面を一瞬で凍り付かせた。
『――――……』
「これで良し!」
……すげえ、力業で当てたな……。
自慢げに胸を張っているカトルの向こうに真っ白に染まった岩の壁が現れていた。
絶対にあんな大量の魔力要らなかった。
てか蜥蜴は羊と違って避けないから普通に当たるだろ……。
あいつが出てくるようになってから氷魔法が避けられ続けてたから、相当イライラが溜まってたんだな……。
――とまあ、こんな感じでジンは自分のできる範囲で、俺たちの戦闘の補助をしてくれている。
それがとても自然なのだ。
流石は人気の傭兵。立ち回りが上手いし、何より強い。
「ね? 俺、役に立つでしょ?」
「……ああ、そうだな」
本人が自信満々なのが若干腹立たしいが、事実なので何も言えない。
今は19層にある休憩用の岩場で野営中。
討伐証明の部位もあと少しで集まるので、19層の昇降機に向けて戻っているところである。
唯一の出入り口に『赤鎚』製の鳴子を設置し、そちらは鉄塊と狐が守っている。
俺とジンは他より少し高い岩場に腰かけ、休憩しつつも墜公佗児の襲撃がないか警戒中である。
というか実際は、俺が担当だったところにジンが飛び乗ってきたんだが。
なんで俺のところに来るんだよ。
鉄塊とかアンジェリカ嬢と喋ってろよ。
そう思って睨んでるんだが、奴は気にせず会話を続ける。
「でしょ? 頑張って鍛えたんだー。ほら、俺屋敷にほぼ幽閉状態だったでしょ? だから迂闊に魔法の訓練もできなくてさー、大変だったんだよ。屋敷の皆に協力して貰って、時々抜け出しては迷宮に潜ってたの」
眉を顰めて更に訴えるも、やはり奴には届かない。
諦めて、息を吐き出しながら浮かんだ疑問を口にした。
「今はどうしてるんだ? 数日潜るんだぞ?」
「勿論、隠してもらってるよ。でもそう長くは騙せないから、急いで攻略してもらってるってわけ」
……それは元々からなんだけどな。
しかし、なるほどな。
こいつの素早い戦い方は、こいつ自身の制約から生まれたのかもしれないな。
とにかく急いで戦って帰らないといけないから、あんなに速さに特化した戦い方なのかもしれん。
ただ、そんな制約の中でもこいつはここまで潜れるほどに強くなったってことだ。
王族の血故なのか? 第二王子も35層にいけるくらい強かったようだし。
「なあ、王族って特有の何かがあんのか? 王族が全員持ってる【迷素遺伝】とか」
「んー? どうだろ……。別に王族皆がそういうのあるわけじゃないよ? 俺もないし。ただ出やすくはあるんじゃないかな。王子は3人とも持ってたはず」
「へえ……」
つまり、第三王子も持ってるってことか。
そんなことにならないと信じたいが、万が一の際は【迷素遺伝】持ちが敵になる、と。
カトルみたいな規格外じゃないことを祈ろう……。
「他の王族も、【迷素遺伝】はなくても魔力量とか身体能力は高いみたい。多分父様が結構な期間迷宮に潜ってたからだと思うよ。……その無理が祟って、倒れちゃったんだけど」
「なるほどなあ……」
この国の王は勇敢にも迷宮に自ら潜って迷宮黎明期を支えたと聞く。
その代償が国から水が消え、ブチ切れた息子の妻が反乱起こしかけてるんだから、不憫としてか言いようがない。
「……だから、正直王族なら誰でもよかったんだと思う」
不意に、ジンの呟きが聞こえてきた。
やけに小さな弱弱しい声だった気がするが。
「……? 何の話だ?」
「んーん、何でもない。あっ! そうだ」
急に元気になって、ずいとこちらに身体を寄せてきた。
「ねね、ゼナウさん。ゼナウさんの夢って何?」
「なんだよいきなり」
「だって、俺ゼナウさんのことだけよく知らないんだもん。アン姉さんと師匠は良く知ってるし、カトルさんも……面識はなかったけど知ってるし」
「あいつは、有名らしいからな……」
あいつ、名前だけは相当知られてるよな。
実物との差は凄まじいが……。
「ちょっとカトル、あんたまたつまみ食いしたでしょ」
「ゔ……っ」
「もう保存食が少ないんだから我慢しなさい。うちはファムのせいでただでさえ消費が多いんだから」
「だってー」
「……すまない」
……凄まじいが。
にんまり笑って、ジンが口を開く。
「だからゼナウさんのことを知りたいなって」
「アンジェリカ嬢から聞いてないのか?」
「うん、全然! 『あいつは傭兵だから気にするな』って」
傭兵、ねえ……。
しかし、喋ってなかったのか。それは何というか、意外だ。
てっきりこの男には計画の全てを話しているのかと思ったが。
「でもさ、その時の姉さんの表情がちょっと違ったんだよ。ただの雇用関係じゃない、信頼のようなものがあった。……兄さんの話をしてた時に、少しだけ似てたんだよね」
「……はあ?」
何を言ってるんだこいつは。
呆れて睨みつけると、慌てた様に両手を振り出した。
「あ、多分そういうのじゃないよ? 姉さんは兄さん一筋だから。そりゃもうとんでもないよ? 手出したら多分千切られるから、気をつけてね」
「誰が……」
そんな命知らずなことをするか。
俺の顔を見て一瞬で察したのだろう。直ぐにその表情が苦笑いに切り替わる。
「ごめんごめん。俺がしたいのは信頼の話。アン姉さんはゼナウさんを凄く信用してるってこと。だから、聞いておきたくて。ゼナウさんは、この国で何をする気なの?」
……なるほど。
これはこいつなりに探りを入れに来てんのか。
ジンからすりゃ俺だけが無関係の赤の他人。それが我が物顔で……そんなつもりは毛頭ないが、姉と一緒に行動してるんだ。
弟としては心配なのかね。
いい姉弟愛じゃないか。
「そういうアンジェだって、お湯使い過ぎ! つくるの私なんだからね?」
「あなたの魔力ほぼ無尽蔵だからいいじゃない。ほら、さっさと氷出しなさい。汗を拭いたいの」
「『汚れ落とし』の魔法で落とせるでしょ? それ使ってよ!」
「汚れはそれで落ちるけれど、気持ちよさが違うのよ。ほら早く。つまみ食いの代金よ」
「なにをー!」
「ジンの風魔法のおかげで乾かすのも楽になったし、やっぱり持つべきは魔法使いね。……そういえば、絡繰りでそういうのはあるのかしら? 戻ったら聞いてみましょう」
「……」
良い、筈だ。あと『赤鎚』はとんだとばっちりだろう。
しかし――兄妹、か。
それは、俺には多分もう手に入らないものだろう。
『た――っ、逃げて!』
覚えてるのは、その一瞬だけだ。それ以上の思い出が戻ることはないだろう。
なあ、俺たちはどんな兄妹だったんだろうな?
少しだけ、心の奥底が震えるのを感じながら、俺はゆっくりと口を開いた。
「……大した話じゃない。俺は俺の目的を叶えるために、アンジェリカ嬢を手伝ってるだけだ」
「それって?」
アンジェリカ嬢が喋ってないのなら、迂闊なことは喋らない方がいいだろう。
核心部分を隠しながら上手く説明するのは面倒だが……どうするか。
「……探してる奴がいるんだ。迷宮関係者で、多分ここよりもっと深くに潜ってそうな奴。んでそいつは、この国の人間ですらない。だから俺は、この国のごたごたには無関係だよ」
「へえ……じゃあもしかして、湖畔の国?」
流石に分かるか。
頷きを返すと、「なるほどー」と寝転びながらそう言った。
手を真っ青な空に伸ばしながら、ほう、と息を吐き出している。
「そっか。ゼナウさんはそれに命を賭けてるんだね。凄いや」
「……お前もだろ? だからここにいるんだろ」
アンジェリカ嬢が引っ張り出してきた王族様、しかも亡き第二王子の弟――できすぎてるくらいに揃った境遇。
当然のように彼自身もアンジェリカ嬢の目的に賛同してると思っていたが。
「うーん、多分?」
「多分って、お前……」
「まあ俺のことはいいの! それよりゼナウさんは食べ物で何が好き?」
「……林檎のパイだが」
「えっ、意外……!! じゃあさ――」
「……?」
ジンの態度に奇妙な違和感を覚えつつも、その後交代の時間が来るまで、ジンの質問攻めに答え続けるのだった。




