第60話 最後の1人②
その日の夜、地上のワハル支部にて。
ルセラは大量の汗を流していた。
……どうしてこうなった?
目の前には神妙な顔で書類を眺めている上司。
その書類は、ルセラが作成したアンジェリカ様たちパーティーの主討伐申請書だ。
20層は複数パーティーでの討伐が基本。
そのため、『誰が討伐に参加するか』を事前に取り決め、協会へと提出する必要があるのだ。
ルセラにとってここが難関だった。
普通、この程度の書類を支部長であるディルムが確認することはない。
もっと下の階級の人間の認可で済む。
だが、今回の申請者は現状、この国における最大の問題児・アンジェリカ様一派。
彼女の行動は何があっても報告せよ、とのお達しがこの支部には出ている。
当然発令者は目の前の男だ。
だからこうして書類を見せている。
そしてもしバレれば非常にまずいことになる。クビで済めばまだいいだろう。
ああ、胃が痛い。
全てはあの日、第三王子の行動を報せに行ったせいだ。
今までは受付と探索者の、あくまで仕事上の間柄でいられたのに、あの一件で完全にアンジェリカ様に狙われた。
こいつは使える、と。
……選択、間違えたかなあ。
あの時はただただ彼女の身を案じての行動だった。
それがまさか、こんな結果になるとは……。
もういい。駄目ならアンジェリカ様に拾ってもらおう。
その言葉を何度も頭の中で繰り返して、ルセラは痛む胃を必死に説得し続けていた。
そうして、しばらくして。
ようやくディルムが顔を上げた。
「……ふむ」
「……っ」
びくりと身体が震える。
恐る恐る顔を見ると――想像とは違って、いつもと変わらない穏やかそうな表情であった。
「わかった。報告ご苦労様」
「は、はあ……」
案外、あっさりと終わってしまった――そう安堵してしまった。
その一瞬の動きを見られたのだろう。
支部長がふっと口元を緩めた。
「意外かな? 慌てて止めると思っただろう」
「それは……」
「……わかっているよ、これが我々に対する脅しだということは」
「あ、あはは……」
やっぱり、バレてたか。
まあルセラでさえ分かるのだ。この仕事人間が気付かないわけがないか。
この書類には色々と……その、問題がある。
それはもう、公になったらとんでもなく大騒ぎになる問題が。
だが、それは我々協会にも同じかそれ以上に大きな傷跡を残すだろう。そのための証拠を彼女に握られていることはルセラもディルムもよーく知っている。
見逃すから見逃せ。
彼女はそう言っているのだ。
「しかし、まさかジン様を引っ張り出してくるとは……」
「これ、やっぱりそういうことですよね?」
「ああ。……本気でこの国を変える気らしい。あのご令嬢は」
継承権を持たない王族に、上が詰まってなければとっくに騎士団を持っているだろう次期騎士団長候補まで仲間に加えた。
その支持者は国内指折りの有力貴族――名前だけの人も一部いるが、それが3家。
そんな人たちが徒党を組んで、国を救うという染獣を手に入れようと迷宮を突き進んでいる。
もし彼らが望み通りに染獣を手に入れれば……その結果何が起きるかを理解できない程馬鹿ではない。
「大きな変革が起きるだろう。それも、かなり近いうちに」
「……」
それが上手くいこうとも、いかずとも。
必ず大きな、それもとんでもない事件は起きる。
そしてこの支部にいる時点で巻き込まれることは確定している。
……今から逃げるか?
とりあえず日持ちする食材は帰りに買おうと誓っていると、ディルムが大きなため息を吐いた。
「だが、彼女もまだまだ甘い。こんな杜撰なやり方では直ぐに知れ渡るぞ。……あるいは、我々の行動を信じ切ってるのか? それとも、試しているのか……」
「ど、どうします? 逃げますか? 私、支部長と反対の方角に行きますから、どこに行くかぜひお教えを――」
「何を言ってるんだ?」
「はい、すみません」
真顔で言われてしまった。
そして本音も漏れてしまった。いけないいけない。
「この報告を『上』に上げるか、はたまた隠すのか。それを確かめようとしているのだろうか。もし彼女の目的が達せられた時、傍に置くべきは誰なのか、ってね」
「……上手くいくと思いますか?」
「さあ、今は何もわからないさ。ただ、君はそう思ったんだろう? だから向こうについた」
違います。逃げ場を失くされただけです。
だがそんなこと言える訳もなく、あわあわしていると、ディルムが眉間を抑えながら首を振った。
「……少しだけ時間をくれないか。彼らが20層に到達するまで、まだ余裕はある」
「多分、あと4日くらいだと思いますが」
いつも通りなら、間違いなく最短で攻略してくるだろう。
今回は前みたいな異常事態も起きていないし、そこにもう1人戦力が加わるのだ。
残された時間は少ないだろう。
というか、もう明日からジン様来るんじゃん! まずい、色々と準備しないと……。
うう、胃が痛い……。
「……1日で良い。ああ、どちらにせよルセラ君のことは悪いようにはしないよ。もしもの時は、害が及ばないようにすると約束する」
「支部長……!! 一生ついていきます!」
「さっき逃げるとか言ってなかったか? ……まあいい。今日は帰って休むと良い」
「いえ、まだ仕事がありますから……」
「……君も、災難だな」
お互い、深いため息を吐きだして、揃って胃のあたりを抑えた。
「……いい胃薬ありますけど、要ります?」
「頼むよ……」
そうして、迷宮の外でも事態は進んでいくのだった。
***
というわけで翌日。
改めて長期探索の物資を整えて支部へとやってきた俺たちは、入口でルセラさんに捕まって別室へと連行された。
「こっちへ来てください! 早く……!!」
「もう、そんな慌てないでよ」
「いいから! こっちです!」
何故か小声で叫ぶ、青い顔をした彼女が開いた扉の向こうに、1人の男が待っていた。
短い艶のある黒髪に、精悍な顔立ち。
パッと顔を上げた彼はこちらを見て、にかっと笑みを浮かべる。
「……お! 来た来た! アン姉さん!」
「久しぶりね、ジン。会いたかったわ」
抱擁を交わして親し気に挨拶をする2人。
そのまま互いの手を握りながら話を始めた。
「俺こそ! 今日をどれだけ楽しみにしてたと思う?」
「あら、私の方が心待ちにしてたわよ?」
「いーや、俺だね!」
カトルたちに見せるのとはまた違う、慈しむ様な親愛の表情。
出会ってから初めてみる彼女の姿がそこにはあった。
「……昔のアンジェみたい」
カトルの呟きが横から聞こえてくる。
きっとルシド王子が生きていた頃は、毎日あんな風に笑ってたのだろうな。
本来は姉弟になる筈だった彼女たちの仲は、未だ良好らしい。
しかしジンって言ったか……デカいな。
鉄塊には劣るがそれでも見上げる程の長身。
そのくせ細身の身体は相当引き締まって見える。
昨日の夜、ミンナから色々と聞き出したが、ジンの様な継承権を持たない王族は基本的に屋敷で半ば幽閉状態になっているらしい。
外に出ることを除いて不自由のない生活は、決して王位には就かせないという意志の現れだろう。
だというのに、あいつの身体はやけに仕上がっている。
まるで長いこと迷宮に潜っていたかのような、強者特有の圧を感じるのだ。
……てか、そもそもんな境遇だったのに17層に潜る資格あるのか? こいつ。
幽閉状態の王族だったのなら迷宮に潜るなんて許されなさそうだが……。
「……あっ!」
そんなことを考えながら見ていたら、挨拶を終えた彼がこちらを見た。
にっと笑みを浮かべたまま、ずんずんと近づいてきた。
「あなた達が姉さんの仲間ですね! ジンです、よろしく!」
「あ、ああ。よろしく」
「あなたがゼナウさんですね! 活躍は聞いてます。一緒に探索ができてすっげぇ嬉しいです!」
「お……おう、俺も、会えて嬉しいよ……」
「ホントですか!? やった!」
なんというか、凄く、陽気だ……。
暗いことなんて1つも無い、満面の笑み。
背は高く、俺でもビビるくらい綺麗な顔をしているが、何というか、小動物みたいな雰囲気のある男である。
何故だろう、ない筈の尻尾をぶんぶんと振ってるのが見える。
「そして隣はカトルさん! アン姉さんから昔から聞いてました。すっごい氷の魔法使いなんですよね! 俺も魔法を使うんですよ! ご一緒できて嬉しいなぁ……よろしくお願いしますね!」
「……」
しばらく待ったが、カトルからの反応はなかった。
ちらと見たらカトルは完全に固まって微動だにしていなかった。
陽の気にやられたか……無理もない。
人見知りにはあまりにも眩しすぎるのだ、こいつは。
仕方なく肘で小突くと、ようやく「はっ!!」と再起動した。
「えっと……」
「挨拶。よろしくだとよ」
「あ、うん。よ、よ、よろしく……ね?」
「はい!」
おお、カトルの人見知りにも全く動じない。
全く邪気のないその反応に、カトルの緊張も少し解けたらしい。
「びっくりした……。凄かったね、ゼナウ」
「ああ……おいやめろ、揺さぶるな」
よほど驚いて興奮したのか、何故か俺の服の裾を掴んで揺さぶってくる。これからこいつと一緒に迷宮に潜るんだぞ? 大丈夫か?
しかしこのジンという奴、完璧に『良い奴』だ。
その上王族で、デカいが見目も良い……完璧超人ってのは、ちゃんとこの世にいるんだな。
その超人は今度は鉄塊の前に行き、何故か深々と頭を下げた。
「先生もお久しぶりです!」
「ああ」
「……先生?」
まさかの関係性が飛び出した。
「ファムは時折この子の屋敷に行って指導していたのよ。監獄島に行く前までだけどね」
「へえ……」
「この日が来るのを待ってました! ちゃんと言われた課題も達成しましたよ!」
「見ればわかる。強くなったな」
「へへー」
確かに俺たちやアンジェリカ嬢相手とも違う表情をしている。
なんか小刻みに上下してるし。やっぱり愛玩動物みたいな奴だ……。デカいけど。
……しかし、あれが12人目。俺たちの最後の仲間か。
王族ってのにはビビったが、本人自体は無害そうな好青年。
アンジェリカ嬢は、あれを計画の――革命の旗手に据えようってつもりなのか?
いい奴なのはわかったが、探索者としては一体どんな――。
「……あのー」
ジン青年の感動の再会を眺めてたら、恨めし気な声が背後から聞こえた。
振り向けば、未だ青い顔で震えているルセラさんがいた。
「あらルセラ。手配ありがとうね」
「アンジェリカ様……これは一体、どういうおつもりですか?」
「どうって……見ての通り、『踏み鳴らし』討伐用に仲間を集めただけよ?」
「……だけ? これがですか!?」
悲壮な声を上げ、頭を抱えだしたルセラさん。
そのままよろよろと膝をついたかと思うと、地面を這うような低い声が響いてくる。
「ただでさえとんでもない方々なのに、まさかジン様まで引っ張り出すなんて……!!」
「あら、いいじゃない。彼はただの一般人よ?」
「そんなわけ……!!」
叫びかけてハッと口を塞いだ。
大声を出して誰かが来たらまずいのだろう。
最初からそうだったが、ルセラさんはとにかくこの会合を隠したがってるよな。
こいつ、そんなにヤバい存在なのか?
「彼、そんなに有名なんですか?」
「当然でしょう!? いくら継承権がなくても王族ですよ!? 顔を見ればわかりますよ」
「……そう言ってますけど」
「市民は顔まで知らないから平気よ。そ、れ、に」
いつもの胡散臭い笑みを浮かべて、彼女は言った。
「彼はとある商家の一人息子・テムジ君だから」
「……どういうことです?」
「あなたには言ったでしょう? この国では探索者の身分を買う愚か者がいるって。それと同じことをしただけよ」
「つまり、身分を詐称しているってことですか?」
咄嗟にルセラさんを見たら、全力で顔を逸らされた。
「昨日、シュンメル家から来た書類を見てですね? 12人目に傭兵――特定のパーティーに属さず雇われで迷宮探索をする方をそう呼ぶんですが、その1人のテムジさんを組み込むとありまして。それだけなら普通なんですが、アンジェリカ様がその人選は変だなと思いまして調べてみたら……」
「王族の身分詐称が判明したと?」
「……はい」
……まじかよ。
とんでもない大事件じゃないか? それ。
しかも、その主導は明らかにこの女だろ。
直ぐに報告されて、王族に大貴族とはいえそれなりの処罰がされそうなもんだが……。
「あら、そんなことこの国の協会ではままあることよ。ねえ、ルセラ?」
「……」
……あ、そうか。これ、第三王子がやったことをやり返したのか。
あの王子はこの協会の長だもんな。そりゃ協会も1枚嚙んでるか。がっつり証拠、掴まれてんのかな……。
てかこの人、相手がやった違反行為は徹底的にやるよな。
まあ先に手を染めたのは向こうだから構わないんだが、ルセラさんの胃が心配である。
「当然、王族としての探索者証も別に存在しているわ。それは……確か10層踏破で止まってたかしら?」
「そうだよ。王族の義務ってやつだね。それより先は全部今の探索者証でやってるよ!」
「……一般人や探索者は大丈夫でも、さすがに支部の連中には顔見られたらバレるんだろ? どうやったんだ?」
「それはほら、こうやって」
彼は外套のフードを被り顔を伏せて何かすると――別人の顔が現れた。
「あ、髪色が……あと顔も」
「変装道具。アン姉さんが用意してくれたんだ。塗料を塗っておいて、魔力を流すと色が変わるの。後は頬にシール貼ってる」
髪はアンジェリカ嬢に似た赤銅色に変わり、顔には首から頬にかけて引き裂くような染痕が現れた。
さっきまでの笑みもなくなり、表情筋が死んだかのような無表情に変化した。
その結果、元の体躯のデカさも合わさって陰のある大男の出来上がりだ。
数人くらい殺ってると言われても納得する。
「はー、随分と雰囲気が変わるもんだ……」
「でしょ? こうしたら絶対にバレないんですよ」
再びにかっと笑った途端に、元の人懐っこい雰囲気が戻るから不思議だ。
なるほどな、こうやって正体を隠して潜ってたのか。
「ジン様……『彼』はふらっとやってきては、パーティーの手助けをして階級を上げているんですよ。出自不明だけど腕の立つ傭兵として、深層の探索者ではそれなりに知られてますよ」
「それが遂に20層へ……臨時のパーティーメンバーとしては最適な人選ってことか」
あくまで表向きは、だが。
「そういうこと。いいでしょう?」
……アンジェリカ嬢め。全部想定して仕組んでやがったな、これ。
ジンが17層から合流するってのが現実味があって実にいやらしい。
いかにも『1人足りなかったから順調に経歴を積み重ねた傭兵を雇いました』って図式に見える。
騎士団連中が同行するのも大貴族シュンメル家のご令嬢の護衛・観察って点で理由づけもできるし、『赤鎚』は探索者の間で20層踏破を渇望している連中として有名だ。
何も知らない人間から見れば、復帰した元特選級探索者がその権力を存分に行使して主を討伐しに行くように見えるだろう。
実際はその中に野良の王族が混じってるだけで。
「合流前に16層は突破しとけってのが先生からの課題だったんですよ。ばっちり達成!」
「よくやったわ」
「へへー」
「……よくやったね、じゃありません! こんな情報、どうやって隠せと……!!」
「別に隠さなくていいわよ? 公表しても私は構わないし。お互い対等にいきましょう?」
「……」
ルセラさんが青い顔を通り越して白くなってきてる!
よくわからんがこれ以上はまずい!
「も、もういいでしょう? 行きましょう!」
「あら、止めたのは私じゃないのに。でも、そうね。ここで話し込んでても仕方ないわ。早速潜りましょうか」
「やった! 楽しみー!」
「……随分と賑やかになりそうだな、カトル」
「……そうだね」
ただでさえアレな一行に、身分詐称中の王族が加わったのだった。




